柔らかな響き 3


 テレビをぼーっと眺めていた。
 でも頭の中には全然入ってこない。
 数寄屋は今シャワーを浴びてる。水音がここまで届いてきていた。
 一人で部屋にぽつんと座っているこの時間が、苦手だった。
 何をしていいのか分からないから。
 ニュースをやっているみたいだけど、そんなことより押し入れの中にある布団をどうするかの方が気になる。
 数寄屋の部屋には二組布団があって、一つは万年床なんだけど、もう一組は押し入れの中にずっとあった。
 初めて泊まりに来た時にそれを発見して、だから泊まりが大丈夫なんだと思っていたのだが。
 結局それを使うことはなかった。
 あれから何度か泊まりに来ているけど、一度も使っていない。
(…狭くないのかなぁ…)
 ちらりと横目で見た万年床は二人用ではあるようだが、それは数寄屋の背が高かったりするためで。
 二人で寝るためじゃない、と思う。
(…勝手に布団敷いたら怒るかなぁ…)
 そうしたら二人で一つの布団に寝ることはなくなるだろうか。
(……うーあー…あー…)
 布団で連想されることに、逃げ出したくなった。
 ドライヤーで中途半端に乾かした髪をくしゃと握った。
 顔が赤くなっている気がする。
(今日も、ああなるのかな……)
 逃げ出してしまいたいような、でもここにいなければいけないような。
(だからこの時間って嫌なのに…)
 余計なことをぐるぐる考えて、身動きがとれなくなるから。
 ガチャ、と風呂場のドアが開いた音に身体が強張った。
 ひたひたと足音が近付いてくる。ボディソープのにおいを連れて。
 それはきっと自分の身体からもかおってくるはずだ。
「…ペンギンの行進がそんなにおもしろいか?」
「え?」
 テレビ画面はほのぼのニュースという文字を右上に小さく載せながら、ぽてぽてと歩くペンギンたちを映している。
 癒される姿に、脱力した。
「前髪、とめろよ」
 数寄屋はしゃがみこむと僕の顔を正面から見た。
 乱暴に頭を拭いたのだろう、ぼさぼさになった髪があちらこちらに跳ねている。
「邪魔だろうが」
「あ…」
 掌が額に伸びて、前髪を分けた。
 急に視界が広がって、僕はなんだか視線を合わせることが出来なくて目を伏せた。
 僕は人に対して壁を作っているんだと思う。
 でも数寄屋との間にあるのは薄い膜で、それは柔らかいんだけど直接は触れられない。
 その膜があるからすぐ側に数寄屋がいてもあんまり動揺しないし、怖くもない。
 なのに今はその膜が感じられない。
 たぶん、前髪が膜の役割をしてくれていたんだろう。
 呼吸すら感じられる距離。
 ぎゅっと拳を握った。
 心臓が締め付けられている。
「部屋にいる時くらい上げておけ」
「でも……料理してるわけじゃないし…」
 数寄屋の目は強すぎる。
 どんな言葉を重ねて、見せたとしてもその眼差しで一蹴されてしまうだろう。
 それが怖い。
 強引なくせに、優しくて、全てを動かしてしまうから。
「俺が見ていたいんだよ」
 そっと囁くような低い声。
 どくん、と心臓が大きく脈打つ。
(…どうして…?)
 なんでそんなことを言うんだろう。
 見ても楽しいものなんかじゃないのに。まるで大切なものを見せてくれと言っているような柔らかな声。
「要」
 学校では西岡と言うのに。
 そこから出てしまえば呼び方が変わる。
 二人きりなのだということを僕に教えるように。
 名を呼ばれ、うながされ、瞬きをしてからゆっくり視線を上げた。
 そこには細められた目があって、息が止まるかと思った。
 優しい、優しい表情。
 顎に数寄屋の指を添えられた。
 まるでそれが自然であるかのように、唇が重ねられた。
 一つ目は触れるだけ、そしてすぐに離れていっては舌で唇を舐められた。
 開けっていう合図。
 僕はそれをもらっても、しばらくは唇を開くなんてことは出来なくていつもためらう。
 するともう一回唇が塞がれる。今度は軽く歯を立てるように。
 急に走った刺激に僕は身体を震わせた「あ」と声を出してしまって隙間から舌が入ってくる。
 温かいそれは口の中で僕の舌を捕らえては吸い上げる。
「っ…」
 ぞくりと腰の辺りが痺れ始める。
 背筋から這い上がってくる電気のようなものは指先にまで伝わった。
 目を閉じると舌と唇の感覚だけが鮮明になった。
 どちらのものかも分からない熱が絡まって呼吸を奪っていく。
  「は…ぁ…」
 酸素が足りない気がして、もがくようにして唇をずらす。大きく息を吸い込むのを待っていたかのようにまた重ねられる。
(も…わけ分かんなくなるって…)
 意識がとろりと形を溶かしていく。
 甘さを含んだ空気に。
 全身の力が抜けきり、一人で立つことも出来なくなった頃になってようやく数寄屋は満足したのか唇を解放してくれた。
「はぁ……」
 深呼吸をすると、顔が熱くなっているのに気が付いた。
 血が上ったのだろうか。
 赤くなっていると、嫌だなぁと思いながら手の甲で頬に触れた。
「布団の上に座ってろ」
 立ち上がる数寄屋にそう指示される。
 そんな、お待ちしてます、みたいなこと出来ないよ。って何度も言ってるのに。
 物入れになっている押し入れの上の段から数寄屋は何か取り出した。
 小さな小瓶のようなプラスチックの容器。
 その中身を僕は知っている。
「……あぁ…」
 軽くめまいがする。
 見ただけでよみがえる異物感に、頭を振った。
「おい。そこでやりたいのか?」
 数寄屋は意地の悪い笑みを浮かべて、僕を見下ろしてきた。
「背中が痛いと思うが?」
 移動しないならそのまま押し倒すと言っているのだろう。
 やらない、という考えはもう数寄屋の中にはないのだろう。
 僕は渋々座った状態から四つん這いになって近くの布団まで歩いた。
 自分から望んで、こういうことをしようとしてる。
 そう思われても仕方ない行動が、僕はあんまりしたくないし恥ずかしいのだが。
 数寄屋はそんな気持ちを知りながら、そうするように仕向けている気がする。
(ひどぃ…)
 そう思いながらも、嫌じゃなかった。
 たぶん、数寄屋だから。
 きっと、僕にとって数寄屋は特別なんだと思う。こんなことが出来る相手なんだから当たり前だと言えばそうなんだけど。
「テレビ消すぞ」
 テーブルの上にあったリモコンで、数寄屋が電源を切った。
 音がなくなり、僕は居心地の悪さを強く感じた。
「毎回怖がってんなよ」
 がちがちになってる僕の喉元に触れて、数寄屋が苦笑する。
 布団の上で、向かい合うように座ると気恥ずかしい。
「別に…怖いわけじゃ…」
 ただどうしていいのか分からないだけで。
 そう素直に言うと数寄屋は笑う気がした。
「まだ分からないのかよ、おまえは何もしなくていいんだよ」と言って。
(でも、僕はされるままでいいのかな…)
 数寄屋は色んな所を撫でてくれるのに。
(僕は固まってるしかないって…なんだか…)
 駄目な気がした。
 数寄屋の骨張った手がパジャマのボタンを外していく様を見ながら、頭の中ではぐるぐると疑問が回った。
 上半身を裸にされ、数寄屋の手がズボンの中に入るとひくんと横腹のあたりが震えた。
 直接その手が肌に触れると僕の身体は震え始める。
 掌に答えるみたいに。
「…っん…」
 数寄屋の乾いた手がそれにゆるく触れた。
 やわく包まれ、体温が一気に上がる。
「…ゃ…」
 先端から根本にかけてゆっくりしごくような動きに、僕は背を丸める。
 すがるように数寄屋の肩を掴んだ。
 熱気に炙られていく感覚。
 慣れないうちは人の手で与えられることが怖くて、数寄屋の手を止めようとあがいたこともあったけど呆気なく抑え込まれるのがおちだった。
 抵抗するとそこをきつく握られるので、今は無駄だと諦めてる。
「……っ…!」
 それが数寄屋の手を濡らし始めていることが分かると、僕はいたたまれなくて唇を噛んだ。
(また、僕だけ先にいくのかな…)
 そう思うと数寄屋の下肢に手を伸ばしていた。
 ズボン越しにそこに触れると、すでに硬度を持っていた。
「要っ、何やって」
「だって…いつも僕だけしてもらってるから…」
 おずおずとそれを撫でると、空いていた方の手で数寄屋が止めた。
「止めろ」
「でも…」
 されるだけの立場にいるのが申し訳ないような気がして、視線を上に向けると数寄屋が天井を仰いだ。
「おまえはなぁ……なんでそう…。俺は入れる前にイきたくねぇんだよ。んなみっともない」
「みっともないって。僕はいつも」
 入れるというか、入れられる前に一度か二度はいかされているのだ。
「おまえはいいんだよ。一回イっといた方が楽だろ」
「しんどいよ……」
「そうでもしないといつまでも強張ったまんまだろうが。切れるぞ」
 何処が何で切れるか。ということは聞かなくても分かる。
(それはやだ……)
 ただでさえ苦しいのに。
「奉仕精神は分かったから、それは入れてから発揮してくれ」
「そ、そんなの!」
 無理だって!と言う僕の肩を数寄屋は押して、布団に倒した。
 無造作にズボンを剥ぎ取られ、下肢が晒された。
 もたげているそれが白熱灯に照らされ、僕は冷や水をかけられた気分だった。
「電気っ!」
「あー?ったく…」
 いちいちめんどくせぇ奴だな、と億劫そうに立ち上がった数寄屋が灯りを落とす。
 最後の一つ、豆電球みたいなオレンジの光の元でも見られていることに変わりはなくて。
 足を閉じて布団の中に潜ろうとしたら、無情にも布団を奪われた。
「無駄なことをするな」
 数寄屋にとっては無駄かも知れないけど、僕はこうしなきゃいられないんだよ。と言い返せるはずもなく。
 上に乗ってきた数寄屋の目は大型の肉食獣みたいだった。
「……本気…?」
 毎回、ぎりぎりになってから聞くんだけど。  やっぱり数寄屋は「間違いなくな」と言った。
 鎖骨に歯を立てられ、僕の喉が小さく鳴った。
 まるで食べられる小動物みたいに。


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