当てはめない形 6


 お風呂から上がると、つまらなそうに数寄屋がテレビを見ていた。
 数寄屋のお母さんはご飯が終わるとすぐに帰っていった。
 前と同じだ。
 僕は数寄屋の斜め後ろに座った。
 まだ怒ってるかな。
 数寄屋のお母さんに抱き締められてから、数寄屋の機嫌は良くない。
 やっぱり自分のお母さんが他の子ども抱き締めてると嫌なのかな。
「鬱陶しかっただろ」
 数寄屋は僕を振り返って、そう言った。
 たぶんお母さんのことなんだろう。
 鬱陶しいなんて思ったことはなかったから、僕は首を振る。
 濡れた髪から水気が飛んだ。
 長い前髪がしっとりと僕の視界を隠す。
「彼女はいないのって…聞かれたんだけど」
「自分だって言えよ」
「い、言えないよ…」
 やっぱり、今の数寄屋の彼女って僕なんだ。
 でも女の子じゃないんだけどな。たぶん数寄屋のお母さんだって、僕が彼女だなんて言われたら困るだけだろうし。
「だろうな」
 数寄屋は僕が言えないことを分かってるのに、そんなことを言ったみたいだった。
 僕の前髪をそっと掻き上げてくれる。
 ちょっとだけ笑っていた。もう機嫌は良くなったみたいだ。
「…でも…いつかは言うのかな」
 このままずっと付き合っていけば、いつか数寄屋のお母さんにも教えなきゃいけない時が来るんだろうか。
 ずっと隠したまま、友達だって言ったままでいられるのかな。
「無理してバラすことねぇだろ。結婚するわけでもねぇんだから」
 前髪っていう壁を取られた僕は、真っ正面から数寄屋の視線を受けることになった。
 でも最近は、ちゃんとそらさずにいられる。
 数寄屋が優しい目をしているから。
 さっき数寄屋のお母さんに見られた時と似ている、でもあの目よりちょっと強い視線。
「でも…付き合って…るんだよね…?」
 本当に付き合ってるのかな、恋人なのかな、という気持ちで数寄屋に言うと、ちょっとむっとしたような顔をされた。
 戻ってきた機嫌が、またちょっと斜めになったのかも。
「おまえ、いつになったら自覚すんだよ。付き合ってんのに」
「う…うん」
 でも、数寄屋と付き合ってるなんて自覚出来ないよ。
 なんで僕なのかとか、本当にまだ分からないのに。
「付き合ってんの親に隠してるなんて普通だろ。話すようなことでもない」
 そうなのかな。
 誰かと付き合ったことないからよく分からないけど。
 でも父さんは前に「彼女が出来たら会いたいな」って言ってた。
「俺は一度もまともに会わせたことねぇぞ。運悪くばったり会ったことあるけど」
 この前みたいに、突然お母さんが来たりするのかな。
 僕もすごく驚いたしなぁ、あれ。
「…なんか…申し訳なかった…僕が女の子だったら良かったのに」
 そしたらすぐら彼女だって分かったのに。
 数寄屋だって妙な気を使うこともなかったと思う。
 …実際に気を使っていたのかどうかは分からないけど。
「くだんねぇこと考えるな」
 女の子だったら。と言うと数寄屋は声を低くした。
 この話題が好きじゃないみたいだ。
 前も怒られた。
 女だったらとか、そんなこと言っても仕方ないだろ。おまえは男なんだからって。
 それはそうなんだけど。
「でもあんなに良くしてもらったのに…僕嘘ついてる」
「別にいいんだよ」
 抱き締めてくれた数寄屋のお母さんの優しい笑顔を思い出すと、やっぱり心のどこが痛む。
 騙してるって、居心地が悪い。
「知らなくていいことだって、あんだろ。家族にも、友達にも」
「…そう、かな…」
 黙っていたい、知られたくない。
 そんなことは僕にもある。それは小さくて、別にばれても困らないくらいのものだった。
 知られるとちょっと恥ずかしい。特に音痴だとか、実は3点しか取れなかった数学のテストとか、そういうものだから。
 数寄屋と付き合ってるってことくらい大きな隠し事は、他にない。
「全部話したいのか?」
 僕は考える前に「ううん…」と気弱な返事をした。
 数寄屋と付き合っているってことが、世間ではどう取られるかくらい僕にも分かる。
 気持ち悪いって言う人も、きっといるんだろう。
 その言葉を聞く勇気は、今の僕にはない。
「怖い…」
「俺もだ」
「数寄屋も?」
 怖いってことを数寄屋の口から聞くのは、意外な感じだった。
「俺の親は話したところで、キレるか、すんなり受け入れるかどっちかだろうし、ほっときゃいいんだけどな。おまえの方がな」
「僕の方?」
「親父さんともめたり喧嘩すんの、辛いだろ?」
 口が悪くて、ぶっきらぼうだけど。
 数寄屋は本当に優しい。
 こういう時、僕はいつも泣きたくなる。
 不意打ちに向けられたあったかい気持ちが心を揺らしてくる。
「おまえの親父さんとか、堅そうだよな」
「そうでも…ないよ」
 ちょっと目が潤んだ。でも泣くのはみっともないし、きっと数寄屋も困るからぐっと我慢した。
 父さんは、数寄屋と僕が付き合ってるって知ったらどうするかな。
 別れろって言うかな。
 でもどうしても、数寄屋が好きだって言ったら。
 黙って認めてくれるんじゃないかな。
 男同士なんて信じられないって言いながら、それでも、受け入れてくれないかな。
 甘く考えすぎなんだろうか。
 好きな人は多い方がいいよ。って言ってくれた父さんだけど…怒るのかな。
「ま、今から深く考えるな。結婚出来る年でもないんだから」
「うん…」
「したくなったら養子縁組でもすればいいだろ」
 聞き慣れないことに、僕はこの言葉の意味を思い出そうとした。
 養子縁組…養子って子どもになるっていうことだよな。
 僕か、数寄屋が、相手の子どもになるってこと?なんだか妙な感じだ。
「養子縁組って…どっちが?」
「さあな。どっちでも同じだろ」
 数寄屋が僕の子どもになるとか、考えられない。
 僕と同い年の、僕よりしっかりした子どもなんて。
「んな顔すんな。養子縁組って言っても同性なら結婚とあんま変わりないんだから」
「そうなの?」
「ああ」
 そうなんだ。
 同性は結婚出来ないけど、養子縁組をやって結婚と似たような感じにするのか。
「真面目に考えるなよ。んな先のことなんか分からねぇんだから」
 くしゃっと数寄屋が僕の髪を掻き乱した。
 くすぐったさに首をすくめる。
 この先のこと。
 二人のこと。
 どうなるのかなんて、全く分からない。
 でも明日も数寄屋がいてくれると、いい。



 自習の時間。深川は僕の前の席に座って椅子ごとこっちを振り返っていた。
 その席って別の人が座ってるはずなんだけど、姿が見当たらない。
 古典の訳をやらなきゃいけないんだけど、僕のプリントは真っ白だった。
 現代語でも分からないのに、古典なんてまして分かるはずがない。
 それなのに深川はさらさらと僕の前で解いていく。
 どうなってるのかな、その頭の中。
「親に紹介ねぇ」
 深川はさっきの休憩時間に僕が話したことを思い出したみたいだった。
 数寄屋のお母さんに会って、三人でご飯を食べたって言ったら深川はにやりと笑った。
 そこでチャイムが鳴ったから、からかわれなくて済んだけど。
 この時間みっちりやられそうだ。
 それなら黙ってればいいだけの話なんだけど。
 深川に対しては、なぜかいらないことまで全部喋ってしまう。
 子どもの頃からそうしてきたせいだろう。
「そんなんじゃ…」
「姑に気に入られるのは嫁として重大なポイントだしね。良かったじゃない」
「何が?」
「いつでも嫁げる」
「とつ…」
 嫁げるって、何それ…。
 僕が嫁に行くってこと?数寄屋の?
 確かに、ご飯作ってバイトから帰ってくる数寄屋を待っているって。嫁みたいなものかも知れないけど。
 僕はそんなつもり全然なかったのに。
「嫁がないの?」
 深川はプリントから顔を上げて、にやにや笑ってる。
 性格が悪いよ。
  「出来ないよ、結婚出来ないのに」
「養子縁組すればいいじゃない」
 また出てきた。
 結婚よりずっと身近に聞こえてしまうその言葉に、僕は首を振る。
「そんな先のこと…」
 分からない。
 急かすみたいに言わないで欲しい。まだ高校生なのに。
 困っていると、深川が大きく溜息をついた。
 なんだか呆れている。
「…普通は笑い飛ばすとこなんだけど?」
「え?」
「そんなに本気で付き合ってんだ。まぁ遊びじゃないとは思ってたけど」
 ぼそぼそと深川は独り言を口にしてた。
 なんだろ。僕の言ったことって変なのかな。
 でも数寄屋だって言ってたのに。
「養子縁組なんて、先のことだって…数寄屋も」
「は!?言ったの!?」
 深川は今度こそ驚いたみたいだった。
 いつも冷静で、あんまり大声なんて出さないのに。今日は特別声が大きい。
 ざわついてる教室ではそんなに目立たなかったけど。深川にしては珍しかった。
「結婚出来ないからそーすればいいって…でも先のことは分からないから真面目に考えるなって…」
 言っちゃいけないことなのかな。
 ぼそぼそと他の人には聞こえないように話した。
 何だか視線を感じるんだけど、もしかして数寄屋が睨んでるんじゃ…。怖くて探せないけど。
「へー…分からないって言いながらも考えたんじゃない?へー、あの男がねぇ」
 深川は驚いた後、面白そうに意地の悪い笑い方をしていた。
 ふぅん、と言った後深川はまた古典のプリントと向かい合った。
 この話はこれで終わるんだって思った時。
「呆れるくらい幸せだね」
 と言われて、僕は机に突っ伏してしまった。
 なんだか、ものすごく恥ずかしい気持ちだった。




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