当てはめない形 4


 土曜日の夕方、僕はスーパーに来ていた。
 数寄屋の家から一番近いところだ。
 晩ご飯は何がいいかなぁと思いながらぐるぐる回っていると「要ちゃん!」と女の人の声がした。
 近所のおばさんは僕がご飯を作ってることを知っているから、よく声をかけてくる。
 今日のご飯何?と聞かれることもあるので、よく相談に乗ってもらってる。
 ご飯って毎日作ると、何にしようか迷っちゃうから。
 でも呼ばれた先にいたのは近所の人じゃなかった。
「数寄屋のお母さん」
 ひらひらと手を振りながら、数寄屋のお母さんがやってくる。
 手に持っているカゴの中身はおつまみと出来合いの総菜だった。
 もしかして、数寄屋と同じように料理とか出来ない人なのかな。
「お買い物?」
「はい。これから数寄屋、君の家で作ろうと思って」
「また!?」
 数寄屋のお母さんは渋い顔をした。
 また脅されてるって思ってるんじゃないかな。
「週に一、二度作ってるんです。一人分作るのも、二人分作るのも変わらないし」
「そうだろうけど」
 本当?という顔をされる。
 そんなに脅されてるように見えるのかな。
「甘やかさなくていいのよ?嫌だったらおばさんに言って、すぐに止めさせるから」
「大丈夫です、好きでやってるんで」
 ご飯を作るのが好きなのは前から。でも数寄屋が美味しそうに食べてくれるから、前よりもっと好きになった。
 食べてくれる人がいると、作る甲斐がある。
 だから数寄屋を止めてもらうと、僕が悲しかったりする。
「勉強を見てもらってるのも、あるし」
 定期試験の前になると勉強を見てもらいながら、ご飯を作っている。
 おかげで酷かった成績も少しはましになった。
 赤点が、ぎりぎり赤点じゃなくなった、っていうレベルだけど。
「要ちゃんがいいなら、いいんだけど」
 数寄屋のお母さんはそれでも心配そうだった。
 ここまで自分の息子を信用してないお母さんって、珍しいんじゃないかなぁ。
「私も今から冬馬の家に行こうと思ってたんだけど、一緒していい?」
「あ、じゃあ、三人分のご飯作ってもいいですか?」
「もちろんよ!要ちゃんのご飯、また食べたいって思ってたのよね!」
 数寄屋のお母さんの目はきらきらし始めた。
 僕のご飯気に入ってくれたのかな。親子だから味覚も似てるとか。
 でも喜んでくれるのは嬉しい。
 僕までにこにこしてしまう。
「ね、要ちゃん」
「はい」
「なんで前髪下ろしてるの?上げてたほうが可愛いのに」
 と言って手を伸ばされて、僕はびくりと肩を震わせてしまった。
「ごめんなさい…あんまり人に見られるの好きじゃなくて」
「そうなの?可愛いのに」
 男に可愛いっていうのは、誉め言葉じゃないと思うんだけどなぁ…。
 数寄屋も言ってくれるけど、ありがとう、と言えたことはない。
 女の子だったら、すごく嬉しいんだろうけど。
「でも冬馬の家にいるときは上げてるのね」
「ご飯作ってる時は、上げてないと見えないんで」
「あー、それはそうね」
 過去に何度かそれで指を切っていた。そう言ったら数寄屋に馬鹿にされたけど。
 でも数寄屋のお母さんは「危ないもんね」と微笑んでくれる。
 優しい笑い方だ。
「ね、今日のご飯何?」
「何が良いですか?」
「得意料理は?」
 料理が得意と言うと、ついでに聞かれるのがこれだけど。
 作るのが特別得意なものってないんだよなぁ。
 ゆっくり首を傾げると、数寄屋のお母さんはまた笑った。
「ホント、可愛いわねぇ要ちゃん」
「そんなこと、ないです」
 からかわれるのは好きじゃない。
 特に同い年の人からからかわれるのは、本当に居心地が悪かった。
 でもこうして優しい声で言われると、くすぐったくて困る。
「じゃあね、サバの味噌煮がいいな。作れる?」
「はい」
 サバの味噌煮と言われて、僕は思わず笑ってしまった。
 数寄屋も時々食べたがるから。
 親子ってやっぱり似てるのかな。



 数寄屋の部屋で、僕はサバを煮込んでいた。
 その隣で数寄屋のお母さんはコーヒーを飲んでいる。
 こうして立っているのも、数寄屋にそっくりなんだけど。
「冬馬が最近家に来なくていいって言ってたから、世話好きな彼女でも出来たのかと思ったんだけど。要ちゃんだったのねぇ」
 しみじみと言われて、僕は一人だけ動揺していた。
 心臓がばくばくしてる。
 ごめんなさい、彼女じゃないんですけど、でもなんかそれに近いようなものなんです。
 とは言えなかった。
「片付けは…数寄屋、君がやってますよ」
 本当に、今更数寄屋に君を付けるのって慣れないなぁ。最初は呼び捨てにするのが大変だったのに。
「そうなの?要ちゃんじゃなくて?」
「僕も時々、やってますけど」
 と思ってちらりと部屋を振り返る。
 そういえば、僕がこの前片付けた後にまた散らかってるような気がする。
 思い出してみると、もしかして僕が適当に片付けているだけで数寄屋自身はやってなかったり。
「前は足の踏み場もなかったのよ〜」
 そうそう。足の踏み場もなくて驚いた。
 掃除したくて仕方なかった。
 どうしてあんなところで生活出来るのかな。
 学校にいる時の数寄屋は、全然だらしないって雰囲気がないのに。
「彼女作るより、要ちゃんのほうがいいとか思ってそうよね。あいつ」
「うっ」
 がんっと炒め物に入れようとしたにんじんを思いっきり切ってしまった。
 包丁が鈍い音と立ててまな板に当たった。
「あいつ今彼女いないでしょ?前はコンスタントにいたのに」
「いない…みたいです…」
 まさか貴方の目の前にいる僕ですとも言えず、もごもごと言いよどんだ。
 本当に答えにくい。
「女は面倒とか一人前に言ってたのよね。クソ生意気に」
 面倒だなんて、すごい台詞。
 女の人と付き合ったことないからどんなものかは知らないけど、同い年の男子が聞いたら怒るんじゃないのかな。
 でも数寄屋はモテるから、女の子と付き合うのに飽きるなんてこともあるのかも。
「要ちゃんはいないの?」
「え?」
「彼女よ、彼女」
「い、いません!」
 そんな縁のないこと。
 今まで告白されたことも、したこともない。付き合いたいって思った人だっていない。
 そもそも、なんだか苦手なんだよなぁ女の子って。今まで近くにいたのが近所のおばさんくらいだったから。
 どう接して良いのか分からないし。
「え、なんで?こんなに料理上手な彼氏がいたらお得なのに」
 僕が料理上手なんて、家庭科の調理実習で一緒になった子くらいしか知らないと思うし。
 女の子って自分より料理の出来る男なんて、嫌じゃないのかな。
「あ、そっか。自分より可愛い男の子は困るかもねぇ。特に若い子なら」
「えぇ!?」
 そんなことないと思うのに。数寄屋のお母さんは納得したように言う。
 可愛くないって言ってるのに。
 聞いてくれない。
「おばさんくらいになると、そんなの気にしないんだけどね。むしろ大歓迎」
「はあ…」
 そんな気がないって分かってるから相づちが打てるけど、面と向かって言われたら多分慌てただろうなぁ。
 ピーマンの種を取っていると、数寄屋のお母さんが「ね」と途切れた会話を繋げた。
「冬馬と同じ学校?」
「はい」
「クラスは?」
「同じです」
「あいつ、ちゃんとやってる?」
 真剣な声に、僕は意外だなぁと思ってしまった。
 だって学校での数寄屋は真面目で、しっかりしている。怠そうにしてるけど、サボることもなくて、成績だって優秀だから。
 お母さんとしては何も心配なんてないかと思ってた。
「授業参観とか一回も行ったことないのよね。あいつの口から学校のこととか聞かないし」
 そんなものなのかな。
 僕はよく父さんに学校のこととか話すんだけど。
 晩ご飯の時に話すことが多いけど、父さんの都合が合わない時は朝ご飯の時にしてる。
 たまに忘れてたり、落ち込んでいたりすると、父さんから聞かれるくらいだ。
 数寄屋は一人暮らしだから、きっとそういう時間がないんだろうな。
「どんなのかと思ってるんだけど」
「真面目ですよ。頭はいいし、運動も出来るし」
「そうなんだけどね」
 あれ、知ってるんだ。
 やっぱり成績とか運動のことはちゃんと分かってるんだなぁ。
「駄目なところがあんまりないっていうのがね」
 はぁ、と数寄屋のお母さんは溜息をついたみたいだ。
「手間がかからなくてつまらないって言うか。親の甲斐性がね」
 羨ましいことを言ってるなぁ。
 僕なんて成績表を貰うたびに、父さんと向かい合ってすごく気まずい思いをするのに。
 頭が良ければいいってもんじゃないけどなぁ…って呟きを何度聞いたことか。
「馬鹿な子ほど可愛いって…やつですか?」
 それからすると僕なんて可愛過ぎるくらい可愛いと思う。
 あ、もしかしてさっきから数寄屋のお母さんが言ってるのはそういうことなのかな。
「んー、我が子ならちょっとくらい手間の掛かるほうが可愛いかもね」
「そうですか」
 じゃあ僕は父さんにとって可愛い子なのかな。でも手間がかかりすぎて厄介な子になってそうだ。
「ま、手間が掛からなくても、自分の子なら特別だけどね」
 溜息をついた声が、くすりと笑った。
 なんだ、数寄屋がどんな子でも可愛いってことなんだ。
 そう分かるとこの前はあれだけ冷たくしていた親子も、本当に仲がいいんだなぁと微笑ましくなった。


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