二章 1 身体は割と動くようになってきた。 これほどの傷を負ったことがかつてなかったので、どれだけの期間がかかるか分からなかったのだが。思っていたより長引いている。 しかしハウ医師にとってみれば、信じられない速度らしい。 常人とは異なるのだ。 彼の考えとは異なるものがあるだろう。 ネフィに手伝って貰い、包帯を変える。 胴体などであれば自分で変えるように心掛けているのだが、腕などになると自力では無理だった。 そうでなくともネフィはクオンの気持ちを読みとっているように先に動いてくれる。 随分優秀な人物のようだった。 「ずっと、この部屋の中で暮らすのか」 思っていたことがぽつりと口から出た。 決して狭いとは言えないような部屋なのだが、それにしても閉じ込められている感が強い。 戦になる前は国内で日々忙しく働いていたのだ。これだけ時間を持て余すということが今までの人生になかった。 なので正直戸惑っている。 何をしろと命じられているわけでもない。ただ怪我を治せとラルに告げられているだけだ。 寝ているのも限界がある。 「行きたい場所があれば、身体が良くなり次第お連れします」 クオンの呟きに、ネフィは穏やかに答えた。 「監禁したいわけではありません」 そうは言われてもクオンは素直に頷けなかった。 「しかし行けたとしてもこの国の中だけだろう?」 それでは監禁に変わりはない。ただ閉じ込める範囲が広いだけだ。 この国の中で、クオンはずっと誰かに監視され続ける。戦に負けた国核なのだから、仕方のないことだが。 「はい。ですが、ラル様と一緒ならいずれケイガにも行けるかも知れません」 「行きたくない」 ネフィの言葉を即座に拒否した。 国を守ることの出来なかった国核が、今更自国に戻って何が出来る。ただ恥をさらすだけだ。 しかも己だけの恥ではない。 ケイガという国の恥でもある。おいそれと顔を出すわけにはいかないのだ。 この面を晒すくらいならば死んだ方が、まだ良い。 「…しかし、この部屋は何の警戒もしていないな」 歩けるようになってから、この部屋の中をうろうろとしているのだが。クオンが何をするのか、どうするのか気にしていないような状態になっている。 「刃物は全て平然と置かれている」 キッチンがあるのだ、そこに包丁も常備されている。 装飾用ではあるが、剣まで飾られているのだ。 これは敵国だった相手を閉じ込めておくにはおかしい環境だろう。 もしクオンが刃物を持ってネフィを襲い、この部屋から出ていったらどうするつもりなのか。 今はまだ苦しくとも、数日中には間違いなくネフィを簡単に殺せるだけの力が戻ってくる。 現状でも、殺そうと思えばきっと出来るだろう。 ラルはそのことを考えはしないのだろうか。 「決して逃げないだろうと、ラル様が仰るので」 「何故?」 ここから逃れ、国に戻ればまた立て直せるかも知れない。 ケイガに配置されているだろう兵隊たちを片っ端から斬り殺し、籠城に入れば戦をやり直せるかも知れない。 「国が足枷だと」 そう言われ、クオンは苦笑した。 分かっている。 ネフィを殺し、ここから出たとしても意味がないのだと。 おそらくクオンが国に戻る前にラルに見付かって連れ戻される。そしてケイガの民は、殺されるのだ。 クオンが逃げ出そうとした代償を、民が払う。 そんなことは許されるはずがない。 そして戦で疲れ切ったケイガは、再び剣を取ってもおそらくエルベリルには太刀打ち出来ない。 死が増えるだけだ。 それをラルは見越しているのだろう。 これ以上民を、国を滅ぼしたくないというクオンの気持ちを含めて。 「ネフィは、嫌じゃないのか……?」 惨めな己の有様に、ついこそんな弱々しい言葉を口にした。 「何がでしょうか?」 「私の世話など」 エルベリルにとって、クオンは厄介者だ。 ラルにとっては必要かも知れないが、エルベリルという国にとってクオンなど邪魔以外の何でもない。 クオンがいなければ、ケイガはエルベリルという名に変わっていた。どれだけ搾取しても構わない、自国になっていた。戦に勝った報酬としてそれは十分に許されることだ。 けれどクオンがいるためにそれが出来ない。 そして何より、クオンは戦で何人ものエルベリルの民を斬って来た。その恨みと憎しみは計り知れない。 エルベリルの民にとってみれば、クオンなど忌々しいだけの存在だ。 「いえ全く。ラル様の大切な方の御世話が出来て光栄です」 ネフィは笑みを浮かべたままだ。 その笑みの奥に何かがあるのではないか、そう探りたくなる。 「信頼されているということですので」 ネフィにとって、ラルから与えられる信頼があれば他に何もいらないのだろう。 エルベリルに危害を加えた者の世話だったとしても、それをラルが望むのであれば何の不満も持たないのだ。 恐ろしいまでの、愚かしいまでの忠義。 「いつから、国核の側に?」 目の前にいる人物が、どれだけラルに忠誠心を持っているのかは分かるのだが。ラルはネフィをどれだけ己の近くに置いているのだろうか。 契約の血を分けているのだろうか。 国核のみに許される、最大の呪縛にして、最高の絆を与えているのだろうか。 「子どもの頃からです。八つくらいからでしょうか」 今のラルは二十五ほどだと聞いている。 十七年も側にいれば否応なく関係も深くなることだろう。 しかしネフィの在り方は狂信的とも思える。 だが側近がそれほど国核に傾倒するのは珍しくない。国核は力そのものなのだから。力を求めるのは、人のさがだ。 ラルために、ネフィは命すら棄てるのだろう。そう思っているとドアが開かれた。 「包帯巻いてるの?」 入ってきたのはエルベリルの国核だ。 こちらも酷い怪我を負っている筈だというのに、クオンのように寝込んだ様子がない。 己の弱さを突き付けられているようだった。 「具合はどう?」 「良くなってきています」 クオンはラルを見つめることなく告げた。 視線を合わせる気にはならなかった。何かが、捕らわれてしまいそうだった。 「傷口は塞がってきてます。ハウ医師は回復力がすごいと仰ってました」 ネフィは我が事のように笑みを深くした。喜ばしいと、本当に思っているのだろうか。 「それは良かった」 ラルもまた微笑み、ベッドにいるクオンへと近付いてくる。 その後ろからも足音がしているが。きっとジェダだろう。 「僕が変えようか」 何でもないことのようにラルが言った。 意外過ぎる台詞に、思わず顔を上げる。 するとネフィは何の疑問に思わず椅子から腰を上げたようだった。信じられない。そんな雑用は国核がするようなことではないだろうに。 「ネフィ」 案の定ラルの背後に控えていたジェダがネフィを呼んだ。そしてそのまま二人はドアの向こうへと行ってしまう。 ぱたりと閉められたそのドアを、クオンは瞬きも出来ずに見つめた。 「貴方が、するのですか?」 「うん。嫌?」 端的に尋ねられ、クオンは迷った。嫌ではない。嫌ではないけれど、そんなこと自らしなくても良いのではないかと思う。 「傷跡は消えないらしいね」 クオンの返事も待たず、ラルは包帯を手にとってクオンの腹の傷へと巻いていく。既にガーゼなどであらかたの処置は終わっていた。 ラルが付けたその傷をどんな気持ちで見つめていることだろう。クオンには想像も出来なかった。 「無理もありません」 死んでいないだけ奇跡だと言われたのだ。傷跡の一つや二つ、残って当然だ。 くるりくるりと胴体に手を回して包帯を巻いてくるラルの動きを眺める。 手慣れてるように見えて、予想外だった。 「女でもありませんので。構いません」 身体の傷など、人に晒すようなものではない。 晒したとしてもこんな美しくもない身体に傷が増えていたとしてもさして問題はない。 「そ」 包帯を手際よく巻き終わると、ラルと唐突に唇を寄せてきた。 何の予感もさせない、いきなりの口付け。 昨夜、夜中に訪れた際に与えられた口付けに思い出す。 どうしてこの人は、こんなことをするのだろう。 触れるだけだった、熱が重なっただけのそれを思い出してるとラルの手がクオンの顎に触れた。そして、そのまま歯列を割ってくる。 「んっ…!?」 ぬるりと入り込んでくる熱い舌。 自分の口内でそれを感じると、頭の中が真っ白になった。 「んんっ…!」 止めてくれとラルの肩を掴む。けれどラルと止めるどころか更に深く舌を入れてくる。そしてクオンの舌を絡め取っては吸い上げた。 「っ……」 甘い痺れが背筋を一気に這い上がる。 久しく感じたことのないそれは、快楽に変わっていく。 (止めてくれ) 触れないで欲しい。深く、入り込んでこないで欲しい。 拒絶出来なくなる。何も吐き出せなくなる。それは許されないことなのに。 絡み付いては口内を探り、確かめるようにラルの舌が動く。歯列の裏、舌の根、裏顎、くまなく触れてしまおうとしているかのようだ。 「ふ……っん」 角度を変えて何度も繰り返される口付け。抵抗していた手が、力無くシーツに落とされている。 水音が聞こえてきては、クオンの理性を遠ざけていく。 ラルの舌を体内で感じているという事実に、身体の奥から何かが込み上げてくる。 それがどんな感情であるのかは、分からない。 ふと、ラルは何かを思いだしたかのように口付けを止めた。熱ぼったい唇が離されても、何を言い訳するでもなく互いの呼吸が聞こえた。 どうして。そう唇は紡ぎたかった。 けれど、答えが怖かった。何を言われるのか、分からなくて。 聞けば精神が壊れてしまいそうで。ただ固まるしかなかった。 ラルはそんなクオンを気にすることもなく、肩から腹にかけて撫で下ろしてくる。 「っ」 ただ撫でられただけなのに、腰の辺りがぞわりとした。 「僕以外の傷はないね」 「国核以外に討ち取られるほど、鈍くはありません」 ラルに倒されはしたけれど、クオンもまた同じ国核だ。人間を超越した呪いの生き物。 突出した力を持っているというのに、ただの人間に傷付けられるほど間抜けではない。 「そうだね。僕もそうだ」 まるでくすぐったい甘い言葉をかけられたように、ラルは小さく笑った。 ただの事実だというのに。 笑顔を直視することは出来ず、視線をそらしているとラルの手が太股に触れた。 軽く、掴むようにして触れるその手に全身が緊張した。 もう片方の手は脇腹や胸の上を滑っている。 どうして、何がしたい。 戸惑いばかりが強くなり、クオンは問いかけようとした。だがそのきっかけを、再びラルの唇に奪われる。 (止めてくれ、それ以上は) 散々舌で触れられた口内をはさらに探りながら、ラルの手が肌を撫でる。 まるで、睦み事を始める前のようだ。 有り得ない錯覚を覚える自分を嫌悪しながら。けれど否定しようとしても、ラルの動きは止まらない。 耐えきれなくなり、肌に触れていた手を掴むと太股にあったもう一方の手が下肢に触れた。 「っん!」 突然の刺激に声が漏れた。 びくりと肩が跳ねるのも、見られたことだろう。 そして、そこが高ぶり始めているのも、手で触れれば明らかだ。 腰を引こうとするけれど、ラルの手はそこをやんわりと掴んでくる。 血流が顔に集まっていくのが分かる。 (なんて、ことを!) この人はなんてことをしてくるのか。なんて屈辱的なことをするのか。 怒声を上げてしまいそうだった。 だが睨み付けた先には、唇をぺろりと舐めて獲物を狩り取る前の強者の眼差しがあった。 支配しよう、蹂躙してやろう。そう言いたげな双眸に声を失う。 「ずっと動けなかったしね。溜まってるのも当然か」 「止めて下さい」 懇願のように告げた。 屈辱と羞恥で眩暈を感じる。 しかしラルはそんなことお構いなしで、それを柔らかい手つきで撫でる。まるで、真綿で首を絞めてくるようだ。 「何を考えてるんですかっ。こんな」 「君のこと」 ラルは端的に、そして刃の切っ先のようにその言葉をクオンに突き付けて。 思わぬ場所に顔を寄せた。 next |