ひだまりの抱擁 1


 目が合うことがたまにあった。
 どうしてだろう、と思うけど聞くのもなんだか変な気がしてずっと黙ってる。
 学校にいる時は同じクラスにいるのに、話をすることもなく。
 御飯を食べに来る場合はメールが送られてきた。
「あ…」
 数寄屋が部屋に置き忘れたノートを鞄の中で発見した。
 だが今、持ち主は窓際の席で友達と話をしている。
 全く接点の感じられない自分が、突然ノートを返しに行くのもおかしい気がして。
途方に暮れる。
(今日あるよなぁ。数学…。どうしよう。机の中に入れておいたら分かるかな)
 せっかく苦手な数学をわざわざ教えてもらったというのに、こんな返し方しか出来ないのは、ちょっと申し訳なかった。
(どーしよ)
 とノート片手に迷っていると、ふいに手が伸びてきた。
「やっぱおまえの所か」
「あ…うん」
 数寄屋がいつの間にかこちらにやってきてノートを手に取り、また元の席に戻っていった。
 話をしていた友達、確か木村という名前だった。は驚いた顔でこちらを見ている。
 その視線に居心地の悪さを感じる。
(不思議に思ってるだろうなぁ)
 頭も顔も運動神経もいい数寄屋と、頭も顔も運動神経も駄目な自分が、何かしらの繋がりがあるなんて。
(まさか御飯を一緒に食べる関係だなんて思わないだろうけど)
 と思い、あることに気が付いた。
 この関係は何と呼ぶものだろう。
(友達?でも……)
 数寄屋のことは、何も知らない。
 知らないくせに何故か、身体を繋いだことはある。
(…うわっ。朝からなんてこと思い出すんだよっ!!)
 蘇ってくる記憶に、体温が上昇する。
 特別、そう囁いた数寄屋の声。その意味がまだ分からない。
(どんな、特別…?)
 知りたいような、知るのが怖いような。曖昧なままがいいような。
 はっきりしない気持ちだった。


「数寄屋、おまえ西岡と仲良かったか?」
「別に」
 昨夜、要の家で飯を食った。ついでにあいつが一番やばい、補習が半ば確定している数学を教えていた。
 夏休みまで後一ヶ月。補習など受けてもらっては困るのだ。
(あいつん家で飯食う予定だからな)
 夏休みの間、ずっと。
 端から見ると迷惑この上ない行為なのだろうが、要が嫌がる素振りは全くなかった。
 むしろ嬉しそうに「いいよ」と言っていたのだから、都合のいいようにしてしまう。
「ノート貸してるくらい、仲いいんじゃねーのか?」
 木村は持っていたノートを指してきた。
 要と会話したことがよほど違和感のあることだったのだろう。
(あいつとは学校にいる時はあんま喋らねぇからなぁ)
「さぁ」
 と曖昧に返事をした。
 中学から一緒にいる木村に「西岡の家で飯を食っている」と言っても驚きはするだろうが、変だとは思わないだろう。
 ついでに身体の関係もある、と言えばさすが引かれるがだろうが。
「なんか全然キャラ合ってねーじゃん。おまえら」
「まぁな」
 合っているとは自分でも思っていない。
「言うなら、いじめっ子といじめられっ子?」
「そのまんまだろ」
「でもおまえいじめはしないタイプだろ?」
「この年でいじめなんてしてる奴は馬鹿だろ。とてつもなくな」
「昔からしてねーじゃん」
「めんどくせーんだよ」
 木村は「めんどくさいねぇ」と笑った。
 元々、他人にあまり興味は無い。
 小学生の時でも、クラス内でいじめが行われていることはあった。
 だが参加することはなかった。誘われても断っていた。
 いぢめている人間も、いぢめられている人間も、見ているのがなんだか嫌だった。
 それは年齢を重ねれば重ねるほど強く感じた。
 めんどくさい、くだらないという意識。
 そんなことによくそこまでこだわれるな、と思っていた。
(昔っから家に誰もいねー生活だったからな…。学校生活より、私生活のほうが大変だったしな)
 家賃、光熱費、保険料の支払い。最低限の家事。そんな雑事をこなしていると同級生がやけにガキっぽく見えた。
(…あいつもそーだったのかもな)
 小さな頃、母親を病気で亡くしたと言った要も、自分と同じような時間を過ごしてきたのだろうか。
 そう考えて、思わず苦笑した。
 最近よく物事を要と関連させてしまうのだ。
(よくねー傾向だな)
「あ、そーいや今日暇?」
「全然」
「んだよ、バイト?」
「あー」
 そうだ、とは言わない。言えば嘘になるだろう。
 バイトは休みだからだ。
 だが今日は要の所に行くと言ってある。
 三日ぶりにまともな食事にありつけるのだ。
 悪いがそれを放棄してまで木村の相手をする気にはなれない。
「最近おまえ遊ばねーよな」
「生活が苦しいからな」
 実際のところは母親が生活費を入れてくれているので、苦しいことはなかった。
 だがこう言えば、木村はそれ以上踏み込んで来られないと知っていた。
 親の同居している高校生にとって、一人暮らしのことなど細かく理解出来ないだろうから。
「一人暮らしの高校生ってのは大変だな」
「それなりに。家賃は母親が払ってるから、楽なほうだろ」
「それでも一人暮らししてる奴はすげーよ。ということでまた今度泊まり行くわ」
「彼女の所に泊まる口実にすんなよ」
 木村はうへへ、と妙な笑い方をした。
 どうせ親には「数寄屋の所に泊まるから」と言って彼女とお泊まりだろう。
 年上の彼女とは仲が良いまま、そろそろ二年近くになる。
 こっちに泊まっているという嘘も、数え切れないほど使われていた。
「お幸せに」
 そうおざなりな言い方をしてやる。
「数寄屋はどうなんだよ」
「あん?」
「彼女。もう一年くらいいないだろ」
 作らねーのかよ。と言う木村にまた苦笑してしまった。
「彼女なぁ」
 そんなもん、もういらねーよ。と言ってましえば、なんでだよ、としつこく聞かれるだろう。
 だから言わない。
(要がいりゃーそれでいいか。と思うのは重症だろうな)
 家事が出来て、料理は旨い、気もきく、顔も可愛い。
 問題は気が弱すぎることと、人見知りが激しいこと、後は。
(男ってのが、ちょっと問題だな)
 個人的にはあまり気にならないが、要は悩んでいるかも知れない。
(心配症だからな。あいつ)
 だがもう一方で、ざっくばらんな天然ボケしている一面もある。
 計り知れない奴だ。
(あー、飯食いてぇ…)
 そして長すぎる前髪を上げさせて、肌に触れたい。
(彼女、なぁ…)
 要がそれに当てはまる気がするのは、錯覚だろうか。


 夕暮れの町中。
 要の家に向かう途中だった。
 ぼーっとしながら携帯でメールを打っていると、聞き慣れた声がしたのだ。しかも珍しく笑っている。
 ふっと顔を上げると、同い年くらいの男と要が一緒に歩いていた。
(誰だ…?)
 見たことの無い奴だった。身長は要より十pほど高いだろう。ということは自分よりわずかに低いくらい。子どもっぽさを残しているものの、精悍な顔立ちだった。
 これが彼女だった場合、怒りにかられるのは割と正当なのだが。
(相手が要となるとな。俺らが付き合ってるかどうかも分かんねーし)
 第一男が男と歩いているのだ。基本的になんら問題はない。
 だがとても楽しげに会話をしている様子は、見ていてあまり気分の良いものではなかった。
 要は人見知りの激しい性質で、よほど親しい人間に対してのみ笑顔を見せる。ただの同級生程度なら、俯いて目を合わせないようにする。
(笑顔全開、まるで犬みてー)
 そんなのは自分だってあまり見たことがないのに。
 と小学生並の身勝手さが込み上げる。
「要」
 携帯を片手に声をかけた。
 気にくわない光景をぶち壊したくて。
「あ」
 要は少しばかり驚いたようだったか、すぐに笑った。
「誰だよ、あんた」
 だがもう一人の男は、要を庇うように身体をこちらに傾けて睨み付けてくる。
(んだ、こいつ)
 自分から要を守ろうしているようだった。
 敵意を隠そうともしない視線。
「健太。数寄屋は友達だよ」
 要は目の前に立った男の腕を軽く引いていた。
 健太と呼ばれた男は疑わしげにじろじろとこちらを見てくる。
「本当だって」
「信じていいんだろうな」
「いいよ。大丈夫だって。言ったことあるだろ?僕ん家に御飯を食べにくる人」
「ああ……あの」
 要が言うと、健太の表情がわずかに和らいだ。
 どうやら要は俺に関して何か話をしているらしい。
(俺の話までしてんのかよ)
「今日はニラたまの予定だけど、レバニラのほうが良かった?」
「どっちかってーとニラたまだな」
「良かった」
 要が嬉しそうに答えると、健太は一瞬目を丸くした。そしてすぐにほっとしたような顔をする。
「健太、彼女との待ち合わせがあるんじゃない?」
「あ、ああ。行くよ。ホントに大丈夫なんだな?」
「大丈夫だって」
 要がぽんっと背中を叩くと、健太はちらりと何か言いたげな目でこちらを見た。
「それじゃ」
 健太は片手を上げて、一人歩き始める。
 気になって仕方がない、という様子を最後まで崩さなかった。
 そんなに要と親しい間柄なのか。
 じっと去っていくのを眺めていると、要が小さく「ごめん」と呟いた。
「別に」
 あっさりそう言ったのだが。内心流せる心境ではなかった。
 無駄に苛立ちが募って、本当に、平常の自分らしくなかった。


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