五章 5 魔法使いはあれから部屋の中を歩き眺め、庭に出てはその広さに感心していた。 圧迫感がない、良い環境なんじゃないかな。 そう告げた目に含みがあったことは明らかだ。 クオンが暮らしている空間を見終わると満足したのか、居座ることも無駄な質問をすることもなく大人しく帰っていった。 ケイガが生きていることは事実として認める。 それが魔法使いの出した結論だ。同時にこの事実は世界に広められる。 魔法使いが帰り、自然とラルは元のように執務室に戻った。 だが一度断ち切られた集中力は長く持たず、いつもより早い段階で自室に引き上げたのだ。 日常では使うことのない神経を使ったせいかも知れない。 クオンの元に帰ると苦笑で迎えられた。 魔法使いが来たことに思うところはあるだろうが、それをラルにぶつけることも、表に出すこともない。 感情を隠すのに長けた人だ。 気に入らないが、無理矢理引きずり出すにはまだ早いだろう。何より引きずり出したところで郷愁以外のものが出てくるとは考えにくい。 夕食には若干早かったようで、ネフィが仕度をしている間魔法使いが褒めた庭を眺めた。 何も無い。ただ広いばかりの庭だ。 殺風景な光景はこれからもっと冷たく、寂しいものになるだろう。 「変わらない御方でしたね」 クオンはラルの横に立っては、同じように庭を眺める。毎日そこに目を向けている人はこの光景に何を思っていることだろうか。 これといった希望を聞いたこともない。 「あの魔法使いは年を取らない。時から切り離され、時を止めることが出来るそうだよ」 「時の魔法使いということでしょうか」 「そうかも知れない」 魔法使いは自分たちのことを語らない。 だからあの見た目から時間を操る者なのだろうと予測はするが、実際何の魔法を使うのかは知りようがないのだ。 「私が最後に見た時から、何も変わっていない」 クオンが見たであろう即位式から年月を考えると少年はとうに大人になっているはずだ。無論ラルが出会った時間から換算しても同じことが言える。 あの年頃の子どもは一年過ぎただけでも随分成長をし、印象が変わるものだ。けれどあの少年はいつまでもあの成長期の姿のままだ。 その未熟で不安定な姿が、年を取らない異質さを際立たせている。 「……ラルは、あの人と何を話したのですか?即位式の際に魔法使いと話されたのでしょう?」 視線を庭に向けたまま、とても言い辛そうにクオンが尋ねてくる。 珍しいことだなと、ふと思った。 ラルの過去などに関わることを質問してくることは滅多にないことだ。何故か訊いてはいけないと思い込んでいるらしい。 もっともそれはラルに対して遠慮しているわけではない。ラルの過去の行いや思いを知ることによって自分が傷付く可能性が高いからだろう。 ラルの行いの大半はクオンに帰結する。その上クオンが望まないようなことばかりだ。だからこそ知るのを恐れる。 だがそんな気持ちがありながらも魔法使いが零していった台詞は気になったらしい。 「僕は即位を急いだからね。何が目的だと訊かれたよ」 国核になるのだから権力だの力だのが欲しいのだろうと、勝手に想像はしてくれなかった。他の人間たちとは違って。 「父を押し退けてまで国が欲しかったのかと、そんなこと思っていないような目で言われたよ」 懐かしいものだ。 あの時魔法使いは微笑んでいて、国や力が欲しかったのだと適当なことを言えばすぐさま嘲笑が返ってくると感じた。 だがそれでも今ならば平然と偽りを告げただろう。 けれどあの時は国を乗っ取ったばかりで気が立っていた。だからこそつい、まともに応じてしまったのだ。 「たった一つのものを手に入れるために国核になった。そうするしかなかったと答えたよ」 もしラルがこの国の人間でなくケイガであったのならば、クオンに近しい人間として産まれていたのならば。きっとどうにかしてクオンの側に上がろうとしただろう。 血杯を貰うことに心身を捧げたはずだ。 だがラルが産まれたのはケイガではなくエルベリル。ましてエルベリルの国核近くに産まれた。 元々近付けるはずがなかったのだ。 そして囀りを受けてしまった。 鳴き声を上げた以上、クオンの血杯を受けることは不可能であり、側近として控えるようなことも有り得ない。 国核同士が出来ることは決められている。 殺し合いだ。 そのために魔法使いは国核に力を与えたのだから。 この世で最も愛おしく狂おしい相手と殺し合うことが定められている命。 呪いのようであった。 しかし嘆くだけ、悲観して涙を流すだけの生き方などラルは到底出来なかった。 産まれた時から周囲は敵だらけ、命を狙われることも珍しいことではなかった。権力闘争の駒にされ、人々の計略に巻き込まれ、母親を失ってもまだ生きている。 貪欲で狡猾でなければ生き残れなかった。 その中で欲しいと願ったものを、唯一切望する者を諦めるわけがない。 殺し合うことが決められているのならば、言い換えれば国核以外の人間と接触しても死なないだろうということだ。母親のように呆気なく命を奪われることはない。 他者に奪われる確率が格段に低い。 それに殺し合いと言ってもラルにその気がないのならば、単純に殺されるかも知れないという危険性だけが残されるだけだ。 別に死んでも構わなかった。命に執着はない。 ならが答えは簡単だ。 国から切り離して自分の手元に持ってくれば良い。国核である以上国を潰すことが出来ず、完全に切り取れないのは残念だが、国核である自分ならば国核という殻を叩き潰し、束縛することが出来るかも知れない。 力尽くだ。それ以外の方法はなかった。 (僕はそれを成した) 即位式で決意を告げた時のように、いやそれ以前にずって願っていたことを叶えたのだ。 たとえそれによって多くのものを失ったとしても。悔やむことはない。 (クオンの気持ちが引き裂かれていたとしても、だ) その心が鮮血を流していたとしても、ラルは自分の気持ちを抑えつけて生きていくことは出来なかった。 絡まり合ったあの眼差しの奥を欲さずにいられなかった。 そう、ラルだけを見てラルだけに捕らわれようとする瞳は、当然自分のものであるべきなのだ。 「彼らはあの時の僕の答えを見ることが出来て満足だろうさ」 願いが具現化されているのを目視出来たのだ。とても分かり易く納得したはずだ。 ただクオンは痛ましげに顔を伏せた。 ラルがすることのない後悔まで、代わりに背負っているかのようだ。 無駄だと、そんなことをしても意味がないのだと理解しているだろうに。この人はその性分を止められない。 「君の時は何を言っていた?」 「私には、特には何も。良い国になりそうだとだけ」 ありきたりな、あの魔法使いにとってはただの常套句のような台詞だろう。 だがそれは事実でもあったはずだ。 クオンは良い国核だった。国のためを思い、国のためだけに生きていた。 それをぶち壊し、クオンを国から引き摺り落としたのはラルだ。そんな現状にあの魔法使いは笑っていた。 さぞかし醜く、そして楽しげなものに見えたことだろう。 「哀れじゃないか。国のことを思いやる国核が、国のことなど一切顧みない国核に強奪されるなど) ケイガという国にとっては悲劇だ。 だがラルはそんなことに罪悪感など抱かない。 「……箱庭とは上手く言ったものだね」 あの魔法使いの言葉に感心していると、クオンが酷く遠い目で庭を眺めている。 「最初からこうあれば良かったのにね」 そう口にするとクオンは躊躇いがちに唇を開いた。だが結局言葉が出てくることはなく、溜息だけが零れてくる。 もし最初からこの空間があったのならば、始まりがここであったのならば。誰も傷付かなかったことだろう。 ここは満たされている。優しいだけの部屋だ。 たとえここから一歩でも外に出れば、極寒の風と刃が吹き荒れているとしても。ここまでは届いてこない。 「後半月もすれば雪が降るよ」 「そう……ですか」 「何もかも埋め尽くす真っ白な雪だ」 戦の後も死体も血も人の涙も思いも全て白く染めて隠してしまうことだろう。 そしてこの部屋もより深く、閉ざされる。 そのまま凍り付けと願うには、寒さが厳しすぎるだろうか。 クオンの腰を引き寄せると強張っていた身体がラルの手から逃げるように引かれる。けれど抗いが無駄であることを知っている身体は結局力を抜き、諦めるように体重を許した。 |