五章 2 国にいて、細々として決裁をする際は執務室に籠もっている。 部屋自体はそう広くなく、左右の壁にはこれまでのエルベリルの歴史や経済に関する資料が詰め込まれた棚がずらりと並んでいる。 中央にラルの机、その上には大量の紙の束が置かれている。そこから右斜め前にはネフィの机が置かれており、そこにもやはりラルと負けず劣らず山積みになった紙があった。 部屋にはこの二つの机しかない。 他の人間は邪魔にしか感じられないので、この一つ手前の部屋で仕事をさせている。 その日も部屋には二人しかおらず、決裁を待つ紙の一つ一つに目を通し、つまらない作業に嫌気が差していた頃だった。 「失礼致します!」 慌ただしい足音と共にこんな声がドアの向こうから聞こえてくる。 国核がいる部屋まで、こんな足早にやってくる者はほとんどいない。国核との面会なのだ、落ち着いて礼儀を正すように言われている。当然手前の部屋の時点で歩調など緩めるべきであり、声量も大声であってはならない。 だが緊迫した空気がドア越しにも届いており、ラルとジェダは表情を一変させた。 「入れ」 椅子から立ち上がり、ラルは手元にあった剣の柄に目をやる。まさかここまで賊だの、敵襲だのが入ってくるとは思いがたいが、今この城の中にいる者の誰が敵に寝返ってもおかしいとは思えない。 頭の中で幾つの顔を思い浮かべながら、ドアを開けて入ってくる者を睨み付ける。 入って来た部下はジェダ直属の部下だ。出来は悪くなく力も腕も使えるのでラルも顔を覚えていた。その男が血の気の引いた様子で頭を下げた。 「何事か」 「魔法使いと名乗る少年と男が、城に突然現れました」 奇妙な発言だ。 城に突然現れるというのはどういうことか。城に入るためにはまず門扉を通らなければならない。不審な者ならばその門扉で止められ、城に入ることは叶わないはずだ。 だが城に現れたということは門扉を抜けたということだ。だが門扉の番をしている部隊が魔法使いだなどと言う者を無断で城に入れるわけがない。 おそらく突然、城の内側で彼らは発見されたのだろう。 そして魔法使いに関しては、人々の間で不文律が存在する。 彼らの行動を邪魔することは愚かなことであり、彼らは彼らの法にのみ従い生きる。魔法使い以外の人間が彼らを阻止することは不可能であり、もしそれを成そうとするのならば命及びあらゆるものを失う覚悟でなければいけない。 それほど魔法使いというものは扱い辛い、特別な存在なのだ。 だからこそこの部下も対処に困り、ここに駆け込んできたのだろう。 「容貌は?」 「一人は黒い正装を纏った細身の若い男。もう一人は正装を着ている十二、三歳ほどの少年です」 ジェダの質問に即座に返ってきた答えで、ラルはそれが誰であるのか理解した。 (変わらないのか) 蘇ってきた記憶を思いながら、ラルは魔法使いがここに来ることを認めた。 認める、認めないなどという判断を必要とせず、彼らがここに入ってくることは決まっていることだ。 魔法使いは突然、何の前触れもなくやってくる。 彼らはあらゆる隠蔽を許さない。 そのため隠す隙を与えることなく、唐突に訪れてはその目で国を確かめる。 これまで多くの国で魔法使いが国の内側に入ることを拒絶してきた。だがその結果がもたらしたものは、城の破壊であったり、国境の崩壊であったり、国同士の経済交流の阻止、及び彼らが持っている資源を一切手に入れられなくなるという実に厳しいものだった。 魔法使いは権力を好まない。 だが魔法使いは彼らのみが暮らすことを許された集合体を持ち、小国のような形態を作り生きている。魔法使いだけが作り出すことの出来る、資源。光や炎を宿した鉱石。水を呼び出す鉱石。それ以外にも様々な鉱石などを生み出してはそれを元に資金を集めて小国を運営している。 魔法使いたちは自分たちの魔法を小さな鉱石に封じ込めて、それを元にしてこの世界の多くの国に対して経済的に接触している。そしてその鉱石の有益さ故にどこの国もその鉱石を求め、必然的に魔法使いたちは国々と関わりを持っては鉱石を武器に渡り歩いている。 かつてはその魔法を各国の武器として使っていた時代もあった。彼らの魔法は戦にとても便利であり、驚異的な功績を挙げたらしい。 玉座に近い位置に立ち、幾つもの軍隊を一人で壊滅させるだけの力を持った魔法使いもいたそうだ。 国を支配することなど彼らにとっては容易いことだ。 そのため国の権力者たちはこぞって魔法使いを自国に置きたがった。魔法使いの力がそのまま国の力に繋がるのだ。 中には魔法使いにとって非道な手段を執る者もいたらしい。 家族、恋人、兄弟を人質にして閉じ込めるなどの悪行が珍しくもないほどに。 それに激怒した魔法使いたちは国々にいた魔法使いたち全てに集合をかけた。速やかに国から出て、魔法使いたちのみが暮らす場所に帰ってくるように。従わない者に対してはより高位の魔法使いを刺客として送り込み、抹殺するという冷酷さすら示した。 もしどうしても国に留まりたいと願うのならば、魔法使いとしての力を捨てろと迫ったそうだ。 魔法使いたちの中には、同類の力を殺す能力を持つ者もいるのだろう。 そして魔法使いたちはもう一つ、残酷なことを決めた。 魔法使いに頼り戦を起こす王たちに、それならば自分たちが力を持ち、自らの力で殺し合えば良いだろうと、国核という力を作り王族達に植え付けたのだ。 魔法などに頼らずとも、己の力のみで国を守り、侵略するが良い。その命を晒して生きろ。それが魔法使いたちの宣告だ。 そして魔法使いたちは自分たちが作った国核という力が上手く動いているか、国核という仕組みが正しく機能しているか。それを確認するために国々の動向を常に監視している。 監視をより厳しく、細かくするために国に突然やってくるのだ。 だが国の動向を知り、たとえば侵略を考えている、滅亡を考えていると知ったところで魔法使いたちは何もしない。 権力には屈しない、関わらない。それが彼らの姿勢なのだ。 ただの傍観者。魔法使いたちに危害が加えられなければ、彼らの暮らしの邪魔にならない限り、何かしらの動きを取ることはない。 だからこそラルも、突然やってきた魔法使いと刃を交えようとは思わなかった。 賓客ということで部屋を改め、執務室ではなく賓客室へと魔法使いたちを案内するように指示、自らもそこで彼らが現れるのを待った。 当然すでに城の中にいた二人はすぐにその扉を開けた。 ジェダの部下が言うように、二人は黒い正装を纏っていた。だが軍人が着るような堅苦しいものではない。王族たちが纏う様式に似ているが、装飾はなくシンプルでありながらも品のある装いだ。 一人はラルと同じくらいの年の男。表情はなく、細身の身体は戦いに向いているとは思えない。けれど隙はなく、並の軍人よりも冷たく鋭利な印象を受ける。 簡単に言えば、得体が知れない。 そしてもう一人は少年であり、十二、三歳ほどの見た目をしており、青年と並ぶとまるでお付きの従者のようである。 だがその瞳は国核を前にして緊張している、警備の兵達の物々しい空気を楽しげに眺めている。堂々としているというよりふてぶてしい。 そして何よりあどけなさが欠片もなかった。あるのは溢れる余裕と、他者を遙か上から見下ろすことに慣れきってしまった傲慢に近い態度だ。 これがもし他の人間であったのならばラルは不愉快だと言い放ったことだろう。 けれど目の前にいる者に対して、気分が害されることはなかった。 この二人はそういうものであり、それが許される者なのだと知っていたからだ。 「久しぶりですね」 国核はこの世界で特別な生き物であり、国の頂点である。その国核が敬意を払うのはせいぜい同じ国核同士である場合。そうラルはクオンに言ったことがある。 だが魔法使いは例外だ。 彼らは身分も立場も、国の在り方すらも関係のないところにいる。そして彼らを侮辱することに何の利益もない。 むしろ不利益の方が圧倒的に多いのだ。 そのためラルは言葉遣いを正し、魔法使いたちを特別な客として扱った。 それに魔法使いは仄かに微笑んでは「久しぶりだね」と答える。 国核が敬語であるというのに、魔法使いは敬いを表さない。それに警備の兵がざわついたのを感じたけれど、ラルは表情を変えない。 そして何より周囲を動揺させたのが、口を開いたのが男ではなく少年の方であるということだろう。 あんな子どもが国核と対等の口をきけるなど、あってはならないことだと思ったはずだ。 だがラルはそれを認める。 何故なら魔法使いは少年の方であり、彼が魔法使いたちの中でもかなり特別な生き物であることを知っているからだ。 「今日は何用ですか?」 「ケイガとの戦が終わったと聞いて、気になって」 「調印も済みました。完全な終戦です」 戦は国同士がぶつかり、力関係が変わるどころか国が消える可能性も高く存在する事柄だ。そのため魔法使いがやってくるのは珍しいことではない。 ケイガではない国を滅ぼし、エルベリルのものとして吸収した際も魔法使いは訪れた。だがこの二人ではなかった。 (この戦は節目であり、魔法使いが来ることはそうおかしなことではないが) 何故かこの二人が来たことに違和感があった。 「終戦か、お疲れ様。でもケイガを下したというのに、ケイガの国核は生かしていると聞いた」 それはどうして?と少年の目が細められた。 少年の年でそうして笑ったのならば、他愛もない遊びでもしているのだろうと思われるところかも知れないが。目の前にいる者の笑みは獲物を見付けた獣の眼だ。 剣呑な好奇心を剥き出しにして、それが満たされるまでは決して離すものかという貪欲さが見えた。 next |