当てはめない形 2 バイト先でもあるコンビニにアイスを買いに行った数寄屋は、女の人を見て嫌そうな顔をした。 「冬馬!!」 女の人は数寄屋に近寄って行って、何をするのかと思ったら胸ぐらを掴んだ。 喧嘩の時にしか見ないその動きに、僕は硬直してしまう。 「あんた!なんで人様に御飯作らしてんの!?」 「はあ?」 胸ぐらを掴まれても、数寄屋は動揺しない。 眉間にしわを寄せて女の人を睨み付けただけだった。 「脅して作らせてんじゃないでしょうね!?」 「脅すかよ!」 心外だとばかりに、数寄屋が怒鳴り返す。 「こいつの勉強見てやる代わりに飯作ってもらってんだよ!」 ああ、そういえばそんな感じだったかも。 僕は初めの頃を思い出した。 もうずっと数寄屋の御飯を作るのが当たり前みたいなってて、理由なんて考えてなかった。 「は!?家庭教師!?この子の!?」 信じられないって顔で女の人は胸ぐらを掴んでいた手を離した。 そして僕を振り返る。 「君、いくつ?」 痛い質問だなぁと思った。 僕は実際より小さく見られることが多い。今でも中学生?って聞く人がいるし。 小柄なせいかな。 「同い年です…」 情けない気持ちになりながらもそう答えると、女の人が目を見開いた。 ぱさぱさと長いまつげだ。 「そうなの?」 「ああ、同い年だよ。失礼なババアだな」 数寄屋は部屋に入って冷凍庫を開けながら口の悪いことを言う。 女の人に向かってそれは駄目だと思うけど、と僕が考えていると案の定女の人は怒ったみたいだった。 そして数寄屋の後頭部を軽く叩く。 「自分の母親に向かってどういう口の聞き方よ!」 「お母さん…?」 数寄屋のお母さんの割りに、女の人は若い。 僕と同世代の人のお母さんなら若くて四十前くらいだと思うけど。この人は三十代半ばくらいにしか見えない。 綺麗に化粧してるからかな。でも手とか首とか皺が見えなくて綺麗なんだけど。 「一応、母親だ」 数寄屋は叩かれた頭をさすりながら、ぶすっと答えた。 「一応も何もないわよ!」 数寄屋のお母さんは腕を組んで、自分より背の高い数寄屋を睨み付けていた。 そう言われれば、目が似てるかも。 叱られた数寄屋は溜息をついて気怠そうだった。 「で、何の用だよ」 めんどくさいって顔してる。 学校でよく見る顔だ。 「あの人のことで話があるのよ」 数寄屋のお母さんは睨み付けながら、声のトーンを落ち着かせた。 真面目な話なんだろう。 「別れんの?」 数寄屋の言葉に、僕がびくりと肩を震わせてしまう。 そんなことを、そんなにあっさりと言わなくても…。 数寄屋のお母さんは今再婚して旦那さんと二人暮らしをしているらしい。 でも数寄屋は新しいお父さんと一緒に暮らすのは気を使って面倒だから一人暮らしがしたいって言って、ここに住んでる。 お母さんは時々掃除に来てたらしいけど、僕が来るようになってからは来なくていいって言ったらしい。 僕が大雑把に片付けてるからかな。 細かく片付けると、どこに何があるのか分からなくなって怒られるけど。 「別れないわよ。ただちょっとね」 ちらりと数寄屋のお母さんが僕を見た。 他人がいたら出来ない話なんだろう。 「あの…僕」 帰ったほうがいいと思って、口を出したら数寄屋に阻まれた。 「いいから話せよ」 上目で見ると、数寄屋は僕を見た。 怒ってるわけでも邪魔にされているわけでもない視線。 ここにいてもいいってことなのかな。 所在なく立ち尽くしてると、数寄屋のお母さんが「いいの」と確認してた。 きっと他人に聞かせたくない込み入った話なんだろうな。 「早く話して、とっとと帰ってくれ。じゃないと飯食えねぇだろ」 部屋の中には御飯の匂いが充満してる。 数寄屋は僕が料理している最中から「まだか?」とのぞきにくるような人だから。この匂いはちょっと辛いだろうなぁ。 でも話はすぐに終わりそうもないし。 「じゃあ…お母さんも食べて行きますか?」 食べながら話をするって駄目かな。でも会食とかあるし。と思って提案すると、二人とも驚いたみたいだった。 変なこと言ったかな。 「三人分もあんのか?」 「数寄屋の朝ご飯が…なくなるかも知れないけど」 晩御飯を作る時は、いつも余分に多く作る。そうしていると明日の朝に数寄屋がそれを食べて学校に来るから。 「コンビニでパンでも買って食べればいいじゃない」 数寄屋のお母さんはもう食べる気満々みたいで、ローテーブルの前にしっかり座った。 さあ持って来て!って様子だ。 「人でなし」 数寄屋はちっと舌打ちをした。 嫌そうだけど、苛々した様子はないから。きっと本気で嫌がってるんじゃないと思う。 三人分の食器があれば良かったんだけど、数寄屋の部屋には二人分しかない。 仕方なく、足りない分は紙で出来たお皿に入れることになった。 それを数寄屋がお母さんの前に置く。 一瞬むっとしたような顔をしたけど、お母さんはすぐに「仕方ないわね」みたいな顔で割り箸を手に取った。 「いただきます」 僕と数寄屋が手を合わせて挨拶をする。そしたら数寄屋のお母さんは目を丸くした。 「あんたが真面目にそうやってんの初めて見るわ」 「うるせぇよ」 あれ、いつも数寄屋ってこういうことしないのかな。 そういえば、僕と御飯を食べる時、最初の頃はやってなかったかも。いつの間にか一緒にやってくれるようになったけど。 お母さんがいわしの煮付けにお箸をつけた。 味は染みてると思うんだけどな…。じーっと見てると、赤く塗られた唇にいわしの身が入っていった。 「おいしい!!」 数寄屋のお母さんの声に、僕はほっとした。まずいって言われたらどうしようかと思ってた。 「上手ね!!」 「ありがとうございます」 御飯を誉められた時は照れることなく、ちゃんとお礼が言える。 それだけは自信があるからかも知れない。 「お婿さんに欲しいわ!」 「重婚だろうが」 感心しているお母さんに、数寄屋が冷たいことを言った。 確かにそうなんだけど、そんなに素っ気なく言うことじゃないのになぁ。 「いいからさっさと食って話を終わらせろよ」 数寄屋もいわしの煮付けを食べて、小さく頷いた。 それは美味しいっていう合図みたいなものだった。いつも頷いてから「うまい」って言ってくれるから。 良かった。 「じゃあ話すけど。あんた養子にならない?」 え、と僕は声を上げそうになった。 養子って、この人は数寄屋と親子じゃないのかな。血が繋がってないとか?でもお父さんが今どこで何してるか知らないって言ってたし。 僕は向かい側に座っている数寄屋のお母さんと、隣にいる数寄屋を交互に見た。 「あの人の子どもにはならないって前にも言っただろ」 数寄屋は溜息をついて、気怠そうに言った。 どうやら養子っていうのは、お母さんではなく再婚した相手にとって、って意味みたいだ。 「私もそう言ったのよ。でもあの人が、私と結婚したんだから冬馬君とは親子だって。戸籍上でもそうしたほうがいいんじゃないかってね」 財産関係のことよ。と数寄屋のお母さんは続けたけど、数寄屋は「いらねえよ」と斬り捨てた。 「何の関係もねぇおっさんから財産貰ったって嬉しくねぇしな。今更父親もいらねぇ」 どっちもお断りだ。って顔で数寄屋は御飯を口にほうりこんだ。 「一緒に暮らさない?」 数寄屋のお母さんは手を止めた。 真剣な話だから、食べながら話すって気分じゃないのかも知れない。 でも数寄屋は食べるのを止めない。 「まだ言ってんの。俺は嫌だって言っただろ?」 「一人暮らしは大変じゃないかって言ってたわよ」 「今更。昔っから一人暮らしみたいなもんだったしな」 数寄屋のお母さんは、小さく笑った。ちょっと寂しげに見える。 「ちゃんと帰ってたでしょ。人聞きの悪い」 「そーだっけ?」 数寄屋はお母さんと二人暮らしをしていた時期のほうがずっと長いって聞いてる。 でも仕事で忙しいお母さんとは生活の時間帯が合わなくて、ろくに話も出来ない日が当たり前だったらしい。 「とにかくもう父親なんかいらねぇよ。好きでも何でもない他人と暮らすなんて息が詰まる」 数寄屋の台詞に、僕は喜んでいいのかな、と少し考えた。 他人と一緒に暮らしたくない。そう言ってるけど、僕は長い休みに入ると、まるで同居してるみたいに、数寄屋の部屋にいる。 父さんの御飯とか家のこともしなきゃいけないから、家に帰ることは帰るんだけど、結構長い時間ここにいたりする。 最近では、土曜日になったらここに泊まっている。 それは、僕は数寄屋にとって特別だってことなのかな。 「生活費を出したくねぇって言うなら、そっちに行かざるえないけどな」 「出すわよ。そのくらい。あんたが一人暮らしがいいって言うならね」 「じゃあこのままでいいだろ」 数寄屋は空になったお茶碗を僕に渡した。 いつものことだから、僕が立ち上がると、数寄屋のお母さんがバンッとテーブルを叩く。 そしてぎっと数寄屋を睨み付けた。 すごく怒ってる顔で、僕まで心臓が縮まる。 「自分で入れなさい!!」 数寄屋は怒鳴られ、渋々って顔で僕からお茶碗を取り戻した。 そして重そうに腰を上げて炊飯器までだらだら歩く。 「甘やかしちゃ駄目よ」 「は…はぁ…」 あれは甘やかしてることになるのかな。 何て言っていいか分からなくて、僕はもそもそと御飯を食べる。 「息子も同居も、それ関係の話題はもう止めてくれ。息子なんていないって言っといて」 茶碗に山盛りの御飯を入れた数寄屋が戻ってくる。 「あんたがそれでいーなら」 「いいよ」 数寄屋は興味がなさそうに言った。 もうこの話は飽きたって顔だ。 そんな数寄屋に、お母さんは溜息をつく。 寂しくないのかな。一緒に住まなくて。 数寄屋は平気みたいだけど、数寄屋のお母さんは少し気にしてるみたいだ。 気が付いてるかな。 ちらりと数寄屋を横目で見上げたけど、横顔はいつもと変わりない。 それでいいのかなぁ。他人の僕が口を出すことじゃないから、黙ってるけど。 数寄屋のお母さんはお箸を持ち直して、またいわしを食べて「どうしたらこんなに美味しくなるのかしら」と呟いていた。 next |