一章   3




 ドアがノックされる音が聞こえ、ネフィが扉を開けた。
 ここに通ずる前に扉が幾つかあるらしい。そこには全て鍵がかけられており、その鍵を持っているのはラルとネフィと、いつもラルと行動を共にしているらしいジェダという男のみだと聞いている。
(鉄格子が目に見えなくとも、ここは牢に違いない)
 入ってきた人物はやはりラルとジェダ、そしてその時は四十歳ほどの男もいた。
 白髪が混じり始めた髪とは反対に顔立ちは精悍なままだ。軍服とは違い、白衣をざっくりと羽織っている。
「おはよう。調子はどう?」
 ラルはそう言って微笑む。
 おはようとは言うけれど、もう時間は昼近い。
「…おはようございます。身体の方は相変わらずです」
 まだ満足には動けない。
 ネフィの助けがあってようやく食事がとれるような状態だ。まだベッドから降りることすら出来ていなかった。
「まだ痛みは酷いですか?」
 この場の中で最も年が上である男はそう尋ねてくる。
 そしてクオンの服に「失礼します」と言って手を掛けた。
 医師なのだ。
 ハウという名前で、ラルが生まれた時からずっと専属医師をしているらしい。
 そしてここに運ばれてきたクオンの処置をしたのもハウだと聞いている。
 激痛に揺らぐ意識の中で打たれていたのは鎮静剤だったようだ。今も痛みが辛い時にはネフィなどに打って貰っている。
「少しずつ痛みは減ってはいます」
 身体は快復に向かっている。
 常人よりよほど頑丈に出来ている身体なのだ。そう簡単に死にはしない。
「ですが国核でなければ死んでいたような怪我ですよ。無理はされないように」
 巻かれている包帯を取り、傷口を確認される。
 まだ皮膚が裂かれ、血が溢れた後が生々しくそこに存在している。
 腹の傷など中身が出るほどだったので、これでもまだ見た目がましになったほうだ。
 ハウは傷口を綺麗に処置してはまた包帯を巻き直してくれる。
「まだ動くのは危険ですので。ベッドからは出られませんように」
 いつ頃動くことが出来るようになりますかと尋ねたことを、ハウは覚えているのだろう。
 釘を差されてしまう。
「エルベリルもそうです。安静にして下さいと言っているのに」
 ハウは包帯を巻きながらそう口にした。
 声に棘がちくちくと含まれている。
「僕は忙しいんだよ」
 棘を刺されたラルは気にした様子もなく飄々とそんなことを言った。
「存じておりますよ」
 知っているけど言っているのだと、苦いことをハウは返す。
 身体のことを思っているからこその言葉なのだろう。
「ですが倒れてからでは遅いのです」
 ラルの身体にも深い傷があるはずだ。それはクオンがつけた。
 今は平然とそこに立っているけれど、完全に痛みが引いているわけではないだろう。
 それでも笑みを消さずにここまで歩いてこられるのだから。力量の差を見せつけられる。
「分かってるよ」
 はいはい、とラルはいい加減聞き飽きたというような顔で手を振った。
 隣でジェダも渋い表情をする。
 この国核には周囲も手を焼いているのだろう。
「そうはいはいと返事するくせに、全く大人しくして下さらないのだから。子どもの頃とお変わりがない」
 溜息をつきながらハウは苦笑した。
 そこにあるのは付き合いの長さ故の親しみだった。
 幼い頃からラルに色々振り回されたのだろう。
 きっと我が儘な子どもだったに違いない。
「また明日も参りますので」
「お願いします」
 毎日来るほど病状は深刻ではないと断っても良かったのだが。どうせラルが連れてくることだろう。
 この男はクオン本人よりも、クオンの状態が気になるようだった。
(戦で殺し合っている時は、あんなにも嬉々として剣を振るっていたのに)
 ハウはそこで頭を下げると部屋を出ていった。
 ジェダが付き添いで同じく扉の向こうへと行ってしまう。
 医師がいなくなりラルは傍らの椅子に腰を掛けた。
「ケイガの行き先が決まったよ」
 連日会議が行われてることは察しがついていた。
 戦が終わったばかりの国がやることは、まずは会議だからだ。
 自体の収集をつけなければいけない。
 その最大の論点が、敗戦国の今後であることは間違いない。
「エルベリルの属国として加えることに一致した」
 すでに聞いていることだ。
 周囲がそれに納得するとは思わなかったのだが、ラルが押し切ったのだろう。
「属国という名の占領でしょう」
 エルベリルが望んでいるのは略奪だ。
 ケイガの豊かさの全てを奪い尽くして自分たちのものにしたいという欲望だ。
「だが名前は残る」
 占領という単語をラルは否定しない。当然のことだがクオンはそれに口惜しさと苛立ちを感じた。
「敗戦国にとってはそれで十分だと思うけど」
 クオンを更に煽るようなことをラルは口にする。
 敗戦国。
 侮辱として聞こえる言葉は、今のケイガにとっては事実だ。そのことが一層忌まわしい。
「私はまだ死んでいませんよ?」
 負けた負けたというのであれば。敗れ去ったというのであれば。この首までも奪えばいい。
 国として生きている国核は、クオンはまだここに生きているのに。
 ケイガは死んでいないのに。
「ならまだ戦うかい?民が一人もいなくなるまで。僕はもう君に剣は向けないよ?向けるとすればケイガの民たちだけだ」
 ここにいるクオンはもう、ラルにとっては国核として認められないのかも知れない。ケイガのものであるとすら、きっと思われていないだろう。
 だからそんなことを言うのだ。
「それが君の望み?」
 冷ややかな内容に、クオンは唇を噛んだ。
 もう民たちの死は必要ない。死にすぎたくらいだ。
 戦など、国核同士だけでやれば良いようなものなのに。民たちを纏い、戦わせ、殺してしまった。
 彼らにこれ以上の犠牲を強いれるはずがない。
「生きながら屈辱に耐え、誇りを捨てよと」
 怒りと苛立ちを絞り出すように声が零れる。
 睨み付けてもラルは表情一つ変えない。
「民は救える、国も残る。うちにも水がやってきて豊かになるだろう」
「ケイガから全てを搾取するだけでしょう」
 食い荒らすつもりだろう。そう侮蔑を込めて告げる。
「戦の意味はそこにあると言っているしね」
 ラルは肩をすくめた。
 言っているということは、周囲に対する戦の異議をそれだと示しているのだろう。
 何の異議もなく戦を始めるということは反感をかい、敗戦に繋がる。
 エルベリルは戦の異議を豊かさを求めるためだと位置づけ、それを目指して戦を開始したようだ。
 予測はしていたので驚きはしない。
「ケイガを潰すほど搾取するつもりはないよ。それに君がいればあの国はよく従うだろうしね。君は神のような存在らしいし」
 国が搾取されていくための、民を大人しくさせるための道具。
 それが今のケイガの国核だ。
 これでは本来の国核の意味と真逆だ。国核は国と民を守るために己を差し出すべき存在たどいうのに。
「殺して下さい」
(そんな国核はいらない)
 必要ない。
「民の首を絞め、抵抗を奪うだけの国核ならいないほうがいい。ならば民を解放したい」
 国などなくなってしまえ。
 そうすれば民たちは逃げ出すだろう。
 難民になって流れていくだろうが、いつかはどこかの土地にたどり着く。そしてそこで生きながらえることが出来るはずだ。
 ケイガの土地に縛られて貧しく、屈辱的な日々を送るよりその方が良いように思える。
「僕は、もう一度同じ台詞を君に伝えなきゃいけないのかな」
 ラルはわざとらしいほど悲しげな表情を見せた。
「君を殺すくらいなら僕はあの国はいらないと言ったよね?それならば民は一人ずつ殺すとも」
 ラルは逃げ場を奪っていく。
 葛藤するクオンを眺めながら、どこにもいられないようにと道をふさいでいく。
 精神的な圧迫感に呼吸すら制限されているかのような錯覚を覚えてしまう。
「もちろんリシアに奪われたところで、構わないんだよ?」
 ケイガよりやや北側に位置する国の名前を言われ、クオンはラルを改めて見つめ返す。
「……リシア」
「そう。君の国をずっと狙っているらしいね」
 そんなことはラルの口から聞かされなくともよく知っている。
 ケイガとリシアの諍いは何度も起こっていることだ。
 リシアはエルベリルよりもずっと国の財政が悪化していると聞いている。あの土地は冬場になると北側が凍結するのだ。
 極寒の地になり、作物はもちろん育たず、産業が止まる。
 貧しい土地は新しい領土を求めてケイガに手を伸ばしてきた。
 だがその度に、大きな戦になる前に手を打ってきたのだ。
 国核がクオンの代になってからも一度リシアに痛手を負わせている。それでもこりないのがあの国なのだが。
「今のケイガは酷く疲れている。そして僕の国もね。絶好のチャンスだと思っていることだろう」
 上手くいけばエルベリルに対しても何かしら優位に立てる立場がとれるかも知れない。
 そんな策略が出ているのかも知れない。もしクオンがリシアの位置にいたとすれば。
 軍備を整えて攻め入る用意をしているかも知れない。
「うちがケイガを支配しようと国力を支配に注ぐ。しかしケイガの民は反発して暴動が起きるだろう。その隙にケイガを削り取ろうとするかもね」
 ラルは軽い口調でそう語った。
 頭の中でそう想像して遊んでいるかのようだ。だが現実味が欠片もない話ではない。
 むしろ、有り得るのだ。
「あの国のやり方は君の方がよく知ってると思うけど。きっと国名も何も残らないよ」
 リシアは貪欲だ。
 貧しい土地を厭うかのように、新しく豊かさを手に入れるとそれが枯渇するまで容赦なく奪い尽くす。
 民も土地も何もかも。
 自分たちの懐に入れて離さない。逆らうものがいれば殺すだけだ。
 リシアに逆らうようなものは邪魔なだけ。
「それこそ食いつぶされる」
 クオンは奥歯を噛んだ。
 今のエルベリルが言ってるような条件の緩い支配ではないことだけは確かだろう。
 だがリシアのやり方が特別汚い、冷酷であるというわけではないのだ。戦に負けるということは本来そういう結果になるはずなのだから。
「リシアの侵略が考えられる今、戦力、国力ともにケイガを制するために力をさくのは危険。なので属国として配置した上で動きを見る。そう周囲には説明しています」
 ラルの後ろにいつも控えているジェダがそう説明した。
 おそらくこれほどラルの近くにいつも控えているということは、かなり信頼されている部下なのだろう。
 国核はそれぞれ信頼出来る片腕を持っているものだが、ラルにとってはジェダがその位置にいるようだ。
 淡々としており物腰の静かな人はとても冷静な人物に見える。自分の考えを貫くことを目的としているラルとは人柄が異なるように見えた。
 だが片腕など自分とは違うタイプの方が良いのだろう。衝突も多いかも知れないが、見ている視界が異なるのは、視野が広がって有益に繋がる。
「戦力の温存ですか…」
 クオンは皮肉のように言った。そんな理由をつけても、周囲は釈然としないものを覚えているだろう。
 戦力の温存だとはいえ、属国だと知らしめる必要はないだろうに。国名だけでもエルベリルのものに変えて、支配はゆっくり時間をかけてやればいい。戦力がさして削られない程度に。
「同意を得られるかどうかは、ラル様の力量ですが」
 クオンの考えをジェダもまた持っているのだろう。
 何やら含みのある言い方をする。
 しかし言われれた方は小さく笑っただけだった。
 何を言われようが知ったことではない。もう決めたことだから。そんな声が聞こえてくるようだった。
「……無理矢理にでも、通すのでしょう」
 国を思い、民を思い、国核は生きていかなければならない。
 クオンは父である先代にそう教えられた。
 そして己もその教えに従うように、生きようと決意した。
 だがラルにはそんな意志は感じられない。自分の思うまま、思うようにしか動かない。
 国全体のことなんて見る気は初めからないようだ。
「何も出来ない者の泣き言なんて聞こえないよ」
 この国を持っているのは自分だ。
 その自信がラルにそんな発言をさせているのだろうか。
(分からない。この人の考えることは、何も)
 だがその言葉はクオンの身にも突き刺さってくる。
 所詮何を言ったところで、自分もまた泣き言しか言えないのだと。



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