温度ある心 1


 飯が食いたい。
 コンビニでバイトをしている時、廃棄で晩飯を済ましている時によくそう思う。
 口に運んでいるコンビニの飯の味がわからない。
 ただ、西岡の作った飯を思い出してはらしくもない溜息をつく。
 学校での西岡は相変わらず前髪で目を隠し、深川にくっついている。
 時々目を疑うようなとろさで失敗を犯しては慌てていた。見ていて苛々するほど要領が悪い。
 あれでどうやって美味い飯を作ったのか不思議だった。
「西岡」
 掃除当番を最後までやって、道具をロッカーに片づけている西岡はこちらを見て小首を傾げた。
 掃除は授業終了後に行われる。
 当番の人間は西岡を除いて全員帰ったようだった。
 掃除まで時間がかかる不器用な奴だ。
「あれ…数寄屋君?」
 学校で話しかけることが無いから何事だろうと思っているのだろう。
「あわわ…」
 こちらを見ていて、掃除道具を持っていた手の力を緩めたのだろうか、ロッカーからバランスを崩したほうきがばらばらと倒れてきた。
「お前な…」
 ほうきと一緒に倒れそうになる西岡。近寄ってほうきを支えてやると「ご、ごめん」と言う声。
「とろいな」
「ごめん…」
「それを奥につっこめ。そしたら後のやつも押し込める」
「ごめん…」
「いちいち謝るな、鬱陶しい」
 何度も謝られて苛々する。
 怯えていることを主張されているみたいで、自分が非道な人間に思えてくるのだ。
「うん…」
 鬱陶しいという言葉がきいたのか、西岡は深く俯いた。
(あー…暴言か?俺の)
 傷つけるつもりは無かったが、結果的にそうなったかもしれない。
(…どう扱っていいかわからん)
 付き合ってきた女にも気を使ったことが無いのに、西岡にだけはやたら気を使う。
(いちいち気にしすぎなんだよ、こいつが。だからこっちも気を使うはめになる)
「…あの、ところで何?」
 掃除道具を全て押し込んだところでようやく声をかけた理由を思い出した。
「あー、お前今日飯作る?」
「え?うん…毎日作ってるけど…」
「食いに行っていい?」
 突然の申し込みに怪訝な顔をするだろうと思いきや、西岡は「いいよ」とあっさり答えた。
 戸惑いも見せない。
「いつでも歓迎するよ」
「マジ?」
 あっさりと受け入れられて、返ってこっちが動揺してしまう。
「うん。何食べたい?」
「何でも。美味いもんなら。ってもお前の作るの何でも美味そうだけどな」
「そんなことないよ」
 さっきとは違い、西岡の声には笑いが混じっていた。
(前髪が鬱陶しいな…。髪で顔をよく見えねーし)
「えーっと、なら、何時に来る?数寄屋君の都合のいい時間でいいよ?今日も父さんは午前様だろうし」
「お前が作るんだからお前の都合のいい時間にしろよ。出来た頃に教えてくれればいいし。携帯持ってるか?」
「あ、一応」と言って出された携帯を取り、勝手に自分の番号を登録した。当然西岡の番号も自分の携帯に登録する。
「飯が出来る直前くらいにメールしてくれ。十分くらいでお前ん家に行くから」
「りょーかい」
 そう言って西岡は微笑んだようだった。顔がよく見えないのが残念で仕方ない。
(前髪切ってやろうかな)
 鋏で切ったらすっきりするだろうに。西岡は嫌がるだろうが。


 ことこと、魚の煮える音が微かに聞こえる。
(もうすぐ出来るけどなぁ…数寄屋君の好みわからないからいつも通り作ったんだけど)
 これでいいのかなぁ…と不安になる。
(まずいとか言われたらどーしよ…)
 前にここで彼がご飯を食べたときはあまりの食べっぷりにおもしろいとさえ感じた。あれほど見事に食べてもらえたら作った側としては甲斐があった。
「携帯…」
 普段あまり使うことの無い携帯を手に取る。少ないメモリの中についさっき追加された「数寄屋冬馬」という名前。違和感がつきまとう。
(ホントにいいのかなぁ…)
 おずおずと携帯を取ってメールを打つ。「もうすぐご飯出来るよ」という短い文。送信するときには少し緊張した。
「豆腐切らなきゃ」
 味噌汁に入れる豆腐を冷蔵庫から出した瞬間、軽い鹿威しの音がした。
 深川がいつの間にか設定したメール着信音だ。直すのも忘れてそのままにしていた。
(早いなぁ…)
『すぐ行く。飯は大盛りに用意しとけ』
「…数寄屋君…僕ん家のお米撲滅する気なんじゃ…」
 食欲旺盛のメールに少し心配になる。ご飯の炊き直しがいるかもしれない…。



「お前は新妻か」
 メールが来てから十分ちょっとで玄関の呼び鈴が鳴った。丁度ご飯が出来上がったからエプロンのまま「おかえりぃ〜」と出迎えたらそんな一言が降ってきた。
 私服の数寄屋は制服より大人っぽく見えた。だが顔は「呆れて物もろくに言えない」と言っているようだった。
「新妻ってふりふりエプロンなんじゃないの?これ全然フリル付いてないけどなぁ」
「いや、エプロンのフリルよりも先にお前の手にあるお玉が目に入ったから」
 数寄屋の視線が持っていたお玉に向けられていた。
 みそ汁をかき回していたから、そのまま持って来てしまった。
「あ、置いてくるの忘れてた」
「邪魔するぞ。飯出来た?」
「すぐ食べれるよ」
 居間に食事が並ぶと数寄屋は大げさに手を合わせた。
「ようやくまともな飯が食える…」
 カレイの煮付け、豆腐の味噌汁、ほうれん草の卵とじを前にして改まっている様子が面白かった。
 そんなに珍しいメニューでもないのに。
「どうぞ〜」と言うと彼は一気に箸を踊らせる。
 急いでいるような食べ方に、そんなにお腹がすいていたのかと心配になってしまう。
「…いつもご飯食べてないの?」
「いや、それなりに食ってる。コンビニの廃棄とか。けど美味くねぇからな」
「僕のご飯そんなに美味しいかなぁ?」
 自分の作ってる物がそんなに美味だと思えない。
 平凡な味付けだと思うけど。
「美味い。かなりな。毎日食いたい」
「喉つまらせるよ?」
 がつがつ欠食児童のように食べるのが面白い。普段は威圧感のような物があったり、目つきがきつかったりするのに、夢中で食事をしているさまは別人のよう。
「お前、普段はとろいくせになんで飯作るのは上手いんだ?」
 とろいっていうのは深川に言われ慣れていた。何度も言われてるから相当とろいんだろうなぁと思ったら、やっぱりそうらしい。
「お母さんが小学生の時に死んで、それからずっとやってるから。慣れだよ」
「面倒じゃねぇ?」
「この生活が当たり前だからあんまり何とも思ってないなぁ〜」
 毎日繰り返していたら、面倒だなんて思う前に身体が動いてる。
 それに自分が出来ることをやるのは、辛くないし。
「…お前って女じゃねぇよな?」
「は?」
(どこをどう見てもそれはあり得ないって)
 きょとんとする間もなく数寄屋は「当たり前か」と自分で納得していた。
 なんでそんなこと急に言い出したんだろう。
「女の人だけが家事をするんじゃないと思うけど…」
「いや、それは分かってる。そんな問題じゃない」
 と言ったきり黙々と箸を進めている。
(なんだろう…)
 なんだか雰囲気が前と違う。
 気のせいだろうか、と心の中で首を傾げた。


next 


TOP