冬の営み 四



「雨戸を閉めるコツって何だ」
 室内と庭を隔てる雨戸を閉め切ると、夏樹の部屋に足を運んだ。
 夏樹の部屋は整然としている。和風の雰囲気を重視しているのだろう。調度品は和柄か、それに似たシンプルなものになっている。机は文机という念の入れようだ。
 しかしこの部屋には大抵眠る時くらいしかいないと言っていた。仕事をする際は別の部屋におり、そこの部屋も見せて貰ったけれど、その部屋は打って変わって洋風に整えていた。
 プライベートと仕事の、意識の切り替えをそうして行っているらしい。
 夏樹はすでにパジャマに着替えており、岡井の質問に小さく笑った。
 悠里が先ほど見せたものより笑みは深く柔らかい。やはり似ているようで違う。
「慣れだ」
「そうは言っても、俺と悠里ではあまりにも違ったぞ」
「そんなものさ」
 簡単に言ってくれるけれど、岡井が何年もここに暮らしているとあれほど引っかかりのある雨戸もするりと動くようになるのか。
(コツとかそういう次元じゃないような気がしたが)
「この寒さの中、悠里が庭にいた」
「そういうこともある」
「変わった子だな」
 真冬に庭に出て星を眺めるという行為が変わっているのではない。そのたたずまいが普通の人とは異なり自然に近い雰囲気を纏っていることが、変わっていた。
「それは事実だから、仕方がない」
「おまえによく似ていると思ったんだが、なんだか決定的に違う気がする」
 夏樹は岡井の台詞に興味を引かれたらしく「ふぅん」と小さく相づちを打つ。声は小さいけれど視線はこちらに強く向けられた。夏樹は口より目の方が雄弁だ。
「俺たちとは次元が違うというか、立ち位置が違うっていうか」
「神嫁だからな。半分あっちに持っていかれているのかもな」
「しんか?」
「神の嫁ってことだ。つがいとして、守り神の元に半分を置いているのかも知れない」
 夏樹はさらりとそんなことを言う。超常現象や神秘とは無縁の暮らしをしている人々にとっては、ファンタジーの世界でしかないそれも、夏樹にとっては身近なものなのかも知れない。
 そういうところに入ったのだと岡井も気圧されながらも、なんとか飲み込もうとした。
「生まれた時からそういうことは決まってるのか?」
「そうだな。赤子の時にはもう家守が決めているだろう」
 赤ちゃんを見て自分の嫁にしようと決める守り神、というのは何とも奇異なものだ。一体何を気に入るのだろう。
(魂とか、そういうものか?)
 人間には見当も付かない。
「その神嫁ってものだから、悠里は独りでいるのを好むのか。人とは線引きをしているような印象がある」
 夏樹から聞いている話を思い出しても、悠里は人との関わりを求めていない。むしろ距離を置いて深入りされるのを拒む節があるような気がする。
 さっき庭で見かけた時も、遠くに感じるあの感覚は悠里が生み出しているだろう。
「他人に興味がないのは本当だろうな。でもあれはつがいと決められたから、というよりも本人の性格じゃないか?現におまえに話しかけられても普通に会話はするし、避けられもしていないだろう。人の選り好みが激しいんだよ」
「……そういえばおまえもそうだったな」
 夏樹もそうだ。今では一緒にいると受け入れられていると感じるので心地良さがあるけれど。出逢ったばかりの頃は、遠くにいる人という印象が強く、また話しかけるのに抵抗を感じる時もあった。
 こちらに興味がないのだろう。関わってくるのに好意的ではないのだろう。そんな予感がして、尻込みしていた。
(訊く相手が間違ってた)
「夏樹一人でこの家の管理をするのは大変だっただろう。まして兄弟はまだ子どもだ」
 初日、家の中を巡っただけでも部屋数の多さと、庭の広さに圧倒された。この管理をするのは丸一日かけても無理ではないだろうかと思う広さには、雑事の多さが付き纏うはずだ。
 そこに兄弟二人の面倒もみなければいけないというのは、岡井にしてみれば目が回りそうだ。
「それも慣れだ。家の手入れは業者の手も借りるし、兄弟にも手伝わせている。特に悠里に手伝いをして貰うと家守が喜ぶ。嫁に構って貰うのは嬉しいらしいな」
 自ら求めた嫁が、自身が守っている家の掃除をしてくれる、というのは守り神でも嬉しいのか。
 夏樹の言う家守という神様がどんなものかは知らないけれど、人のような感情が幾つもあるのだろう。嫁に手を出されると嫉妬して怒り、嫁に構って貰うと喜ぶ。
「……そこに赤の他人が混ざって嫌じゃないんだろうか」
「嫌なら許しは出ない」
「どうして許してくれたんだろう。明日いきなり気が変わるなんてこともあるのか?」
「おまえがうちにとっての害悪だと思えば、叩き出される」
 この家の守り神にとって、岡井は害ではないと、何かしらのタイミングで判断されたのだろう。これまでにこの家に来た時か、それとも花見の席でこの家に来るかどうかの話し合いをした時か。
 いずれにしても現状で無害であると思われた、というのは有り難いのだが。同時に岡井が守り神にとって「予想外の行動」を取った際、この家から追い出されることは多いにあり得ることなのだ。
「何か思い当たることでもあるのか?」
「いや……」
 あるのだが、どうにも言い出しにくい。
 黙っていられることでもないのに、切り出せずに岡井は視線を逸らした。その先には切り子のようにデザインの入った板戸がある。
 その隣が岡井に与えられた部屋だ。
「夏樹は俺が隣の部屋でいいのか?」
「構わないが」
「この板戸を動かせば、あっという間に一つの部屋になってしまうだろ。ドアと違って鍵も無い。心許ないとか、そういうことは思わないのか?」
 各個人の部屋と言っても、板戸といういつでも動かせるような脆弱な壁では厳密には個室と言えないのではないか。鍵もないので気が向いた時にいつでも部屋に入り込むことが出来る。
「日本家屋はどこもそんなものだろう。障子、ふすまの暮らしにプライベートなんてないぞ。それに部屋が繋がることくらいで何の問題が?ああ、深夜にうるさいことはしないでくれよ。さすがに止めるからな」
 生まれた時からその心許ない隔たりの中で暮らしてきた夏樹にとって、岡井が隣にいることに関しては何の違和感もないらしい。
「俺もいい年をしたおっさんだ。夜中にはしゃぐような真似はしない」
「……言いたいことがあるなら今のうちに言っておけよ。後で言い出すとこじれるぞ」
 夏樹は岡井が何かを溜め込んだことに気付いたらしい。落ち着かない様子で部屋を見渡し、歯切れの悪い会話をしていれば、察しの良い夏樹が気付かないわけもない。
 早く口にしろ、と促されては岡井も腹をくくるしかなかった。
「夏樹」
「なんだよ」
「家守は悠里だけじゃなくて、おまえや永里も守ってくれるんだろう?」
「身内だからな」
「おまえたちに危害を加えるようなものは許されないよな」
「この家にはいられないだろうな」
 一体何が言いたいのか、夏樹が困惑しているのが見て取れる。
 岡井が自分たちに危害を加えるわけがないと信じてくれている眼差しに、嬉しいと同時に後ろめたさがあった。
「……セックスは、出来るのか?」
「は?」
 明らかに耳を疑った夏樹に無理も無いと思う。何やら悩んでいるような素振りを見せた岡井が、意を決して告白したことが、性行為は可能なのかどうかだ。
 これまでそれをしたことがなかったというのならば、まだ理解は得られたかも知れないが。二人はすでに肉体関係がある。数え切れないほど重ねてきたそれは二人にとってごく自然な行為であるとすら言えた。
 なのにいきなり何を問いかけるのかと思ったことだろう。
「いや、もしかすると家守からしてみれば、セックスは俺がおまえに暴力を振るっているように見えるんじゃないか?男同士の性行為は繁殖行為じゃない。家守という神様からしてみれば、同性のセックスは自然の理に反していることになるって思われないか?」
 自分たちの関係に一切悩んでこなかったと言えば嘘になる。
 同性であることに罪悪感や、疎外感を覚えたこともあったけれど、夏樹と一緒にいられる喜びに比べれば些末なものだった。
 絶対に失いたくなと思った相手だ。人の目も他人の価値観も知ったことではないとはねつけたが。この家で暮らすのならば、家守の価値観には振り回されるだろう。
(もし駄目だと言われたら、辛い)
 夏樹がそばにいるのに、性行為を禁止されるというのは拷問に近い。
 岡井にとってみれば深刻な問題だ。
 だが夏樹は目を丸くした後、手で口元を覆った。そして微かに肩を震わせる。
「笑うな。俺は大真面目なんだぞ」
「ああ、ごめん。家守がどう思うかってことか。俺から断言は出来ないが、危害を加えられているとは思わないだろう」
 こほんとわざとらしい咳払いをしてから、夏樹は表情を引き締めて冷静に語っている。澄ました顔がよく似合うだけに、笑われたことが少し悔しい。
「それこそおまえが俺の嫌がることを強要したり、殴ったり傷付けたりということがなければ、だが」
「そんな趣味は無い」
 夏樹が嫌がることを無理矢理やらせても、岡井にとって不愉快なだけだ。何も楽しくなく、気持ちが悪くなるだけの行為など誰がしたがるものか。
「だけど、同性だ」
 同性のそれをちゃんと性行為だと、暴力ではないと家守は理解してくれるのだろうか。
 理解の出来ない行為として、岡井はこの家に排除されるかも知れない。
「俺はおまえにまだ言っていないことがある」
「なんだよ」
「家守は雄だ」
「は……?だが、悠里をつがいだって!」
「家守は悠里を自分の雌だと言うらしい」
 夏樹は苦笑しては、少し困ったように肩をすくめた。
「つまり家守にとって肉体の性別なんて関係ないんだよ。おまえが俺を抱いていても、それが暴力だなんて思わない」
 自分もそれに似たことをしている。それが何であるのか知っている。ということだろう。
 唖然として、しばらく声が出なかった。
 ここに来るまで岡井はずっとそのことについて悩んでいた。それが呆気なく解決した上に、衝撃の事実まで教えられて頭がついていかない。
「神様は、そういうところはおおらかなんだな……」
「こだわりがないんだろう」
 実体がないだろう守り神にとって、肉体の性別など二の次なのか。つがいにしたいと思った相手ならば自分の異性として、勝手に認識するのか。
 何とも都合の良い考え方だ。
「……ということは、おまえは雌だと思われるのか」
「余計なことまで考えるな」
 睨まれて一度口は閉ざすのだが、どうしても湧き上がった疑問が潰せない。
「しかしびっくりしないか?ずっと雄だと思って見守ってきた夏樹が雌になったなんて」
 守り神としての家守がそれをどう受け取るのか、岡井には予測が付かない。あっさりとそういうこともあると思い、性別が変わることは日常茶飯事として認めるのか。それともやはり意外だと驚くのか。
 雌と思われたことにより夏樹への守り神としての加護や何かは変わるのだろうか。
「……家守は、そんなことはとうに見透かしている」
「どういうことだ?」
「おまえがここに来た時から、俺の気持ちは変わっていないということだ」
 ぽつりとそう言って、夏樹は溜息をついた。そして俯いては片手で頭を抑える。
 頭痛がすると言うような仕草だが、岡井はそれが照れ隠しであることを知っている。
 立ち上がって逃げようといる夏樹の気配を感じて、岡井は反射的に手を伸ばしては腕を引っ張り、その身体を抱き寄せた。
 夏樹は大人しく腕の中に収まってくれた。間近にある横顔を見詰めていると、視線が痛いのか夏樹は顔を背ける。
 その分白いうなじが露わになり、唇を寄せてしまう。
「……ベッドがないって不便だな」
 これが岡井が一人暮らしをしていた部屋ならば、そのままベッドに連れ込めたのに。ここでは布団は押し入れの中だ。引っ張り出して畳の上に敷かなければいけない。
 即物的な岡井の台詞に、夏樹が腕の中でくすりと笑った。
「布団を敷く間に冷静さが戻ってきて良いだろう」
「戻ってくるかよ」
 それだけの手間で冷えてしまうほど、浅い欲ではない。うなじに軽く歯を立てて高まっていくばかりの感情に理性を手放した。



 


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