結婚の約束でもある言祝ぎをするまで、婚約者が既婚者だとは気付かず、幸せになるはずだった日が反転しては破談になってしまった。
 そんなことが起これば随分落ち込んでしまうだろうに、崎田には陰りがなかった。無理にネガティブな部分を封じ込めているのかとも思うのだが、双眸は生き生きとしている。
 吹っ切れた。まさにそんな印象を受けた。
(意識の切り替えが早いな……)
「寿君はお仕事が中途半端に終わっちゃってもやもやしてない?」
「してません。というより正直なところ崎田さんからの依頼はもう受けたくありません」
 ばっさりと切り捨てた灯に久幸は驚かされる。言祝ぎをするのが好きだと言っていたけれど、崎田の場合はそろそろ我慢の限界ということだろうか。
 言われた崎田は久幸とは違い意外そうな顔すらもしない。
「えー、別れるから?」
「そうですよ」
「でも今回は既婚者だって知らなかったから」
「それは気の毒だと思います。だけど借金持ちなことはなんとなく分かっていたんじゃないですか?」
「まあ、それはね。だって私がずっと面倒見てたからさ。あの人、お金がないんだって言って私の部屋に転がり込んできたし」
 あっけらかんと語っているけれど、久幸からしてみればその時点で結婚を躊躇するような相手なのだが、崎田は何とも思わなかったのか。
(金がなくて可哀想だから?)
 同情も哀れみも悪いことだとは言わない。しかし結婚する際、二の足を踏むべき相手の事情に目隠しをしてしまうのは問題だ。
「亀小山さんの前のお相手も借金持ちでしたよね」
「寿君の言うとおり、あの後調べたら自己破産もしてた」
 言祝ぎの際に灯が崎田の婚約者の借金について言及したのだろう。自己破産の経歴まで言祝ぎで見られるというのは、依頼者にとっては有り難いはずだ。
 指摘される側にとっては衝撃的で何とも痛い指摘かも知れないが。
「そうでしょうね。よろしくないところからの借金も数百万単位であったはずです」
「あったあった!寿君もよく分かるよね」
 崎田は笑って灯を褒めている。しかし灯は喜ぶどころかその反応にげんなりしていた。
 何を言っても崎田は危機感を持ってくれない、ということをまざまざと見せ付けられているようなものだ。
「でもお金ってあったら使っちゃうものだから」
「使う分だけ稼ぐんです。崎田さんだってそうでしょう?借金してまで使うのは、はっきり言っておかしい」
「私は稼いでるし。彼氏がそういうタイプでもそんなに気にならないけどなぁ」
(この人、すごい)
 彼氏が金遣いが荒い上に、あったらあった分を使うどころか借金をしても構わないと言ってしまえるのか。どれほど彼氏に対して懐が広いのか。
 久幸は口を挟むわけにもいかず、ただ黙って唖然としているしかない。
 けれど会話をしている灯は溜息をついた。
「どうせ長持ちしないから、ですか?」
「させないわけじゃないよ?しないだけ」
 崎田は永遠の愛を誓って共に生きていく相手を探しているわけではないのか。まるで別れるのは仕方がないと最初から諦めているような態度だ。
 結婚したいと言うくせに、妙に冷めている。
「隣の子、格好良いね。顔がすっごく好み」
「えっ」
 蚊帳の外にいたと思ったのに、急に引っ張り込まれて思わず声が出た。しかも好みだと、直球な台詞をぶつけられたのだ。
 灯の隣にいるというのに、そんなことを言うのは止めて貰いたい。
「中身は崎田さんの好みじゃありませんよ。一通り家事は出来るし金銭に細かいし、頭も家柄も良くて、行儀作法にも厳しい」
「スペック高すぎない?」
「一番良いところは自己管理が出来るってところです。体調に気遣って健康を保ってますからね」
「若いのにそんなことも気にして生きてるの?つまんなくない?真面目過ぎるよ。困ったこととかないの?」
「特にありません」
 健康に気遣っている男子大学生というのは珍しいと思うのかも知れないが、久幸は過去に死にかけたことがあるので自分の体調に敏感なだけだ。
 つまらないだろうと言われても、呪われて恨まれて殺されるよりましだ。家族にもいらぬ心労をかけたくない。
 困ったこともかつてはあったけれど、灯が解決してくれたので今は平和そのものだった。平穏が貴重なものであると久幸は実感している。
 崎田のように、真面目であることをマイナスだと考えることは出来ない。
「しかも誠実で堅実です」
「うわー、結婚相手としては最適じゃない」
「おい、灯」
 灯から結婚相手として相応しいと言われるのは耳にくすぐったい。実際二人はそのような関係だからだ。
 けれど崎田は二人の関係など知らない。
 彼氏みたい、という台詞は久幸が灯の彼氏ではないと思っているからこそ出てくるものだ。
 彼氏を探している女性に、そんな風に紹介されるのは話の流れとしては失敗している。内心焦る久幸に反して、灯は泰然としている。
「君、モテるでしょう?」
「いえ、そんな」
「モテますよ。でも崎田さんには無理です。ユキは流されない」
(流されない?)
 崎田は苦笑を浮かべた。灯が何を言っているのか、彼女だけは理解しているようだった。
「寿君って、仲人業はやってないんだっけ?」
「やってません」
「残念。ねえ、誰かいい人いない?私もね。まだまだいけると思うんだけどね」
「そりゃあ三年で四人も捕まえてるんですから。まだまだどころじゃないでしょう」
 崎田の年齢は二十代半ばで、容姿は十分に美人と言える。まして穏やかな表情を浮かべると人がとても良さそうで、好感を持たれやすいタイプだろう。会社の受付嬢が似合いそうだ。
 三年間で四人の男と結婚しようとしていた、という過去が彼女の容姿と中身の魅力を証明している。
 まして隣にいる相手に合わせて服装と印象を変えるのだから、恋人を作ろうと思えばすぐに出来そうなものだが。
「でもね、今は惹かれる人がいなくて。寿君、私にぴったりな結婚相手を紹介してくれない?」
「無理を言わないでください」
「仲人さん」
「やってませんから」
「崎田さんはそんなに結婚がしたいんですか?」
 どうしてそんなに必死に結婚相手を探しているのか。
 亀小山に騙されたと分かったばかりならば、傷心で少しは男性に不審を抱くなり、心の傷が癒えるまで時間が欲しいと思ってしまいそうなものだが。
 この女性はあまりに結婚に対して積極的過ぎる。まるで急がされているみたいだ。
「結婚したいよ。だってそれが私の夢なんだもの」
 久幸の個人的な感覚では、それは特に異常ではない願望ではある。
 結婚が夢という台詞はたまに耳にしてきた。崎田の執着は強すぎではあるが、それを除けば有り触れたとすら感じられるかも知れない。
 けれど灯はそれをあまり聞きたくなかったらしい。渋い顔で口を引き結んだ。


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