美丈夫の嫁4 9





 丑三つ時になって、ようやく動き出した。
 明日、というよりすでに今日だが、俺は仕事がある。美丈夫も大学が、しかも一限からあるそうだ。しかし二人とも睡眠時間は捨てていた。
 どうしても今夜やらなければいけないことだった。
 捨てられた指輪を探すために美丈夫は蔭杜の関係者に軽く応援を頼んだらしい。でなければあの広い道路のどこに落ちたのかも分からないのに、指輪を見付けられるとは到底思えない。
 ワゴン車が四台、セダンが二台。総勢二十人が集まった。全員作業着か動きやすいジャージのような格好をしており、道路を這いつくばることに納得しているのが見て取れる。
 男女比は男の割合が八割、年齢はばらばらだった。美丈夫が声をかけて、少なくとも十数人は即座に動けるらしい。
 ショッピングモール下の道路はさすがにこの時間になると車が通らない。
 簡単な事情説明と指輪が見付かり次第解散、見付からなかった場合は午前五時に作業を終える予定であることが伝えられた。意見を述べる者はおらず、まるでずっと前から計画されていたかのように人々が動き始める。
 道路の上に大きな照明器具を置いて人が散らばっていく。照明器具は、がっしりとしている三脚の上にアルミ製の巨大なメガホンのようなものを着けている。近くに行くと眩暈を起こしそうなほどに明かりが強い。工事現場などで使われている物ではないだろうか。
(こんな物、いつ手配したのか。最初から蔭杜で所持していたのか)
 疑問に思いながらも、俺も道路の上に膝を突いて指輪を探す。細く小さな輪っかは立ったままでは見逃してしまいそうだ。
 アスファルトに膝を突くと、でこぼことした小石が膝に突き刺さってきて痛い。けれど構ってはいられない。俺が言い出したことだ。
 いくら深夜とは言え、ここは公共の道路、いつ車が来てもおかしくない。深夜で交通量は激減しているはずだが、それでも全く来ない保証などどこにもない。なのでここから離れた場所から等間隔に人を配置して、車が来ることを察知すると素早く連絡を回して捜索している人たちを道路から移動させるようにしていた。
 捜索が始まってから十分も経たずに一度目の撤収が行われたが、人々の動きは機敏で現状ではなんとかこのまま続けられるのではないかと思われた。
 捜索している人間の中には輝大さんや美輝さんだけでなく、父親であるオーナーと、おそらく母親と思われる年配の女性。そして輝大さんと年の近そうな男が二人加わっていた。店の従業員なのかも知れない。
 大人たちが道路を這いながら小さな金属を探しているのだと思うと、奇妙な光景だなと思う。
 落下地点はある程度予測出来るけれど、そこから転がっていった可能性。車で跳ね飛ばされていること、もしくは轢かれてスクラップになっていることも考えられる。
 発見するのは決して容易ではないだろう。
(今日中に見付かるか。日が昇る頃になると車の数が増えるじゃろうから、時間は限られておる)
 深夜になって気温が下がり、動きやすくはなっているけれど、それでも必死に目を皿にしていると汗が滴ってくる。
 二度、三度と車が来て人間と照明器具が撤収されていくとやはり焦りが出てくる。何より通り過ぎていく車がスピードを落として何事かと俺たちを見ていくのも気になった。
 夜中にこんな人数が照明器具を使って、一体何の騒ぎかと思ってしまうことだろう。
 短時間で終わらせたいけれど、と願いながらも一時間を過ぎた頃「ああ!」と声が上がった。
 はっとして声が聞こえた方向を見ると、美輝さんが片手を高く上げて「あったよ!」と宣言する。
 全員がその手に注目したことだろう。吸い寄せられるようにふらふらと人が集まると、美輝さんが「ほら!」と掌にそれを乗せた。
「全然歪んでない!綺麗なままよ!すごい!」
 美輝さんが驚く通り、掌に載せられている指輪は歪みもなく綺麗に輝いていた。プラチナの冴えた輝きと良い、緩やかに波打つ表面もサンプルと同じものだ。
(あんなに交通量の多い道路に捨てられたのに、まさか轢かれなかったんじゃろうか)
 よく見ると汚れすら見当たらない。
 白線の上にあったらしく、車が丁度避けやすい場所だったのかも知れない。だが何十何百という車の全てが白線を避けられるわけでもなかっただろうに、この指輪はそれを回避出来たのか。
「すごいですね、綺麗なもんだ」
 誰かの呟きに心から同意する。だが美輝さんが持っている指輪を手に取り、輝大さんは表情を曇らせた。
「だが落ちた時に付いただろう傷がある」
「あの高さから落ちたと思えば、可愛いものだと思いますが」
 輝大さんは気にしているが俺の目からすればほんの僅かなものだ。俺たちがいた中央通路から落ちたのならば傷が付いて当たり前。むしろそれだけの小ささで済んで幸運だったくらいだろう。
 美輝さんは兄の指摘に泣き出しそうな顔で「ごめんなさい」と謝っているが、兄はそれを見ない。
 指輪だけを凝視しては溜息をつく。
「どちらにせよ、これはもう駄目です」
「え」
「お渡しする前にこんなことになって、しかも傷が付いた品に価値などありません」
 輝大さんはこの指輪捜索にも反対をしていたらしい。探したところでこんなケチのついたものをお渡しすることは出来ないのだから、と言って美丈夫を説得したらしいのだが、美丈夫は探すと言って聞かなかった。
 俺がそう言ってしまったからなのだが、一連の会話を俺はここに来る直前に聞いたので輝大さんには申し訳ないことをしたかも知れないと思っていた。
 そしてやはり彼は指輪が見付かっても、渡せないと決めているようだった。
「それを頂けませんか?」
「これをですか?」
 俺は指輪が手元に来るならば、それが良いと思った。
 渋る輝大さんに「はい」とはっきり答える。
「これくらいの傷なら何ともありません」
「ですが」
「あそこから落ちても車に轢かれずさした傷も付いていない。強運な指輪だと思います。お守りにしたいというなら、これほどぴったりな物はありません」
 誕生石を入れればお守りになるだなんて言っていたけれど、石に頼るよりこの指輪自体の逸話の方がずっとお守りに向いているだろう。
(何より勿体ない)
 プラチナにダイヤだ。誰がこのまま捨てられるか、可哀相に。
「いいんですか?」
 美丈夫が俺の隣に来て尋ねてくる。良いも悪いも、探すと言った時から結論は決まっていたようなものではないか。
「これだけの人に探して貰った物です。思い入れが出来るでしょう」
 二十人も集めて働かせた結果、この指輪は捨てます。ではあまりにも馬鹿馬鹿しい。道路に這いつくばった人たちはやるせない気持ちになってしまう。思いが報われない結末なんて、本の中であっても憂鬱になるものだ。現実ならばまして。
「貴方がそう仰るなら」
「せめて、傷だけでも補修させて下さい。お願いします」
 輝大さんは強く反対はしなかった。だがやはり小さくとも傷があることが許させないらしく俺に頭を下げてくる。
 勿論俺に否やなどあるはずがなかった。



 指輪が見付かってから集まってくれた人たちは即解散した。時間は午前三時半過ぎ、思ったより早く終わったのではないだろうか。俺たちは後片付けをしてから自宅に戻ってベッドに入りはしたけれど、二、三時間の睡眠で出勤する羽目になった。
 当然眠気に襲われたのだが仕方がない。美丈夫は珍しく講義中に寝てしまったと、その日の夜に笑いながら教えてくれた。
 騒動があってから美丈夫はあの店に対して報復行動をすることもなく、口頭で注意しただけであるらしい。輝大さんとの付き合いを考えた末のことだろう。
 上総さんが指輪を受け取り、あれがいいと言った以上何も出来ません。
 そう不満そうに俺が理由だと言うようなことを口にしていたけれど、彼はきっと輝大さんのためにそうしたかったのだと思っている。
 妹である美輝さんは泣きながら謝罪をし、今後勝手なことはしないと約束していた。
 けれどあの指輪が婚約指輪であり、結婚指輪でないことを強調しては、いずれ結婚指輪を持って自分が嫁ぎたいと言っていたので美丈夫を諦めるつもりは毛頭ないらしい。
 鋼鉄の心というのは本物であると実感してしまった。
 美丈夫は大変げんなりとしており、二度と会いたくないと本人にも、そして輝大さんにも告げていた。
 そして肝心の指輪なのだが、ここまで来て着けませんとはさすがに言えない。腹をくくるしかないのだろうか。  だが職場でこれを着ければ周りから何を言われることか。彼女と近々結婚するのか、職場に紹介に連れてこいと執拗に言われることだろう。
 そう悩んでいる矢先、バイトの大学生の男子が彼女とおそろいのペアリングを着けているところを、本社から来ていたエリア統括の上司が見て注意をしていた。そしてファッションリングは認められない、結婚指輪のみ認めるとのお達しが下された。
 そういえばうちは服装に関しても厳しく、ピアスも着けられないと規則で決められている。派手な茶髪も禁止であり、身だしなみは清潔感を保ち乱れのないようにとチェックされていた。
 自分が注意を受けることがないので、その厳しさをすっかり忘れていた。
「というわけで指輪は着けられません」
 輝大さんから受け取った指輪はリングケースに入れられ、ベルベッドの台座に輝いている。そのリングケースをリビングのテーブルに置いて、美丈夫と向き合っていた。
 二本の指輪を前に、美丈夫は頭を抱えていた。絶望感すら漂わせているその姿に、さすがにかける言葉はない。
 黙り込んだ美丈夫の反応をじっと待っていると、重い、それはもう重々しくてなまりのような溜息をついて顔を上げた。
「結婚指輪と同等の価値があります」
「でも結婚指輪ではないからな」
「いずれは結婚しますから」
 出来ませんよ?と言ったところで美丈夫は聞かないだろう。日本では同性間で出来るのは結婚ではなくせいぜい養子縁組である。
「結婚するなんて言えば、いつかと訊かれる。それに結婚するなら上司に挨拶をせねばならん」
「これから俺がご挨拶に伺います」
「止めんか」
 目を座らせた美丈夫は、俺がはいと言えばすぐに上司の下に動き出す気迫まで漂わせている。確実に本気だ。
 自分が俺の結婚相手だと胸を張って言うつもりだろう。蔭杜の身内ならばそれで納得するかも知れないが、一般人は面食らってドン引きするのだということを、美丈夫は失念していないか。
「おまえさんが着けておるだけで十分効果はあるじゃろう。常識のある人間の大半は左手に指輪があれば去っていく」
 常識ある人間ばかりでないことは、先日痛いほどに知ってしまっているのだが。世の中の女性の大半があんな勢いで生きているとは思いたくない。
「それでは上総さんの虫除けにはなりません」
「だから、そんなものはおらんと言うておるじゃろうが」
 俺に寄って来る虫がどこにいるのか。いるならば見せて貰いたいくらいだ。
(志摩からも説得して貰って方がいいじゃろうか……)
 兄をずっと見て来ましたが、寄って来る虫なんていませんよ。とあの子なら笑顔で断言してくれることだろう。
 妹だけに信憑性もあるはずだ。
 しかしその場合、俺のなけなしのプライドは粉々になってしまうのだが。
「上総さん、転職するつもりはありませんか?」
「ありません」






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