ゆらめくひかり 5





 水族館の人気者といえば何だろう。
 イルカ?アシカ?ペンギン?人によって思い浮かべる動物はそれぞれだろう。でもそれらを口にして人気者じゃないと否定する人はいないだろう。
「さすがラッコ、大人気だね……」
 ラッコの水槽の前には人だかりが出来ている。それまでせいぜい水槽の前に一列人が並んでいるかという程度の混雑だったのだが、ラッコの前では人の列が三層になっている。
 密度の違いに圧倒されてしまう。子どもたちのぎゃー!と興奮している声も複数響いている。
 ラッコの水槽は館内の地下一階にあり、ラッコが水中で泳いでいる姿が見られる。水槽の上部には天井がなく、地上からも見られる仕組みになっている。
 降り注ぐ太陽光を浴びて水がキラキラと煌めいている。時折ラッコが立てたと思われる泡がぷくぷくと昇っていくのが見えるのだが。肝心の本体は一瞬見えるか見えないのか分からないというほどの小ささだ。
 何せ僕からは人の背中と頭しか見えない。見える水槽の面積は全体の十パーセントほど、しかも上部だけだ。
「数寄屋は背が高いから、よく見える?」
 僕たちがいる列の中で、数寄屋は一番背が高い。そこからなら視線が人の頭を通り越していくだろう。
「……肩車してやろうか?」
「天井に頭をぶつけると思う」
 僕の前には父親に肩車をされている幼稚園くらいの男の子がいる。彼のように数寄屋に肩車をされるのは、さすがに高校生として恥ずかしい。まして数寄屋の身長と僕の身長を合わせると、あまり高くないここの天井に接触してしまう可能性がある。
「ここで我慢するよ」と大人しく人々の頭の隙間から、急スピードで泳いでいるラッコの残像を追いかける。
(ラッコの泳ぐスピードは思ったより速いなぁ)
 やはり海で生きる動物だから、速度が出せるような身体のつくりなんだろう。関心していると数寄屋が僕の腕を取ってはぐいっと前に引っ張った。
 前方にいた親子が列から出て行くのを察して、空いたスペースに僕を誘導していく。背中を押して水槽の前まで押し出してくれた手腕には、目を丸くしてしまう。
「おまえはこういう時の強引さと要領が足りない」
「はい……」
 ズバリと指摘された内容がぐさりと突き刺さるけれど。眼前でしゅんと横切るように泳ぐラッコにすぐさま心が奪われた。
「可愛い」
 茶色のもふもふとした毛並みを持っていると思われるラッコは、水中ではその毛並みが膜のように滑らかに見える。するりとしたその体型なら水の抵抗は少なそうだけど、どうやってそんなにも早く泳げるのか。あの尻尾はエンジンにでもなっているのだろうか。
「写真撮っておけよ」
「あ、そうだった」
 ぼーっと眺めているだけでは勿体ない。スマートフォンを取り出して、なんとかラッコを撮影しようとする。けれど動き回るラッコに、僕の動作がついていっていない。撮れたと思っても尻尾の先、もしくはぶれぶれの茶色の物体でしかなかった。
「動画の方がましじゃないか?」
「なるほど」
 いっそ動画ならばまだぶれずに撮影が出来る。数寄屋のアドバイスに従ってラッコの姿を記録しようとする僕の耳に、パシャとシャッター音が聞こえた。
 数寄屋がこちらにスマートフォンを向けている。僕の背後でラッコが通ったからだろう。
「撮れた?」
「ああ」
「難しいのにすごいね」
(やっぱり数寄屋は運動神経がいいからかな)
 僕が難しいと首を傾げると、数寄屋はスマートフォンをこちらに向けたまま、再びシャッター音を響かせた。
「……もしかして僕を撮ってる?」
「かもな」
 カメラがこちらを向いている気がするけれど、僕なんて撮っても仕方がない。
(まさかね)
 後でカメラロールを見せて欲しいと言えば、数寄屋は見せてくれるだろうか。
 本館から出たところに広場があった。テーブルや椅子が幾つも並んでおり、日差しを避けるために大きなパラソルが立てられている。ちょっとレトロな場所だった。
 そろそろ時刻はお昼なので水族館の真ん中に配置されている広場は八割方埋まっていた。特にペンギンの水槽近くは人が密集している。
 どうしようと途方に暮れる僕とは違い、数寄屋は迷いことなく広場を進み、水槽が近くになく奥まっている一番端っこのテーブルを見付け出した。そこは何の見所もなく、どこの水槽も角度的にあまり見所がない、もしくはろくに見えない位置なので、近くのテーブルも空いていた。
「こっちの方が落ち着けるだろ」
「う、うん。でもいいの?」
 僕は人気がないほうが安心するけれど、数寄屋は退屈じゃないだろうか。せっかく水族館に来たんだから、ご飯の最中にペンギンを眺めるのも楽しいだろうに。
「おまえの飯食ってる時は飯に集中する」
 そう宣言してはペットボトルのお茶を買いに行ってくれた。数寄屋が帰ってくる前にテーブルにお弁当を広げておく。二段弁当を二つ作ってきている。蓋を開けて中身が偏っていないか、崩れていないかチェックをする。
「ちゃんと綺麗なままだ」
 見栄えも考えて作ったそれを保ったまま、ここまで来られたらしい。もっとも水族館の中で持っていたのは数寄屋なので、数寄屋のおかげだと言える。
「美味そう」
 帰ってきた数寄屋は開口一番そう言った。そして目を輝かせてくれる。
「唐揚げは弁当の王道な上に、エビフライまで入れたのか!」
「揚げ物のついでに。どっちも美味しいし」
 残念ながらお弁当に詰めるためにエビフライも唐揚げも家で食べるより小さめだが。数寄屋はそれでも嬉しそうだ。
 しらす入りの玉子焼き、人参のナムル、アスパラベーコンにポテトサラダ。空いた場所にはレタスやプチトマトを詰めている。ご飯は梅じその混ぜ込みご飯にして小さいおにぎりにしている。その方が彩りが華やかだった。
「いただきます」
 二人で手を合わせると、僕の目の前で次々とお弁当の中身が数寄屋の口へと吸い込まれていく。
「外で食う飯は、特別感があって更に美味いな」
「水族館が楽しいからだよ」
「おまえの飯はどこで食っても美味いが。手のかかったおかずをこんだけの数、朝から作るのは大変だっただろ」
「そうでもないよ。準備出来るものは昨日から作っているし。作ってすぐに食べて貰えるのも楽しいけど、お弁当の中に詰めて色々考えるのも楽しかった」
 お皿に載せるのとはまた別の配慮をしなければいけない。それが僕にとっては新鮮で、朝から頭を悩ませるのも良い経験だった。勉強で悩むのはあんなにも辛いのに、料理で悩むのは面白い。
「今度はピクニックでも行くか?」
「……歩き続けるのは、あんまり得意じゃないです」
「歩き続けるのはハイキングだろ。ピクニックは外で飯食うのがメインだぜ」
「それなら、なんとか」
 ピクニックが出来る場所がどこにあるのかは分からないけれど、水族館よりかは人が少ないだろう。落ち着いてお弁当は食べられるかも知れない。
「高校卒業したら車の免許でも取るか」
「車?」
「ああ。遠くまでいけるだろ。電車でなかなか行きづらいところなら、人も少ないだろうしな」
 唐揚げを一口で食べて、数寄屋がふむと考え込む素振りを見せた。
「そしたら車を買う金がいるな」
 金かぁと呟く数寄屋は高校を卒業した後の自分の進む道が見えているのだろうか。僕は高校生活だけで精一杯になっている。車が欲しいなんて、そんな大きな金額の買い物なんて、到底思い付かない。
(しかも僕と出掛けるのが前提なんだ)
 自分がどこかに行くために買うのが目的ではなく、僕と出掛けるのが目的でそんな発想が出てくるなんて。
 そわそわする気持ちを、どう表現して良いのか分からない。けれどもっとたくさんのおかずを作れば良かったと思った。もう一つお弁当箱を増やして、果物でも詰めてデザートにすれば良かった。
 もっと数寄屋にあれこれ食べて欲しかった。





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