冬の営み 弐



「俺がここに来ること、義理のお兄さんには相談したか?」
 住んでいるのは夏樹と甥二人だが、甥の父親であり、夏樹の義兄も以前はここにいた。現在は単身赴任で海外にいるらしい。そのため夏樹が保護者の役割をしている。
「あの人は大らかな人だからな。最初から反対はしないだろうと思った。正月に日本に帰って来た時、永里がおまえが同居することを喜んでいるのを見て、良かったなって笑っていたくらいだ」
 義理の弟が赤の他人を家に入れることをすんなりと受け入れているというのも、なかなかに人が良いというか、懐が広いというか。
「あの人もここで暮らしたいと嘆いてはいたな。ずっと単身赴任で息子にもなかなか会えなくて気の毒なことだ。俺があいつらの面倒を見ているのも、本当なら自分がやりたいところだろうに」
 夏樹が言うには義兄は子煩悩な父親であるらしい。
 それが息子と離され、遠い土地で一人過ごすのも寂しいだろう。ましてあの年頃の子どもはあっという間に育ち、ぐっと大人に近付く。変化が大きい時期なだけに、再会した時には喜びと共に一緒にいられないという悔しさがあるはずだ。
「もしかして義理のお兄さんが家にいないのは、血が繋がらない他人だからって理由も関係あるのか?」
 自分がここに住めるというのに、そんな理由はおかしいと思う。
 だが数年前、夏樹は家に他人を入れるのは危険だと言っていた。男三人、その内成人しているのは夏樹だけだ。子ども二人の面倒を見ながら、家の掃除や家事一切を引き受けるのは難しいだろうと、家政婦を勧めていた時だ。
 夏樹は周りを警戒しているようだった。親戚からの金の無心が酷いと愚痴っていた時期でもある。
「性格の問題だ。情に流され、人に付け入れられやすい人間がここで暮らすのは難しい時期があったんだよ。今はましになったが。あの人は子どもたちの父親であり、姉の夫だ。姉の死後、財産関係に直接関わってくる関係だからこそ、金をせびる連中には目を付けられやすい」
 実の姉が亡くなった後、それは大変なことになったらしい。立て続けに母親を喪い、家の外に出ていた夏樹はここに帰ってきて、財産関係を一気に引き受けた。
 それが家守からの願いだったらしい。
「義兄さんは人がいいからなぁ」
 夏樹が苦笑している。それが義兄の魅力であり、困ったところだと言っているような顔だった。
「おまえも気を付けろよ」
「肝に銘じる」
 岡井はこの家からしてみれば赤の他人で財産などには何の関係もないけれど。同居しているというだけで何かしらの声をかけられる可能性も、ないとは言い切れないだろう。
(あくまでも他人、無関係だってわきまえろってことだな)
「ただいま!」
 玄関から元気な声が聞こえてくる。それまで庭から時折小鳥のさえずりや、木々の葉擦れが届いてくるだけの静かな家だったのが、一気に賑やかな空気に変わった。
 永里の一言はそれだけ明るく弾ける力があった。
「部活だったんじゃないのか?」
「今日はない!あ、岡井さんがいるじゃん!マジ今日からここで暮らすんだろ?」
 玄関に向かうと高校の制服を着た永里が靴を脱いで上がってきたところだった。脱ぐ動作は雑なのだが、脱いだ靴をしっかりそろえているところは躾けが行き届いている。
「ああ、今日からよろしく。この家のことも色々教えてくれよ」
「任せて!ところで岡井さんバイクは?どこに置いてんの?車は見かけたけど」
 永里はバイクに憧れているらしい。岡井が持っている大型バイクに興味津々で、おそらく岡井がここに来ると知った時に、バイクに注目していたことだろう。
「バイクはあとで持ってくる」
「乗せて!つか自分で乗りたい!」
「止めろ。ろくでもない」
「バイクの運転教えて!」
 永里がバイクに興味を示すことに関して夏樹は良い顔をしない。バイクなんてスピードを出して転倒した際には生身で道路に投げ出されるだろう。車よりずっと重傷になる、命も落としかねないと苦言を呈するのだ。
 それを永里が煙たがっているのは、目の前で見ていて明らかだった。
「夏樹の許可がないと俺は何とも言えない」
「絶対出さないって!」
「分かってんじゃないか」
「転けないように練習するから!俺が運動神経いいのは知ってるだろ?」
 運動部で活躍しているらしい永里にとってバイクの運転はさして難しいものに思えないのだろう。実際乗っている岡井にとっても、そう困難なものではないと感じている。
 だが夏樹は首を振る。
「運動神経が良いからって安全なわけじゃない。岡井を見ろ。あいつはそこそこの運動神経だがバイクで事故って両足骨折した馬鹿だぞ」
「昔のことを持ち出してくるな」
「その話は聞いた。でも俺が同じように事故るかどうかなんて分からんないじゃん」
「事故らないという保証もない」
 バイクの事故で足を骨折した岡井の世話をしてくれた夏樹にとって、バイクで事故を起こすということがどれほど大変なのか分かっている。だからこそ甥にそんな思いをさせたくないのだろう。
 生憎岡井の口からは、永里の応援はとても出来ない。
「くそっ。隠れて免許を取ってやる!」
「取ってもバイクは買ってやらない。隠れて買っても家の敷地には置かせない」
 とりつく島がないとはこのことだろう、と言えるほど夏樹は断固として永里に耳を貸さなかった。
 あまりにも頑なであり、バイク乗りである岡井の肩身が狭くなる。
 永里は不満そうに唇を尖らせた。そうしていると本当に子どもであり、夏樹とは違う毛色の子だなと思う。
(夏樹は高校生の頃でもこんな顔はしなかっただろうな)
 大学生の頃にはすでにあの静寂さを身につけていたのだ、こうしたあどけなさは、早々に落としてしまっただろう。
「どうしてもって言うならお父さんを通せ」
「絶対に通るわけないじゃん!父さんなんかバイクって言っただけで、駄目って返ってくるのに!」
 義兄は妻を交通事故で亡くしているため、夏樹よりもバイクに関しては反対が強いらしい。交通事故に巻き込まれる、または起こしてしまう可能性があるものは極力排除するべきだと強く主張するそうだ。
 なので夏樹も永里がバイクに乗ることに対して、どうしても許可を出すわけにはいかないらしい。
「じゃあ岡井さんのバイクを借りるからいいよ」
「止めろ。その考えは今すぐに捨てろ。俺のバイクが解体される」
 明日にもこっちに持って来る予定なのに、持ってきたその日の内にバイクがバラバラにされた日には目も当てられない。
 あれでも一応気に入り、手間暇かけてメンテをしている愛車だ。
「岡井さんのやつだから大丈夫だって」
「おまえたちのことに関して夏樹は容赦がない。俺に情けなんかかけないからな」
 岡井のバイクが永里にとって害になると分かれば、夏樹は排除しようとするだろう。
 これまでも兄弟の用事のために岡井との約束が反故にされたことが何度かある。夏樹自身に子どもがいるようなものなので仕方がないと思っていたのだが、バイクまで潰されるのは耐えられない。
「バイクくらい、いいじゃん。なあー」
「せめて車にしろ」
 ただをこねる永里に、夏樹は溜息をついてそう告げる。苦労が忍ばれる光景だ。
「車なんか年齢的にまだ免許取れないじゃん!」
「おまえは本当に辛抱強さがないな!何に関しても!」
 怒鳴りつける夏樹に永里も機嫌を損ねているのがよく分かる。
 なるほどこうして衝突しているわけかと、物静かな夏樹が声を荒げるという岡井にとっては珍しい様を眺めてしまう。
 だが黙っていると気まずさが漂うだけだろう。
「バイクはまた今度な。それより晩飯のリクエストでもすればどうだ。それくらいは夏樹も聞くだろう」
「おまえは何を言ってる。今日の晩飯はそばに決まってるだろ」
「そば?どうして」
「引っ越しそばだ」
 真面目な顔で言われて、岡井はどう返して良いか分からなかった。まして永里までも、その通りだろうと言うような表情でこちらを見てくる。
「……そりゃ、どうも」
 お気遣い頂きまして、と礼を言いながらくすぐったさを覚えた。


 


TOP