欲しがる手 4



 深川に言われたことが、分からなかった。
 でもそれ以上どう尋ねていいのかも分からなくて、結局あの後数寄屋の話題は出さなかった。
 二人の問題だから。
 そう言われたことに深く納得したからっていうのもある。
 どれだけ深川が頭良くても、僕のことをよく知っていても、数寄屋と僕との関係を全部理解出来るわけじゃないし、数寄屋の考えていることまでは分からないと思う。
 僕は肩を落としたままスーパーの袋をぶら下げて帰り道を辿る。
 数寄屋の所に行かなくなって四日目。
 いつもならそろそろ呼ばれる頃だけど、携帯はずっと静かだ。
 画面はこのまま数寄屋の名前を映さなくなるかも知れない。
 そう思うと溜息が出た。
 仕方ない。こうしたのは僕なんだから。
 僕が悪いんだから、きっと。
 でもそう思うたびに足が重くなって、立ち止まってしまいそうになる。
「要!」
 歩みが遅くなっていると、後ろから声をかけられた。
 聞き慣れたそれに振り返ると、健太が走ってきていた。
 僕が通っているところとは違う高校の敬服を着て。
 深川と僕は近くの高校に行ったけど、健太は部活メインで電車通学している。
 運動神経が良くて、体育では活躍していた健太には合ってる進路だと思った。
 家は近所だけど普段は部活があるらしくて、帰宅部の僕と会うことはなかった。
「久しぶり」
 僕だったら呼吸が乱れてるだろうなっていう足の速さで駆けてきても、健太は平然としていた。さすがだ。
「一ヶ月ぶりくらいか」
 健太は満面の笑みでそう言った。出会えたことが嬉しいのと、たぶん僕の手にスーパーの袋があるからだと思う。きっとこのままうちに来るんだろうなーって雰囲気がある。
 目の前にご飯を置かれた犬みたいな顔をしてる。
「そうだね。先月うちに来てご飯いっぱい食べてた」
 炊飯器のご飯が空になるまで健太は食べ続けた。僕の倍以上はあっさり食べてしまうから、健太がうちに来る時は食料の量を考えなきゃいけない。
 今日は大丈夫かなぁ。冷蔵庫に何があっただろう。
「行っていいか?」
 来る気満々の姿勢で、健太はそう訊いてきた。もちろん断る理由なんてなくて、僕は「うん」と笑って頷いた。
「健太のために品数増やさないと駄目だな」
 重かった足取りは、健太が隣にいるだけで早くなる。誰かと一緒に歩くと帰り道もどこか楽しく思えた。
 父さんと二人暮らしの僕にとって早く家に帰っても部屋に一人でいるだけだから、あんまり帰り道は好きじゃなかった。でも今日は健太が来るから楽しさすら感じられる。
「どんどん増やせ。ぜーんぶ食うから」
 健太は嬉しそうにそんなことを言う。僕の家の食べ物という食べ物全部腹に入れるつもりじゃないだろうか。
 見た目は太っているとはとても思えないのに、どこに大量のご飯が入るんだろう。
「そーいやあいつんトコに作りに行ってんのか?」
「え?」
「何て言ったっけ。鈴木、みたいな名前の」
 数寄屋のことだ。
 健太と数寄屋は、僕がいないところで会ったことがあるって聞いたけど。どんな話をしたんだろう。僕と付き合っているなんて話はたぶんしてないだろうけど。
 健太の口から数寄屋の名前が出てくるなんて予想してなくて、僕の心臓がびっくりしたようにどくりと鳴った。
「うん。行ってるよ」
 行っていたって言った方がいいかも知れない。
 でも詳しいことは言えるはずもなくて、僕は誤魔化すようなことを言う。
「あいつも要の飯に餌付けされてんな。こき使ってやれよ〜ただで飯食わしてやる必要ないんだからな」
 面白そうに健太は笑う。自分と同じような人が増えたのが楽しいのかも知れない。
 でも僕には、この笑顔に胸を締め付けられる。もう数寄屋とご飯食べられないかもなんて、健太は知らない。
「んじゃ俺、晩飯食って帰るって親父に電話する」
「あ、うん」
 健太がうちでご飯を食べるのはもう何年前からよくあることだった。
 だから健太のお父さんも慣れたことだと思う。
 健太が鞄から取り出した携帯に、僕は意外なものを見付けた。
 細長い皮のストラップ、その先に付いている十字架。シンプルなものだけど、十字架の真ん中には丸い石がついていた。パワーストーンか何かかな。落ち着いた綺麗なストラップは健太のイメージから少し外れていた。
 大人びた感じがする。
 健太は結構赤とか強い色が好きで、前に付けていたストラップも赤いビニール系のストラップで、しかもガチャポンで取った小さなキャラクターがひっついていた。
「なんか、健太にしては珍しいストラップ」
 深川が付けているなら何とも思わなかったけど、健太がしていると不思議な感じがしてついそう言っていた。
 健太も自覚があるのか、僕の言葉に照れたみたいな顔をして携帯を揺らす。
 するとストラップが左右に大きく振られた。
「彼女がお揃いで付けたいって」
 健太には高校に入ってすぐに彼女が出来た。
 中学の時も女子と付き合っていたけど卒業する前に別れて、それからあんまり時間は経ってなかった。
 数寄屋も大人っぽい感じで女の子にもててるけど、健太は明るくて元気さが有り余ってる感じが好感を持てるんだと思う。
 女子だけでなく、男子にも人気があった。
 今付き合っている彼女の顔は見たことがないけど、健太は可愛い子だって言っていた。
 時々話をしてくれるけど、仲良くやっているみたいで良かったなぁと思ってる。
 友達が幸せなのは嬉しい。
「俺はそういうのあんま好きじゃなくて止めようって言ったんだけど」
 健太は女の子っぽいものが苦手だった。
 だからそのストラップも遠慮したいものだったんだろう。
 でもそれを付けているってことは、きっと彼女のお願いを聞いたんだ。
「断れなかったんだ」
「まーな」
 照れくさそうな顔のわけがよく分かって、僕もつい微笑んだ。
 羨ましいとは思わなかったけど、僕は鞄の中にある数寄屋の部屋の鍵を思い出した。
 これはお揃いじゃない。でも、数寄屋と僕が共通で持っている大切なものだ。
 数寄屋の部屋を開ける音を思い出すと、口元から笑いが消えていくのが自分でも分かった。
 笑えなくなった僕から視線を外して、健太が電話を始めるのを見てほっとした。
 どうした?なんて訊かれても答えられなかったから。



 僕の家の食卓はいつもよりずっと豪華になった。
 健太がいると、僕と父さんだけの食事より二倍くらいの量になる。
 作り甲斐があっていいんだけど、健太の胃袋ってどうなってんのかなーと毎回思っていた。
 テレビなんかでやっている大食い選手権にも出られるかも知れない。
 茶碗山盛りでも「おかわり!」って元気良い声を何度か聞くんだもんな、数寄屋も結構おかわりするけど、健太ほどじゃない。
 僕が二杯目のお茶碗を手渡すと健太は「唐揚げって最高だよな!」と別の料理の時にも聞いたことがあることを言ってくれる。
 その美味しいって笑顔が僕は好きで「うん」と同意した。
 一人で食べるご飯は味気なくて、美味しいと思えない。でもこうして誰かと食べるご飯は美味しいと思える。自分で作ったもので、味は同じなはずなのに。
(健太はよく食べるなぁ)
 そう思いながら向かい合っているのに、気が付くと数寄屋と健太を比べていた。
 数寄屋だったらこれを「美味い」ってぶっきらぼうに言うんだろうな、数寄屋だったらそろそろお箸を置くな、数寄屋だったら。
 そんなこと、先月健太と一緒にご飯を食べた時には思わなかった。深川と食べた時だって。
   こんなに数寄屋ばかり思い出すことなんてなかったのに、どうしてだろう。
「彼女とはどう?」
 健太のストラップが頭をよぎって、僕はなんとなくそう尋ねていた。
 お揃いを持っているくらいだから、きっと中はいいんだろうな。
「んー、続いてるよ」
 健太はもぐもぐと口を動かしながら答える。口の中に物を入れて喋っちゃいけないよって言ってるけど、なかなか聞いてくれない。
「喧嘩したりする?」
 僕と数寄屋のことを当てはめるのは変なのかも知れないけど、一応恋人同士ってところは健太たちと差がないと思いたい。
「喧嘩くらいするだろ。ストラップの時だって喧嘩したし」
「え、なんで?」
 僕は驚いてみそ汁をすする健太を見た。前髪はピンで留めていて視界はクリアだった。
 でも健太とは付き合いが長いし、目を合わせても怖いとは思わないから平気だった。
「俺の趣味から外れてんだよな。あのストラップ。それにお揃いなんかちょっと恥ずかしいってか…」
 からかわれるし、と健太はまた困ったように言った。
 高校では友達に彼女がいるって教えているみたいで、結構冷やかされたりしているらしい。
 お揃いを持つことで、またからかわれるのが嫌だったのだろう。
 健太は結構照れ屋だから真っ向から褒められるとすぐ嫌がった。冷やかされる時も、きっと同じように戸惑ってるんだろう。
「だから嫌だって最初は言ったんだよ。でもあいつがどーしてもお揃いが欲しいって言って」
 健太は浅漬けをぼりぼりと食べながらその時のことを思い出しているのか、ちょっと渋い顔だ。
「最後には泣き出してさ」
「それはー、困るね」
 女の子に泣かれるのは、僕だってすごく困ると思う。自分がすごく酷い人間になったみたいに思える。
 まして健太なんて思いやりがあって、面倒見がいい人だから、きっと途方に暮れたんじゃないかな。
「勘弁してくれよって感じ」
 健太は相当参ったみたいだった。こんなに困っている健太を見るのは久しぶりだ。
 彼女とのことを話している時は、大抵楽しそうに、時々照れたような表情を見せるけど、こんなにもげんなりしているのは初めてかも知れない。
 やっぱり付き合っていると色んなことがあるんだな。
「でも付けてるんだ」
 勘弁してくれって言ったけど、健太はちゃんとストラップを付けている。
「そんなに付けたいならって。俺も意地張るようなことじゃねぇし」
「そっか」
 お揃いのストラップで女の子が泣くことに僕は驚いたけど、健太もきっとそうだったんだろう。
 泣くくらいなら、と思って付けたんだと思う。
 僕だってきっとそうするし。
「で、要はなんでそんなこと訊くんだ?」
「え」
 健太に質問されて、僕はみそ汁を持っていた手を止めた。
 こっちを見てくる健太の目は深川とどこか似ている。
 僕に何かあったんだろうって、気が付いている眼差しだ。
 二人はどちらかと言うと正反対で、健太は熱血少年だけど、深川は冷めた大人っぽい人だ。でも僕に対する態度は、時々似通っている。
 きっと二人とも世話焼きで、鈍くさい僕を放っておけないからだろうけど。
(鋭い……)
 深川は健太を真っ直ぐ馬鹿。鈍感。なんて言うけど、僕からすると健太だって相当鋭いと思う。
 こうして僕に変化があると、ちゃんと察知してくれるから。


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