ぐったりと俯せのままシーツに崩れた皓弥を那智の腕が抱き留めた。 五十メートルのタイムを計った後のように、呼吸が速い。 「ん……」 指を引き抜くと、無意識のうちに声が零れる。 うっすらと開いた瞳の端に涙が溜まっている。 横たわると皓弥は四肢を投げ出した。 顔にかかった髪を那智に払われ、こちらに視線を送ると、目があった。 ギラギラと欲情を宿した瞳は剣呑さを漂わせている。 「皓弥」 名を呼びながら那智は乱雑に服を脱ぎ捨てる。 露わになった、引き締まった筋肉の造形に皓弥は僅かに顔を顰める。 「……不公平」 「何が」 「なんだその体付き」 「鍛え方の違いでしょ。もしくは持久力かあるかないかの違い」 皓弥は持久のなさを付かれ、ぐぅと喉の奥で唸った。 そして長く伸びてきた髪をざっと指で梳く。 汗ばんだ肌に張り付いてくる感覚が鬱陶しい。 「体力ちゃんと付けないと、今後困るよ」 「分かってる。今日も鬼斬ってて痛感した」 「ああ、それもあるけど。俺が言いたいのは」 那智が皓弥の太股を掴み、足を開かせる。 濡れたままのそこは淡い光の元で暴かれる。 「那智っ!」 慌てて皓弥が足を閉じようとするが、その前に那智は身体を割り込ませてきた。 大きく身体を開いた状態で、見下ろされ皓弥の喉がこくんと鳴った。 羞恥より、不安が強かった。 「体力ないとしんどいよ?手加減出来るほど大人じゃないからねぇ、俺」 欲情を突きつけてくる様は飢えた肉食獣のようだ。 皓弥は嫌な汗が背中に滲むのを感じた。 「手加減っていうか……優しさを見せろ。無体なことはするな」 「優しくするよ。この上なく優しくして、よがらせるから」 「よがらせたら優しくないだろ!?」 にこりと笑う那智に指をさして反論するが、後ろにあてがわれた質量に勢いが殺がれる。 その屹立が、欲しいと皓弥に告げている。 どれだけ抵抗してももう那智は引かないだろう。 同性だから、分かる。 「そんな顔しない。酷くしたくなる」 「サドかおまえは……」 「かもね」 冗談めかして、那智は皓弥の足を高く持ち上げた。 肩にかけてより秘所を晒させる。 「やな格好……」 こんな体勢今まで取ったことがない。身体を折られるみたいで、呼吸がしづらい。 「顔見たいから」 ごめんと那智は囁き、耳にキスしてきた。 先端が秘所を割り、ほぐされているといっても排出専門の場所は鋭い痛みが走る。 「っ……」 もっと、と那智にねだられるが身体はそれを拒否する。 そういう作りはしてないと言うように。 「痛い?」 唇に触れるだけのキスをしながら、那智はそれでも止めてはくれなかった。 痛みはどんどん大きくなり、引き裂くようなものになっていく。 シーツを掴んでいる指に力が入り、じわりと全身が汗ばんだ。 「力抜いて、がちがちだと痛いだけだから」 「無理、言うな」 「なら口開いて」 ほらと言われ皓弥はうっすらと口を開く。すると那智の舌が入ってきては歯列をなぞった。 ぬるりとした柔らかな舌に意識がそれる。ぴりとした痛みを訴えるそこを感じないように、皓弥は必死になって舌の動きを追った。 「っ……ふ、ぁ」 舌が差し込まれ、引かれ、きつく絡んだかと思うとすぐに放される。 唇の端から唾液が溢れるが、そんなことにも頓着していられなかった。 「ぃ、っ……」 動きを止めていた那智が沈んでくる。激痛がそこから生まれては悲鳴が喉を突き上げるのに、唇が塞がれていてもがくことしか出来ない。 舌に宥められるが、痛みが凌駕し始めた。 「んっ……!」 痛い、すごく痛い。内蔵は圧迫されて呼吸困難になりそうだった。 それなのに口で息が出来ない。 正直酸欠になりそうで、皓弥は那智の肩をばしばしと叩いた。 それでようやく苦しんでいることに気が付いたのか、キスを止めてくれる。 但し、一気に奥まで突き上げた後に。 「っ!!はあ、ぁ、はぁ……」 涙がこめかみに流れ落ちる。痛みなのか、それとは違うものなのか、分からない。 荒い呼吸ですら、中にいる那智の形をはっきり感じることが出来る。 「皓弥って身体堅いけど、ここは大丈夫みたいだね」 「うっさい!」 噛み付くような皓弥に、那智は笑う。すると振動が伝わってきて、体内を指先で僅かに撫でられるような曖昧な感覚に包まれる。 たったそれだけなのに、肌が震えた。 「身体は素直でよろしい」 「よくない」 「ヨくない?」 「……馬鹿者だ」 それは那智に向けたものだが、同時に自分のことを言っていた。 男同士で、繋がって。それなのにどこか満たされている。 無理矢理押し入られているのに拒絶しようという気にならない。 (いかれてる、もうどうしようもねぇな…) 「馬鹿で結構。おれはもうずっと前から馬鹿だよ」 「幸せそうな馬鹿で、何よりだ」 「そりゃもう、一緒になってるから幸せそのものですよ?本当に」 額にキスされ、皓弥は伏せる。 どくりと欲情を教えるそれで繋がっているのに、じゃれるような口付けをされるのがくすぐったい。 「いつ死んでもいい。むしろ今死にたいくらい」 「……ボケ」 「うん。怒るのは分かってる。一人にしないよ。例えの話。だってこんなに幸せなことってないでしょ。二十三年焦がれた相手と今こうしてるんだから」 鼓動まで分かるほどの近さ。確かに繋がっているのだと感じられる。 「いるかどうか分からずとも、信じ続けることでしか生きてる気がしなかったよ。皓弥がいると信じることだけが俺を生かしてくれた。ずっと願い続けてた。化け物と罵られても皓弥に逢えることだけを希望に生きてきた」 那智の奥にも、弱い箇所がある。 そのことに皓弥は少なからず驚いていた。 強さだけで作られているような男だと、どこかで思っていたのだろう。 「出逢う前から名前を叫んでいた。呼ぶべき言葉も知らないのに、血を吐くほど。もし答える声があるならこの命を差し出すと」 死んでも構わないと。 切に語る声に、皓弥は那智の髪を軽く引っ張った。 死ぬ死ぬと繰り返すのが気に入らない。 喪失を聞かされることは、たとえばの話でも気に食わない。 「だったら、生きてきて良かったって言えばいいだろ」 憮然とする皓弥に、那智は「そうだね」と唇にキスをした。 「……ジジイは、主の命令で生き残ってるけど。俺にはやっぱ無理だ。絶対出来ない。皓弥がいないのに生きているなんてあまりにも屈辱で、空しい」 耐えられない。と那智は呟く。 痛みを覚悟しているような声に、皓弥は背中へと腕を回した。 「なら俺が死んだら死んじまえ。俺は許す。おまえがずっと苦しむって言うなら、一緒に死んでもいい。おまえは俺のものだ」 前向きじゃない会話だ。それなのに皓弥の口元には笑みが浮かんでいた。 生きるだの、死ぬだの、危うげな単語を並べるくせに「好きだ」と囁いているかのようだ。 「おまえの人生は初めから俺が縛ってたんだろ?なら、今更だろ。最期まで、俺に縛られていればいい」 なんて利己的な発言だろう。言った本人はそう呆れるのに言われた那智はしばらく黙った後「ありがとう」と囁いた。 ぽつりと、飾ることも出来ずに口から零れたみたいに。 肩口に顔を埋めていて、表情は見ることが出来なかったけど、きっと少しだけ笑っている気がした。 「ドロップアウトは、なしな」 「それは俺の台詞。捨て犬ならず捨て刀にしないでくれよ」 「造語だな」 皓弥がふっと力を抜くように笑うと、那智はゆっくり腰を動かした。緩やかな律動は、ある一点を擦るようにして繰り返される。 「あぁ……っ」 ねだるような声がもれ、皓弥は目を見開いた。 痛みだけしかなかったはずなのに、指で掻き混ぜられたときのような刺激が戻ってくる。 「イイトコ。もう覚えたから」 「っ、いゃだって、そこっ!」 「嫌じゃないよ」 「やぁ!」 がくがくと揺さぶられ、足が自分のものじゃないように引きつる。 緩かった律動は次第に強くなり、一度達した下肢が蜜を零し始める。 ぽつぽつと小さな灯りのようだった快楽が、今は視界を覆わんばかりに膨らんではぐにゃりと形状を変えた。 渦や波になっては意識を根こそぎ震わせる。 「那智っ……!なち」 ただ熱い。金属みたいに熱で身体が溶けるんじゃないだろうか。そんな錯覚に陥るほど。 背中にしがみつき、爪を立てる。そうしなければ腕に力が入らずに落ちてしまいそうだった。 「もっと呼んで」 穿ちながら、那智は皓弥の下肢に手を伸ばす。撫でずとも濡れるそれは手によって更に高められて達する瞬間を待ち望んでいた。 「なち……っ」 もうまともな発音なんて出来ない。鼻に掛かった、拙い声で男を呼ぶ。 嬉しそうな眼差しだけかろうじて見えるような状態なのに、腰はもっとと求めるように無意識のうちに揺れていた。 こんなに貪欲な身体だったなんて、初めて知った。 「なち、なち……」 救って欲しいのか、叩きつけて欲しいのか、それすら分からず那智に肌を寄せる。 涙が快感によって一筋流れた。ぼやけた視界で見上げると「加減出来ないって言ったのに」と苦笑したような声が聞こえて。 「っああぁ!」 奥まで強く貫かれ、背筋を通って脳髄まで刺激が駆け抜けた。 目を閉じて頭を振っても、奥から嵐が全てを奪っていく。 「自制を奪うなよ」 身勝手な言葉を耳から流し込み、容赦なく那智は中を深く犯す。 下肢の先からは止めどなく蜜が溢れ、嬌声が絶え間なく響いた。 「皓弥」 ぎりぎりまで引き抜かれ、質量を失いひくと収縮する秘所に那智はくすりと笑う。 笑われたことを恥ずかしいと、悔しいと思うような自尊心などすでに欠片も残っていない皓弥は甘く爪を立てた。 「こういう時だけ、素直な猫みたいになるんだなぁ」 可愛い。と呟くと那智は一気に最奥まで突く。 「――っ!!」 悲鳴のような喘ぎは音にはならず、空気の摩擦のようなものにしかならなかった。 息を飲んで、心臓が一つよじるように脈打った。 苦しい、痛い、そんなものすら与えられない。 光のような波に意識はさらわれ、そのまま沈んでいった。 羽のようなものが頬に触れたようだった。 ふわりとした感覚にゆったりと眠気が引いていく。 少しだけくすぐったくて、逃れるように寝返りをうつと長い髪が顔にかかった。 無意識の内に手で払おうとするが、皓弥が動くより先に髪が後ろへ流された。 那智がやったのだろう。もう起きる時間だろうかと目を開けようすると頭を撫でられた。 遠い昔母親が小さかった息子にそうしたように、慈愛に満ちた仕草だ。 心の奥に疼痛が生まれる。懐かしさと喪失感と、そして。 この手がかけがえのないものだという愛おしさ。 「おはよう」 目を開けると那智が微笑んでいた。いつも機嫌は良さそうなのだが今朝は格別のようだ。 こちらを映している瞳など、蜂蜜で出来ているんじゃないかと思われるほど甘い。 それに比べて皓弥の機嫌はその笑顔を見た途端ずどーんと落ちていく。 身体は怠い、特に下半身には言いようのない違和感がある。頭はぼんやりして、喉は張り付いているようだし、思い出したくない記憶がちゃんと残っている。 (……なんであんなことしたんだ、俺) 行為そのものに対する後悔というより、自分が口走ったと思われる言葉の数々にいたたまれなくなる。自分の喘ぎ声があんなに恥ずかしいものだとは思わなかった。 「身体は辛くない?」 尋ねられても皓弥は返事をしない。寝起きは喋れないほどの低血圧なのだ。代わりに瞬きをしてみせる。睨まないのだから肯定の意志になるだろうと思ってのことだ。 それにしても、まだ中に何か入っているような気がする。嫌な感覚だ。 髪を掻き上げて、皓弥とふと手を止めた。 パジャマが着せられている。 後始末というものをされ、汚れた身体を拭かれたのは覚えているが。眠った時には全裸だった気がする。服を着るという気力がなかったのだ。 「裸で寝るのは嫌だろ?俺としては大歓迎なんだけど」 そんな趣味も健康法をやる気もない。 感謝するところだが、先ほどから髪を梳いたり頬に触れたり、何やらべたべたと構われているのが鬱陶しい。 寝起きは基本的に放って置いてくれと言っているのに。そして那智もそれを承知してくれていたはずだが。 特別な朝だからとか思っているのだろうか。 (あほか……) 皓弥には多少の恥ずかしさと疲労だけしか感じない朝だ。乙女でもあるまいしと溜息をついて気怠げに起きあがる。 「飯食う?」 腰の辺りが最も怠く、身体を起こして皓弥は重力を強く感じた。 それでも頷いて答える。 「もう用意してるから」 皓弥は無言でベッドから抜け出す。両足で体重を支えた瞬間微かな鈍痛を感じたがふらつくほどでもない。 支えようとしたのか、那智に肩を掴まれたが手をしっしと振って見せる。 (こんな気遣い見せるくらいなら、ヤる時に遠慮しろってんだ) はぁとまた溜息をつき、皓弥は部屋を出て洗面所に向かった。 顔を洗うと髪が幾房か濡れるが気にしない。近くにかけてあったタオルで顔を拭き、ふと目の前にある鏡に目をやった。 「……?」 パジャマの襟元から見える、鎖骨辺りが一カ所赤くなっている。 何だ?と顔を近付けてようやくそれが何なのか分かり、頭を抱えた。 そういうことをしたのだという事実を明確に突きつけられる。 (ああ……ったく) がしがしと髪を掻き、皓弥はどすどす足音を立ててリビングまで歩いた。普段足音など立てないことを知っている那智は何事かというような顔をしていた。 「……これ何だ」 低いのは機嫌が悪い上に起き抜けだからだが、掠れ気味なのは明らかに昨夜のせいだ。それが一層皓弥を苛立たせる。 「ん?ああ。鬱血痕」 どうしてんな難しい方で言うんだ!と皓弥は心の中で叫び口元を歪めた。 「平たく言うとキスマーク」 「なんで付けた」 「独占欲の現れと申しますか。昨日は付けちゃいけないってことまで気が回らなく。嬉しくて」 「調子こいたのか」 「全開です。他のところにも付いてるから人前で着替えないほうがいいよ?」 人前で着替える機会なんて大学生になってからない。怒鳴りつけたいところだが、情事とはそういうものなのか、二十三年間待ち続けた末のことだからか、皓弥は計りかねて結局脱力するように椅子に座った。 怒る気力もない。今日は一日中家でだらーっとしてよう。 「アイスティー、烏龍茶、オレンジジュース」 朝御飯はサンドイッチだった。一通り飲み物を言うと、那智は復唱する。皓弥がオレンジジュースのところで頷くと冷蔵庫から紙パックが出てきた。 すでにテーブルの上に並べられていた三角のそれに手を伸ばしかけてふと気が付いた。 髪をまだくくっていない。朝起きればすぐにでもくくっていたのだが今日はタイミングを逃した。手首を見るが、いつもあるはずの髪ゴムがないため眉を寄せてしまう。 部屋まで戻るのが面倒だなぁと思っていると那智がそれに気が付きジュース入ったグラスを置くと「取ってくる」と言ってリビングを出ていった。 (……楽な奴) 便利だなぁと思ったが、それはベッドの中以外で。と付け加えなければいけなくなった。 それにしてもしんどい。サンドイッチを持つ手まで重い。 那智は髪ゴムをくるくる人差し指で回しながら戻ってきた。掌を差し出した皓弥に「くくらせて」と珍しいことを言い出した。 拒否することもないか、と皓弥はそのままサンドイッチを口に運んだ。相変わらず何を作らせても上手い男だ。 「手入れもしてないのに、健気なまでに綺麗な髪だなぁ」 (健気ってなんだ) まるで虐げているように聞こえて皓弥はむっとする。確かに手入れはしていないが。 「ヤっている時にすごく綺麗だって思ったんだけど」 皓弥はバンっとテーブルを叩いた。朝の食卓でんな話をするな。という意志表示だ。すると那智が笑いを噛み殺したようだった。 「はいはい。この話はまた今夜」 「ヤらん」 そう毎日出来るわけがない。体力がついていかない。 「しんどそうだもんねぇ。ちゃんと体力つけなよ」 こんなことで実感させられたくなかった。皓弥はもそもそとサンドイッチを食べながら情けない気持ちになる。 「オイ。何編んでんだ」 いつまでも那智が髪から手を離せないと思っていたら、髪を房ごとに分けられくいくいと微力で引っ張られていることに気が付いた。 きっと三つ編みでもしているのだろう。 「この方が可愛いかと」 「野郎が可愛くある必要はない」 「俺が髪の毛をいじっていたいから。ついつい」 「止めろ」 自分が三つ編みをしている様子を想像して、皓弥は冷た言い放った。 「なんで?こうして髪を触っても平気なの俺だけかと思って優越感に浸ってたんだけど」 嫌?と聞かれ皓弥はいい加減諦めがわいてきた。 今日はどうしても皓弥を構いたいらしい。よほど嬉しいのだろう。 好きにしろとばかりに黙ると、那智が耳にキスをしてきた。 (胸焼けしそうなくらい甘い) こんな空気を望んで、抱かれたわけじゃない。 だが落ち着かないながらも受け入れている自分がいる。 数ヶ月前からしてみれば考えも付かない、ついても鼻で笑うような事態だ。 (でもまぁ……あれだけ望まれていたんだから仕方ないか) 情事の最中に那智が告げた言葉の重みを無視出来るほど、皓弥は平坦な神経を持っていない。 今日一日だけは、ある程度の甘さは許してやろうか。そんな気紛れが沸いてくる。 きっと明日になれば甘ったるさに怒鳴りつけたくなるだろうが。今日くらいなら受け入れられるだろう。 自分もまた、甘さで溶けてしまっているから。 |