ゆらめくひかり 3





『デートに行くぞ』
「はい?」
 数寄屋から電話がかかってきて、突然そう言われた。
 今日数寄屋はバイトなのにどうして電話がかかってきたんだろう。もう買い物は終わったから、これからご飯が食べたいって言われても難しいなぁ、なんて思いながら画面をタップした僕は、聞こえてきた台詞に固まった。
「……デート?」
 聞き慣れない単語だ。デート、そんな甘酸っぱそうな言葉は、ずっと僕には無縁のものだった。
『デートなんてしてこなかっただろう』
「それはそうだけど」
 これまでお互いの家に行くのが僕たちの付き合いだった。そういえば恋人と言えるような関係なんだから、デートに行ってもおかしくないんだ。
(そこまで考えてなかった)
 数寄屋は休みの日どころか学校が終わった後もバイトをしている日が多々ある。僕と違って忙しい人だ。
 だからわざわざ出掛けようなんて思っていなかったし。お互いの家に行くのが一番気が楽だった。一緒にいるだけなら、それで十分だ。
 僕が元々あまり出掛けるのが得意なタイプじゃない、家で掃除や料理をしている方が性に合っているというのもあるだろう。
『少し遠くに出掛けるならいいだろ。知り合いにも見付からないだろうしな』
 同性であること、何より二人でいると良くない誤解を招いてしまうこと。
 それを気にしているのだろう。だけど遠くと言われると僕もちょっと安心してしまう。悪いことをしているわけでもないけど、もし見付かって学校やマンションであれこれ言われるのは、やっぱり疲れる。
「遠くって、どこ?」
『おまえに行きたいところがあるならそこにするけど。俺は水族館とかいいかなと思ってる。遠い方のな』
 ここから行ける水族館は二箇所ある。片方は電車で三十分ほど、もう片方は一時間半くらいかかる。遠い方ということは、一時間半の方だろう。
 三十分で行ける水族館の方が大きくて、全国的にも有名だ。だから水族館に行くと言うと、大抵みんな大きな方に行く。
『あっちなら休みでも結構空いている。デートだったら、大抵デカい方に行くからな』
「そうなんだ」
 水族館はデートの定番なのだろうか。
 確かに家族連れだけでなく、恋人と行っても楽しいかも知れない。
(数寄屋は、好きなんだろうか)
 これまで水族館について聞いたことはない。それどころかデートがしたい、どんなところに行きたい、なんて話題もほとんど出てこなかった。
(好きなおかずは知ってるけど、恋人らしいことは知らないかも)
『週末にどうかと思うが、行けるか?』
「うん。あの、デートって、何するの?」
 言ったことも考えたこともないそれは、実際どんなものなのか。数寄屋ならばデートなんてこれまで何度もしたことがあるだろう。
 だから教えて貰おうと思ったのだか、電話の先で数寄屋が絶句した気配がした。
「数寄屋?」
『俺は今デートの予定を立てたばっかりだが?水族館に行くのがデートそのものだ。他にどこか行くか?別の目的は今のところ必要とは思わないが』
「行くだけでいいの?特別何かするとか、ないのかな?僕はデートなんてしたことがなくて……よく分からないから」
 デートというものは何が目的なのか。水族館で魚を見て回るだけで成立するのだろうか。
『そうか、行くだけで十分だと思うが。なんかしたいことがあるなら当日までに考えとけよ』
「あ、お弁当作る?水族館の中に食べるところあるかな」
『あるとは思うが、おまえの弁当が食べたい』
 数寄屋が力強い口調で言った。
 そういえば数寄屋にお弁当は作ったことがなかった。いつも出来たらすぐに食卓に並べていた。
 お弁当となるとまた作るものが違ってくる。頭に幾つかぽんぽんとメニューが浮かんできた。
「じゃあ作って行くね」
『ああ。楽しみだな』
 お弁当が、と語尾に付いているような気がした。



 待ち合わせの場所に行くと数寄屋はもうすでに来ていた。
 駅の改札前は休日の午前ということもあって人通りが多い。通り過ぎていく女の子がちらりと数寄屋を見ている。格好良いと思っているんだろうな。
 細めの黒いデニムにざっくりとしたTシャツ。普段はもっとラフで、よく分からない模様のシャツやだるんとしたチノパンなどをはいている数寄屋だけど、今日は大人しい印象だ。
 シンプルなコーディネートなのに背の高い数寄屋が着ているとよく似合っている上に、数寄屋の良さを際立たせているようだった。
 手元のスマートフォンに目を落としているのも、まるでポーズを取っているモデルみたいだ。
(茶髪でガラが悪いなんて言うけど、格好良いだけだと思う)
 本人や深川は数寄屋の見た目をマイナスのように言うけれど、僕の目からはプラスしか見えない。実際プラスだらけだから、女の子の視線が集まるのだと思う。
 数寄屋が待っている相手は僕だと分かっているから、勇気を出して近付くけれど。もし約束していなかったとすれば、声をかけるのも躊躇っただろう。
「ごめん、待たせたね」
「待ってない。約束の五分前だ」
 眼前に見せられたスマートフォンの画面には、確かに約束していた時刻より早い数字が表示されている。だけど数寄屋はもうここにいるのだから、待たせたことに変わりはない。
「いつから来てたの?」
「七分前」
(じゃあ今度は十分前に来なきゃ)
 密かにそんな決意を抱いた僕を、数寄屋は足元から頭の天辺まで眺める。
「いつもと違う格好をしてるな」
「デートって、どんな格好をすればいいか分からなくて、深川に相談したんだ」
 これまでの人生で無関係だった『デート』というイベントに飛び込むことになり、僕はお弁当の中身はすぐに決まったんだけど。当日の服装に悩まされた。
 自分の手持ちの服をひっくり返してはみたものの、正解が何か分からないので、部屋がごちゃりと乱れただけだ。
 結局深川に泣きついて、どうすれば少しはましに見えるのか教えて貰った。
「僕が持ってる服だとダサい気がしたから、深川に服を貸して貰ったんだ。なんだかすごく笑われたんだけど、似合ってないかな」
 ベージュのストレートパンツに白のオープンシャツ。中に淡いライムグリーンのTシャツを着ている。深川に上着を借りたので、少し大きい。だけどこのゆったりとした感じがいいんだと力説されたので、素直に羽織って来たんだけど。数寄屋は顎に手を当てて唸った。
「似合ってる。だが俺はあいつがコーディネートしたおまえとデートすんのかよ。深川の気配なんて感じたくねえな」
「……駄目だった?」
 深川に相談せず自分でそれくらいぱぱっと決めなければいけないのだろうか。
(だけど、服のセンスなんて全然ないから。数寄屋と並んで歩いたら本当に消えたくなるくらいダサいと思うんだよね)
 今日のコーディネートも自力では思い付かなかったものだ。
「俺の服だとサイズが合わないからな。次は服を買いに行くか」
「次?」
 数寄屋とは食料品以外は一緒に買ったことがない。食べ物が服に変わると、デートと言われてもなんとなく「それっぽい」気がしてくるのが不思議だ。
「そっちは弁当か?」
「うん。たくさん作ってきた」
 数寄屋はよく食べるから、と普段の食事量を思い出しながらおかずをたくさん詰め込んだ。隙間なんて作るものか、というやる気を是非とも感じ取って欲しい。
「俺が持つ。寄越せ」
「いい。そんなに重くないし」
「作らせた上に持たせたまんまだなんて、最低だろ」
「平気だよ」
「俺が平気じゃない」
 遠慮をしても数寄屋の手が僕からお弁当が入っている袋を奪っていく。これくらい持ち続けても何ともないのに。
「あ、重いな」
 数寄屋は袋を持つと嬉しそうにそう呟いた。どうやら数寄屋が期待していたより、たくさん詰められたらしい。
「いっぱい食べるかなと思って」
「食う」
 断言した数寄屋はちらりと袋を見ては、何が入っているのか楽しみにしているようだった。その顔を見ただけで、朝から台所で大慌てで調理をした甲斐があった。
 まだ水族館に着いていない。改札すら通っていないのに。僕はすでに満足してしまいそうだった。




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