ゆらめくひかり 4





 水族館に足を踏み入れるとすぐに大きな水槽が目の前にそびえ立っていた。
 館内の照明はやや落とされていて薄暗いが、水槽の上部が開かれており、光が降り注いでは水槽全体を明るく照らしている。キラキラとした光が水槽の中を通って、館内の床まで届いてきた。
 泳いでいる魚たち、そして水の揺らめきが光を踊らせては館内を神秘的な雰囲気で包んでいた。
 十五メートルほど幅のある水槽の中では、小型のサメやエイ、アジの群れなどが泳いでいる。青い世界は本来なら僕たちが生身で見ることが出来ないものなのに。水族館という施設がそれを作り上げてくれている。
 そう思うと、綺麗なだけじゃなくて浪漫のある施設だ。
「いっぱい泳いでいるね」
「水族館に来るのは久しぶりか?」
「そうだね。小学生の頃以来かな」
 母さんが生きていた頃は、よく水族館や動物園なども行ったけど。亡くなってからはそういうところに行く頻度も落ちた。休日になると父さんが頑張って家のことをしてくれるからだ。それに仕事で疲れているのは分かっていたので、更に疲れるようなことは望めなかった。
 それでも長期の休みになるとあれこれ出掛けようとしてくれた。
 だけど中学生になってからは僕の方が断るようになっていった。
 親子二人で出掛けるような年でもない。
「数寄屋は?」
「去年来た」
「そっか」
 誰と来たのか。そんなことを尋ねると気まずい空気になりそうで黙っておく。たぶん彼女とデートで来たのだろう。
(数寄屋にとってはデートの定番なのかな)
 僕の予想を裏付けるように、大水槽の前には二組のカップルがいる。仲良さそうな男女だ。
 彼らから見て僕たちは恋人同士には見えないだろう。
 カップルを見ている僕の前を子どもが入り込んで来た。「お母さん見て!」と振り返る様が微笑ましい。
 周囲を見渡すとカップルよりも家族連れの方がずっと多い。館内も子どもがはしゃぐ声が響き渡っていた。
「親子連れが多いね」
「休みだからな。しかもここは入場料が安いから、丁度いいんだろ」
 そういえば逆方向にある大きな水族館に比べて、ここは敷地が狭い上に市営なので入場料が半分以下だ。
「あわわ」
 僕の前後を小学生低学年くらいの子が走って行く。ぶつかりそうで焦っていると、数寄屋に腕を掴まれて支えられた。
「混ざって来いよ」
「えっ」
「おまえならあのかけっこに混ざっても見た目が変わらねえだろ」
 どうやら三組ほどの家族が一緒に来ているらしい。六人の子どもたちが競争だと言って走り回っている。「こら!」と叱る親の声も耳に入らないほど、跳ね回っている彼らと、僕は同等であるらしい。
「あんなに頑張って走れないよ……」
「そっちの心配かよ」
 小学生とかけっこをしても、下手すれば負けてしまう可能性がある。運動神経が切れている上に、今日は真新しいスニーカーで来ているので転けるかも知れない。
 呆れるかなと思ったけど、数寄屋は目を細めていた。今日は上機嫌らしい。
 案内板に従って進んでいくと、ペットショップなどで見かける熱帯魚が展示された水槽が並んでいる。色とりどりの小魚たちはファッションショーに出てくるモデルみたいに、カラフルな衣装を纏っている。ひらひらとした尾びれをなびかせながら泳いでいる様は優雅だ。
 熱帯魚から先に進むと「深海の生き物」というゾーンに入る。そこは更に室内の照明が落ちて、水槽を照らす青い明かりがメインだ。
 深海を表現しているだけあって、水槽の照明も抑えられている。だがその中に展示されている生き物に、僕たちは目を奪われた。
「カニだ!」
 二人の声がハモって、顔を見合わせる。
「美味しそうって思ったでしょう?」
「そりゃ思うだろ。カニだぞ。カニっていったらやっぱり鍋か?」
「そうだね。鍋の後に雑炊にすると美味しいよね」
 カニを眺めている間、ずっと鍋について喋ってしまう。
 他のカップルたちが通り過ぎても、数寄屋は僕とカニについて語っていた。誰がどこにいても見向きもしない。そんな姿勢に、僕も周りを見るのは止めようと決めた。
 展示を見ている内に、いつの間にか「これは食べられる魚かどうか」が僕たちの注目になっていった。数寄屋は元々魚に興味が無く、僕だってスーパーで名前を見かける魚くらいしか食用かどうか分からない。だからあれこれ見た目から想像して、二人で好き勝手決めつけていった。
 あまりカラフルだと毒がありそう、美味しくなさそうだ、地味な見た目の方が安心する、ずんぐりとした太く短い体型の魚はきっと美味しい。
 そんな風に憶測だけで喋っていた。
 もし飼育員さんが聞いていたとすれば、きっと大笑いするかだろう。
「ウニだ」
「あ、本当だ」
 黒くて棘がたくさん付いている丸い物体が水槽の端っこに固まっていた。数寄屋の頭に何が浮かんでいるのか想像してみる。
「割って食べたい?」
「海鮮丼にしたい」
「いいね。そういえば作ったことないかも知れない」
 刺身やネギトロ丼などは作ったことがあるけど、゛本格的な海鮮丼は作ったことがないかも知れない。数寄屋が食べたいなら挑戦しようかな。
「今度作ろうか」
「金がかかるからいい」
「別にそんなの気にしなくていいのに」
 食材費に関しては父さんが気にしないでくれと言っているから好きに使わせて貰っている。こう見えてお金はあるぞ、と言う父さんは誇らしげなので金銭面に関しての不安は抱いてない。
 数寄屋にたくさん食べて貰うことも好きだし、三人でご飯を食べている時は父さんもにこにこしてる。食べっぷりが楽しい、もっと食べさせたくなると言っていたくらいだ。
 だけど数寄屋は材料費に関して遠慮している面があって、たまにお金を渡してこようとする。絶対に受け取らないけど、高い物は出さなくていいって言うなら、まだ遠慮してるんだろうな。
「食べてくれるだけでいいのに」
 そう言うのに数寄屋は聞いてくれない。今も聞いてないフリをしながら、展示物の説明が書かれているボードを読んでいる。
 僕はそういう文章がつらつらと書かれているものは頭が拒否して読まないんだけど、数寄屋は好んで読んでいるみたいだった。
(そういうところも頭の良さに関係があるのかな)
 黙々と読んでいる横顔に手が疼いた。
「数寄屋の写真、撮っていい?」
 水槽の青い光にぼんやりと照らされた数寄屋の横顔は、いつもより大人っぽくてドキドキした。だけど今、この瞬間にしかないものだ。
 思い出に残したくなって、ついそんな我が儘が出てきた。
「いいが、カブトガニの前で?好きなのか?」
「えっ、カブトガニが好きってわけじゃないけど」
 数寄屋が格好良かったからと言うのは、少し恥ずかしくて口籠もってしまう。すると数寄屋はもう少し進んだ先の水槽を指差した。
「クラゲの方が見栄えがいいだろ。ライトアップもされてる」
 数寄屋に促されてクラゲが展示されている水槽に足を向ける。丸くなっている窓の向こうでは小さなクラゲがたくさんふよふよと泳いでいた。他にも円柱状の水槽や、大きめの水槽の中にはとても長い触手をたなびかせているクラゲがいる。
 半透明な彼らを明るいライトが照らしている。よく見ていると、ゆっくりと時間経過によってカラーを変えているようだった。
 水中をふよふよと漂っているだけでもどこか幻想的な存在だけど、そうしてカラフルな光に照らされていると一層綺麗だ。
 だけどそう思うのは僕だけじゃないようで、別のカップルがクラゲの前でツーショットを撮っている。
「他の人がいるから」
「終わるまで待てばいいだろ」
 僕たちより少し年上のカップルは仲良く顔を寄せ合って笑顔で撮影している。彼らをのんびり待つことに、数寄屋は抵抗はないようだった。
「ほら、スマホ貸せ」
「え、数寄屋だけでいいよ。なんで僕まで」
 カップルが去って行くとすぐに数寄屋はクラゲの水槽の前に僕を連行した。そしてスマホを構えると僕の肩を引き寄せる。
 他人事としてカップルを見ていても何も思わなかったけど、自分たちがあんな風に振る舞うのかと思うと、とても照れくさい。
「写真撮るから、俺と遊びに行ったって親父さんや大橋さんに見せびらかせ」
 そう言うと笑顔を強いられた。笑顔と言われると顔が強ばる。だが数寄屋の手が首筋をくすぐったのに笑ってしまい、その瞬間を撮られた。
「絶対変な顔してた……!」
「してねえよ」
 数寄屋から戻ってきたスマートフォンには、肩をすくめて笑っている僕と、悪戯っぽい数寄屋が写っていた。こう見ると仲良しに見えて、ぎゅっと緩む口元を引き締めるのが大変だった。





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