「崎田さんがマジでYouTuberになった」
 灯はそう言ってはノートパソコンの画面を久幸に見せてきた。レポートを制作していたはずなのに灯はどうして動画など見ているのか。そんな疑問を抱きながら目をやると、そこには確かに崎田が笑顔で映っていた。
 一緒にお昼ご飯を食べた時より随分優しげな印象になっている。
 言祝ぎを受けに来た時に近い。優しげなメイクと表情、喋り方もざっくばらんとした口調ではなく、多少お淑やかに聞こえる。
 はっきりと状況によって自分の印象を使い分けをしている。他人からどう見られるか、見られたいかの判断が出来るのだろう。
 動画で喋っているのはろくでもない男の話だ。久幸の耳に真っ先に飛び込んできたのが「知らないうちに連帯保証人にさせられそうになって」という話題なのだから、本当にたちが悪い。
「すごいな」
「な、すごいよな。でも手際は良いんだ」
 崎田はテキパキと調理をしている。スイーツを作っているようだが、どうやら殺人現場を模したケーキであるらしい。着々と生々しい血溜まりを表現していく、連帯保証人にされそうになった話をしながら作業しているのだから、妙な迫力がある。
「本気でYouTuberになったこともすごいが。ちゃんとある程度再生数が回ってるのもすごい。何よりよくこれまで無事に生きてこられたな」
 連帯保証人から逃れると借金をしていた本人である借金男に包丁で脅されて、と崎田はにこにこ微笑みながら語っている。笑える話なのだろうか。
 他にも崎田が投稿している幾つかの動画を見たけれど、大体どれも話の内容が修羅場で、作っている料理の材料も配分も頭に入ってこない。完成した料理もどこか不穏さを漂わせているものなので、ちょっとホラー感もある。
「これだ!」
 灯は最新の動画を再生してすぐに、叫んだ。それはこれまでの料理動画とは少し異なる内容だった。
 しかし灯が特別視するようなものがあるとは思えない。突飛な内容どころか、動画サイトでは数多と溢れているネタだ。
「何が?」
「こうだよ!こうすればいい!これがいいんだ!むしろこれしかない!」
 久幸の疑問も聞こえていないのか。灯は一人で深く納得したらしい。
 食い入るように動画を注視しては、見終わるとすぐに崎田にメールを送り始めた。
 一体何を見たのか。隣で視聴していたけれど、久幸には何も思い付かない。
「落ち着けるところが出来たと思う」
 メールを送り終わった灯は、真面目な顔でそう言った。画面では一つ前の動画が自動的に再生されていた。
 その中で崎田はビーツを持っている。日本では馴染みが薄い野菜だが、強烈なほど真っ赤な根菜であることくらいは知識として知っている。
「スープにします」と言われた途端、久幸の脳裏に血の池地獄が浮かんだ。



 灯がメールを送った翌週、崎田にとあるホテルのラウンジに呼び出された。
 大きな窓からたっぷり陽光を招き入れているので、空間はとても明るい。しかし直接テーブルに陽光が届かないように配慮されていた。
 静けさの中を緩やかな音楽が囁くように流れていく。会話が他人の耳に届かないように、そっと防いでいるようだ。
。  ショッピングモールにあるイタリアンよりもずっと落ち着いた環境に合わせたのか、崎田はネイビーの大人しいワンピース姿だった。
 髪の毛は綺麗に結い上げられており、アクセサリーで飾られている。ピアスと揃いになるようにデザインされているそれは、装飾品にあまり興味が無い久幸の目からしても崎田にぴったりだった。
 久幸が同行することはあらかじめ崎田にも連絡している。灯と話したいというのに、自分が付いて行くのは邪魔ではないかと思ったのだが、灯から必要だと説得されて付いてきた。
 席に座りコーヒーが運ばれてくると崎田は一口飲んだ後に「あのね」と緊張した面持ちで口を開いた。
 この前とは異なり随分身構えているようだ。
 何を言い出すのか。動画の内容を思い出しては久幸まで緊張してしまう。
「今日は寿君に相談があって」
「はい。お聞かせください」
 灯は促すが、それから崎田は黙ってしまった。喋ろうという気持ちはあるのだろう「あのね」ともう一度言うのだが、その先がなかなか出てこない。
(困ってるのか)
 そんなに深刻な内容なのだろうか。あれだけの修羅場を乗り越えてきた崎田が意気込んでしまうような話なんて、まさか犯罪絡みか。灯が危険なことに巻き込まれるのは何としてでも阻止しなければいけない。
 警戒心を募らせる久幸の隣で、灯は崎田の態度に頬を緩めた。
「今日はお一人なんですね。ご一緒に来られるかと思ってました」
 誰のことを言っているのか久幸には見当も付かなかったけれど、崎田は目を見開いては固まった。そして徐々に頬を赤らめては目を伏せる。
 恥ずかしげなその表情に、好きな人がいるのだと聞くまでもなく察しが付いた。
「……勇気が、なくて」
 か細い声だった。不安で仕方がないというような声音は崎田から初めて聞く。
 同時に双眸は輝きを宿した大好きだという気持ちが溢れているようだった。それは言祝ぎに来た時には一切無かったものだ。
「どうして。俺なら崎田さんのお役に立てるかも知れないのに」
「だって、もしも、もしもだよ。相性が悪いって言われたらショックだから」
(これまで最悪な男を連れてきて、灯に散々止められてきたじゃないのか)
 言祝ぎに来た男は全員、結婚には向いていない、勧められないと言われていたはずだ。
 それでも結婚を強行したのに、今度は相性が悪いという助言すら耳に入れたくないと怖がっているのか。
 あまりの変わりように驚かされる。
 だが灯はそれで良いとばかりに優しげな眼差しで頷いた。
「俺は会いたかったですよ。貴方の髪をセットした美容師さんに」
「美容師、ああ、あの」
 崎田の最新動画は料理動画ではなく髪の毛を美容師にセットして貰っているものだった。女性向けの動画のネタとして、ヘアセットというものは珍しくないものだと、動画の中で崎田が語っていた。
 非常に手の込んだ髪型から、不器用な人でもなんとか真似できそうな簡単なものまで、数個紹介していた。
 崎田はモデルとして大人しく座っているだけで、セットしているのは崎田より少し年下だろう女性だった。
 目の前にいる崎田とは異なり、髪の色や服装が派手で、ロックバンドの活動をしていそうだなと勝手な想像をした。けれど服装と異なり喋り方は温和で、動画内ではずっと楽しげに崎田と喋っていた。
「あの女性と一緒にいた時の崎田さんは嬉しそうでした。これまで俺に紹介してきた男性たちとは視線の向け方が全然違う。本気なんだと思いました」
 一人で調理している時も微笑んではいるのだが、美容師がいる時は笑みがもっと柔らかく自由だった。機嫌が良い、嬉しいと分かり易く表現していた。
 そして美容師に意識を向けているのが分かる。
 しかしそれは髪の毛をセットして貰っているから、そして視聴者に向けて二人の仲の良さをアピールしなければいけないから、という「どう見られているか」という考えの元に作られているものではないかと、久幸は頭のどこかで思っていた。
 だが灯はそれを崎田の本心だと捉えた。いや、見抜いたと言える。
「最初はそんなつもりは全くなかった。でもあの子といると落ち着くし、なんだか普通のことでも嬉しくなる。心が躍るっていうのかな、小さな出来事でもいつもと違った色に見えるの」
(これは本気だ)
 久幸にもそんな経験がある。
 言祝ぎの契約が発覚し、灯と再会したばかりの頃は、世界が一気に彩度を上げていきなり鮮やかになった。
 目に映る景色はこんなにも生き生きとしていただろうか。これほど豊かな音や匂いに満ちて居てただろうか。
 感じるもの全てが新しくなっていくような錯覚すらあった。それくらい、好きな人がいるということは自身に革命を起こす。
 崎田はやっとそんな相手に巡り会ったのかも知れない。
「私が付き合ってきた男の人の話を聞いて、彼女は真剣に私を心配してくれた。怒ってくれた。女同士ならよくある適当な共感と慰めだと最初は思ってたんだけど。ちゃんと話してみたら彼女も前に付き合っていた彼氏に酷い目に遭ったらしくて、自分のことみたいに感じたんだって」
「最低な男ってどこにでもいるんですね」
「本当。でもあの子の彼氏は、私が付き合っていた人よりましだったよ。だけどあの子のことを思うとすごく腹が立って、悔しくて。なんだか放っておけなくなった」
 気になって仕方がない。どうしても意識してしまう。そんな恋愛の始まりの感情が、崎田の中に芽生えた。
 結婚と離婚を繰り返している人なのに、語られる内容は思春期の恋愛を彷彿とさせる。
「あの子と出会ったきっかけは、動画のために髪型も少し工夫したいって思ったから。私は料理は出来るんだけど、ヘアセットが苦手で。特にアイロンが無理なの。火傷した経験があって、ちょっと躊躇しちゃうんだ。だからいっそ専門の人にやって貰おうって決めて、知り合いに紹介されたのがあの子。髪をセットしてくれるってだけの子だったんだけどね」
「今はもうそれだけの子じゃなくなったんですね」
 灯の台詞に崎田は彼女を騙っている間に浮かべていた、嬉しそうな笑みを消してしまった。
「……どうしよう」
 そう呟くと双眸に涙を浮かべる。急に泣き出しそうな表情で弱々しく肩を落とす崎田に久幸はぎょっとした。
 けれどその次に聞こえた来た言葉に、遅まきながら崎田の迷いを理解した。
「初めて女の子を好きになったの」
 男性と付き合い、結婚式を挙げて、結婚する。
 その流れで生きてきた崎田にとって、それは予想外の出来事だろう。
 これまで立ち塞がったことがない大きな不安が崎田にのしかかろうとしていた。


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