灯がゾンビを銃で撃ちまくるゲームに一段落を付けた頃、久幸が帰ってきた。久幸の方が強烈なホラーゲームでもしていたのかと思うほど、顔色が悪かった。
「おかえり、どうした?」
 腹でも痛くなったのだろうかと思っていると、久幸は深々と溜息をついて「話がある」と切り出してきた。
 深刻そうな声音に、お茶を入れるから待てと返していた。
 何か重大なことを聞かされるのだと思うと、心の準備が必要だった。
 久幸が困りそうな出来事だ。自分が簡単に対処出来るとはあまり思わない。
 二人分の緑茶をマグカップについでローテーブルに置き、姿勢を正した。「ありがとう」と言う声も固くて、上目遣いに久幸をうかがってしまう。
「話って?」
「今日大学に行ったら合格発表の日だったんだ」
「あー、もうそんな時期か。ユキは合格発表の時もあっさりしてたよな。俺の時はすげえ大喜びしてくれたのに。自分が合格したって連絡した時は、受かったからって一言だけだったもんな」
「不安要素があまりなかったからな。おまえと違って」
「うん。この話、止めようか」
 大学受験は久幸にお世話になりっぱなしだった。目標としていた現在の大学に合格発表を二人で見に行って、その場で抱き合ったくらい、久幸は喜んでくれた。その光景を見た人は間違いなく二人ともが受験者だと思ったことだろう。
 しかし久幸は灯より一ヶ月ほど遅れて国立大学を見事、危なげなく合格していた。頭の出来の違いを思い知ったものだ。
 久幸に苦労をかけてばかりだった当時のことは、あまり掘り起こされたくない。
「それで、合格発表がどうしたんだよ」
「その中に、高校時代の部活の後輩がいた」
「へぇ」
「俺に告白をしてきた相手だ」
 灯は持っていたマグカップを落としそうになった。
 唖然として久幸を見ると苦々しい顔をしている。
「え、ユキって男にもモテてた?」
「いや、後輩は女子だ」
「空手部だったのに!?あ、女の子でも空手をしている人はいるか」
 これまで久幸の口から空手に関しての話をしている時は、内容からして男ばかりの中にいたと察せられた。だから空手は男がやるものだと、勝手に思っていたけれど。考えてみれば空手をしている女性も大勢おり、ごく普通のことだ。
「高校時代は空手部に入ってない。高校に空手部自体がなかったしな」
「空手はずっと続けてるって言ってなかったか?」
「それは学校外、プライベートで子どもの頃からやっているからだよ」
「じゃあ高校時代の部活って?」
 同居を始めてから一年が経つというのに、久幸が高校時代に何部に入っていたのか知らなかったという事実がショックだった。灯は完全に空手部だと思い込んでいたのだ。
「将棋部だ」
「なんで将棋!?」
「将棋なら頭が鍛えられると思った。空手で身体は鍛えているから、学校生活は頭を鍛えようかなと考えたんだ」
(根本からして俺と違う……)
 高校時代の自分を振り返ると、とてもではないが久幸のように身体や頭を鍛えようという意識はなかった。
 自分の将来にとっての利益になるものが何であるのか、今何をするべきなのか。なんてまともに考えてはいなかったように思える。
 もしそんな意識があるのならば、後の受験で泣き言ばかり零していないだろう。
(やっぱりユキはすげえ)
 品行方正で質実剛健、という非の打ち所がないような生き方をしているではないか。久幸にとって自分が汚点になっていないだろうかと心配になってくる。
「理由はそれだけじゃない。将棋部には俺が入った時には男五人しか部員がいなかったんだ。女子が入って来るような気配は全然なくて、そこが良かったとも言える」
「女子がいる部活は嫌だったのか?」
「……あんまり言いたくないが。女子から告白されることが、ごくまれにあったんだ。でも俺は女子とは付き合えない。それどころか灯以外とは付き合うことが出来ないって知ってたから。出来るだけ女子と接点は持たないようにしてた」
「うわー………なんつー自慢というか、困ったところっていうか」
 女子にモテるなんて、普通の男ならば大喜びするところだろうが。久幸に関してはそれが全く喜ぶことが出来なかった。
 五歳の頃に灯と結婚の約束をしたせいで、灯以外とは付き合えない状況になっていたのだ。
 灯も昔は付き合っていた女の子がいたけれど、ファーストキスをしようとしたところ相手が気絶するという異常事態に襲われた。
 久幸も似たようなことを起こしていたというのだから、どんな様子だったのかは大体分かる。
(でも俺はあの子以外に告白されることもなく。それからは綺麗さっぱり男としか関わらない人生だったけどな)
 久幸は女子に告白されることも度々あったのだろう。それはそうだ、これだけ顔が良くて背が高くて優しい上に成績優秀、しかも空手は全国三位という記録まで持っている。女子なら好きになりそうな要素がてんこ盛りだ。
「将棋部は男ばっかで、しかも俺の一つ上の先輩が将棋がすごく強くてな。面白かったよ」
「ユキも強そうだよな」
「やってみるか?将棋盤なら実家にあるから、今度取ってくるぞ」
「結構です!絶対にぼろ負けする!無理無理!頭の作りが違うんだよ!」
 頭脳を酷使するゲームで久幸に勝てるわけがないのだ。将棋なんて、最初に駒を動かした時点で負けが決定するんじゃないかと思う。
 大きく首をぶんぶん振ると久幸が笑いを零す。それまで暗い表情だったのが和らいだことにほっとした。
「梢は俺の一つ下で、新入生の時に入って来た」
「その梢って、名前?」
「違う、名字」
 こずえという響きがなんとなく名前のような気がして、灯はついそんなことを尋ねていた。
 久幸が女の子を下の名前で呼んでいるのは、少し嫌だなと思ってしまったのだ。
 そんな灯の、意地の悪い気持ちに久幸はきっと気付かなかっただろう。さらりと答えてくれた。
「将棋部は女子が入って来たことにすごく驚いてた。将棋部始まって以来だなんて、先輩方は大騒ぎでさ」
「ユキがいたから、入って来たんじゃないのか?」
 男ばかりの部活に入って来る女子というのは勇気がいるものだろう。ましてその後久幸に告白をしたのならば、目的は将棋ではなく久幸だったのではないか。
 疑問を覚えた灯に、久幸は「さあな」と曖昧な返事をする。
「それは分からない。でも梢は将棋が強かったよ。先輩が卒業した後はもっぱら梢と指してた。お祖父さんとお父さんに子どもの頃から教えて貰ってたらしくて、手強かったな」
 懐かしいというような顔で久幸は語っている。
 将棋といえば頭を使うものであると同士に、時間のかかる勝負だという印象がある。手強いということは、きっと梢という子との勝負もなかなか決着のつかないものだったのではないだろうか。
(……将棋盤を間に挟んで、真剣に将棋の駒をどう動かすのか悩んでいるユキをずっと見ていたんだろうな)
 それがどんな空間だったのか、灯が正確に知ることは出来ない。
 けれどもし自分が同じような状況に置かれたのならば、目の前で頭を悩ませている久幸を見詰めながら心揺らさずにいられたとは、思えない。
 きっと久幸は後輩の女の子に対しても親切に接しただろう。優しい男だ、女子とはあまり接したくなかったとは言っても、後輩ならば別枠だと考えて面倒をみたことは想像に容易い。
 それは梢という女の子が、自分だけは特別だと感じるには充分ではないだろうか。
「新入部員は梢だけじゃなかった。他にも男子部員は入って来たし、遅れて別の女子も入って来た。賑やかになった分、他の部員とも将棋は指していたし、梢だけを特別扱いしているつもりはなかった。だがやっぱり対局になると腕の差があるせいか、本気でのめり込むのは梢相手が多かったのは事実だ」
「強いやつは強い相手と戦うのが、そりゃあ楽しいだろう」
「梢もそうだったのかも知れないな。俺と指しているのが一番楽しいって言っていた」
(その梢さんが言ってたのは、将棋の内容だけじゃないと思うけど)
 楽しいのは久幸と時間を共有していること、そのものに対してではないだろうか。
 恋をしているのならば、そう感じていても不思議ではないと思えた。
「俺が三年の時だ。梢に告白をされた。対局で梢に負けた時だ。やられたなーと思ってた俺に、可哀相なくらい緊張しながら、あいつは言ってたよ」
 久幸は目を伏せていた。
 その時、どう感じたのかは訊くまでもない。もう口にしてしまっている。
 可哀相だと、そう思ったのだろう。
「俺は付き合えないと言った。まだ再会はしていなかったけど、俺にとって灯以外の人間と付き合うことは端っから有り得ないことだったんだ」
 久幸と再会したのは灯が十八歳になる直前だ。それまではおぼろげに運命の相手がいることは知っていたけれど、名前以外全てが曖昧だった。
 何せ前回逢ったのが五歳。それから一切連絡も取っておらず性別すら誤解していたくらいだ。
 それでも二人にとっては、互い以外を目に入ることは許されなかった。
「梢は食い下がったけど、俺はどうしても受け入れられなかった。最終的には諦めてはくれたんだけど。卒業するまではなんとなく気まずかったな」
「それはそうだろうな。でも二人とも部活は続けたんだろう?」
「俺は部長だったし、残りも少なかったから。梢だって辞めなくてもあとちょっとで俺がいなくなるのは分かっていた。だから留まったんだろう」
 それでも告白をして、断れたことを思えば。同じ空間で過ごしているのは切なかったことだろう。告白を断られたからと、すぐに気持ちが切り替えられるような子ならば良いのだが。
「それで、その梢さんがユキの大学に入ってきたってわけか。それは偶然?それともユキを目指して?」
 答えは薄々分かっていた。
 話があると久幸はわざわざ改まって言ったのだ。
 憂鬱そうな表情も、灯の想像を後押ししていた。
「訊きはしなかったけど。もしかすると追いかけて来たという可能性もある。それで何がどうなるってわけでもないとは思うんだが。一応、話しておこうと思って」
「梢さんは、何学部?」
「……俺と同じ」
(追いかけて来たに決まってんじゃん)
 同じ大学ならばともかく、学科も同じだなんて偶然があるものだろうか。久幸の高校に通っていたのならば、そこから近い国公立の大学は他にもあったはずだ。
 まして久幸が選んだ学科は特別な学科というわけでもない。選択肢は多々あっただろうに。
「それと、これはあくまでも俺がその時感じたことであり、体調とか、気分とか、そういうもののせいかも知れないんだが」
「なに?」
 やたらと言い訳をしている久幸に身構える。どんな衝撃が来て良いように、身体に力が入った。
 だがそんな灯よりも久幸はもっと強張った顔をしていた。
「なんとなく、あいつが、怖いと感じた……」


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