当てはめない形 5


「何やってんだ…」
 前もこんなことあったよなぁって顔で数寄屋が帰ってきた。
 もうご飯は出来上がっていて、テーブルの上に並んでいた。
 数寄屋のお母さんと二人して帰ってくるのを待っていたところだった。
「おかえり」
 数寄屋のお母さんは呆れている数寄屋に、にっこりと笑って見せた。
 それを見て、数寄屋は嫌そうな顔をする。
「なんでいんだよ」
「我が子の部屋に押し掛けちゃ駄目なわけ?」
「駄目だ」
 数寄屋は素っ気なく言い返して、テーブルの前に座った。
 ご飯を食べるってことなんだろう。
 僕は立ち上がってお茶碗に白いご飯をよそった。
 大盛りにしないと、すぐにおかわりって言われちゃうんだよな。
「彼女がいるわけでもないんでしょ?」
「駄目だ」
 彼女って言われても数寄屋は何も言わなかった。
 とにかく「駄目」を連発してる。
 二人にお茶碗を手渡すと、数寄屋が眉を寄せた。
 なんで数寄屋のお母さんにまでご飯を渡すんだって顔だ。
「今日は…余分に作ってるから…」
 怒るかな、と思ったらついつい小声になる。
 聞き取りにくいからはっきり喋れって注意されるんだけど、数寄屋が不機嫌そうにしていると声が出せなくなった。
「んな余計なこと…」
「私が言ったのよ」
 肩を落としていると、数寄屋のお母さんが庇うようにして言ってくれた。
「文句あんの」
 それだけじゃなくて、ぎっと睨み付けて数寄屋を威嚇してる。
 数寄屋は顔が格好いい上に、ちょっと近寄りにくい雰囲気がある。目つきとか、結構鋭いし。
 でもお母さんに一睨みで、ぐっと口を閉ざしてしまった。
 やっぱりどこのお母さんも強いみたいだ。
「何しに来たんだよ。同居はしないって言っただろ」
 自分の分のご飯を盛ってくると、三人揃って手を合わせた。
 でも数寄屋はぶすっとしたままだ。
「用なんてないわよ」
「ないのに来んなよ」
「冷たいわねぇ。それより、あんた要ちゃんにご飯作らせ過ぎじゃないの?こんなの彼女作って、彼女にやらせなさいよ」
 ご飯作るためだけに彼女を作るって、なんだか変な話だと思うんだけど。
 数寄屋のお母さんは本気で言ってるみたいだった。
「こいつがいいって言ってんだから、いいんだよ」
「だからって週に何度も作らせるのは酷いでしょう」
「あの…」
 そんなに数寄屋を責めなくても。僕が好きでやってるのに。
 おずおず口を挟んだら、二人ともぴたりと黙った。
 一身に視線を集めて、僕は思わず俯いた。
 よくないことだって分かってても視線は、やっぱり怖い。
「好きで作って…ますから」
「本当に?」
「はい」
 こくこくと何度も頷く。
 すると「ふぅん」って意味ありげな声が数寄屋のお母さんから聞こえてきた。
「全然タイプが違うように見えるのにねぇ」
「ほっとけ」
 僕も思ってるけど、他の人から見ても数寄屋と僕って接点があるように見えないんだろうなぁ。
 もそもそとサバの味噌煮をつつく。ちょっと味が薄いかも知れない。
「あ、美味しい」
 僕はその言葉が好きだった。
 ぱっと顔を上げると、数寄屋のお母さんがサバの味噌煮を食べながら笑っている。
 良かった。ちゃんと作れたみたいだ。
 味って人によって好みがあるから、僕が美味しいと思ってても、その人が美味しいって思ってくれるとは限らないんだよなぁ。
 数寄屋はちょっと濃い味が好きだし。
 甘みより、塩気がいいみたいで、それを意識していつも作ってる。
 数寄屋のお母さんも似たような味覚の人かも知れない。
「ね、要ちゃんと家で家事とかしてるの?」
「母が子どもの頃に亡くなって、それからずっとやってます」
「えっらい!」
 数寄屋のお母さんは軽くテーブルを叩いた。
「どっかの馬鹿とは大違いね!レトルトですまさないところがすでにえらいわ」
 数寄屋のお母さんが言っている、どっかの馬鹿って、考えるまでもなく隣に座ってる数寄屋なんだろうなぁ。
 ちらりと横目で数寄屋を見ると、むっとしたままがつがつご飯を食べている。
「もしかして、一人でこの味作ったの?」
「時々近所の人に教えて貰って…」
 僕が父子家庭で、家事をなんとか頑張っていることを近所の人は知っていた。
 そして時々手を貸してくれた。
 分からないことがあっても、父さんは仕事で家にいないから。どうしても他の人に聞かなきゃいけない。
 お隣の人や、近所で構ってくれる人たちに色々聞いている内に、様々なことを知った。
 おばさん相手が多かったから、料理や、掃除の細々とした豆知識にはちょっと自信がある。
 男子高校生としては自慢出来ないかも知れないけど。
「健気ねぇ。私こういう息子が欲しかった」
 はぁ、と数寄屋のお母さんはわざとらしく溜息をついた。
「自分からこいつみたいな子どもが生まれてくるとでも思ってんのかよ」
 数寄屋はその溜息を馬鹿にしたように冷たいことを言った。
「こんな口をきく子どもじゃなくて、要ちゃんが良かったわ」
 数寄屋のお母さんは息子の言ったことを気にした様子もなく、むしろ毒を入れて切り返していた。
 数寄屋をやりこめる人って、初めて見た。
 盛大に舌打ちをした数寄屋は、本当に悔しそうだ。
 こんな顔をする数寄屋なんて見たことがなくて、やっぱり親子だから遠慮なく言えるんだなぁと思ってしまう。
 僕と父さんは、あんまりこういうことは言わない。
 ほのぼのとした会話ばっかりだ。僕にとってはそれが一番心地よいんだけど、こういう会話も、少し羨ましかったりする。
「…何笑ってんだよ」
「え」
 数寄屋は僕を見下ろしては、さらにむっとしたようだった。
 怒っているような、ぴりぴりとした印象はない。むしろちょっと照れてるみたいな感じだった。
 お母さんの前だから、少しくすぐったいのかな。
「仲がいいなって思って…」
「良かねぇよ」
 どこに目付けてんだよ。と軽く怒られて、でも本気じゃないから怖くない。
「そうかなぁ…」
 僕はいいと思うんだけど。
 親子だから何の気兼ねもなく言えることだってあると思うし。口喧嘩みたいだけど、言いたいこと言える仲って、すごいと思う。
「羨ましいの?」
 ぽんっと数寄屋のお母さんから投げられた言葉に、僕は素直に頷いた。
「…僕…母さんって覚えてなくて…どんなのかなって」
 想像することしか出来ない母さん。でもどれだけ考えても、ぴったりとこない。
 どんな人だったんだろうってことばっかり、気になった。
 数寄屋のお母さんはご飯の途中で立ち上がった。
「たぶん要ちゃんのお母さんとは全然違うと思うけど」
 そう言って、数寄屋のお母さんは僕の隣に来て、その腕に包んでくれた。
 突然のことで、僕は硬直する。
 柔らかな腕、胸に頭を抱えられ、僕は慣れない感触に顔に血が上る。
「お母さんに抱き締められるって、こういう感じじゃないかな」
 柔らかい匂いがした。
 女の人ってみんな優しいにおいがする。
 頭の昇った血は、すぐに下りてきた。
 お母さんってこういう感じかなって思うだけで、胸が締め付けられる。
 覚えてない。
 本当にこんな感じだったのか、違ったのか、それも分からない。
 でも、こうして数寄屋のお母さんに抱き締められているのは嫌じゃない。
 あったかい気持ちになる。
 小さな子どもがお母さんにしがみつく理由が、分かった気がする。
「何やってんだよ」
 数寄屋が地を這うような声を出した。
 今は間違いなく怒ってる。
 僕のせい…?
 顔は数寄屋のお母さんの胸に埋まっていて、後ろの数寄屋を振り返れない。
 どくりどくりと心臓が慌ただしくなった。怒ると怖いんだよ…。
「私、こういう顔してる子に弱いのよねぇ。寂しいのに、笑うことないじゃない」
 寂しい笑い方、してたのかな。
 どんな顔なのか、鏡を見てないから分からない。でもきっと情けなかったんだろうな。
 もう高校生なのに。
「無理して笑ってるわけじゃ…」
「そーじゃなくてもね。なんか、抱き締めたくなる顔だったのよ」
 ぎゅっとさらに強く抱き締められて、僕は柔らかな胸の感触に、今更驚いた。
 押しつけられると、頬にそれが当たる。
 やましい気持ちなんてないけど、でもこれはまずいよ!
「あ、あの」
「ん?女の人にこーされたことない?」
「ち、小さい頃なら」
 僕が動揺してるのが分かるんだろう、数寄屋のお母さんがくすくす笑い出した。
 もう勘弁して欲しい。
 腕から抜け出そうとするけど、意外にも数寄屋のお母さんは力強い。
 こんなところまで親子が似なくてもいいと思う!
「女の身体ってこんな感じよ〜、味わっときなさい」
 からかわれて僕は心臓が頭についたんじゃなてかってくらい、くらくらした。
 顔は真っ赤になってるだろうな。
 押しつけないで、逃がしてぇ!って願ってると、別の腕が僕を腹に回された。
 そしてぐいっと後ろに引き寄せられる。
 この堅い感触は知ってる。数寄屋の腕だ。
「人の同級生食ってんじゃねぇよ」
 見上げると、数寄屋がお母さんを睨み付けていた。
 ものすごく不機嫌そうだ。
 こんなに不機嫌な数寄屋、今まで見たことないかも。
「やーね、子どもに手なんて出さないわよ」
「どうだかな」
「あんただって嫌でしょ?」
「ったり前だろ」
 怒る数寄屋に、お母さんは楽しげに笑っている。
「要ちゃんだって嫌よね、こんなおばさん」
 にこにこしながら、細い指が僕の頭を撫でてくれた。
 数寄屋によく似た目が、細められる。
 優しい、あったかい形の目。
 もう抱き締められてないのに、まるで抱き締めてくれてるような視線に、僕は胸が少しだけ苦しくなった。


next 


TOP