二章 2 顔を伏せた人に嫌な予感はした。けれど、有り得ないと思ったのだ。 そんなことをするはずがないと。 だがそんなクオンの願いに反して、ラルはゆったりとしたズボンを手に掛け、下履きと共に引きずり落とした。 ろくに動けなかった頃、濡れた布でネフィに身体を拭いて貰っていた。その時でも激痛に耐えながら自分で綺麗にしていた場所だ。 今は風呂にもようやく入れるようになり、人目に晒すようなことにはならないと思っていた、箇所。 「ま、待って下さい!」 口付けにも耐えた、触れられることにも、屈辱を感じたけれど耐えられた。けれどそれは、そんな仕打ちは到底受け止められるはずがない。 しかし止めるクオンの手を払い、ラルは頭を沈めた。 「ひ、ぅ…」 微かに漏れた音。 下肢が熱い口内に包まれ、脳髄の奥が痺れる。 先ほどまでクオンの口内で動いていたそれが、茎を先端を舐めるのを感じる。 信じられない。 呆然とし、罵る言葉も出てこなかった。 その上、のどの奥までそれを含まれると嫌でも快楽が沸いてくる。 (駄目だろう…!) こんなこと。 この人の口にくわえられて、反応するなんて。あってはいけないことだ。 けれどどれだけ理性で抑えつけようとしても、それはラルの舌に高ぶっていく。 ラルの口が熱いと思っていたのに、すぐに自分の全身と同じだけの温度にすり替わる。 じゅるりとそれを吸い上げられ、ひくりと喉が鳴った。 声が零れてしまいそうで、己の指を噛んだ。 頭を剥ぎ取ろうとしていた手は空しくラルの髪を掴むだけで、大して力なんて入っていない。 茎をくわえられている恐怖が、腰を引かせていた。 どくりどくりと心臓が下肢に集まっていく。 焦げ付くような劣情が身体を駆けめぐっては、茎を意識させた。 沸騰するような熱に内太股が震え始める。それを感じたのか、ラルが茎を舐めながらクオンを見上げてきた。 とろりとした翠の瞳は美味しそうに見えた。 そんな己の考えにすら体温が上がる。 この人の瞳には、自分がどう映っているだろう。 茎を男に口に含まれ、浅ましく高ぶっては声を殺している。こんな醜態は、どんな風に映っているのだろう。 そう思うと目尻に涙が浮かぶ。それを見てラルは双眸を細めた。 楽しげなその表情が恐ろしい。だが恐怖を感じているはずなのに、全く茎は萎えない。それどころか何かが溢れ出すような感覚まである。 (浅ましい!みっともない身体!なんて、なんて愚かな…) 恥さらしと自分を叱咤する声とは反対に、呼吸は乱れていく。 「っん…!」 根本から上まで舐め上げられ、先端に爪を立てられる。その刺激に全身が震えた。 高ぶる欲はそんな刺激であっさりと限界を迎える。 「離して…!」 出てしまう。 もう濁流のような劣情はぎりぎりまで迫り上がっているのだ。それ以上触れられると、溢れ出してしまう。 首を振って懇願するけれど、非情にもラルは茎を頬張っては喉の奥で締め付けてくる。 「っんん!」 指を噛んで声を殺す。けれど吸われた刺激に、呆気なく白濁を放ってしまった。 ぬめついた口内にそれを吐き出す感覚に、足が震えた。 眼窩の奥で白いものがちらちらと発光する。 全力で駆け抜けたような脱力感に苛まれ、噛んでいた指を離す。 唾液が一瞬だけ指と唇を繋げたが、それに頓着している余裕などかけらもなかった。 「ふ……ぁ…」 乱れた呼吸で吐いた吐息は、自分でも分かるほど劣情に濡れている。 だらしなく緩んだ唇を閉ざすことも出来ない。 潤んだ視界でラルを見下ろすと、喉を鳴らしてそれを飲んでいた。 「なんて、ことを……」 怒鳴る気力もない。連続して強い衝撃を与えられ、脳裏が空っぽになってしまったかのようだ。 恥辱を与えるための行為なのだろう。 その威力は十分過ぎるほどだが、何も国核自らが身体を張ることではないだろうに。 「こんな味か」 「味って……」 平然と言われた台詞に、絶句した。 そんなものを飲んだ上に、味覚まで言い放つなんて。どういう神経なのか。 「そういう趣味があるんですか?」 男を好んで抱くような趣味がこの人にはあったのだろうか。 (でもエルベリルには男色を好むなんて聞いてない) そういう趣味なら、噂くらいは聞いたはずだ。 しかしそんなものは皆無だった。むしろ綺麗な女が側にいるという情報なら知っている。 「君のはどうかという興味はあった」 身体を起こして、ラルはそう言い放つ。嘲笑を浮かべるわけでもない。ただ、自然な態度にクオンは戸惑いを濃くした。 一体何がしたいのか、分からない。 「それは変態と言うのでは?」 人が快楽に苛まれる様を見るのが楽しいだなんて。そのためにわざわざ口でそんなものをくわえるとは。 信じられないような行為だ。 「あー、そうかも知れない。他人にそんなこと思ったことはないけど」 クオンだけだと言われ、歯を食いしばった。 揺れ動きそうになる自分を必死につなぎ止める。 何の感情も持ってはいけない。 国核として、それは許されない。だから淡々と、ただ接していなければならない。個人的なものは何一つ、持ってはいけない。 クオンは自分から視界をそらすように晒された下肢に衣服を纏う。 ラルはそれを止めなかった。もうこれ以上無体を強いるつもりはないのだろう。 「ところで、どうして君はずっと敬語を使ってるの?」 そう問いかけられ、クオンは瞬きをした。 (……なんでそんなこと訊くんだこの人は) そしてどうしてそんなにも突拍子がないのだろう。 「僕にだけずっと敬語だ。ネフィには砕けた様子で接してるみたいじゃないか」 少し責めるように言われ、益々クオンはわけが分からなくなる。 おまえの態度が不遜であると言われるのなら分かる。だがその逆を言われ、しかも気分を害されているかのような態度をとられるなんて。 「物腰が多少丁寧なのは君の性格みたいだけど。僕にだけずっと敬語なのはどうして」 「……国核、でしょう」 国核はその国の最高位に存在する者だ。 本来とても敬われる。 クオンもケイガでは最も大切にされ、頭を下げられ、敬われていた。それが今ではこのざまだが。 ラルは失墜しておらず、今も素晴らしい国核として最上位に座っているはずだ。 その人に敬意を払うのは当然ではないか。 「目上の方には礼儀を払います」 「僕は君より一つ年下だよ」 そんなことは知っている。 ずっと前から。出会った時から知っている。 (そんな問題じゃない) 分かっているだろうに。それでもクオンの口から聞きたいというのか。 「私は敗戦国です」 どれだけ年を取っていようとも。同じ国核であったとしても。クオンは負けたのだ。 勝者の下に配されるのは当然だろう。 「そういう隷属はさせないと言ったはずだけど?」 ラルの声が僅かに低くなる。 怒りを感じるけれど、クオンは引きさがらなかった。 「けじめです」 「僕にはいらないけじめだ」 斬り捨てられる言葉を噛み締める。 いらない、気にしない、構わない。 ラルがそういとも簡単に告げるその言葉の軽さにクオンは深く傷を付けられる。 そんなどうでもいいようなことにクオンは命をかけて戦ったというのか。民たちに犠牲を払わせたというのか。 あの戦を、死を駆け抜けたあのやりとりをなかったことのように扱えというのか。 (出来るはずがない) そんなこと認められるはずがない。 負けた。この国核と刃を交えてクオンは倒れたのだ。 けれどまだ死んでいない。まだ国核として生きている。ならば。 負けた事実を無視することも、まして忘れることも出来ない。そのことでラルがどれほど気を悪くしたとしても。 これは国核として生きてきたクオンの意地と矜持だ。 「ケイガを背負ったままの君でいて欲しくないから。ここにいて貰っているのに」 溜息まじりにラルは言う。 けれどこの台詞にクオンは心の中だけで暗い嘲りを抱いた。 「国を捨てるなどということが出来るはずありません」 突き放すように告げるとラルはいかにもわざとらしく肩をすくめた。 「言うと思った」 分かっているのなら訊かなければ良いのに。とついこちらまで溜息をつきたくなる。 「それに未だに僕をエルベリルって呼ぶのは止めてくれる?」 「事実でしょう」 国核はこの国の名前で呼ばれるのが通例だ。 だからクオンもずっとケイガと呼ばれてきた。 「今の君と僕は、国として向かい合ってるわけじゃない。会議の場じゃないんだから」 これが会議の場であるはずがない。 「しかし、国核を名前で呼ぶなど無礼でしょう。よほど親しくなければしないことです」 国核を名前で呼ぶことが基本として許されるのは両親だけだ。 その両親も公式の場では名前で呼ぶことを控えられている。 それを他国の、しかも国核が呼ぶことなど到底許容されることではない。 「君とは親しいだろう?十分」 ラルは口角を上げて、含みのある言い方をする。 クオンの上に半ば体重を預けるようにして座っている様は、確かに親しい間柄だと見えるものではある。 けれど二人の本当の関係は、こんなことが出来るはずのないものだ。 眉を寄せるクオンに、ラルはやれやれと言いたげに苦笑した。 「せめてどっちかのお願いくらい聞いてくれでもいいんじゃないか?二つ一気にとは言わないから」 クオンが強情であることはすでに十分分かっているのだろう。妥協案を差し出される。 それでも、困難なことに思えた。 (敬語だって、エルベリルと呼ぶことだって。当たり前のことじゃないか) その当然のことを崩すなんて、クオンには考えられない。 そんなことを思っているのが顔に出てしまったのか。ラルはクオンの下肢へと視線を落とした。 「もう一回くらい抜けそうだよね。随分溜まってたみたいだし」 「っ!?」 嫌な脅しに、クオンは全身を硬直させた。 なんという脅迫なのか。 (ひ、非道だ…!) 拷問に近い脅しではないか。 先ほどの恥辱が蘇ってきては、顔面が熱くなる。 「いえ、あの」 なんとか誤魔化そうとするけれど、ラルは一層笑みを深くした。 「もしくは明日から君のことをクオンちゃんと呼ぼうか?」 「止めて下さい!」 そんな屈辱的過ぎる呼び方。聞きたくもない。 「これくらい僕は君にエルベリルって言われるのは嫌なんだ。分かってくれた?」 国の名で呼ぶのと、ちゃん付けが同等だなんて絶対におかしい。 クオンは喉元までそんな非難が迫り上がっていた。 だが言えば再び下肢を掴まれそうで恐ろしかった。 (しかし、けじめが……) だがちゃん付けというのは勘弁して欲しい。そんなもの、幼い女の子だけに許されるものではないか。 「どちらかの条件を飲んで貰いたい」 会議の場などではないと思ったばかりなのだが。駆け引きという点においてのみ、通じるものがある。 「……時間を下さい」 苦々しい、絞り出すような声にラルは満足そうに頷いた。 こんなことでまで敗北を味わう羽目になるだなんて、予想外過ぎた。 next |