1 言祝ぎの依頼が入ったと灯から聞かされ、久幸はバイトのシフトを思い出しては同行出来ることを確認した。 言祝ぎの場に同席出来ることは久幸にとっては背筋が伸びるような感覚であり、灯をもっと知るためには有意義な時間だった。 何より言祝ぎの空気が好きだ。改まった環境の中で人を祝福出来る、幸せを助言出来るということは実に神秘的だと感じている。 人を幸せに出来る、それはとても特別で慈愛に満ちた行為だ。 言祝ぎは人間にとって恵みになる。久幸はその場に居るだけで自身が満ちていくような気分になるのだが、灯は何故かげんなりしていた。 「伯父さんのツテで、どうしてもって言われたからやるけど。出来ることなら断りたい」 言祝ぎの仕事に矜持と使命を抱いている灯の口から聞くには意外な台詞だった。言祝ぎの依頼が入ったと言う際はいつもならば少し嬉しそうですらあったのに、今回は随分異なる。 「そんなにも嫌な相手なのか」 「大体言祝ぎなんて一見さんばっかりなんだ。結婚しますって時にやることだから、二度目はない方が良いんだし、そのための俺なんだけどさ。今回の相手はこれが四回目だ」 「四回目……ということは三回離婚したってことか」 結婚をする際の祝福、夫婦円満を願う祈りであり、時には助言をする役割である言祝ぎは、大抵の人は一度きりの依頼だ。結婚して、別れることがないようにと願われての依頼なのだから、それが正しい形なのだが。 どれほど祈ったところで当人たちの気持ちが離れてしまえば離婚という選択肢も出てくる。 人生何が起こるのか分からない。灯の祈りや助言を超えてしまう軋轢が発生しないとは言えない。 だからといって、三回も離婚している。しかもまた依頼が来たということは四回目の結婚に挑む人がいるのか。 「しかも三年間で三回離婚してる。大体一年に一度のサイクルか。そこまで来るとよくそんなに次々結婚相手を見付けられるなって感じなんだけど」 「見付けられるんだろうな」 結婚相手を見付けるのが上手い人なのか、それとも相手から結婚してくださいという言葉を引き出す魅力的な人間なのか。 (だからといっても、そう何度も結婚したいものか?) 一、二度結婚すれば後悔や嫌気が差してしまいそうなものだが。しかも三年という短期間で次々やりたいことなのか、久幸にはよく分からない。 「離婚するのに結婚するんだな」 「誰も結婚する時は離婚するなんて思わないだろって言いたいところだけど。あの人の場合はどうなんだろう」 灯は本当に憂鬱そうだ。テーブルに頬杖を突いては溜息を吐く。 「変わった人なのか?」 「ちょっと変わった人だと思ってる。俺にとってはな」 自分にとっては、ということは言祝ぎ屋の目線ではということだろう。これまで何組ものカップルを見てきているだけに、灯ならではの見方があるのかも知れない。 「四回も会うなんて気が重い。伯父さんだって断ろうとしたらしいんだけど、先方がどうしてもって言うから。今度こそちゃんと結婚生活が長続きするようにお願いしますって頭を下げられて頷いたらしいんだ」 「三度目の正直も破れたのにな」 「そうだよ。大体、そもそも俺には荷が重い」 「言祝いでも効果がないってことか?」 「俺の言祝ぎなんて、結婚する二人の気持ちに比べたら些末なもんだよ。どれだけ俺が願っても、助言をしたとしても、別れたいと心から思ったら無力だ。それでも俺の言祝ぎを頼ってくれる人たちの役に立ちたいとは思うんだけど、あの人はなぁ」 「結婚生活自体に向いていないとか?」 こんなにも次々別れるなら、相手に問題があるのではなく当人に何かあるのではないか。 結婚にも向き不向きがあるらしいとは聞いている。まさにそういうタイプではないかと思ったのだが、灯は唸る。 「そういうのじゃないっていうか……せめて相性の良い人を連れてくればいいのに。どうしても結婚相手として自分には合っていないタイプばっかり選ぶ人っているんだよな。合わないと分かりながらも大丈夫だなんて俺は言えないし。厳しいだろうって直感したものは、大抵変わらない」 常人とは違う感覚で言祝ぎをしている灯にとっては、目の前で並んで座る二人の相性も手に取るように理解出来るのだろう。その先の未来もなんとなく掴めるというのだから、ほぼ確信を得ているようなものだ。 「あの人の場合はそれのパターンが強い。しかも俺の話を大人しくはいはいって聞いてるけど、頭に入っていないのが分かるから……」 「徒労感があるのか」 「まあ、そう」 助けになれば良いと思いながら、真摯な気持ちで伝えている言葉が響いていないというのは空しいものだ。 灯はもう一度溜息をつくと、今度は首をぶんぶんと大きく振った。 「最初から決めつけるのは良くない。今度は違うって思いたい。先入観で見ちゃ駄目だ。よし」 自らの頬を軽く叩いて気合いを入れ直したらしい。憂いを消して、灯は立ち上がった。新しい気持ちで依頼人に向き合うのだと決意した姿勢に、どうかその思いが無駄にならないように願った。 しかし灯の決意が砕けようとしているところを、久幸は後日まざまざと見せ付けられることになった。 灯の伯父が務めている神社の一室。言祝ぎを行う場の清廉な空気の中で、白衣に袴を穿いた灯の背後に久幸は控えていた。 今朝から潔斎をした灯の背中は言祝ぎをする二人が入ってくるまではすっと真っ直ぐ伸びていた。緊張感と静寂が漂う空間に相応しい、凜とした姿だ。けれど二人が入ってくると明らかに灯の肩が下がった。 それはまさに、がっくりと表現するのがぴったりなくらいに落胆したのが見て取れる。 こちらに背を向けているので表情は分からない、おそらくプロとしての精神から顔には出していないだろうが、その分肩の落ち方に精神が現れている。 灯の前には穏やかに微笑んでいる女性と、同じく人の良さそうな顔の男性が座る。男性は言祝ぎ屋という珍しい職業に興味津々とばかりに灯を見ている。 (見たところ真面目そうで、そう悪い組み合わせにも見えないが) 依頼人は女性の父親らしい。両親は別室で灯の伯父と話をしているそうだ。どうしてもまともな人と身を固めて欲しいと懇願していると聞いたが、第一印象では今回は問題ないのではないかと勝手に想像してしまう。 (でも灯は肩を落としたな) 女性は灯に「久しぶりだね」と親しげに話しかけている。 「灯君にはまたお世話になります」 幾度も世話になるような職業ではないだけに灯の返事は「いえ」と曖昧な返事になっている。 「言祝ぎ屋さんって仲人さんとは違うんだって?祝福することで夫婦仲が長持ちするなんて不思議だね。占い師みたいなものかな」 男性はにこやかに灯へ問いかけている。言祝ぎ屋を占い師というのは妙な感じがしたけれど、何も知らない人にとってみればその程度の認識なのだろうか。 「占い師は未来を見るでしょうが、私が見るのは主に現在です。そこからお二人の未来を想像して、お言葉を差し上げるのですが」 灯が大きく息を吸い込んだのが分かる。 それ何かしら重大なことを言う前触れだ。この二人に対しても何か、特別な事情が見えたのだろう。 背後に控えているだけの久幸まで緊張してしまう。 「崎田さん、ずばり申し上げてよろしいでしょうか」 依頼人の娘である崎田は「はい」と気軽に答えた。緊迫していく気配をこの人は感じないらしい。 「婚約者である亀小山さんは既婚者です」 空気が凍り付いた。 思わず久幸は口を開けてしまった。驚きの声をかろうじて押さえ込んだけれど、灯の前に座っている崎田は「え」とか細く呟いている。 見開かれた双眸が、驚愕の大きさを示している。 指摘された亀小山は同じく驚いたけれど、そちらは純粋な驚愕ではないだろう。口元を歪めて「なにを」と気色ばんでは腰を微かに浮かせた。 「どんな根拠があって」 「奥さんがいるどころかお子さんも二人いらっしゃる。単身赴任で二年前からこちらに来られた。しかも借金持ちですか。かなりの金額ですね。どうやって暮らしてるんですか?ああ、崎田さんに生活費を出して貰っている。同棲しているのでお金を節約するのは簡単ですか」 亀小山はみるみる青ざめていく。次々と灯が亀小山を見詰めながら情報を述べていくので、口を挟むことも出来ずにいるようだった。隠していた真実を指摘されたと、恐怖すら浮かべている顔が証明している。 「自分が働いたお金は半分は奥さんに仕送り、残り半分はギャンブルにつぎ込んでいると。競馬がお好きなようですね。でもギャンブル運は全く駄目」 灯は喋りながら次第に疲れていくようだった。 言祝ぎをするために精神力を使って見詰めた二人の内、片方は最低な男と言えるだろう人格と行動だ。 妻子持ちの既婚者のくせに別の女性と結婚の約束をして、言祝ぎのためにのこのことやってくる。しかもギャンブル好きの借金持ち。一体どこに良いところがあるのかと、つい首を傾げてしまう。 「もっと掘りますか?もういいですか?まだ出てきますよ」 (まだあるのかよ……) げんなりする久幸の視線の先で、崎田は隣にいる亀小山を見た。絶句している彼女に、久幸は勿論灯もかける言葉が見付からないようだった。 next |