四章   6




 開かれたドアの向こうにいたのはネフィと見知らぬ男が二人。そして侍女と思われる女が一人。その女に首もとにナイフを突きつけてられているアクマリィズ。
 いきなり突き出された現実を、クオンは冷静な気持ちで見た。
 異変が起こるだろうということは、実はそのドアが開かれる前から分かっていた。
 その手前のドアに近付く足音が多かったからだ。
 この部屋に来る際、五人であることはまず有り得ない。
 たとえ予定より早くラルが帰って来たとしても国核の気配というのは独特で目にする前からなんとなく察せられるのだ。
 その気配もなく人数が五人など、異常事態であることは間違いなかった。
 ましてその内にとても軽い足音が混ざっていた。
 子どもがここに来る理由などない。
 エルベリルで出会った子どもと言えばアクマリィズとその兄であるヒリュイくらいだ。彼らが黙ってここに来るはずもない。それに来るとしても弾んだ声がすでに聞こえてくるはずだ。
 ただじっと黙ってドアの前に立つなど想像出来なかった。
 なので現実を見る前に、クオンはその手にナイフを握っていた。
 ペーパーナイフのような物だ。
 ここにはしっかりとした剣も飾ってあるのだが、もし人質を取られていた際剣では振りづらいと思ったのだ。
 投げ道具の方が使える。
「初めましてケイガ。ご覧頂ければ」
 侍女が喋り始めるがクオンはそれを聞かなかった。ただアクマリィズを見つめる。
「マリ。目を閉じて下さい。決して開けてはいけませんよ」
 優しく、震えている少女を慰めるように言った。
 強ばっているだろう身体はクオンの言うことにちゃんと従えるか不安だったのだが、アクマリィズは言う通りぎゅっと目を閉じた。
(良い子だ)
 それがクオンの中での合図だった。
「口を閉じてく」
 閉じて下さいと侍女は言おうとしたのだろう。
 人質がいるのは見て分かるだろう。だから大人しくしろと言いたいのだ。
 けれどそれを言う前に、クオンは持っていたナイフを侍女の肘に突き刺した。
 ずぷりとナイフは深く突き刺さり、柄まで埋まる。おそらく関節は曲がった状態で固定されたはずだ。神経のほとんどを切断され、彼女の片手はそこで死んだ。
 事態が飲み込めず、まだ自分の腕がどうなったか理解していない侍女を放置し、クオンは駆け出した。
 それを察したらしい男の一人が立ち向かおうとしてくるが、剣を抜く前にその手を掴んで手首の骨砕く。
 激痛が走るだろう。そうすれば男は悲鳴を上げる。
 そう思いクオンはもう片方の手で男の喉を掴んだ。
 喉仏を潰し声を殺す。
 きっとこの男は自分がどんな状況になっているのか把握していない。侍女と同じだ。
 当然だろう。
 常人が知覚出来る早さでクオンは動いていない。
 そして人とは思えないような力で男を支配しているのだ。
(血杯でもないのに、国核の前に立ちふさがるのが過ちだ)
 彼らは何故戦場に国核が必要か。国核でなければ戦争が出来ないのか、知らないのだろうか。
 それは国核を殺さなければ国を支配出来ないから。国核を殺せるのは国核だけだからだ。
 常人が襲いかかってきて何が出来るのか。
 空しさを覚えながらクオンは男が腰に帯びていた剣を抜いて男の首へと押し当てる。
 アクマリィズが目を閉じているのをもう一度確認してから手を引いた。
 骨まで切り落ちるのではないかと思うほど強く剣を引き抜く。血飛沫が上がり、クオンは顔面に鮮血を受ける。
 生臭い鉄の匂いがした。
 しかしそれを感じ取った時にはすでに剣を握って次の目標へと向かっていた。
 血杯を受けているネフィはアクマリィズを脅迫していた女の首を短剣で貫いている。
 切っ先は首から出ており、女の命が完全に断たれたことを示している。
 悲鳴を上げないように配慮したのはどうやらこちらも同じらしい。
 一人残された男はアクマリィズへと手を伸ばそうとしていた。
 人質さえ取っていればなんとかなるかも知れないという判断だろう。
 どう考えても自分がクオンを殺せるはずはないと分かったらしい。己の命を長らえさせるための術を求めているようだ。
 だがその手をクオンは切った。
 腕が肘から離れる前に、喉元に剣を埋める。
 彼にとっては刹那の出来事だ。
 あ、という瞬間もなかっただろう。
 それでも男の命は終わった。
 剣を引き抜き鮮血を溢れさせてクオンは息を吐いた。
 戦場ではいくつも繰り返したことだが、誰かを殺す度に自分が空っぽになっていくようだ。
 掌に残る鈍い感触を握り締めて肩を落とす。
「ネフィ。マリを外へ」
「はい」
 幼い子がいて良い場所ではない。
 ネフィはさすがに戦場にいただろうだけあり、動揺の一つもなく即座に応じた。
「クオン様……」
 マリィは事態が終わったことを察したのか、恐る恐る口をクオンを呼ぶ。それに伴い目を開けるような気配がした。
 いけないと思い手を伸ばして目を塞ごうとしたけれど、その手が赤いことに気が付いて硬直した。
「アクマリィズ様。まだ目を開けてはいけませんよ」
 常と変わりない、柔らかな声でネフィが囁きながらアクマリィズの目を覆った。
 その手はクオンとは違い荒事の後だとは思えない。
「マリ。全て終わりました。もう何の心配もありませんよ」
 声だけでクオンは優しく告げる。
 本当に何もなかったような響きを出した。
 自分の身体は血に濡れ、足下には死体が転がり今も血を流している。
 染まっていく絨毯が視界に入るのに、そんなことは毛ほども意識させないようにした。
「ですがここに入ることはいけません。お帰り願います。ネフィ」
 クオンはそう言ってアクネフィズに視線を送った。ここから一秒でも早くアクマリィズを出した方が良い。
 血の匂いが流れ始め、アクマリィズが死を実感してしまう前に遠ざけなければ。
 ネフィは頷き、アクマリィズに無礼をお許し下さい、と告げてから小さな身体を抱き上げた。
 遠ざかるそれを見た後、クオンはドアを閉めた。
 静まりかえる部屋。
 倒れている死体を眺めてはその場に立ち尽くす。
(こうなることは分かっていたんだ)
 ここは敵国だ。クオンが大量に死体を作った相手だ。
 クオンのことを殺したいほど憎んでいることは当たり前であり。殺そうと実行してくることも予測していた。だがこの部屋に辿り着くことが出来るかどうかは謎だったのだ。
 多くのドアと鍵が必要であり、それらを持っているのはこの世で三人だけ。国核と血杯である。
 彼らから鍵を奪えるのはまた同じ位の生き物だけだ。
 けれどこの国に他国の国核が入り込むことは有り得ないだろう。血杯もまたしかり。
 クオンを殺すためだけの他国が侵入することも考えづらい上に、そんなことがもしあったとしても大変な騒ぎになっているはずだ。
 なのでここに辿り着くことはかなり困難だと思っていた。
 アクマリィズに会うまでは。
 ラルにとって人質になるような存在はないと思っていたのだ。それが存在してしまっていた。
 だからこんなことになった。
 可哀想に、道具になったあの子は今後恐怖を抱くことになる。
 命の危険に晒されることも、人から道具のように扱われることも、王宮で生きる者であるならば必ず通る道ではある。
 けれどあんな小さな身体に植え付けるのは無体であるように思えた。
「……残酷だ」
 そう呟き、しかしそんなことを成したのは自分だと自嘲する。
 アクマリィズが人質になったのも、こんなところで人の死に立たされたのも、足下に転がっている三人が死体になってしまったのも。
 元はと言えばクオンのせいだ。クオンがここにいるから起こったことだ。
 クオンがいなければこんなことにはならなかった。彼らは死なずにすみ、アクマリィズも恐ろしい目に遭わなかった。
「私がいるから」
 ここで生きているからだ。
 生きている限り、誰かが傷付いて殺されていく。
「……私はまだ殺すのか」
 ラルの民を殺すのか。
 戦場でそれをしたように、数え切れないほどラルから民を奪ったように。
 まだ殺すのだ。
 ここで、生きている以上、殺してしまうのだ。
(もう奪いたくないのに…!)
 がんっと壁を殴る。
 足下から焦燥感と苛立ちと無力さが込み上げる。
「私たちはもう、十分奪い合ったじゃないか……!」
 国を、民を、プライドを、奪い合ったではないか。
 もうこの命を奪って終わりにしてくれれば良いのに。どうしてラルはまだ続けようとするのだろうか。
 赤く染まる世界から目を逸らすことも出来ず、唇を噛んだ。



 ネフィはアクマリィズを母に渡したと言っていた。それが最も安心だろう。
 しばらくはしっかりと警護が付くはずだ。
「ラル様に連絡致しました」
 戻ってきたネフィがそう告げる。
 連絡というのは鳥を使った伝令だろう。連絡専用の伝令鳥であったのならば、目的の相手に届くまでにさほど時間はかからない。普通の鳥が三日かかるところでも伝令鳥であったのならば半日で付くという。
 それ元は魔法使いの鳥だからだ。
 魔法使いたちの術をこの体内に受け継いでいる鳥らしい。クオンも詳しくは知らない。
 知ることが出来ないのだ。魔法使いは自身たちのことをことごとく秘めたがるせいだ。
「死体は処理させます」
「いや。私がやる。ここに入れるには抵抗があるだろう」
 ここに他人が入ることをラルは嫌がっている。その意識は配下であるネフィにも根付いているはずだ。
 それにここは檻であり、何も知らないだろう者が入るには似合わない。
 襲撃を受けたばかりという気が張っている状態で、信頼の置けない者を出入りさせるのも。ネフィが疲れるだろう。
「では、そのように」
 ネフィもこれ以上この空間に異質な者は入れたくないのだろう。すんなりと同意してくれた。
「失態を晒してしまいました。申し訳ありません」
 ネフィは背筋を真っ直ぐ伸ばして謝罪を口にする。改まった態度にクオンは首を振った。
「いや、君の判断は間違っていない。アクマリィズに傷が付くようなことがあってはならない。相手の言う通りにして、なるべくアクマリィズから危険を遠ざけようとするのは当然のことだ」
 こうなる前の事情を聞いた時に、それで良いとクオンは思った。
 自分であってもそうしただろう。
 この場合優先されるべきはアクマリィズの安全だ。あの子はか弱い少女なのだから守らなければならない。
「ネフィはラルから私の保護も言い渡されているのかも知れないが。その必要はないよ。私は国核であり人とは異なる」
 だから襲われたところで死ぬことはないのだ。
 ネフィもきっと目で見て分かっている。
 けれどラルから命じられているかも知れないから責任を感じているだけだ。
「ですが危険な目に遭っても良いというわけではありません」
「敵国にいるのだからこんなことが起こっても何らおかしくない」
 クオンは目を伏せた。
 母国は、自分がある場所はここではないのだ。
 そんな分かり切ったことをこうして感じなければならない。剣を交えて負けた結果がこれだ。
 死んでいない末路が何度だってその死体を生み出すのだろう。
「私はここにいるべきじゃない」
 けれどラルはクオンをここに置くのだ。
 それを強く望み、そしてそれを叶えるだけの力を持ってしまっている。
「ネフィは死体を出してくれないか。私はここを片付けておくから」
「いえ、掃除なら私が」
「いいから」
 クオンの身の回りの世話、日常の仕事はネフィがしている。
 けれどクオンは自分のことは自分で処理出来るだけの能力はある。そして掃除をすることに関して抵抗などない。
 エルベリルではどうか知らないが、クオンは雑事であろうが何であろうが労働を卑しいことであるとは思っていない。
 働くことは大切なことだと教え込まれている。
 ましてこれはクオンが引き起こしたことだ。処理することは何もおかしいことではない。
(ラルは、これをどう思うのだろう)
 クオンがここにいることで、自分の民がクオンを殺そうとすることを。そしてクオンがこれを殺してしまうことを。あの人はどう処理するのだろうか。
(私はこれで終わりにしたい)
 一度味わえば十二分過ぎる痛みに変わる。
 もう二度と汚したくはない。もうこれ以上は、と思う。
 ラルもそうして後悔してくれるだろうか。



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