冬の営み 五



 柔い眠りの中にもうすぐ落ちていける、という心地良い浮遊感に漂っている最中。いきなり冷たい風が布団の中に入り込んだかと思うと、ひんやりとしたものが背後から悠里に抱き付いてきた。
 体温が奪われていくその感覚に否が応でも眠気は去ってしまう。覚醒してしまった意識の中で、小さな苛立ちと諦めのようなものを覚えては、深く息を吐いた。
 何が起こったのかなんて考えるまでもない。
(珍しいな)
 家守がやってきたのだ。
 は虫類の性質を持つ家守は冬が苦手だ。冬眠しているかのようにぱったりと姿を見せなくなる。完全にぬくもった真昼の部屋の中でたまにちらりと顔を出すことはあるけれど、夜にやってくることはまれだ。
 こうして布団の中に忍び込まれるのも、夏場ではままあることだが冬は滅多にしない。
 冷たいその身体も夏ならば有り難くもあるけれど、真冬は迷惑なだけだ。なので出来れば勘弁して欲しいのだが、今日ばかりは恨み言も口には出せない。
(岡井さんが来たからか)
 血の繋がらない赤の他人がこの家に入ってくるのは家守も承知していたはずだ。けれど実際それを受け入れたことによって、何かしら思うところがあったのかも知れない。
「家守」
 呼ぶと家守は悠里を抱き締める腕に力を込めた。
 しかし黙ったままでは何がしたいのか、何を思っているのか伝わらない。
「岡井さんが来たことが嫌なのか?」
 家守が拒むというのならば明日にでも岡井には出て行って貰わなければいけない。岡井にとってみれば理不尽だろうが、家守が下す決定がこの家の絶対的な結論だ。
 はねつけたことによってどうなるのか、ここで暮らす人間は三人ともよく知っている。だからこそ決して家守の声に耳を塞ぎはしない。
「いや、むしろ喜ばしいことだ。夏樹にもようやく支えが出来た」
 耳朶のすぐ後ろで、低く優しい声がする。吐息のような囁きは鼓膜を震わせて頭の中に入ってくるというより、触れている部分から身の内に浸透していくような音だ。
 いつ聞いても不思議なほどに気持ちの良い声だった。
「これまでたった一人で子どもたちをよく守ってくれた。ようやく夏樹も少しは気が楽になるだろう」
 子どもたちと言われるのは自分たち兄弟のことだろう。
 つい最近まで本当に幼く、何事も一緒に暮らしている叔父に頼りっきりだった。現在でもあまり成長はしていないかも知れないが、それでも多少手がかからなくなったはずだと思う。
 永里はともかく、自分など大抵のことは一人でどうとでも出来る。
 それでもやはり、叔父が誰かの助けが欲しいと思うことが今後あるかも知れない。
 そんな時、岡井はきっと叔父の力になってくれるだろう。
「岡井さんはいい人なんだ」
 家守が岡井を叔父の助けになると感じるのならば、岡井は叔父とこの家にとって良い人なのだろう。
 どれほど良い人の顔を作っていたとしても、家守は本性を見抜く。人間では分からない秘められた性質というものを嗅ぎ取っては、不要な者は追い出していった。
「初めてあれがここに来た時から、夏樹はつがいにすると心を決めていた」
「えっ」
 思ってもみなかった台詞に、思わず驚きの声が出てしまった。
 岡井がこの家に来たのは、叔父と出逢って間もない頃だと言っていた。十年以上前、その頃から叔父はすでに岡井と共に生きていくことを決意していたのか。
「夏樹は決して口にせぬと決めていた。つがいになれるとは思っていなかったからな。だがあの男が先に口にした」
 それがどんな台詞だったのかはきっと家守も分からないだろう。
 それは告げた岡井と、聞いた叔父にしか分からないことだ。
 けれど叔父の思いが実を結んだことは、家守には通じたらしい。
(一緒に暮らしていた俺は知らなかった。勘付けなかった)
 叔父と岡井がいつ頃から付き合っていて、いつから将来を共にすると誓ったのか。悠里は時折二人を見かけることはあったけれど、友人だとばかり思っていた。
 それほど二人の仲は適度な距離が置いてあり、礼節と他人同士らしいある程度の遠慮が見えた。
 大人の付き合い、他人から偏見の目で見られないように振る舞うための処世術、というものを彼らは見事に身につけていた。
(……それも、お互いを守るためだったのかも知れない)
 心無い者に誹謗中傷を受けないように、互いを守り続けたかったのかも知れない。そう思えば、岡井はずっとこの家の外で叔父を守ってくれていたのだろうか。
「岡井さんも、家守が守るのか?」
「夏樹を守るのならば」
 叔父と共にいるのならば岡井もまた、この家の者になるのだろう。
 家族が増えるような奇妙な感覚だ。だが悪くないと思っていると、家守が顎をそっと掴んできた。そして後ろへと顔を向かされる。
「んっ」
 口を塞がれて、身体をひっくり返される。向かい合わせにされると家守の瞳が目に飛び込んでくる。
 灰色と黒が混ざった長い髪。太古の昔から眠り続けている琥珀のような瞳に細長い瞳孔。常人ではあり得ない色を身に纏った家守は怜悧な顔立ちをしている。
 黙っていると冷たくて無表情だ。なのに悠里と目が合うと、微かに瞳孔が膨らむ。ほんの少しの違いだけれど、それだけで何ともぬくもりのある、柔い顔になるのだ。
 まるでありったけの情を込めて悠里を見詰めているように感じる。
「なんで」
 口付けられるのは嫌ではないけれど、この話の流れでどうしてこの行動が出てくるのかが理解出来ない。
「仲睦まじいのは良いことだ」
「それは俺だってそう思う」
 叔父と岡井の仲が良いということは、これから同居をする意味でも喜ばしいことだろう。険悪な仲より良好な方が何かとスムーズに事が進む。家の中の空気も過ごしやすい軽やかさを保ってくれるはずだ。
(あの二人とこれの繋がりが分からない)
 疑問を抱く悠里をそっちのけで家守はパジャマを脱がそうとしてくる。
 ひんやりとしていた手もすでに悠里の体温が移っては肌馴染みの良い温度になっている。大きな乾いた手が服の隙間から入り込んで来ては、皮膚の薄い部分をなぞる。
 胸元や腹を指が辿ると肌が粟立った。僅かに神経をくすぐっては、すぐに離れていく。焦らされている感覚に悠里は身じろぎをしては言葉に迷った。
 このまま続けて欲しいとも、止めて欲しいとも言えない。
 ただ眠気は完全に消え失せ、鼓動が早くなっていくのが聞こえる。身体が興奮し始めたという事実に深呼吸をする。
 自分を抑えたいけれど、呼吸を整えようとしたところで上手くいくはずもない。家守はそんな悠里をからかうようにして、首筋に軽く歯を立ててた。
「っ」
 噛み付かれたという恐れと、熱い舌に舐められているという官能に、ぞくぞくとした刺激が止まらない。
「私とて己のつがい、雌の肌を味わいたくなる」
「だから、俺は雌じゃない。男だ」
 生まれ持った心身の性別を完全に無視してくる家守に、その都度注意するが一向に聞き入れない。まして現在、家守は手を下肢へと這わせては悠里が男である証拠を軽く握った。
 過敏なその部位は家守の手の中でその形を主張している。軽く手を動かされると高ぶるそれは、悠里に明確な快楽を染み込ませていった。
「私の雌だ」
 恍惚とした家守の囁きに否定する気持ちはあるのだが、口から出せない。声を出そうとするとみっともない音が零れそうだからだ。
 声を殺す悠里に家守は容赦なく愛撫の手を早めてくる。快楽の波に翻弄されながら、悠里はゆっくりと腕を持ち上げた。家守の、自分より広い背中に腕を回すと、蕩けそうな声で名前を呼ばれた。
 結局それだけで、悠里の中から疑問や反発は無くなっていった。



 


TOP