五章   3




 繰り返し問いかけられる。
 何故ケイガを生かしておくのかと。
 その度にラルは微笑むのだ。
 おまえたちにとってクオンはケイガであるのだろう。だが己にとってクオンは国核でも、ましてケイガそのものでもない。
 この世でたった一人、自分を掻き乱し狂わせる存在なのだ。それ以外の何物でもない。
「あの国はケイガを神のように崇めていますから。殺してしまっては暴動が起きる。ケイガの民はたとえ最後の一人になっても、エルベリルには従わずに牙を剥くでしょう」
 武力で支配しようと、ケイガの民は屈指はしない。
 神に従事する者たちは苦境に立つことを恐れないのだ。むしろ苦しめば苦しむほど神を愛おしく思い、その殉教を尊いものとする。
 ラルにとっては忌々しいばかりだ。
「だが国核が生きていれば、ケイガという国はエルベリルのものにはならない。現状ではあくまでも属国という状況だ」
 ケイガは国として認められたまま。エルベリルの一部としては扱われない。
 魔法使いたちも国として存続しているのだから、ケイガには国としての立場を尊重すると言いたいのだろう。
 それはエルベリルの内側からも散々上がっていた声だ。
 戦で勝ち、ケイガという国はエルベリルのものになったはずだ。だがケイガという国は残り、政治介入も、経済支配もいちいち国同士のやりとりという形になり。細かい条約などを組み立てていかなければならない。基本的に彼らに抗いは認められないので、時間が経てばエルベリル国内とそう大差ない支配が出来るだろうが。そこまでの積み重ねに手間と時間がかかる。
 そして何より、戦の際にケイガにはなかなかに手こずらされた。こちら側も多大な痛手を被ったのだ。それなのに国としての体勢を残したまま、存続するというのは心境としては認められない。という部分が大きいのだろう。
「国核が生きている限り、ケイガの民は国核を取り戻す夢を捨てない。いずれ反逆を起こすよ」
「ですが神はここにいますから」
 反逆など初めから分かり切っていることだ。だからこそラルは薄い笑みを浮かべた。
 ケイガが取り戻したいものはラルの手元に、一番近くの懐にいる。
 それがあるのにケイガたちがエルベリルに刃向かった場合、最も危うい立場にあるのは誰なのか。警告すれば彼らは生々しくそれを想像出来るだろう。
 たとえそれが決して実現することのない危険であったとしても。脅しとしては充分に効果があるはずだ。
「国核を人質扱いか」
「使えるでしょう?」
 冷酷なやり方なのかも知れない。
 周囲に控えている兵たちはラルの発言に顔を強張らせてもいる。
 手元にあるクオンが今どうなっているのか。恐ろしい予想でもしているのだろうか。
 だがクオンはこの時間読書でもしているだろう。ネフィから上げられてくる報告では大抵昼過ぎは読書に当てられていた。
 寒がりのようなので暖房は多少強めにするようにも言ってある。この国のどこより穏和な空間にいるはずだ。
「もし他国との戦の場合、ケイガを出せば国核が二人になる。一人の国核と二人の国核。勝算がどちらにあるかは考えるまでもない結果か。実に有益だ」
 少年はラルのやり方に楽しそうに喋っている。
 ラルがクオンを戦に出すつもりなど毛頭無いこと。戦に関わらせる気が欠片もないことなど知るよしもない。
 そしてそれはラルが周囲の貴族どもを黙らせるために作り上げた話でもある。
「ただし、寝首を掻かれないことを抜けば。の話だけど」
 国核を殺せるのは国核のみ。
 言い換えれば国核同士を接触させない限り、国の中枢が崩されることはそうないのだ。
 どれだけ退廃していたとしても、民が絶滅としていたとしても、国核が生きている限り国は継続していると見なされる。
 だからこそ国核は、他国の国核との接触を重視している。殺し合いにならないように、奇襲をかけられないように細心の注意を払うのだ。
 無防備に国核同士が顔を合わせることは有り得ないことだった。
 ラルが異常なのだ。
「その可能性はありませんので」
 そんなことを言いながら、もしそれが実現したとしても構わないのだと心の中で付け足した。
 クオンが殺すのならば良いのだ。いつでも、その手で殺してくれれば良い。
 ラルは死ぬことを厭わない。厭うのはクオンを手放すことだ。自分を殺すことでクオンはきっと永遠に自分に縛られることだろう。ラルの存在を忘れることは出来なくなる。
 ならばそれで充分だ。
 そう言えばきっとクオンは歪んでいると顔を顰めることだろう。
「じゃあこれからもケイガを生かすと?」
「そのつもりです」
 笑顔で断言すると少年は愉快そうな表情を更に深めた。
 奇妙だと思っているのだろう。
 クオンを殺すことがないどころか、クオン以外の何を犠牲にしても生かすつもりである。と答えたのならばこの魔法使いは何と言うだろう。
 兵が並んでいる中で発言するにはあまり適していないことなので、さすがに憚るが。二人きりであったのならば口走っていたかも知れない。
「本当にケイガが生きているのか、見せて貰いたい」
 愉快そうにしていた魔法使いの、その提案はラルにとっては正反対の感情を生み出すものだった。
 クオンを誰かの目に晒すことが嫌なのだ。
 あれはせっかく自分だけのものになったというのに、ここまで来てどうして他人に見せなければいけないのか。不満が込み上げてくる。
「何故ですか」
「もしケイガが死んでいるのならば、僕たちは世界の状況を書き換えなければいけない」
 魔法使いたちはその役割を決して曲げず、また手を抜くことがない。
 世界がどうなっているのか、真実がどうあるのか。見逃すことを良しとしない。
 だからこそ、国核が二人同じ場所で生きているという異常事態に興味があるのだろう。
 確認したい。そう好奇心が疼くのだ。
 理解は出来るが快諾はしたくない。それが本心だ。
「ケイガには後継者が出ていないと聞いている。囀りなく国核が死ねば、ケイガという国は消滅する」
 だからだよ、と魔法使いは双眸を細めた。舌なめずりをする獣のような嫌な目つきだ。
 魔法使いは必ず国の滅亡と誕生に携わる。特に誕生に関しては、国の心臓である一番初めの国核を作り出すのは魔法使いたちだからだ。
 言い換えてしまえば、国を生み出しているのは魔法使いたちでもあるのだ。
(この世で最も面倒な相手だ)
 自分の力が及ばないところにいる魔法使いは、以前から気になる人々ではあった。だが滅多に関わってこない、その上揉め事を起こせば不利益になる可能性が高いということで出来るだけ意識しないように努めてきた。
 だがここまできて突然、目の前に立ち塞がるように表れるとは、忌々しいとしか言いようがない。
「案内して貰いたい。無理だというなら、暴くだけだ」
 挑発的な言葉にラルは舌打ちをした。賓客に対する態度ではないが。この程度の非礼は容易に認められるだけの大きな要求だ。
(暴くだけ。確かにこいつらは暴くんだろう)
 扉を壊し、人々を散らし、時には潰し、魔法使いは自らの欲するものをその目に移す。
 これまでの歴史で行ってきたように、国が秘めるものを無残にも引きずり出すのだ。
 隠そうとすればするほど、魔法使いたちは秘め事を解体しては衆目に晒すはずだ。
 ならば従い、魔法使い二人だけの目に留めた方が賢明ではあるのだろう。
 奥歯を噛み締め、目の前にいる魔法使いの首を絞め殺したい衝動に狩られながらも渋々その要求に頷いた。
 国、権力、武力、経済力を保持するラルが久しぶりに他人の意見に己を曲げた瞬間だった。
 その苛立ちを感じ取っているはずだというのに、魔法使いは何も見えないかのように満面の笑みで「お願いするよ」と口にする。
 横柄なその態度に兵達までも殺気立つのが分かったが、ラルはむしろその殺気によって少しばかり冷静さを取り戻せた。
 殺す者、殺せる者、殺してはならない者。それくらいの区別は付けられる。
 そして生かしておいた場合の有利性も考慮し、自分を落ち着かせなければならない場合も時にはあるものだ。
(そう。殺し奪うだけが全てじゃない)
 自分が万能であり、世界の神にでもなったかのような錯覚に陥ってはならないのだ。そんな隙だらけ、傲慢だらけの精神では足下をすくわれる。クオンが手元にいる以上、どんな間違いも、油断も許されることではない。
 一瞬一瞬、全てにおいて判断しなければならない。それが過ちになるかどうか。
「では、こちらへ」
 視線だけでクオンを奪えるというのならばともかく、この魔法使いはここからクオンを出すことはないだろう。政治介入は彼らの嫌がるところだ。
 完全なる傍観者。それがクオンを奪うとは思いがたい。むしろ抗った場合の方が後々の傷になりかねないのだ。そして何より、クオンがラルの手元にあるという事実が、この世界の公式見解になるのならば、それはそれで愉快である。
 魔法使いを自ら誘導しながら、温度を下げていく自分の心臓の音を聞いていた。



 ラルにとってはもはや日常となっている幾つもの扉を開けた先で、クオンは立っていた。
 ここに来るのはラルとジェダだけになっているはずだというのに、その他に二人の足音が増えているのだ。
 アクマリィズのことを思い出して警戒していたのだろう。
 だがラルも共にいることを感じ取り、酷く困惑しているような表情だった。
 アクマリィズのように国核が人質になることは有り得ない。ラルが望んで誰かをここに連れてきたということだ。だがクオンを隠したがるラルが、一体誰を。
 クオンはきっとそこまで考えたことだろう。
「お客様だよ」
 クオンにそう告げて、ラルは部屋に入っては身体をずらした。背後にいる人をクオンに見せるためだ。
 ここにいるには不釣り合いな男と少年。その二人を見てクオンは瞠目した。
 しかしすぐに礼儀を正し頭を下げては「お久しぶりです」と畏まった声で挨拶をする。
 どうやらクオンもかつてこの魔法使いに会ったことがあるのだろう。
「久しぶりだね。こちらも即位式以来かな」
(即位と滅亡。この二つに関わってくるのか)
 二つの大きな区切りに、この魔法使いは関与してくるのかも知れない。
 そしてこちらでもやはり男は少年の背後に立ったまま、一言も口を利かない。
 そこにいることだけが使命であるかのようだ。
「お変わりなく」
「僕の時間は止まっているんだ」
 クオンの形式的な言葉に、魔法使いは微笑んだ。
 この魔法使いが特別であるとされるのは、その姿が決して変わらず年を取らないからだ。
 魔法使いたちはよく年を取ることを遅らせるらしい。人としての寿命に従えば己の願いを叶えることは出来ないとし、長寿を望んでは様々な禁じられた魔法に手を伸ばすようだ。
 その術を知ろうと多くの者が魔法使いに接触するようだったが、ことごとく抹消されていく。禁じられている術は魔法使い以外に使用することは許されない。
 国の政治に関わることと同等の罪とされ、同胞に殺されるらしい。
 だがあくまでもそれは年を取る時間を遅らせるだけ。けれどこの魔法使いは時を止めてしまったらしいのだ。
 悪魔と契約をし、その身が老いることがないように時を閉じ込めたのだと聞く。真偽のほどは定かではない。
 ただ一つ確かなのは、この少年が何十年もこのままの姿で生きているということだけだ。
(得体が知れない)
 底知れぬ存在は気に入らない。警戒心が全身を巡り、自然と殺気立ってしまう。けれどそんなラルの傍らでクオンは苦笑していた。



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