八




 
 式神を追うことは難しいことではない。調査員がすでに感知しているからだ。
 追尾に関しては那智より優秀な調査員がじきに答えを教えてくれる。ゆったりと歩いていると案の定すぐに調査員から式神の位置が送られ来た。
 式神が黒土と合流したという連絡に、さすがに歩調を早めた。皐月が少し離れたところから付いて来ているのが分かる。背後を付けられるのは不愉快だが、現状では仕方がないだろう。
 調査員が送ってきた現在地は駅の近くだ。だが改札の真後ろであり、工場の駐車場に接している。駐車場を囲むようにして高い木々が植わっており影が多い上に、すぐ横の細い道に入ればどこも人間が来そうもない薄暗さと人気の無さだ。
 一番大きな街路樹に動くものがあった。目を凝らして見ると幹に背を付けて調査員が那智を待っている。
 真っ黒なジャージの上下に男にしては少しばかり長く肩に付きそうな黒髪をしている。背は低く、息を殺していると本当に気配がない。今も手を振らなければ那智は一切気付くことがなかっただろう。
 空気に溶けては自身の存在を消してしまえる。だからこそ調査員などという地道で危険な仕事が出来るのだ。
 那智と目が合うと曲がり角を親指で差している。その道の先に黒土が居るのだろう。
「顎が駄目になっているな」
 調査員の示すとおり、黒土の声が聞こえる。細い道に入り込んでは人目を一応避けて式神の様子を見ているのだろう。
 式神の顎は皐月に強引に下ろされて完全に外れているはずだ。一応那智もまた息を潜めて路地を覗き込む。黒土は思ったより近くにおり、肉眼で確認出来るような距離だ。
 だが那智には気付かない。そして近くにいるはずの皐月にも。
 本来ならば黒土はともかく式神は気付くはずだ。少なくとも天然の鬼てある皐月は、いくら自分の存在を薄めようとしても、ただの鬼より気配が濃い。だからこそ式神は先ほど皐月を見付けて噛み付いた。
 この時点ですでに異常が出ていることに、黒土だけが気付かない。
「天然に噛み付いた具合はどうだ。力が溢れてくる感じはするか?あれは特別な血なんだろう?力が得られるはずだ」
 黒土は興奮したように式神に語りかけている。式神は膝を折っては口元に手を当てている。言葉は発していないようで、黒土が苛立ったように「おい」と荒っぽい声をかけた。
 那智の前では慇懃無礼とも言える態度を取っていたのに、他人がいなければ随分横柄であるらしい。
「早く顎を元に戻せ。それくらいすぐに治せるだろうが」
 人間ではないため負傷した身体の部位もしばらくすれば自力で治すことが出来るらしい。そんなところは鬼らしいと言うしかないだろう。侮蔑の視線を向ける黒土は、式神が何かを言おうとして、だが口を動かすと大きく外れてかくんと落ちた顎に舌打ちをした。
「間抜けな顔をするな!」
 怒鳴りつけては顔を背けたせいで、黒土には見えなかったのだろう。唇が左右に大きく避けては、人に有り得ないほどに犬歯が大きく育ち、尖り始めたのを。
 式神は膝をアスファルトに付いていた体勢から、急に立ち上がった。飛びかかるような体勢でそのまま黒土に抱き付く。
「おまえ、なに」
 驚いた黒土は最後まで喋ることが出来なかった。
 喉元に式神の歯がめり込んだからだ。鋭い犬歯は喉元を噛み付いては、肉を引き裂いた。
 悲鳴も上がらない。何せ喉を震わせる器官を喪失しているからだ。骨が剥き出しになるほど、式神は肉をえぐり取っていた。
 鮮血が吹き出しては式神を染める。真っ赤になった目は半ば飛び出している、牙だけでなく爪も獣のように発達したそれは鬼以外の何者でもない。
(実に古典的な鬼の姿だ)
 昔話にでも出て来るような、古めかしい歪な鬼の姿へと変貌していく式神は、痙攣している黒土の腹に爪を立てた。服を切り裂いては爪を埋め込ませて皮膚を割り裂く。
 肉の内側に手を付けては臓器を引きずり出す。喉をえぐり取られても臓器はまだ生命活動を続けている。脈動しているその臓器を肉体から取り出しては、大きく開く口でかぶりついた。
 近くから哄笑が響き渡る。どうやら皐月はこの光景が気に入ったらしい。
 面白いものと言った那智に同意していることだろう。
「黒土の死亡を確認しました」
 調査員がぼそりと口にした。あれでは到底生きてはいない。
「恥晒しだな」
 皓弥からしてみればおぞましいとしか言いようがないらしいやり方で式神を作った結末があれだ。何のために式神を作ったのか、全く馬鹿馬鹿しいとしか言いようがない。
 手間と時間をかけて育てたものは、ただの人喰いの鬼だ。
「……天然が来ているとは聞きましたが……実感する羽目になるとは」
 調査員は皐月がいる方向を見ては掠れた声で喋る。恐怖が満ちたその声は、今すぐにでもここから逃れたいと言っているようだった。
 那智は調査員にこうなることは先に話をしてた。黒土の式神が天然を探している。近くに見付けたら噛み付いてくることだろう。そしてその式神は鬼に成り果てるはずだと。
 そう聞いた調査員は「本当にそんなことが起こりますか?」と疑っているようだった。
 しかし協力要請を出すと間髪入れずに頷いたのは、好奇心があったからだろう。調査員として珍しい現象は我が目で確認しておきたいらしい。
 それに協力した場合の身の安全は那智が確保すると言っていたのも、決断に強く影響したそうだ。
 那智の仕事の成功率を知っている調査員は、安全に奇異な現象を目撃出来ると踏んだのだ。
 それでも天然の鬼が明日この辺りに出没する。そう言った那智に調査員は半信半疑だった。天然の鬼の動向は調査員たちの間でも掴めていなかったからだ。調査に対して能力を持っていないはずの那智が何故断言出来るのか。
 疑問はあっただろうが、それでも黒土の動向を探ってくれた。
 天然の気配を察した時もさすがに皐月がこんなにも近く、瞬時にこちらに襲いかかってこられるほどの距離にまで来るとは思っていなかったのだろう。血の気が引いている。
「放置していて、いいんですか?」
「いいだろう別に、襲いかかってこない」
「蓮城さん、まさか、呼んだんですか?」
 恐る恐る聞いてくる調査員を鼻で笑った。
「天然を呼べる者なんているか」
「人間には、無理ですけど」
 貴方は人間ではないから分からない。
 そう調査員は疑っているのだろう。
 しかし正直に答えてやるほどの義理はない。
「そんな都合の良いことが出来るか。それにもう消える」
 那智に応じるかのように哄笑は突然終わった。これから先はただの食事風景だ。いつまでも見て面白がるようなものではないだろう。
 皐月が飽きるのは早いと思っていた。
「……何故、こんなことをしたのか訊いてもいいですか?」
 説明を求められ、数秒考える。
 調査員に教えてやる必要があるかどうか。今回役立ったこと、そしてこれからも似たようなことがあるかも知れないことを考えると、喋っても無駄ではないだろう。
「目障りだったからだ」
「所詮は鬼だから、ということですか?半分人間でもあんなことになるなら駄目ですね」
「黒土の扱いも雑だったからな。何も分からないと思っていたようだが、畜生にも乏しいながらの知性はある。自分がどう扱われているかくらいは理解出来るだろう」
 黒土は式神が何も聞こえない、分からないように育てたと言っている。実際人形のように無機質な存在であろうとしているようだったが、生きている限り感情が付きまとってくる。
 どれほど削り取られていたとしても、多少なりとも人間の血肉を持って生まれてきた以上は感情も思考もあるだろう。当然、憎しみを持つことも十分に有り得ることだ。
(道具にしたつもりでも、生きている限りは道具そのものに成り果てることは出来ない)
 まして望みもなく、苦痛ばかりを与えられ続けていたのだ。身の内に何が蓄積されていったのかは、もはや式神自身も分からないはずだ。
「天然の血なんて起爆剤をそこに入れたらどうなるのか。黒土は分からなかった」
「あれはやっぱり復讐なんでしょうか」
「さあ。知ったことじゃない」
 式神が黒土を喰い殺した理由なぞ、那智が興味を持つものではない。
 身体がそろそろ解体されてバラバラになるだろう、その男に対してもすでに何の感情も抱かなかった。
「黒土が式神に殺されたという証拠は揃ったな?」
「はい。撮影もしました」
 調査員はしっかり式神と黒土をカメラに納めてくれていたらしい。最近は便利なもので、小型のカメラもあればドローンを頭上に設置することも出来る。
 複数の媒体で撮影をしていることは、調査員の手元を見れば幾つかに分かれた角度の画面がスマートフォンに映し出されていることから分かる。
「では、殺すか」
 片手を振っては刀を引き出す。
 完全に鬼に成り果てたあの式神ならば、斬り殺しても死体は残らない。もはや人間ではないのだから、灰になるだけだ。
(何も無くなる)
 憂い一つなく、消え失せる。



「黒土が式神に喰い殺された?」
 荻野目にそう聞かされ、皓弥は眉をひそめた。
 朝方荻野目から電話がかかってきて昼過ぎに家を訪ねたいと言われた時には、何かあったのだろうと予想はしていたけれど、随分衝撃的な内容だった。荻野目も深刻な表情で、皓弥同様にその事実をどう受け止めるべきか悩んでいる様子がある。
「何故ですか。黒土は式神を使って、もう何年もこの仕事に就いていたんでしょう?」
 黒土に何を言われても静かに、まるで無機物のようにただ黙って立っていた式神を思い出す。あの様は主を喰い殺すようには思えない。
 そもそもあの式神は人間ではなく鬼を食い物として生きてきたのではないのか。
「式神の暴走です。噂ではとある鬼に喰らい付いた後、その血に狂わされて主である黒土に襲いかかったそうです」
「とある鬼とは、天然ですか?」
 黒土は天然の鬼を探していた。その鬼を喰うことによって式神に力を与えようとしていたのだ。
 まさか本当に天然の鬼に出会して、その血を式神に飲ませたのだろうか。
(これまで鬼を喰っていたはずの式神が狂わされるほど特別な血なんて、天然だとしか思えない)
「その可能性が高いと思われます。黒土が殺された周辺で天然の目撃情報がありました。黒髪の青年の姿をしているそうです。現在は北に移動しており、近辺にはいません。何か目的があってここに来たのか、それとも通りすがりだったのかは分かりません。戻ってくる可能性もあります。気を付けて下さい」
「はい」
 天然の鬼に関して荻野目は神経質だ。それだけ気を付けなければいけない相手だった。けれどきっとそれだけではない、天然の鬼というだけで皓弥は面喰いを思い出して気持ちがざわつく。たぶん荻野目も同じだろう。
 二人にとっては特別なものだ。
「半分人間でも、式神として主と共に生きていても、所詮鬼は鬼ということですね。手足のように使うものじゃない」
 黒土が式神である鬼をあのように生み出し隷属させていることも吐き気がするのだが、作り出された鬼に関してもやはり嫌悪感がある。
 その感覚が決して間違っていないということが今回示された形になった。やはり鬼の部分があるというだけでそれは唾棄するべきものだ。
「皓弥にはすでに手足のように使うべきものはここにある」
 隣で那智がそう告げる。使われることに喜びがあるらしい那智にとってみれば、自分を主張するべきところだと思ったのだろう。
 目を向けると微笑みが返される。そんなことは言われなくともとっくに理解しているのだが、本人は言葉として欲しいものだろうか。
 しかしあからさまに肯定を求める視線に応じるのも、なんとなく気恥ずかしくて視線を戻すと荻野目が苦笑していた。
 重苦しい話を真剣にしていたはずなのだが、那智の一言で妙に気が抜けた。











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