崎田はもう一枚ピザを追加した。目の前の男子大学生がぺろりと一枚平らげた様子に、足りないだろうと思ったらしい。
 それは正解で、灯は新しくやってきたピザを勧められるとすぐ手を付けた。それに思わずやけ食いという単語が頭を過る。
「そんなに注目されたいならYouTuberになればいいのに」
 熱を入れられとろけたチーズが指に垂れてくるのを防ぎながら、灯はそんなことを提案する。久幸が耳を疑う一方、崎田は動じることなく「無理」と一蹴した。
「だって私に特技とかないし。目立ったことも出来ないし」
「あるじゃないですか。これまで付き合ってきたろくでもない男の話ですよ」
「……それ、特技かな?」
「でも人は興味を持つ。それにお料理も上手と聞きました。以前引き出物もご自身で作られたことがあるとか」
「身内向けだけにね」
「すごく立派で美味しかったと聞いてますよ。なので料理を作りながら過去にお付き合いをしたとんでもない男の話をするというのはどうでしょう。インパクトのあるエピソードを幾つもお持ちでしょう」
 結婚相手を探すよりYouTuberになれという灯に、崎田は笑みを消した。それまで戯れ言として真に受けていなかったのだが、気が変わったのだろう。真面目な顔で悩み始めたその様に、久幸は黙ったまま驚いていた。
(気になるのか……)
 YouTuberになるという選択肢が崎田の中に生まれてきたのが表情から感じ取れる。灯も思い付きだけで言い出したことではないのかも知れない。
「でも愚痴動画なんて誰が見るの?」
「昼ドラが一定の視聴率を保っているんだから、結構ウケはいいと思いますけど。俺はあんま見たことないですが」
「ないのかよー」
「崎田さんは美人で料理もお上手で、性格も明るくて割と計算も出来る人なのに。付き合ってきた相手がクズばっかりって見応えがありそうですよ」
(不幸動画……)
 失礼なので決して口から出すことは出来ないが、久幸の頭には思わずそんな単語が浮かんできた。
「この前の婚約者とはどうなったんですか?」
「亀小山さん?別れ話をしたら心中未遂を起こされて大変だったんだよ。真夜中の海に車でダイブするところだった」
「……よく、ご無事で」
 さすがに灯も面食らっている。崎田からは深刻さが全く感じられないところが逆に生々しい。
 久幸もパスタを食べ終わるところだったのに、開けた口を閉じて崎田を見てしまう。視線が合うと微笑まれるのだが、一体何の笑顔なのか。
「ドライブだとか言って連れ出されたと思ったら海に突っ込もうとするんだもん。サイドブレーキを思いっきり引いて止めたよ。その後、海に飛び込めないと分かったら首を絞めようとするから、準備してたスタンガンで応戦したの。さすがに大人しくなったね」
「準備していたスタンガン……」
「別れ話をしたらいきなり豹変して暴行を加えようとする男、よくいるんだよね」
「よくはいないと思います……」
 振られた男がよくやる行動のように捉えられるのは、同じ男として放っておけなかった。久幸がつい突っ込むと崎田は首を傾げた。
「そう?私が付き合ってきた人だけかな?」
「まあ……はい」
 どれだけ最低な男ばかり捕まえて来たのか。
(確かにどんな男と付き合ってきたのか気になる)
 意外と需要があるのではないかだろうか、不幸動画。
「それでもまだ結婚しようするんだから、いい加減落ち着いた方がいいですよ。それよりYouTuber目指しましょうよ。安全だし。首絞められることもないし)
「いいねを貰えると思う?」
「今の話だけで貰えますよ」
 灯は疲労感を漂わせては、ピザにかじりついた。疲れた分、カロリーを取らなければ割に合わないと思っているような横顔だった。



 自宅に帰宅し、買った物を一通り片付けて部屋の真ん中にあるローテーブルの前に腰を下ろすと、しばらく動きたくないという気持ちになった。灯も同様なのだろう、頬杖を突いては「疲れた」と呟く。
 崎田と話している間に、気力を奪われたような気がする。
「あんな人がいるんだな」
 結婚式にこだわり、そのために彼氏を作って金を使って自分の思うとおりの空間を作り上げる。
 久幸が想像出来る以上の時間と労力がおそらく必要となってくるだろうに、それでも結婚式という一日のために尽力するのだ。
 計り知れない情熱だ。
「あの人は初対面の時からなんとなく結婚式が目的じゃないかって気配はあったんだ。だけど回数を重ねるごとにマジで式しか頭にない感じになっていって」
「それは、嫌だな」
 結婚というものを軽んじて、言祝ぎの言葉も素通りしていく。
 もしそれを感じられる能力があったとすれば、何のためにここに来たのかと、久幸ならば言祝ぎの場で問うていたかも知れない。
 灯は崎田のために当日の朝から食事を制限し身を清めて、精神と着衣、言祝ぎの場を整えて待っていたのだ。無下にするなんて失礼だろう。
「それでも親御さんのお願いもあるし。俺だって今回こそはって挑んでるんだけど。無理なんだよなー。無理なら無理で、俺のところに来るのは勘弁して欲しい。マジで俺の言祝ぎが全然意味が無いって思われると困るんだ。これでもイメージで食ってるところがあるから」
 目に見えない信頼を売り物にしているだけに「言祝ぎは意味が無い、言祝いで貰っても結局はあっさり離婚する。祝福はない」なんて噂されれば依頼が来なくなるかも知れない。
 商売として成立しないのでは、これからの生活や灯の立場に影が差す。
 それにせっかく人に幸せを与えられる術があるのに、無駄になってしまうのはあまりに惜しい。
「大体結婚しない方がいいって俺が言っても聞かないんだから。根本的に破綻してる。本人が選んだ道を強制的に変える方法までは持ってない」
 本人の意志を無理矢理ねじ曲げるようなものは言祝ぎの領域ではないだろう。祝福に強制力はなく、むしろそんなものを持ってしまえばもはや祝福ではない。
「……結婚式ってそんないいものなんだろうか」
 女性にとっては夢を抱くもの、というイメージはあるけれど。結婚式をしたいがために結婚離婚を繰り返すというのは、久幸にとってみれば異常だ。そこまで魅力的なものだとは思えなかった。
 何せ式をするのに親戚や友人知人を集めるという時点で、随分準備が大変そうだと考えてしまう。久幸ならば、招木の親戚の数を予測するだけで頭が痛い。
「周りからお祝いを貰うっていうのは幸せなものなんじゃないか?俺たちだっていつかは結婚式をするだろ?」
 灯は頬杖をついたまま久幸を見上げてくる。
 ごく当たり前のように投げかけられた台詞に、久幸は「まあ」と曖昧な返事をしてしまう。
「いつかは」
 幼い頃に結婚の約束をした、しかも灯が言葉に特別な意味合いを宿すことが出来る才能があったため、今後の人生を共にすることは決定されている。結婚しなければ契約を破ったとして我が身に危険が及ぶほどの強固な繋がりだ。
 久幸はそれを嫌だと思ったことはない。結婚というものもいずれはするのだろうと漠然と捉えていた。
 けれど二人でいる時間が長くなればなるほど、結婚というものがおぼろげになっていた。二人でいることが自然で、結婚という形式を取らずとも一緒に生きていけると実感している。
(でも結婚という形は必要になってくる)
 それがけじめであり、正式な契約の成立になるだろう。
 そして結婚式というものも執り行う流れになると容易に予想は出来る。
(結婚式……)
 灯とそれを行うのかと思うと、気恥ずかしさのような、それでも誇らしいような不思議な心境だ。
「やっぱり神前式かな?」
「どっちの家でやる?言祝ぎが必要だから、寿の家か?」
「うちでもいいし。ユキんとこでもいいし。というか両家ともうちだって言い出して二箇所でやるかもな」
「あり得そうだ」
 双方神社が背景にある身の上だ。結婚式を神前式でやるとなれば、どちらの家も手を挙げるだろう。まして寿の家は灯が言祝ぎをやっているだけに、きっと本人の結婚は縁のあるここでと願う。
 だからといって久幸の母方の実家も、結婚式を執り行うことがある神社なので、出来ればなんてことは言い出しそうだ。
「いっそどっかの式場でやった方が無難かもな。両家とも平等に距離を取って、いっそ神父に中央に立って貰ってもいい」
「そうなるとタキシードか?ユキは紋付き袴も似合いそうだな。身長あるし」
「灯も似合うだろう。言祝ぎの時の袴姿がよく映えるんだから」
 白衣に袴を着た灯の姿は清廉で、見ていると自然と心が凪ぐ。結婚式で身に纏う紋付き袴ならばどれほど凜々しく、また気高いものに見えるだろうか。
 いつものだらけた姿など一瞬で忘れてしまうはずだ。
 灯もその隣にいる自分も、そして両家の人々も、その有様に結婚という祝いを神聖なもの、特別な日として胸に刻むに違いない。
 どんな式がしたいのか具体的に考えたことがなかったせいか、現実味を帯びると妙に落ち着かない気分になる。
「俺たちって結婚するんだな」
「うん、そう」
 灯は久幸の照れくささなど一切無いようで、当然だろうというように頷いている。
 不安も揺らぎもないその態度に安堵する。自分たちはとうに決められているその答えを両手を広げて受け入れるのだ。
「でも大学卒業してからだよな」
 いつ結婚をするか、戸籍を一つにするかという話はまだはっきりとは決まっていない。けれど学生の内は名前の変更届などが面倒だろうという理由で、現状を継続する予定だ。
 大学を卒業したその時、どちらかの戸籍に名前を入れる。どちらの名字を名乗るのか、今のところまだ決着していない。
「おまえが無事に進級して、大学を卒業してからだ」
「……するよ、たぶん。出席日数は足りてるはずだし」
「出席日数だけじゃ、大学は卒業出来ないんだがな」
 数日後に行われる筆記試験の内容が全然頭に入っていないと、数時間前に嘆いた灯はそっと久幸から目を逸らした。


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