同性を好きになった。
 そのことに精神的に随分逞しいのではと思っていた人が涙ぐんでは心細そうに小さくなっている。
 不安に押し潰されそうな姿は崎田が抱えている問題があまりに深刻で悲劇的なものであるように見えた。
 人を愛する気持ちはそれだけで誇りだ。そう思っている久幸にとっては、普段目に見えていないものを眼前に差し出された気がした。けれどそれが何らおかしくない感覚であるということも理解していた。
 この国ではまだ同性愛についての理解はあまり進んではいない。強い偏見を持つ人もおり、彼らは時に堂々と自分の思考を振り回して他人を傷付ける。
 それらに対して、崎田は怯えている。
 もしかすると同性を好きになるまでは崎田自身も無関係の立場から、同性愛に対して冷たい目を向けていた可能性もある。
 仮にそうならば立ち位置が逆転したことに、戸惑いだけでなく恐れも抱くだろう。
「崎田さんは思った通りにされるのが一番だと思います」
 灯は落ち着いた、言祝ぎの時のような声音でそう崎田に言葉を贈る。
「でも女の子とじゃ結婚出来ない」
「そうですね」
「結婚式も出来ない。祝福して貰えないかも知れない」
(そうか……親族、家族の中には許さないという人もいるかも知れない)
 これまで結婚離婚を繰り返してきたことを許してくれた両親も、結婚の出来ない同性と結ばれるなんて、まして式をするなんて恥だと糾弾するかも知れない。
 崎田の両親がどんな人が分からないだけに、彼女が抱えている恐怖は久幸には計ることが出来ない、それでも「もし」と思うだけで胸が痛い。
 まして崎田は結婚式で「おめでとう」と祝って貰うことに尽力してきた。結婚式のために、ろくでもない男でも目をつむって結婚しようとしていたくらいだ。
 それを諦めなければいけないのでは、という苦悩は崎田にはとっては身を引き裂かれる思いだろう。
「祝福してくれる人はいると思いますよ。そういう人たちと、小さくてもいいから、幸せな結婚式をするのに俺は憧れますね」
「小さな、お式?」
「そうです。本当に心から祝って欲しい人って限られてませんか?本当に欲しいお祝いの言葉もそうです。崎田さんはこれまで欲張り過ぎたんですよ。これからは好きな人と、お互いの愛情を欲張ってください」
 自分たちを本当に祝福して欲しい人、おめでとうと言って欲しい人。
 その人たちだけを集めた、小さな結婚式。
 想像すると久幸にとっては、幸福に充ち満ちたものに思われた。
 だが崎田はこれまで出来るだけ多くの人に来て貰い、立派な式にしたいと計画をして来た。だからこそ不安そうに灯を見上げている。
 飼い主を見失った子犬みたいだ。
 幾度も行ってきた結婚式とはがらりと変わったそれを、灯は頷くことで後押しをした。
「……私と、結婚してくれるかな。お式をしてもいいって、ウエディングドレスを着て並んで歩いてくれるって言ってくれるかな?私の我が儘を受け入れてくれるかな?どうしても式にはこだわりたくて」
「嫌われないような我が儘にすればいいと思いますよ。ずっと付き合っていきたいなら、真剣に向きあって、話し合って、尊重し合って、大切にして、大切にされてください」
 それは言祝ぎの際に灯が口にする台詞だった。
 言祝ぎ屋に祝福されるよりも、何かしらの約束をいっぱい作るよりも、重要なのは思いやりなのだと。お互いを大切にする気持ちなのだと。そう灯は結婚前のカップルを前に告げる。
「……どうやって?」
「俺は二人が並んでいるところに会ってないから、何とも言えません」
 だから今日は一人なのかと、灯がそう尋ねたのだと遅ればせながら崎田は察したのだろう。大きく息を吐いては姿勢を正した。
 弱り切って丸くなった背中が少し伸びて涙ぐんでいた瞳が瞬きをする。呼吸を整えて口元が少しばかり緩む頃には崎田は凜とした表情を見せてくれた。
 意識を切り替えた、もっと言うなら腹をくくったように感じた。
「何もかも初めての感覚なの。私って、本当はこっち側の人間だったのね」
「さあ、どちら側の人間なのかは分かりませんが。今の崎田さんは幸せそうです。結婚式の計画をしている時もずっと」
「そうかも知れない」
 結婚式に関してはこだわりが強く、一人で全部抱え込んで、準備から何から細部まで決めていたと言っていた。けれどもし好きな女の子と結婚式をするならば、きっと二人で考えるだろう。
 その方が楽しいと、今の崎田ならば気付くような気がする。
 そうして誰かと一つのものを作り上げていく、誰かと生きていくことにも喜びがあると、その目に映すはずだ。
「結婚式には呼んでください。二人で出席します」
「……なるほど、そうだったんだ。やっぱり」
 崎田は改めて久幸と灯を見てきた。やっぱりということは、ショッピングモールで出会った時から、予感のようなものはあったのかも知れない。
 彼氏のようだと言っていたのはからかいだけではなかったのか。
「はい。俺にも、是非お祝いをさせてください」
 言祝ぎ屋の寿とその手伝いでもなく、友人関係でもなく、婚約者としてそう答える。
 こうして婚約者として誰かと対面するのは、照れくささより気が張る。真摯でありたい、いい加減なことはしたくないという意識が強く働いては、自分を律しようとする。
 灯にとっての恥にならないように、肩を並べられるようになりたい。
 テーブルの下で灯が手を握ってきた。そのぬくもりを受け取り、手を握り返す。
 この手があればどこへでも行ける。
「うん、頑張る」
 ありきたりな台詞を、それでも崎田はこれまでにないほど晴れやかな顔で言った。
 


 夕方に崎田と別れた後、ラーメンが食べたいと灯か言ったので近所のラーメン屋に立ち寄った。まだ晩ご飯の時間には早かったせいか、店内は空いておりテーブル席へと通される。
 まだ落ちていない夕陽が店内に差し込んでいた。幸いにも席は奥側だったので眩しくは無い。金色に染まる町や空を眺めていると、窓の外にいる親子連れが目に付いた。真ん中に子ども連れて、親子がそれぞれ手を繋いでいる。
 崎田は、自分たちは、その光景の中に入ることは難しいかも知れない。
「……もし俺たちが違った形で出会っていたら、結婚を反対されていたかも知れないんだな」
 共に生きていくことは久幸と灯の健康と命を保証するものだ。
 なので二人も、そして両親もこれからの未来を分け合っていくことに反対はしない。どんな相手だろうが死ぬよりましだと思っている上に、互いのことは信頼出来る存在だと思っている。
 けれどもし結婚の約束などしていなくて、灯の力に久幸が生かされていなければ。それでも巡り逢って、互いを好きになって、伴侶として生きていきたいと思った時。家族はそれを認めてくれただろうか。
 崎田のように怖いと怖じ気づかないとは、断言出来ない。きっと久幸も迷いはしただろう。
「どうかな。うちの親はびっくりはするだろうけど、ユキを見たら案外あっさり許してくれるかも。だって今だって俺よりユキを頼りにしてんじゃん。息子よりずっとしっかりしてるからさ、俺と一緒になってくれたら安心だって言い出すかもな」
 灯の両親は明るくて、灯のように誠実で心根が優しい人たちだ。久幸に対しても、それこそ身内のように接してくれる。
 信頼してくれることを言葉だけでなく態度や眼差しで伝えてくれるから、それが嬉しくて、いつだって全力で応えたくなる。
「招木のお母さんは反対しそうだなー。俺みたいな男を連れて行ってたら、ユキに相応しくないって怒られそう。実際、言祝ぎがなかったら俺なんか釣り合わない感じするし」
「そんなことはない。言祝ぎがなくても、灯は灯だから」
 久幸が灯と出逢えたのは言祝ぎがあったからだ。けれど灯を好きになったのは、言祝ぎがあったからだけではない。
 自分とは違って楽天家で、陽気で、けれど人に対してはいつだって真剣に向き合っている姿が好きだからだ。人を幸せにしたいという灯の、優しい本心が久幸にとっては奇跡のように感じられる。
 こんなに純粋に誰かに幸福をあげたいと願う人を、久幸は他に知らない。
「うちだって反対しないと思うけど。でも万が一何を言われても俺は親を説得する。灯が俺の人生にどれだけ必要か。どれだけ俺が灯に救われているのか。分かって貰えるまで話す。寿のお父さん、お母さんにも頭を下げる。申し訳が無いが、どれだけ反対されても、おまえだけは絶対駄目だって言われても、諦めないから」
 別れろと、二人が一緒になることは許さないと両家から猛反対されても。どれだけ禁じられても。悪いが引き下がらない。
「あと駆け落ちもするつもりはない。賛成して貰うまで、俺はやるから」
 両家の反対から逃げることも、久幸は選択したくなかった。
 これまで育てて貰った恩を感じているから、目の前から消えるような不義理はしたくない。何より自分にとって大切な人には、この気持ちと灯のそばで生きていく自分を分かって欲しかった。
 家族が望む道を歩けないことに罪悪感はあるけれど。それでも良かったと思って貰える人生にする。
 灯の両親に対しても同じだ。息子は招木久幸という人間と共になって良かったと言って貰えるように努力をする。どれほど長い年月をかけても。
「熱烈な告白をありがとう。俺だって同じことをすると誓うよ。でもさ、盛り上がってるところ悪いんだけど、俺たち全然反対されてないから」
 むしろ歓迎されてるから、と灯は苦笑をする。
 どうやら気持ちが高ぶり過ぎて、一人で熱弁を振るってしまったらしい。
 先走ってしまったのが恥ずかしくて「悪い」と謝るのだが、灯は首を振った。
「俺も同じだって言っただろ」
 二人で前を見ている。同じ道を歩いている。
 そう感じられた。
 照れくさくて言葉に迷うと、丁度ラーメンが届いた。箸を取って二人で食べ始めると「美味い」と言ったタイミングがぴったり重なった。
 そんなことすらも幸運に思えた。
「塩も美味いぞ」
「交換しようぜ!」
 丼を二人の間で回す。赤の他人に自分が食べていた物をそのまま渡すなんて出来ないと思っていたが、灯とはすでに自然な行為になっている。
「そういえば、崎田さんの動画を見てすぐに美容師の彼女が好きだって分かったのか?」
 あっさりとした塩とは大きく違い、濃厚な味噌のスープと太めの縮れ麺の旨さに唸った後、久幸はホテルのラウンジで抱いた疑問をようやく問うた。
「あの動画を見て即座に分かった。もう彼女を見る崎田さんの目がマジで違う。これまで婚約者を連れてきても視線があまり合わなかったんだ。興味が薄くて、淡々としてた」

「確かにそんな感じだったな」
 崎田は大人しく落ち着いた人だと、灯が亀小山を既婚者だと指摘するまでそう思った。けれど実のところ、単純に婚約者に関心が無かっただけだ。
 崎田が欲しかったのは、結婚式だけだった。
「でも彼女にはずっと気持ちを向けてた。何を考えているのか、感じているのか、自分を見てくれてるか、ずっと気にしてた。全神経が彼女に集まってて、好きなんだって分かった。だからその恋を成就して欲しくて連絡を取ったんだ」
「そうか」
「あの子とならきっと大丈夫。彼女が崎田さんと目を合わせた時にいけると思った。崎田さんに対して気持ちがちゃんとあるはず。真面目に、真剣に付き合っていれば思いは実を結ぶ」
 あの動画を観ていても、久幸に分かったのは和やかに喋っている二人の姿だけだ。
 多少仲が良さそうだ、でも女性同士は距離が近いと聞いているから普通だろうか、と思う程度だ。
 恋愛感情の有無なんて、感付けない。
「灯はよくそんなところまで分かるな」
「分かる。ユキだって俺のこと、そういう風に見てくるし」
「へ?」
 聞き返しても灯は答えない。ひたすら久幸の塩ラーメンをすすっている。
 注文した本人がまだ少ししか箸を付けていないのに、半分近くまで減ってしまったラーメンに、強引に丼を取り返した。
「おまえは食い過ぎだ!」
「だって美味かったからさ」
「おまえの味噌ラーメンも半分まで食うからな」
「えっ、それはなし!返せ!」
 店内で大騒ぎをするのは行儀が悪い。暴れるとラーメンが零れる可能性もあるので、久幸は渋々味噌ラーメンを返してやる。
 しかし自分のラーメンを食べようとした灯の手を取った。
「おまえも、俺をそんな風に見てくることがあるのか?」
 好きだと、その瞳や表情が明らかに告げている時があるのだろうか。
 灯とはよく目が合う、様々な感情がそこに宿っているけれど、明白な恋情をそこに見たことがあるだろうか。
 信じてくれている、頼りにしてくれている、支えてくれているとは感じるけれど。恋愛感情を流し込んできただろうか。
 久幸としてはとても気になることだったのだが、灯は呆れたという目をした。そういうことはすぐに感じ取れる。
「ユキって、時々びっくりするくらいあほだよな」
「はあ?」
「訊くな。恥ずかしすぎてテーブルをひっくり返したくなる。しかもここ外じゃん。襲いかかることも出来ないのに、そんなくそ恥ずかしいことを知りたがるな」
 まったく、とぼやきながら灯は久幸の手を払い、ラーメンをすする。絶え間なく食べ続ける灯は、それ以上何も尋ねてくるな、答えないからな、という無言の抵抗をしているようだった。
「おまえ、俺のことが大好きなのか」
 そう口にすると灯は盛大にむせた。







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