五章   4




 立ち話は落ち着かない上に非礼であるとして、魔法使いたちをテーブルへと誘った。
 客人がここに来ることなどない。そのため来客用の部屋も、家具も存在していなかった。そのためクオンが先ほどまで使用していたとテーブルを手早く片付け、ネフィが紅茶を準備した。食器は一通り置いてあったがまさか使う日が来るとは思っていなかった。
「まさかお越しになるとは思っておりませんでしたので、略装でご容赦下さい」
 クオンはそう言って魔法使いに謝罪している。
 客人が来ているというのに着替えるのもおかしな話であり、その上クオンは現在正装を持っていない。ケイガの正装は国核用の軍服であろうが、もちろんそんな物がここにあるはずもなく。エルベリルの正装は用意していなかった。
 調印式の際に纏っていた服はこの季節にはあまり相応しくない。
 寒がりだと知ったのならば尚更だ。
 魔法使いはクオンに服装は気にならないらしく「こちらこそいきなり押しかけて申し訳ない」と悪いなど全く思っていないだろう言い方をした。
 テーブルには奥側に魔法使いが座り、手前にクオンとラルが座した。
 この位置にいるのは実に居心地が悪く釈然としないのだがクオンがそれを望んだ以上いちいち文句を言うほどのことではない。
 男は腰を下ろすことはなく、魔法使いの傍らに控えるようだった。警護の人間なのだろうか。
 しかしこの魔法使いは常に自分の悪魔を連れているとも聞いている。
 果たして何が真実なのか。
 何度見ても男に表情はなく、それどころか生きているのかどうかも怪しいほどに静かで無機質だ。
 ジェダとネフィもそれぞれラルの背後で控えているのだが、いつ何事が起こっても対処出来るように気を張っているのが感じられる。
 特にネフィはこの部屋で生活しているだけあって、普段武器の類は見える部分には装備していない。そのため絵画を飾ってある壁のごく近くに立っている。その裏に様々な武器を隠しているからだろう。
 そこだけではなくこの部屋には所々に鋭利なものが秘められている。
 クオンが気にしているかどうかは知らないが、ネフィやジェダは完全に把握している。殺し合いになれば万全の状態で動いてくれることだろう。
「元気そうだね」
 エルベリルとケイガが戦を行い、その結果国核であるクオンがここにいる。無傷であったはずがないことは、魔法使いも察しているはずだ。
 だがクオンの傷は一つ残らず塞がり、痕が残っているものでも痛みも後遺症もない。
 ただの人間であったのならば有り得ないような快復力だった。
 そのことに関して魔法使いは感心しているのかも知れない。
「はい。身体はもう、何の問題もありません」
「そう。それで今何をしていたの?」
 テーブルの上にあったものを手早く片付けたのを見ているだけあって、魔法使いはクオンがやっていた作業が気になったらしい。
 敵国に閉じ込められている国核が、一体何をしているのか。もっともな疑問だろう。
「歴史を、読んでました」
 クオンが開いていた本に、ラルは覚えがあった。かつて自分が読んでいた物だからだ。
「もしかしてここの歴史?」
「はい」 「それは酷いね〜。残酷だ」
 魔法使いはクオンの答えに笑顔で答えている。残酷だというのならば眉を寄せるなり、哀れみを見せるなりすれば良いだろうに。どこまでも愉快そうだ。
 性格が歪んでいるとしか思えないが、そんな態度にもクオンは平静を保っている。
 この程度の非礼など心動かすこともないのだろう。戦をする前にも何度か会談を行ったのだが、その際にも崩れることのない表情に苦い思いをしたものだ。
 ポーカーフェイスは国の要人にとっては大切なものだが、あまりにも上手で厚い壁に阻まれている感覚が苛立った。
 それもラルに対してもう保てなくなっているようで、その変化には満足している。
「こことケイガでは文字が違うそうだね?」
「そうです。今学んでいるところです」
 クオンには時間が腐るほどに用意されている。
 これまでならば国核としての仕事があったのだろうが、ラルはそれらを与えるつもりは一切無く。何かを強制することもない。自由なのだ。
 だが忙しく生きてきた人間が突然自由になり、放り出されては途方に暮れるのも理解出来る。なので様々な分野の書籍掻き集めて棚に詰め込んだ。
 その結果がエルベリルの文学を学ぶという方向になったらしい。
 個人的には自分の国を知って貰うということは喜ばしいことだが、クオンがそれをどう思っているのかまでは分からない。
「ずっとここにいるの?」
 紅茶に口を付け、作り物とは多少異なる笑みを垣間見せたかと思うと、魔法使いは次にそんなことを尋ねた。
「はい」
「外に出ることは?」
「ありません。調印式等に出席する場合のみです」
 どうしても国核でなければならない。その必要がない限り、クオンはここから出ることはない。
 出ることがないようにラルが作り上げてきたのだ。
 簡単に崩されるわけにはいかない。そもそもクオンがここから出ないように、ここに誰も入れたくはないのだ。
 それが何度か破られているのも実のところ腹立たしいことだった。
「そうかー。でも居心地は悪くなさそうだ」
 魔法使いはそう言いながら周囲を見渡した。
 どれもがクオンのために揃えた物ばかりだ。その中にはネフィも含まれている。
 華美な物を好まず、ケイガでは国核にしては質素な部屋で暮らしていたらしい。白や象牙色、暖かく柔らかな色合いが好きで持ち物や服装にもそれが表れていた。
 ただし服装に関しては黒だけは例外であり、それはケイガという国が黒を自国の色としているからだ。
 幼少期から読書を習慣としており、知識を得ることを好んでいる。物語の類も好きであるようで、伝記物を愛読している。
 音楽は聴くのは良いが奏でるのは苦手なようで、歌うのも得意ではなく人前で喉を震わせることはない。むしろ静けさの中にいる方が落ち着く。
 そんな情報を元にしてここは作られている。
 その甲斐があるのか、それともクオンが努力してこの部屋に適応したのか。苦労なくここで暮らしているように見える。
 それは魔法使いにも感じられることなのだろう。
「よく馴染んでいる部屋だ」
 閉じ込められているというのに、という言葉が語尾に付けられていたのが察せられる。
 人にとってはただの皮肉になるだろうが、ラルにとっては褒め言葉にしかならない。一方クオンは苦笑したまま、肯定も否定もせずにいた。
「檻というより箱庭か……」
 ぽつりと零れてきた呟きに、ラルはとてもしっくりくる言葉だと感じた。
 一から手間を掛けて作り上げた、幻想のような箱庭だ。
 ラルにとっては気持ちが良く、穏やかで、満たされている。ただそれが酷く狭く脆いものだということも分かっていた。
「これが、あの時エルベリルが望んでいたことか」
 魔法使いは正面にいるラルを見て笑う。あの時、と言われラルの脳裏に数年前の記憶が蘇ってきた。
(……同じ笑みだ)
 あの時、魔法使いは今と同じように笑っていた。
「即位した時、エルベリルは欲しいものを手に入れるために国核になったと言っていた。国でも力でも権力でもないものが欲しいのだと。だが国核でなければ手に入らないもの。僕はその時何だろうと思っていたんだ」
 父親を力ずくで玉座から引きずり下ろし、自身がエルベリルの国核として座に納まった際。この魔法使いはラルにこう語りかけた。
『随分強引な手段で頂点に立ったけど。これからどうするつもりなんだい?』
 どう国を動かしていくのが、どんな野望があるのか。
 きっと魔法使いはそんなことを訊きたかったのだろう。だがラルが答えたことは、それらを一切含まないものだった。
 欲しいものがある。それを手に入れる。
 そう答えたラルに魔法使いはそれまで淡々としていた態度を変え、突然瞳に光を宿しては興味深そうにラルを見て来た。初めてラルという人間を見たというような視線だった。
 たった一つのものが欲しい。それだけのために国核になった。国核でなければ届かないからだ。
 他の理由などなかった。
 そしてラルにとってはそれが全てだったのだ。誰にも理解されなくとも。
 魔法使いは、それが何であるのかは問い詰めては来なかった。
 ただとても楽しそうに、声を上げて笑ったのだ。
 急に態度を変え、さして面白くもないだろう答えに笑い出した少年に気が触れたかと思った。だが次の瞬間正面からラルを見据えてきた双眸の剣呑さ、そして貪欲さに、この生き物は自分と似ていると感じた。
 目的のためにはどこまでも欲深く、冷徹で、手段を選ばない。狂気に近しい感情に突き動かされる。そういう人種だ。
 そしてその人種はここに来て、ラルの望みをはっきりと理解したらしい。
「叶えてしまったのか」
 相手が国核であるこという罪深さに、魔法使いはとても嬉しそうだった。
 この手の輩が、その罪悪の重さや深さに悦楽に似た感情を持つことは容易く察せられた。ラルがその罪に苦痛と共に激情を掻き立てられたように。禁じられたことはとても甘い。
「なかなかに欲深くて、僕は好きさ」
 楽しいね。と言うように魔法使いは口元を緩めては上機嫌で再び紅茶を飲んだ。
 クオンはその言葉で、ラルが何のために国核になったのか。この魔法使いにどんなことを言ったのか、きっと想像出来たのだろう。
 憂いの深い瞳を伏せて、沈黙に沈んだ。
(君はそんなこと、とっくに分かっていたはずだ)
 ラルが何のために父親を引き摺り落とし国核に座ったか。何が望みでここまで登り詰め、戦まで仕掛けたのか。
 この思いがどれほどの犠牲の上に立っているのか。
 唇を噛み締めて悲鳴のような罵りを耐える人を横目で眺めながら、今すぐ口付けて無理矢理にでも唇を開かせたいと思った。
 どんな言葉であっても、黙り込まれるよりは良いのだ。
 だがその感情が歪であることも理解している。クオンがその歪さに一層言葉を失ってしまうことも。だからこそラルは無体を強いることはせず、暖められている部屋の空気に首もとまで詰まっている服の第一ボタンを開けた。
 脱ぎ捨て吐き出したいものを抱えながら、早くこの異物を外に出してしまいたいと舌打ちを殺した。



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