四章   4




 夜中近くになってラルは部屋に来た。
 忙しく仕事をしているらしい。国核ともなるとやることは山ほどある。
 それを知っているだけにクオンは何も言わなかった。
 ラルはクオンを前に座らせてネフィが作った食事をややめんどくさそうに食べている。テーブルに肘を突くなんて行儀の悪い様だが、クオンが指摘するようなことではない。
 公の場であるならともかく、ここにはクオンとネフィしかいない。
 クオンはすでに食事を終えているというのに、何故座らされているのかはよく分からない。
 ネフィはクオンに冷たい水を入れてくれた後は壁際で待機していた。
「妹君は可愛がっているのですね」
 昼間、ラルの部屋ではしゃいでいた子を思い出しては口を開いた。
 ラルの頭の中にはきっと国核としての仕事内容が大量に詰まっているのだろう。けれどクオンには関わりのないことだ。
 関わってはならないことだ。
 しかし黙り込んでいるのも妙に気詰まりで、そう喋っていた。
「可愛いだろう」
 ラルは不機嫌そうだった口元を微かにほころばせた。
 しかも平然と肯定している。
「はい」
 妹であるアクマリィズが愛らしい容姿であることは明らかだった。
 明るい表情もその愛らしさを一層華やかにしていたのだ。
 その上懐かれているようだった。
 嫌でも心は砕かれる。
「瞳の色が君に似ているから。つい構いたくなってね。いつの間にか僕にべったりだ」
 困ったように言うけれど、それが本心でないことは誰が聞いても分かるだろう。
(私に似ているから……というのは、後付けにして欲しいのだけれど)
 あの子は可愛い。その上君と瞳の色が似ている。と言って欲しい。
 そうでなければ、彼女の価値はそれだけなのだと言っているみたいだ。
 あんなに無邪気にラルを慕っているのだから、そんな理由は止めた方がいいだろうに。
「兄のヒリュイはマリとは違って大人しい子で、瞳の色もマリとは違う。ちょっと青っぽいけどね」
 食事の手を止めることもなくラルは話している。
 アクマリィズは屈託なくラルに近寄ってくるが、廊下で出会った時にヒリュイは随分ラルに遠慮していた。
 礼儀を正そうとしていたのか、距離をもたれているのか。クオンには分からない。
 だがアクマリィズと同じようには振る舞えないのだろうとは思った。
「彼女の瞳の色は祖父からの遺伝らしい。母親の目はあまり青くないんだけどね」
 先代のエルベリルには五人ほどの愛人がいたらしい。
 正妻を含めると六人の女性を囲っていた。他にも出入りはあっただろうが、長かったのはその六人だ。
 一番幼い子は十であると聞いていたので、アクマリィズがそれに当たるのだろう。
「母親は僕の母の従姉妹でね。あまり身分は高くないが、その故に殺されることもない」
 肉の切れ端を口に運びながら告げる人に、クオンは目を伏せた。
(この人の母親は殺されたのだったな)
 ラルが次の国核である囀りを響かせてからすぐ、母親は宮中で何者かに殺されたのだ。
 間違いなくラルを狙った者だと言われている。
 母親を殺した者はすぐに捕らえられて処刑された。
 だが首謀者が他にいることは明白だったのだ。殺害した者は宮中を守護するただの兵士だったのだから。ラルの母親を殺したところで何の利益を得ることも出来ない。
 そしてろくに逃げられもせずに捕らえられている。
 しかし本来捕まえるはずであった首謀者はうやむやになっている。
(彼の母親の身分はそれ相応に高かったから)
 正妻に近いほど高い者だった。国核を生んだ母ということで正妻を蹴り落とし、自らがそこに座ることも出来た。
 けれど死んだためにそれは叶わなくなった。
 もし彼女の身分が低かったのならば、もしかすると狙われなかったかも知れない。
「殺そうとする者も、もういないから身分も何も関係ないかも知れないけどね。国核はすでに僕だと決定してるわけだし」
 うっすらと、冷たくラルは微笑む。
 ラルは自分の母親を殺した本当の相手が誰なのか知っているのだ。
(……有名なことだ。先代の正妻が謎の死を遂げたことは)
 先代がまだ生きていた頃。正妻が唐突に亡くなった。
 自然死でないことは見てすぐに分かることだったのだろう。
 けれどそれは殺された、とは言われなかった。
 あくまでも謎の突然死と、人々には伝えられたのだ。
 上から重圧がかかったことだけは間違いない。
(誰もがラルの復讐なのだと言っていた)
 そしてラルはその表情で、噂が事実であることを証明したようだった。
「そんなことはどうでもいいんだ。僕は明後日から国を少しの間出ることになってる」
 食事の手を止めてラルが言った。
 クオンがここに来て、ラルが不在になるということは初めてだった。
 周辺の国と会談でもあるのかも知れない。
 数ヶ月前までは自分もそうして仕事をこなしていた。
 他国との会談ともなると、何日も前から日程や会談内容。道筋や身の回りのことに関しても様々な準備が必要だった。
 それに伴い忙しく駆け回っていたものだが。ラルは普段と大差のない時間軸でここに来ている。
 誰かに準備を丸投げしているのか。それともクオンなどよりよほど優秀な処理能力を持っているのか。
「一週間ほどかな」
「はい」
 クオンは返事をしながら、この人がここに来ない日常を想像する。
 朝も夜もラルがここに来ない。
 ということは顔を見る相手がいなくなるかも知れないということだ。
 他国に行くとなれば我が身の安全も考えなければならない。戦力になるだろう血杯は全て連れて行くのが普通だ。
 クオンも他国に行く際は双璧を連れたものだ。
「大人しくしててね」
 ラルはそう言って微笑んだ。
(私に、何が出来ると?)
 ここから出てケイガに戻るかも知れないと、ラルは思っているのだろうか。
 一週間もあれば、確かにここからケイガに戻れるかも知れない。
 手段によってはもっと早く辿り着く可能性もある。
 しかしそれが知れればラルは即座にケイガを襲撃するだろう。そして草の根も残らぬように破壊するはずだ。
 ケイガはそれを退けるほどの戦力を持っていない。まして終戦条約によって武器になりそうなものは没収されている。
 罪のない民がどれほど殺されることか。
 そしてクオンも、今のラルに勝てるとは思えない。万全の状態で討たれたのだ。
(そんな私が、ここにいる以外何がある)
 ここから出た時点で民は殺されることが決定するというのに。クオンがどう動けるのか。
「ネフィは置いていくから」
「……はい」
 信用のおける血杯をここに残していくほど。クオンを監視したいらしい。
 ラルの姿の有無で束縛が変わるような、そんな場所ではないのだ。
 分かり切っていたことだが、本人の口から聞かされるとずっしりとした圧力を感じた。



 つまらない授業を抜け出した。
 いつもなら侍女がすぐに追いかけて捕まるけれど、今日は早く逃げられたのかまだ捕まってない。
(あんなの何も面白くないもの!)
 椅子に座って先生の言うことを聞いているだけ。つまらない顔をしているだけでも叱られる。
 だってつまらないものなのだからどうしろというのだろう。
(私も兄様みたいに武術がしたい)
 同母であるヒリュイは武術の訓練をしている。
 大人しい兄であるが武術の訓練には熱心で、やり始めるとなかなか終わらない。
 アクマリィズもそんな風に身体を動かして何かを習いたかった。けれど周囲がそれを認めないのだ。
 女の子なのだから武術は必要ない。礼儀作法をもっとちゃんと身につけなさい。
 それが侍女や先生、そして母の言うことだった。
(そんなことないのに。自分の身は自分で守らなきゃ)
 いつも守られてばかりなのが、気になるのだ。
 アクマリィズは国核血族であり、身分もそれなりに高い位置にいる。侍女も多く、身辺を警護してくれる人も多い。けれどそれでも自分にだって力が欲しい。
 ヒリュイも、現国核であるラルもそうして自分の身を守っているのだ。
(男の子みたいって言われても平気だもの!)
 一番上、ラルよりも年上の兄たちはそれを男みたいだと馬鹿にする。
 意地悪ばかり言って、嫌な人たちだ。
 ラルのことも悪く言っており、決して好きにはなれない相手だ。
 でも母は彼らに気を遣っている。身分なのだと言うけれど、あの人たちが偉いと思ったことはない。
(偉いならラル兄様が一番だもの)
 国核であるラルが最も尊いのは当然のことだ。
 けれどその国核は五日前から他国に出掛けている。
 あの人は連れて行っていないようだった。
 ラルの部屋の奥にいるらしい、あの黒髪の人。
(退屈じゃないのかしら?)
 普段ならきっとラルが会いに行っているだろうけれど、今はその人がいない。身の回りの世話をしている人はいるだろうけれど、それだって毎日同じ顔だ。
 きっと代わり映えのしない毎日をつまらなく思っているはずだ。
 さっきまでのアクマリィズと同じように。
(会えないかしら?)
 ラルはいないけれど、なんとかあの人に会えないだろうか。
 綺麗な顔をした優しい人。ラルと同じ国核だというけれど、静かで落ち着いている人だった。ラルとは反対に近いくらいだ。
 アクマリィズにも丁寧な態度で接してくれて、すぐに好きになった。
(みんなは悪いって言うけど。ラル兄様はクオン様が好きだと仰っていたもの)
 ケイガの国核であるのだから、早く殺してしまってケイガをエルベリルのものにするべきだ。ケイガにどれだけの人が殺されたことか。生きていると思うだけで吐き気がする。
 そんなことを人々は言う。
 だがアクマリィズの目には、クオンがそんなことをするような人にも思えない。ラルが好きだと、側にいたいというのだからずっと一緒にいればいいと思う。
「会えないかしら」
 アクマリィズはラルの部屋に足を向ける。
 授業を受けた部屋からここまでは結構な距離があるというのに。侍女に捕まらずに来たのは初めてだった。
 大きく重い扉の前で立ち尽くした。中から誰が出て来れば、入れて欲しいとお願い出来るのだが。
「アクマリィズ様!」
 背後から名前を呼ばれる。
 びっくりして振り返ると、とうとう侍女が迎えに来てしまったらしい。
「私クオン様にお会いしたいのよ。授業よりその方がずっと大切だわ」
 何の根拠もないが、アクマリィズは胸を張ってそう言い放った。
 我が儘だと理解していたので、きっと侍女の反応はいつも通り「駄目です!」の一言だろうと思っていた。
 だが今日に限って侍女は怒りを見せなかった。
 その代わり真面目な顔になる。
「お会いになりたいのですか?」
 改めて訊かれ、アクマリィズは何故そんなに真剣なのだろうと思った。
 だが自分の意見を聞いてくれる人に「そうよ」と告げた。
 おかしいと、その時はまだ思えなかったのだ。



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