温度ある心 2


「なんで飯食わしてくれるんだ?」
 おかわりの茶碗と共に投げかけられた言葉。
 尋ねてきた数寄屋はどうして、と聞いているのに不思議そうな顔はしてなかった。
 理由が知りたいだけなのかな。
「…数寄屋君が美味しいって言って、気持ちいいくらいよく食べてくれるから」
 いつも一人で食事を摂っている。その寂しさを知っているから、誰かが一緒に食事をしてくれるのが嬉しかった。その上「美味い美味い」と何度も褒めてくれる。
「なんで俺に優しくしてくれるんだ?」
 ご飯をついで渡すと、また問いかけられた。
「え…んーと…」
 今度は尋ねられても明確な答えなんて無い。戸惑って言葉を濁しても数寄屋は視線を逸らしてくれなかった。
 どう言えばいいんだろう。
「ろくな人間じゃないって、わかってるだろ。この前初めてお前に飯を食わしてもらったときにあった傷は、人と殴り合いをして出来たもんだ」
「殴り合い…?」
「人を殴りすぎて拳が切れた」
 そんなことあるんだ…。とぼんやりとした感想しか浮かばなかった。
 僕が暮らしている生活ではちょっと考えられないから、言われても想像が上手く出来ない。
「そんな人間になんで優しくしようと思う?お前みたいな奴は、怖がるもんじゃないのか?」
 皮肉には聞こえなかった。本気でそれが気になっているのかも知れない。
「怖がって、そばに寄るのを嫌がるもんじゃねぇの?」
 数寄屋は視線を外し、ご飯を口に入れた。
 疑問は言い終わったというところなのだろう。
 怖くないのか、そう言われて僕は自分の気持ちを考えてしまう。
 雨の中で座り込んでいる数寄屋は確かに怖かったけど、でも今はもう怖くないし。
「…笑わない?」
「あぁ?」
「偉そうなことを言うかもしれない。でも笑わない?」
 真面目に話して、笑われることは痛いから。始めに聞いておきたかった。
「別に笑わねぇよ」
「本当に?」
「何度も言わせるな」
 繰り返されることに苛立つのか、数寄屋の言い方は少しきつく聞こえた。
(笑われたり馬鹿にされるかなぁ…)
 いつだって、話し始めるときは勇気が要った。
「優しくされると僕は嬉しい。だから優しくしたいと思う」
 意志を固めて口にすると、数寄屋は真面目な顔をしていた。
「どんな奴にでも?」
「…それは…分からない。やっぱり嫌いな人には優しくしたいと思わないし、優しくして、嫌な顔をされるとやっぱり落ち込むよ」
 それでも…。と口にしてからゆっくり息を吸い込んだ。
「優しくして、少しでも笑ってくれると、すごく嬉しいから。僕が優しくされて、嬉しかったことが誰かにも伝わってくれると、すごいことじゃない?」
 笑われる。その覚悟をしていた。こんな話誰にしたことが無い。
 だって言ってることは大げさだし、夢見がちだと思うし。
 きっと馬鹿にされやすいから。
 けど数寄屋は表情を変えず「ふぅん…」と呟いて食事を続けている。
「…おかしい?」
 少し気分が沈み、端の進みが遅くなっているのが自分でもわかった。
 冷たくされれば、ちょっと立ち直れないかも知れない。そんな不安が込み上げてくる。
「いや、いいんじゃねぇの?そーゆーの。俺にはできねぇ芸当だけど」
「そうかな…」
「俺はお前みたいに優しくもねーし、人間出来てない」
「そんなことないよ!」
 慌てて否定すると数寄屋は目の端だけで笑ったようだった。
 それは初めて正面から見る、数寄屋の微笑んだ表情だ。
 思っていたよりずっと優しい笑い方をしてる。
「いいから飯食えよ」
「…食べてるよ…」
 結局数寄屋が三杯のご飯を食べ終わる頃にようやく一杯を食べきった。
「食わねぇんだな…。だから細いんだろ」
「そうかな…なんか食べる気あんましないんだよ」
 どうやら僕は人より食欲が乏しいみたいだった。
 空になった皿を重ねていると、数寄屋に手首を捕まれた。
「…何?」
 数寄屋は口を開き、何か迷うように「んー…」と唸った。
「…お前とやるにはどーすればいい?」
「は?」
 数寄屋の考えた末の言葉だろうと思う。だが何のことか分からずに固まる。
「お前を抱くにはどーすればいい?」
 くいっと近寄ってきた数寄屋の顔は真剣そのものといった様子だった。
 抱く、それはどういうことだろう。
「…そんなのわかんないよ…」
 よく理解せずに言うと「そうか」と数寄屋は呟いた。
 ちゃぶ台で、前のめりになるように引き寄せられた。
(こけるって)
 と暢気なことを考えていた頭を後ろから抱え込まれて口を塞がれた。
(柔らかいんだ…)
 人の唇というものは柔らかい。そう分かった途端自分が何をされているかはっきりと把握した。
「んー…」
 数寄屋を引き剥がそうと思っても手はちゃぶ台の上で自分の体重を支えていた。もう片方は数寄屋に捕まれたまま。
 パニックを起こしている中、生暖かい物が口の中に入ってきては蠢いている。
(し、舌吸われてるって!)
 ぎゃーぎゃーと頭の中だけで悲鳴が響く。
 数十秒か、数分か後、唇は離れていった。ついでに思考力も奪われていった。
「なぁ、なんで俺のことよく見てた?」
(今日の数寄屋君は聞いてばっかりだ…)
 質問したいのはこっちの方なのに。
「…怪我…ちゃんと治ってるかなと思って…」
「それだけ?顔、見ていた気がするが」
(なんで!?)
 痛いところをつかれたと思った。
 確かに怪我の様子なら腕を見ればいいことだった。けれど、いつも見ていたのは数寄屋全体で。話し声にすら気を引かれていた。
 自分で、何故だろう、何故だろうと思っていたことだった。
「…わかんない…」
「お前はわからないことだらけなんだな」
 呆気なく手首と頭を解放された。
「…わからないよ…」
 ちゃぶ台から慌てて離れると数寄屋は立ち上がった。
「…なんで?」
 この状況をどうしていいか分からずに座っているとすぐそばに数寄屋が膝を突いた。
「何が」
 数寄屋の手が服のボタンにかかる。とっさに手で止めるが心臓がうるさくて考えられない。
「僕は女の子じゃない」
 ここまでくると数寄屋が何をしようとしているのか、察しはついた。
 でも信じられない。
 どうして僕相手に、そんなことしようとしているのか。
「そんなことわかっている」
「なのになんでこんなことしようとするの?」
「…なんでだと思う?」
 疑問を疑問で返されても言葉は出てこない。
 だって分からないから聞いているのに。
 露わにされた鎖骨に数寄屋の唇が触れられた。
 ずきん、と腰辺りにくすぐったいような感覚が走った。
「わからない…」
 生暖かい柔らかな物が首筋を通る。舌だと気が付くころには身体が後ろに引けた。
「自分で考えてみろよ」
「…わからないよ…考えたって」
「いいから。どうせやってるときはお前がやることは無いんだ。頭だけでも動かしておけ」
 服の裾から手が忍び込んで来て、脇腹を撫でられた。くすぐったいと思って手から逃れようとすると数寄屋が少し笑ったようだった。
「…変な顔…」
 教室で見たことも無い、目元と口元を歪めた笑みを見て素直な感想を述べてみた。
「やかましい」
 少しむっとした数寄屋の唇で、口は塞がれた。
 
 

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