鬼もいなくなったところで、車での送迎から免れて通学していた。 自転車置き場まで歩いていると、駅から大学へと流れてくる人波に見知った顔を見つけた。 大学の知り合いではない。 長い黒髪、大きな瞳が携帯電話を見下ろしている。 顔立ちは可愛らしい部類に入るだが、それより意志の強さを感じさせられる。 スカートの端をはためかせて、小柄だというのに押し流されることなく歩いていた。 (春日?) どうしてこんなところにいるのだろう。 この辺りには住んでいないはずだ。大学も別だと聞いている。 携帯電話を耳に押し当てて、誰かに電話をかけ始めた。 すると皓弥が鞄に突っ込んでいた携帯が震えた。 どう考えても春日から電話がかかってきているとしか思えない。 一応携帯を取り出すが案の定、千堂と出ている。 通話ボタンは押さず、春日へと近寄った。 「何してんだ?」 携帯片手に直接声をかけると、春日が「あ」と少し驚いた顔をして電源を切った。 「暇だったから」 人波から外れ、春日は軽くそう言った。 そんな理由で尋ねてくるほど近くも、また親しくもなかった気がする。 だが皓弥は相手との距離を人よりも多く取っているタイプらしい。友人に指摘されたのだが、人は皓弥が思っているほど距離を感じていないことが多いようだ。 春日もそういう距離を気にするような性格には見えない。 「はあ」 「最近この辺りに変なのがうろついてるって聞いたし」 変なもの、と言われて先日会った鬼を思い出した。 あれくらいの力を持っているものなら、同業者である春日の耳に入っていてもおかしくない。 本当の理由は、それなのだろう。 「片付けた?」 「いや」 その鬼には会ったが、片付けることもなくお帰り頂いた。と説明するのもなんとなく躊躇われた。 どうしてそんなものと接触して無事なのか、那智はその鬼とどういう繋がりなのかと聞かれると話しづらい。 頭の中で大和の顔がちらつくのだ。 他人事とは言え、知らせていいことだとは到底思えない。それを黙っていようと思ったら、京都の鬼に関することは全てしらを切っていたほうがいいのだろう。 「仕事として来るんじゃない?」 「どうだろう」 来ない。そう思いながらも皓弥は誤魔化す。 「忙しい?」 二人並んで歩き始めて、今更のようにそう尋ねられた。 「いや」 講義も終わり、この後はやることもない。 春日がファーストフード店に入ってくるので、それを止めることもなく後に付いた。 皓弥は烏龍茶を、春日は何かのセットを頼んでいた。 人気のない店の中で、奥の方に座る。 二人が話す内容なんて、人に聞かせたいようなものではない。 「妙な気配って、天然かも知れないって話らしいわよ」 「ああ」 「知ってた?」 春日が細い手でバーガーを包んでいる。 食べるといっても大口を開けることもなく小さくしか囓らない。女の子なのだな、と思ってしまった。 「那智が、そうじゃないかって」 実際は気配を感じ取っていた。けれどその時点ではまだ天然かどうかなんて皓弥は判断出来ていなかった。 ただ強すぎる気配だと感じていただけだ。 「前の当主、私の叔父がね」 春日が不意に口にしたことに、皓弥はどきりとした。いきなり大和のことを出されるとは思わなかったのだ。 接触したことを知っているのだろうか。 烏龍茶を片手に平静を装う。自慢ではないが、表情を隠すのは上手い方だ。 春日は皓弥が動揺をひた隠しにしていることなど全く分からないようで、手元を見つめながら話していた。 「天然と会ったかも知れない。失踪する直前に」 会っているも何も、大和は今天然と一緒に住んでいる。 自然そのものによく似た、不思議な鬼と。 春日の俯き加減の瞳は陰り、意志の強さが揺らいでいる。前もそうだった。 叔父のことになると春日は弱さを見せる。身内だから心配なのだろう。 「なんで、そんなことが分かったんだ?」 知らぬ顔で皓弥は尋ねる。 「受けた仕事の内容がね…危ない感じだった。もしかすると、みたいな」 (そのもしかするとに見事ぶち当たったわけか) しかし大和本人は不幸なことになっているかというと、そうでもない。 あそこにいた男は自分から望んで、留まっている。 睦という鬼を見ている時は優しさすら見えていた。きっと、後悔はしていないのだろう。 ここで春日が胸を痛めていても。 (気にしてることはしてたみたいだが) 大和は那智に春日のことを聞いていた。こうして心配をかけていることも分かっているのだろう。 それでも帰ってこない。 「だからここに来てみたんだけど」 「天然に会うつもりだったのか?」 「だってそれくらいしか思いつかない」 天然に会おうとする春日が信じられない。あんなものに近寄っていくなんて自殺行為だ。だが春日は危ないということを自覚した上でやっているのか、不安そうに呟いた。 こうしていると小さな女の子と一緒にいるような気分だ。 か弱くて、見ているとはらはらしてしまう。 本当は鬼を斬るとんでもない女子大学生なのに。 「もうこの辺にはいないらしい」 「そうなの?」 「たぶん」 この辺りでうろうろするな、鬼を作るなという警告を那智が発した。 あの鬼が従ったかどうかは分からないが、気配がなくなったのでどこかに行ったのだろう。 「そっか…鬼は移動するもんね。人間と同じで」 ふらりとやってきて、ふらりと去っていく。 予測することは出来ないのだ。 「会わない方がいい。そんなもの」 春日がどれほど強いのかは知らない。けれど人間であるのならあんなものと接触するべきではない。 恐ろしいだけだ。 堅い口調でそう言うと、春日は頷いた。 出来るなら天然なんて追わずにいて欲しい。 だが大和に会うまではずっと探し続けるのだろう。それまでずっとこんな風に不安定な様を見せるのだろうか。 (大和に再会したら、性格まで変わったりな) 猫のような性格であるように思っているが、実際はこんな風に大人しいのかも知れない。 それに、ふっと皐月が言っていたことを思い出した。 (那智は人が変わったんだよな) 主に出逢って人が変わったと驚いていた。 春日も以前、那智に会った時にひどく驚いていた。 「…那智ってさ、変わった?」 「昔と?」 大和から話題をそれると、春日は大きな瞳から不安を消した。 きょとんとしているそれに、頷いた。 「変わったわね。昔は本当に人間だと思えなかったし」 「今は?」 「ちゃんと人間に見える」 そうだろう。皓弥の目からしても人間そのものに見える。 掌から刀を生み出していても、鬼を平然と斬っていても、那智を人間以外のものだと思ったことがない。 本人は刀という生き物だと言っているのだが、人の姿と行動をしているのだからそう言われも納得出来ない部分がある。 「前は近付くのも怖くて。鬼に近かった。それが今じゃ人間っぽいって言うよりいかれてる感じ」 いかれているなんて言っていても、春日は馬鹿にしている様子はない。 「何が、いかれてる?頭が?」 那智は突拍子もないことをたまにやるが、いかれているというほどでもない。 「皓弥によ。好き過ぎでしょう」 冷やかしているのか、春日はそう言うが皓弥はなるほどと思ってしまった。 いかれているとは良い表現だ。 車で送迎と言われた時はまさにそう思った。 「あたしとしてはその方がいいけど」 鬼より人間のほうが良いに決まっている。 たとえそれが男に没頭している男であっても。 春日に対して実害もないのだから。 「…人じゃない、か」 皓弥を抱きかかえては幸せそうに眠ろうとしている男を昨夜も見ている。 慈愛に近いそれは、とても鬼に近いものが見せる感情だとは思えない。 「そう。笑わない、怒らない。ただ鬼を斬ってた。それ以外何も知らないみたいに」 鬼を斬っている時は無表情だ。時折苛立ちのようなものは見せるが、穏やかさとはほど遠い。しかし、斬ること以外を知らないようには見えなかった。 やはり、皓弥の知っている那智と、春日が語っている過去の那智とは違いが有りすぎる。 「今は皓弥と組んでるせいか、受ける仕事の数を減らしたらしいけど。一時期結構な数をやってたみたい」 一ヶ月で二桁とかね。 そう春日が言うので、皓弥は「は」と思わず声を上げた。 単純に三日に一度は仕事を受けていたということだ。 学生をやっていたというのに。 現在皓弥が受けている数は週に一度あるかどうかという程度だ。それでも命を危険にさらしているという重圧が重苦しくかかってくるというのに。 (あいつ、それで平気だったのか?) 那智にとって鬼なんて危険なものではないから、だからそんなペースで仕事をしていたのか。 けれど一回の仕事で複数を請け負ったこともあるという。 那智にとって鬼を斬ることは何でもないことなのだろうか。 (俺なんか、未だに怖いってのに) それは皓弥が喰われる側の人間だからだろうか。 「那智は、昔のこと話したりしないの?」 「語ることがないって」 皓弥って昔はどうだった?そう興味津々で聞いてくるくせに、那智は自分のことになると曖昧になる。 隠しているというより、どう言っていいのか分からないようだった。 「まあ、主に会うために生きてきたとか言ってそうだけど」 はんっと呆れるように春日は言った。 「よく分かったな」 皓弥に会うためだけに生きていた。そう、自然であるように言った。 口説いている様子もなかったので、驚くよりも感心してしまった。よくそんな台詞を口に出来るものだ。 「本当にそう言ったの!?よくそんなこと言えるわね!」 どうやら春日は冗談で言ったらしい。 だが冗談が冗談でなくなってしまうのがあの男だ。 春日の驚きに、皓弥も深く同意した。 「俺には無理だな」 「あたしにも無理よ。素面ではとてもじゃないけど」 「素面で言ったぞ」 うわぁ、と春日は露骨に引いた。 自分と同じ心境に立ってくれているようで、非常にありがたい。 ここで羨ましがられれば、皓弥は今後春日との交流を考えたところだ。 「そこまで変わると別人ねぇ」 「別人か」 那智も自分のことをそう言った。 まるで別人のように、と。 「過去の那智に会っても、皓弥は分からないかもね」 「顔は同じだろ?」 「でも反応は全然違う」 笑いも怒りもしない、鬼を斬ることしか知らない人なら。会っても那智だと信じられないかも知れない。 今の那智は皓弥を一番に考えてくれる、家事万能で人間としか思えない刀だ。 「どんな風なんだろ」 見てみたい。 そう呟いても春日は「無理」と言い切った。 「皓弥の前じゃ、そんな姿見せてくれないわよ」 「かな」 「見せないわよ。大体、見たって何もいいことないわよ?冷血非情だし。今の方がいいって」 冷たくされるより、あったかいほうがいい。けれど冷たさを見たこともないのは、少し気になるのだ。 他の人は知っているのに。 (独占欲、か) とうとう那智だけでなく、皓弥まで抱くようになってしまったらしい。 戸惑いながら、少しずつ。 |