美丈夫の嫁10 12





 帰宅した美丈夫の顔は最近では珍しく疲労感が薄かった。
 帰ってくる時間が遅かったので、今日も本家で何やら話し合いをしていたのだろう。
 叶さんが蔵の中で自分の養育費を見付けたことで、事態は変化している。一体どう転んだのか、美丈夫を待ちながらあれこれ思案はしていた。
「叶は家を出て行きます」
 美丈夫は帰ってきて、ただいまの挨拶と手洗いなどを済ませるとそう口にした。
 そして晩飯を温めようとしていた俺を留め、ソファに座らせた。まずは俺に聞いて欲しいらしい。
 腹が減っているはずなのだが、空腹すら紛れるほどの話題なのだろう。
「はあ、まあ……そうか」
 ここにいる意味がなくなったのだから、そりゃあ出て行くだろうというのが正直な感想だ。
「蔭杜から金銭の援助の話はしました。叔父の友人から請求されている金額以上のものを提示したのですが断られました」
「何故?」
 蔭杜が金銭を貸すと言っているのに、それを断る理由はもう知っている。けれど俺は立場上そう問いかけなければいけない。
 そもそも俺が叶さんに金を貸すことは出来ないのかと聞いた張本人なのだから。疑問を投げかけるのは礼儀でもあるだろう。
「金銭を貸与する際、俺たちに今後一切関わらないということを条件にする予定でした。しかし叶はその条件を呑まなかった。蔭杜に絶縁をされたのは父であり、自分ではないと」
「蔭杜との関わりを断つつもりはないということか」
「そのようです。こちらは関わりを持つつもりはない再三言っているのですが、叶はいずれ本家も気が変わるかも知れないとうそぶいてました」
「本家の気が変わる、か」
「何を企んでいるのやら」
 美丈夫は双眸を剣呑に細めた。あさっての方向を睨み付けるような様は、相も変わらずの警戒心が窺える。
「昼間、叶と何をしてました?蔵を開けたでしょう」
 不意に美丈夫はずばりと切り込んできた。
 叶さんが蔵に入る鍵を借りたことだけでなく、俺が同行していたことも知ったらしい。誰か蔵に共に入る俺を見たか、それとも叶さんが自ら俺の存在を話したのか。
 叶さんと関わるなと言っていた美丈夫の視線が刺さってくる。忠告を聞かないのかと怒っているのかと思ったのだが、目を合わせるとむしろ心配そうだった。
 怒られて叱られたほうがましだ。罪悪感でぎゅうと胸が締め付けられる。
「確かに、蔵は開けた」
 ここまでは言える内容だ。さてその続きをどうするか、窮地に立たされていると美丈夫は意外な内容を口にした。
「あいつは俺のふりをしていたそうですね」
「え?」
「俺のふりをしてお手伝いさんから鍵を借りて、ましてここにも入って来ましたね」
「てっきり、立川さんに話を通しておるものだとばかり。二人でここに来られたから」
 立川さんが叶さんをこの家に連れてきたのだと思った。きっと俺に大切な用事があるからなどと言って、立川さんを説得したと勝手に想像していた。
 まさかあの時、立川さんが叶さんを美丈夫だと勘違いしていたなんて、二人の間に会話がなかっただけに全く気付かなかった。
(鍵も、お手伝いさんから借りたというのを真に受けた)
 うろうろするな、蔵をあさるなと言われていた叶さんが、そう易々と鍵を入手出来るわけもないのだ。
 しかし頼み込んで許可を得たのだろうとそれもまた楽観的に捉えていた。
 立川さんがそこにいるという油断のせいだ。
 まさか美丈夫になりすまして、鍵を取っていたなんて。
「俺は浅はかじゃ」
「お人がよろしいんですよ。だから俺に成りすますなんてあくどい方法を、上総さんは思い付きもしなかったのでしょう。あれも物真似は得意のようですし」
「……しかし、ここで物真似をし通すとは。度胸がある」
 お手伝いさん相手とはいっても、彼ら彼女らは美丈夫の日常を細々とフォローをしている上に、同じ敷地内で寝起きしている仲だ。
 美丈夫を事細かく把握している相手では、一体なにがきっかけでぼろが出るかも分からないはずだが。それでも叶さんはやりきった。
「二人きりになって欲しくありませんでした」
 美丈夫に手を取られる。冷房を効かせすぎたつもりはないのだが、少しばかり俺の指先は冷えていたのかも知れない。美丈夫の手がとてもあたたかく感じられた。
「大して何もない」
 叶さんに告白されたなぞ言えるわけもない。ましてその告白が何の恋情もない、偽りでしかないだろうものだったなんて、知られればこじれるだけだ。
 それに真実でない告白なんて、大したことでもないはずだ。
「叶さんが探していた目的の箱も見付かったが、壊れたおもちゃが出てきた」
「おもちゃ?」
「車のプラモデルじゃ。モーターが付いていて、自動で走行が出来るもの。えっと、ミニ四駆というやつじゃったかな」
 あれは確かそんな名称をしていたような気がする。子どもの頃、同級生がミニ四駆にハマって自宅や友達の家などで走らせているのを見たことがある。
 自分で車体の色を変えたり、中身の構造を変えたり、パーツをあれこれ組み合わせて改造するのが面白いようだった。生憎俺は物作りが上手ではないのでさして興味を持たなかったが、大人も熱中するほど奥が深い趣味らしい。
 工学的なおもちゃだなと今ならば思う。
「……ミニ四駆の車体はやや流線型で青く、黒と白のラインが引かれてませんでしたか?」
「ああ、大体そんな感じじゃったな」
「車体の内側に俺の名前が刻まれていたはずです」
 はっとして美丈夫を見ると、苦笑していた。
「それは俺のおもちゃです。叶に壊された上になくしてしまって、当時は随分落ち込みました」
「まさか……」
 そう呟きながらも、あの冷え冷えした瞳を思い出しては、美丈夫の言っていることを否定出来なかった。
 箱の中から紙切れが出てきた後、俺は壊れたおもちゃに見向きもしなかった。美丈夫の名前があるかどうかも、記憶にない。
「返して貰おうか」
 思わず俺はソファから立ち上がろうとした。けれど美丈夫がそれを留めては、胸元に俺の手を引き寄せる。
「お構いなく、もう捨てていると思います」
「しかし、持っているかも知れん。捨てていたとしてもゴミ箱をあされば」
「いいんです。それにもう叶は出て行きましたから」
 叶さんという人間がいなくなったことで心がゆとりが出来たのか。美丈夫は穏やかだ。
 そういえば叶さんが来てから美丈夫は常に気を張っているようで、リラックスした様子が見受けられなかった。
 敷地内に存在するだけで緊張を強いられる相手だったらしい。
「忘れて下さい。俺はその方が嬉しい」
「……おまえさんがそう望むなら」
 壊れたおもちゃより、叶さんに関わらないという選択肢のほうが大事だというならば、俺は美丈夫の希望を呑む。
「あれが出て行く前に顔に大きな傷でも付けてやろうかと思ったんですが、傷害事件になりますからね、踏みとどまりました。悔しい」
「物騒じゃな」
 悔しいと言いながらも美丈夫は笑んでいる。
 そして俺の手、しかも左手の薬指に唇を寄せる。休日である今日は一度も外されることがなかったペアリングがそこにある。
「出来ることなら、この世から消えて欲しいくらいです」
「……おまえさん、晩ご飯にしよう。腹が減っていると物騒なことばかり考えよる」
 このままにしておけば美丈夫の口からは危険な台詞ばかり出てくる気がする。俺はそっと手を引いては台所へと滑り込んだ。




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