当てはめない形 3


「じゃあ帰るわね」
 数寄屋のお母さんは御飯を食べ終わるとすぐに腰を上げた。
 もともと長居をつもりじゃなかったみたいだ。
「食うだけ食って帰りやがって」
 数寄屋は不満そうだった。
 明日の朝ご飯がなくなったからだろう。
 もうちょっと多く作れば良かったなぁ。でも数寄屋のお母さんが来るなんて思ってなかったし。
「また来るわ。ごちそうさまでした要ちゃん」
 数寄屋のお母さんはにっこり笑って僕に手を振ってくれた。
 要要って数寄屋が言うから、お母さんまで僕を要ちゃんって呼んでくれるようになった。
「お粗末様でした」
 会釈をしながらそう返事をしたら、数寄屋のお母さんが笑った。
「男子高校生の口からそんな言葉聞くなんてねぇ〜可愛いわ」
 お粗末様って、おかしいのかな。
 でもごちそうさまって言われたら、そう返すのが普通って聞いたんだけどなぁ。
 小首を傾げると、数寄屋のお母さんはにこにこと嬉しそうに笑ってくる。
 僕の顔って、面白い?
 笑われるのがなんだか居心地悪くなってきて、俯いてしまう。
 前髪下ろしたいなぁ…。
「もういいから帰れ。要が困ってんだろ」
「はいはい」
 数寄屋が急き立てると、すぐにバタンと玄関のドアが閉まった。
 追い返すみたいになって、申し訳ない気持ちだ。
 僕はこの部屋の持ち主じゃないから何も言えないんだけど。
「…同居しないの?」
 台所で洗い物をしていると、数寄屋が後ろでコーヒーを飲んでいた。
 芳ばしい匂いが漂ってくる。
「面倒」
「一人暮らしって、寂しくない?」
 僕は一人きりの部屋が好きじゃない。
 静か過ぎて、世界で一人きりになった気持ちになる。
 毎日それだと思うと、考えるだけで落ち込んでしまう。寂しがりやなだけかも知れないけど。
 数寄屋は毎日のように、そんな生活なんだよなぁ。
「今までそんな感じだったからな。別に何とも思わない」
 僕も母さんが亡くなってからそうなんだけど。
 数寄屋みたいに割り切れない。
「…お母さん、少し寂しそうだったよ…?」
 余計にお世話かなと思いつつ、そう言った。
 数寄屋は「そうか?」と気のない返事をする。
 分からなかったのかな。
「お互い干渉しないほうが楽だって分かってるはずなんだけどな」
「仲悪いの…?」
「いや、悪くはないだろ。ただべったり出来ないんだよ。親子だから一緒に暮らす、構うっていうのが駄目なだけだろ」
 離れてたって親子なんだから、それだけでいいだろ。
 そう数寄屋は言った。
 いつもと同じ口調で、大したことでもないと思ってるのかも知れない。
 でも僕の耳では、数寄屋もお母さんのこと思ってるんだなぁと感じた。
 離れても親子。
 信頼関係が見えた気がする。
「数寄屋ってお母さん似?」
「そう見えるか?」
「うん。ちょっと似てるなぁと思った」
 きりっとした顔立ちは、数寄屋にも通じる。
 数寄屋を叱った時の厳しいところも、ちょっと似てる。
 お母さんの方がちょっと陽気な感じがしたけど。
「似てる親子だよね」
「嬉しくないな」
 洗い物を終えて振り返ると、数寄屋はむっとした顔をしてた。でも目は怒ってない。照れてるのかも。
 少し子どもっぽくて、見ていて新鮮だった。
「僕、あんまり母さんのこと覚えてないんだけど、あんな感じなのかな」
 柔らかくて、しっかりしてて、子どものこと考えてるのかな。
 写真の中にいた母さんは、小柄で細くて、数寄屋のお母さんとは違う印象だけど。
 息子に対しては同じような気持ちを持つものなのかな。
「全然違うだろ」
 数寄屋は呆れたような顔で僕を見た。
「そうかな…」
「会ったことねぇから分かんねぇけどな」
 コーヒーを飲みながら、数寄屋は眉を寄せた。難しそうな顔だ。
「でも違うと思うがな…。おまえの母親だろ?俺んトコと似てるなんて考えられない」
「どうなんだろ?」
 確かに僕と数寄屋って全然違うタイプだけど。お母さんも違う感じなのかな。
 久しぶりに、母さんが生きていれば。なんて思ってしまった。
 情けないなぁ。もう高校生なのに。
 人のお母さんを見て、羨ましがることなんて止めたはずなのに。



 朝ご飯はいつも和食。
 ご飯じゃないと元気が出ないっていう父さんに合わせて作ってる。
 ふぁ、とあくびをしながら父さんは新聞を畳んだ。
 少し歪んでしまうのはいつものことだ。
 二人して眠たそうな目をこすり、手を合わせた。
「いただきます」
 父さんは声も眠そう。最近は仕事が忙しいって言ってた。疲れてるんだろうなぁ。
 白髪の目立ち始めた父さんの顔を、じーっと見た。
 僕と似てるかな。
 小さい頃は親戚の人に言われたことあるけど、あれから僕も大きくなった。今でも似てるって言われるかな。
 それとも、母さんに似てるかな。
「父さん」
「ん?」
 大根のみそ汁をすすりながら、父さんは僕を見た。
 目尻が少し下がった、優しい顔立ちだ。
 そういえば皺が増えたなぁ。やっぱり年取ってるんだ。
「母さんってどんな人?」
 そう言うと、父さんは小さく笑った。
「久しぶりに聞いたな、その台詞」
 子どもの頃は何度も聞いた。
 いなくなった母さんがどんな人だったか忘れたくなくて、色んな話をせがんだ。
 母さんが好きな料理って何?母さんが好きな色は?花は?
 そのたび父さんは答えてくれた。嬉しそうに、寂しそうに。
「母さんは優しい人だったよ。いつもにこにこしてて」
 お決まりの言葉だった。
 父さんはいつも母さんを「優しい人」と言う。
 僕にしてみれば父さんだって十分優しい。他の人の話を聞いてると驚かされる。
 滅多に怒鳴らないし、叩くこともない。
 八つ当たりなんてされたことないし、頭ごなしに何かを押しつけられたこともない。
 喧嘩になければ、二人とも黙ってしまうから、居心地の悪さはすごいものがあるけど。
「おまえをだっこするのが好きだった」
 残っている母さんの写真の中に赤ちゃんの僕をだっこしているものがある。
 母さんはすごく嬉しそうに笑っていて、それを見るたび僕は心の奥があったかくなる。
 愛されていた。
 そう感じられる。
「ずっと抱いていたいって言ってな。離れたがらなかった」
 まるでその後、離れてしまうことを知ってたみたいだ。
「元々子ども好きだって知ってたけど、おまえのことは目に入れても痛くないくらい可愛がってたぞ」
 それは父さんもだって、親戚の人が言ってた。
 もしかすると、僕は甘やかされて育てられたんじゃないのかな。
「僕と母さんって、似てる?」
 数寄屋と数寄屋のお母さんは雰囲気からしてよく似てた。
 堂々としてるところも、かっこいいところも。
 僕はどこか似ていたりするんだろうか。
 父さんはまじまじと僕を見て「そうだな」と言った。
「目元は母さん似だな。目が大きいところもな」
 そういえば、写真の母さんは目がぱっちりしている。
 僕みたいに前髪で隠していることもないから、よく分かる。
 人の目が怖いなんて情けないこと、母さんは思わなかったんだろうな。
 そう考えると、僕って駄目な子どもだ。
「でも父さんに似てるって言われるよ」
「そりゃ親子だからな」
 父さんはご飯片手に笑った。
「両方に似ててもおかしくないだろ」
「そっか」
 どっちか一方だけに似てるなんてことはないんだ。
 二人ともに似ていることだってある。
 僕がもし、二人ともに似ているとすれば。
 すごく幸せかも知れない。
 優しかった母さんと、やっぱり優しい父さんの両方に似ていたら。僕も優しくなれる気がする。
 そんなことよりもっと頭が良くなったり、しっかりしなきゃいけないんだけど。
 でも優しいってことは、大切だと思うから。
「朝から嬉しそうだな」
「うん」
 自然と機嫌が良くなる僕に、父さんも楽しそうだった。
「要は、二年生になってからよく笑うようになったな」
「え?」
「楽しそうだ」
 父さんの指摘に、僕は二年生になってから変わったことを思い出した。
 大きなこと…きっと数寄屋と会ってからだ。
 僕と全然違う人。でも僕に近付いてくれる人。
 数寄屋の影響で僕は少しだけ他人との距離を縮めることが出来た。視線も前よりかは怖くない。
 そういうことがきっかけで、明るくなっていたり、するのかな。
 笑っていた自覚はなかったから、父さんの言ったことに驚いた。
 悲しくて落ち込むことは、そういえば少なくなったかも。
 そっか…数寄屋が僕を変えてくれてるんだ。


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