二章   7




 押し倒されて、足を開かれ、中に男をくわえこんで、呼吸を乱している。
 そんな有様がラルの目に映っている。
 余すところなく見られている。
 これは屈辱である。蹂躙されているのである。
 だから耐えなければ。痛みを堪えなければ。そう思っていた。
 その考えであるのなら、クオンは自分を律することが出来た。
 恥をしのぶのもまた矜持であると信じてきたからだ。
 けれどラルの視線はこれが屈辱を与えるためのものではないと言っていた。
 蹂躙ではないのだと。
 だから、意識させられる。これが恥でなければ、罰でなければ。
「見ないで…下さい」
 自分たちは何であるのか。
 この身体はどうされるのか。
   どんな目で見られているのか。
 考えてしまう。
 傷付ける相手でなければ、恥を上塗りするための相手でなければ、この交わりは。
「っあ…」
 ラルが身じろぎしただけで、後孔から痛みに混じって何かが走る。
 先ほどまではなかった、何かだ。
 視線に舐められているように感じただけで、痛みではないものが這い上がってくる。
「見るよ。君を見ないで何を見るの?」
 クオンの上で、愉快そうなラルは告げる。
 この羞恥を見透かしているのだろうか。
 肌が焦がされていくようだった。
 ゆったりと、遊ぶようにしてラルは腰を振った。
 ぐちゅりと卑猥な音が聞こえて、びくりと肩を震えた。
 手首をきつく噛むけれど、歪んでいく視界は誤魔化せない。
 まして、痛みで萎えたはずのそれが高ぶっていく様は隠しようもなかった。
「っ、ん、ふ」
 痛いと訴えたい。内蔵が揺さぶられて吐きそうだと言いたい。だが、それに混じるものは次第に強くなっていく。
 ぽっぽっと小さな灯りがともるように、広がっていく。
「っんん」
 中にある何か。ラルが動くたびに擦られるそれがクオンを乱す。嫌だと首を振ると、ラルは執拗にそこを責めた。
 先をそこに押し付けるような律動はクオンをどこかに押し上げる。
(見ないで)
 楽しげに、嬉しそうに、この姿を見ないで欲しい。
 男の嬌態なんて気味が悪いだけだ。それなのに、欲しがるような目で見ないで欲しい。
 視線をそらしても、目を閉じても、ラルの眼差しが突き刺さる。
 涙が滲んで、視界を歪ませる。
 だがそれよりも歪んでいるのは、この精神だ。
「痛いだけじゃないみたいだね」
 ラルの言葉が何を示しているのかは知りたくない。
 だからまぶたを上げなかった。
 その分、鮮明に声が入り込んでくる。
「中は熱いし、締め付けてくるし」
 言わないでくれ。そう懇願したかった。
 だがそんなことを言うために、手首を噛んでいる唇を離したくなかったのだ。溢れるのは、もっと別の響きであるような気がして怖い。
「エロい」
 俗な言い方を、楽しそうにラルは告げる。
 地位のあるものがそんな言葉を遣うものではない。
 思わず驚いて、目を開けた。すると視線が絡み付く。
 同性に抱かれて悦んでいる、気持ちの悪い生き物だと罵ってくれればいい。
 浅ましいと罵声を浴びせてくれればいい。そうすれば欠片なりとも理性が戻ってくる。言葉の刺に冷たさを思い出す。
 それなのに、ラルは笑むのだ。
「喘ぐ君の姿がどんなものか何度も考えたけど。現実が一番可愛い」
 ねぇどうしよう。
 そう嬉しそうに言うから。血が沸騰してしまうと思った。
 首を振って、何もかもを否定してしまいたい。それなのに、貫かれている身体は、揺られているこの身体は。
「ひ、ぅ、んっ!」
 気持ちがいいと、欲しいと啼いていた。
 求められることが心地よいと泣いていた。
 どんな形でも良かった。言葉でも物でも身体でも。この人に近付けるのなら、何だって良かった。
 そう訴えていた。
 目をそらし続けた感情が溢れる。
 けれど言えるはずなどない。殺さなければならないことなのに。あってはならないことなのに。
「クオン」
 呼ばないで、呼ばないで。
 何も見ないで。
 目尻から涙が落ちていく。それをラルは舌で舐め取った。
 突き上げられるたびに意識がぐらついて、血液が逆流していくようだった。
 ラルの呼吸も荒くなり、中を犯している雄は硬さを増して律動を早める。
「っ、ん、んっ、あ、ん」
 ちかちかと頭の中で光が点滅する。
 肺に入れられるはずの酸素が喉から逃れていくようだ。
 息苦しくて、関節がきしんで、引き裂かれる痛みに苛まれているはずなのに。
 クオンが感じるのは圧倒的な灼熱だけだ。
「ひ、ぁあ!」
 荒く、奥まで一気に貫かれ、腹の奥に熱を叩き込まれる。
 その熱さに応じるように自分の中で苦しげに身をくねらせていた欲が吐き出される。
 びくびくと中で余韻を味わうように震えるそれを強く感じる。
 生暖かなもので腹を自らの汚し、顔の横に手をついて脱力するラルの重みに胸がきしむ。
 呼吸は乱れ、視界までうっすらと白く濁っているような感覚があるというのに。意識はすぅと熱を奪われるように冴えていった。
(愚かしい……なんて、馬鹿な)
 気の迷いを起こしていたのだろう。
 近すぎるから、距離がないから。だから愚かなことを思ってしまう。
 自分にすら、壁が作れなくなってしまっている。
(駄目だ)
 こんなの、駄目だ。
 だがどれほど拒んだところでラルは自分の好きなようにするだろう。おそらく今までそうして生きてきたように。
「大丈夫?」
 クオンとは正反対に、ラルは余裕のある声でそう尋ねてくる。
 きっと、荒くなっているのは呼吸だけなのだ。
「分かりません」
 身体も、心も大丈夫だと言えるのかどうなのか。判断が付かない。
 自分が分からなくなってしまいそうだ。
「止めようか」
 ラルの気遣いに苦笑した。
「…お好きなように」
 最中に止めてくれと願ったのに、その視線すら外してくれなかった人が。今更意見を求めてくるなんて。
「好きなようにすれば、夜が明ける」
 そう言われ、クオンは朝が来るまで後何時間あるだろうかと思った。
 それは長いだろうか。短いだろうか。
 現実の長さと、クオンが感じる長さは果たして一致するかどうか。それすら怪しい。
「仕事に差し支えますね」
 休む間もなく動き回っている人だ。睡眠を取らなければ倒れてしまうかも知れない。身体のことを考えるとこれ以上は控えるべきだ。
 衣服を纏ったままで情事を交わした人の傷がどんな状態なのかは分からないが。完治したとは思えない。
 この身体の傷が未だ癒えないのと同じで、そう簡単に塞がるような軽さの傷でなかったことは、この手が知っている。
 殺し合ったのだから。
「それはいい。君の傷口が気になる」
 ラルはそう言って腹の傷を見下ろした。
 綺麗に巻かれたそれに血は滲んでいない。
 痛みもさして感じないので、傷口が開いたということはないだろう。
「……それはもう、遅い考えでしょう」
 これで開かない傷口なら、刃物で刺さない限りは大丈夫だろう。
 それにもう一度刃物で刺すとすればそれは新しい傷という表現になるはずだ。
「遅いか」
 ラルは深く納得したというように口元を緩めた。
 そしてクオンの上で身体を起こす。
 振動がそのまま下肢に伝わってくる。
 息を呑んだが、それを取り繕うように視線を逸らした。
「君は、投げ出してるね」
 ろくに抵抗もせず、ひたすらにシーツを握って耐え続けたクオンが、ラルにはそう見えるのだろう。
 その通りだとしか言いようがない。
「そうですね」
 言い訳をしようとは初めから思っていなかった。
 積極的に抱かれたいわけではないのだと、明らかにするには相応しい態度だろう。
 本当のことを言えば、ずっと平淡なままでいたかった。何の動揺もしたくなかったのだ。
「投げ出してしまったら、全て奪うよ?」
 冗談のように告げる。だがその声は、真意であることを示していた。
 しかしクオンはその台詞に苦笑した。
「これ以上何を奪うと言うのですか」
 クオンから国を奪い、家族を奪い、国核という地位を奪った。
 居場所を失い、身体を組み敷かれ、これ以上何があるというのか。
「私に何が残っていると?」
 一体、何が?
 そう問いかけると答えることを拒むようにして、ラルに口を塞がれる。
 荒く吐息を奪うような口付けではない。
 まるで何かを誓うような、触れるだけの口付けだ。
 優しい感触が、クオンの傷を押し広げる。
(痛い)
 脈打つ鼓動の元が。
 心臓が痛い。
 いっそ止まってしまいたいと泣いている。
 新しい苦痛がここから始まるのだと感じ、悲嘆の声を上げる。
 終わりのないきしみから逃れたいと訴えている。
 いつもいつも、この人の唇は痛い。
「……僕は君を、まだちゃんと奪えていない」
 口付けの合間、囁くようにしてラルは告げる。
「何も奪えていないような気がする」
 そんなはずがない。
 もうここには何もないのだ。
(貴方は何を見ているのですか)
 この身体の、血の一滴すら許さないほど根こそぎ己の物にしたいのか。
 有り得ないことを、出来るはずのないことまで願うほど、欲しいというのか。
 繋がりながら、触れ合いながら。
 自分たちは何も分かち合えていないのだと、痛感させられた。
 そしてそれが当然であることもまた、心のどこかで知っていた。



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