思惑の傍観者 6



 学校のトイレに入ろうとしたら、数寄屋が出てきた。
 入り口でちらりと目が合い、僕は周囲に人がいないことを確認してから軽く手を上げた。
 止まれ、と言う意志はそれでちゃんと伝わったらしい。
 数寄屋はやや怪訝そうな様子を見せながらも僕の真横で足を留めた。
 しかしいくら周囲に人がいないと言ってもいつ誰が来るか分からないので、自然と僕の声は小さくなった。
「どうしようか迷ってた」
 唐突に告げると数寄屋は益々変な顔をする。
「何がだ」
 僕がどんな意図で喋っているのか分からないんだろう。それもそうだ。
 だってまだ本題に入ってないし、要の名前だって出してない。
 ここで要って一言でも言えば、人の話を聞く体勢も変わるんだろうけど。
 誰の耳があるのか分からないから、危険過ぎて言う気にならない。
「いつもいつも先手取られるから」
「は?」
 僕があまりにも一方的に喋っているから、数寄屋は機嫌を損ねたような声を出す。
 意味が分からなくていらっとしたのかも。
 でもこれから先のことを聞かないと、数寄屋は確実に損をするだろう。
 だから僕は口角を上げてにやりと笑って見せた。
 数寄屋の目にはかなり意味深に映るように、わざとらしい表情を見せる。
「どんな時にしたくなるのかは分からないけど。たまには自分から誘おうかなっていう気分らしい」
 これだけ言えば誰のことをどう伝えようとしているのかは分かるだろう。
 その内容が自分にとってどれだけ有益に働いてくれるかも。
 予想通り、数寄屋の顔からは不機嫌そうな印象は消え、少し面を食らっているような様子だった。
「……それは」
 皆まで言うなと言うように僕は肩をすくめた。
 ぼかし続けた話の流れで、何を言いたいのかくらい分かるだろう。
 要でもあるまいし。
「しばらくばたばたすると思うけど。大人しく待ってたら、いい目が見られるんじゃない?」
 完全に他人事として忠告する。
 まぁ実際僕には関係のないような話だし。言う必要もないことだけど。
 要の頑張りを無下にされても腹立たしいような気がする。
 なんだかんだ言っても、仲良くうだうだやっているこいつらの関係は嫌いじゃない。
 青春だよね。と呆れながらも微笑ましいとも思えるし。
「たまには焦らすのも手だろ」
 それくらいおまえだって分かるだろ?と数寄屋をちらりと見上げる。
 そういえば僕より背が随分高く感じられる。
 要と比べたらかなりの体格差じゃないんだろうか。
 あいつ背が小さいからなぁ。
 こんなのにのっかかられて大丈夫なんだろうか。でもそんなこと言ったら世の中には要より小さな人もいるし。数寄屋もそのあたりは無体は強いてないと思いたい。
 今度それとなく聞いてみようか。
「ま、これは一つ貸しってことで」
 僕は話は終わったとばかりに手を軽く振ってトイレに入っていく。もうこれ以上は話しません、聞きませんよという態度を明らかに出す。
 これ以上詳しいことなんて言ったら誰のことかバレそうだし。
 細かいことまでばらしたら要の言動にドキドキする度合いが減るだろ。
 二人してぎくしゃくドキドキしたらいいよ。
(想像したらアホらしくなるな)
「おい、貸しって」
 一方的に話して置いて、貸しにするなんて。と不満そうな数寄屋の声を背中で聞く。
 しかし僕にとってみればその食い付きは「馬鹿が」と言いたくなるようなものだった。
 僕が黙っていれば、数寄屋は要が動く前に手を出すだろう。
 それを繰り返してしまえば、要はきっと自分から動くことを諦めてしまう。この先ずっとだ。
 だから数寄屋は自分だけが求め続ける日々になるのだ。それは空しいだろうに。
「僕に感謝する時が必ずくる。必ずな」
 振り返ってそう釘を差した。
 僕の言うことを忘れず、頭に入れたまま大人しく待っていればいいのだ。
 そうすれば棚からぼた餅が落ちてくる。そんなに幸運なことはないだろう。
 少し強めに言い聞かせると数寄屋も何かを感じたのか、むすっとしたまま視線を逸らして教室へと戻っていく。
(感謝しろ)
 これから起こるだろうことを思っては、数寄屋の背中にそう投げつけたくなった。



 後日。僕は他のクラスの人間に貸していたノートを回収し終わって教室に戻ってきたところだった。
 数寄屋は入れ違いに教室から出ようとしていたようで、ちょうどドアの前で擦れ違う。
 いつもなら目も合わさず無言でそのまま通り過ぎていた。
 ただのクラスメイト。同じ教室で授業を受けているだけ。
 僕にとって数寄屋はそれくらいの存在だった。そこに要が絡むと、要の彼氏だからという意識はあるけど。普段は何も思っていない。
 それは向こうも同じだろう。
 しかしその時は珍しく、数寄屋が僕に「深川」と呼び止めてきた。
 意外過ぎて僕は立ち止まった。
 数寄屋と直接話をすることなんてないんだけど。
 そう思いつつ、そういえばこの前もこんな光景があった気がする。
(トイレで会った時か)
 要に関してアドバイスをした時だ。
 あの時のことを思い出していると数寄屋は苦笑を浮かべた。
「おまえに一つ借りが出来た」
 どうやら僕が思い出した内容を、数寄屋は言いたかったようだ。
 たまには大人しく待て。そう言った僕の言葉に従ったらしい。
 その結果が満足出来るものだったのだろう。
(当然)
 ただ待っていればいいだけのことだ。後は要が自分をいいように差し出してくる。
 あの不器用で間抜けな要であっても、それくらいのことは出来るだろう。大体ろくに出来てなかったとしても数寄屋には欲目が有りすぎる。
 何であっても魅力的に見えるはずだ。
「良かったじゃん」
 僕は素っ気なく言い返す。要のためを思って言ったのであって、数寄屋の感謝など期待してなかった。ついてくるとは思っていたけど。
「面白かったんじゃないか?」
 あの要が自分から誘うのだ。普段ならありえないことだろう。要は悶死しそうだったことだろう。
「色々と自分の限界を感じた」
 数寄屋はしみじみと告げている。
 完全な惚気だ。しかも惚気なんて言いそうもないような奴がでれっと言っている。
 僕は突然馬鹿馬鹿しくなって鼻で笑った。
「お幸せにー」
 はいはい良かったね。と適当に手を振って聞き流す。
 数寄屋も食らいついてくることはなかった。惚気をまともに聞いて貰えるなんて思っていないだろう。
 席に戻ると要が不思議そうに僕を見上げてきた。
「数寄屋が何か話してた?」
 僕たちが二人で会話することがないのは、要も分かっているようだ。だから珍しく話をしていたのが気になったらしい。
 それにしても僕より数寄屋の方を注目していたような言い方だ。
 別にいいけど。そんなに数寄屋が好きなのか。物好きって言っていいかな。ああでもそれはこの二人ともに言えるのか?
「要の得意料理は何かって訊かれた」
 まさか要がお誘いをしたがっていたからそれを待てと以前アドバイスした。そのお礼を 言われたのだとは言えなかった。
 そんなことを言えば要は真っ赤になって固まるだろう。
 下手すると涙目になる。なんでそんなこと言うんだと恨み言も食らうだろう。
 ついでに飯を食いに来ることを拒否された日には笑えない。
 なのでそれなりの内容をでっち上げる。
「そうなんだ」
 要は僕の嘘を素直に信じた。まぁ疑うような内容じゃないからだろうけど。
「何でも作れるから。自分の好きなもん作って貰え。それが一番美味いもんだって言っておいたから」
 これは偽りない事実だ。
 要は大抵のものは作れる。作れなくとも料理の本などを見せればそれなりのものを出してくれる。
 料理のコツみたいなものをすでに拾得してるんだろう。
 こんなところだけ器用だ。
 だから好きなものを作って貰えばいいのだ。
 ただでさえ要の料理は美味いのに、それが自分の好物だった時には更に嬉しくなる。
「数寄屋の好きなもの……なんだろ?」
 要は首を傾げて考えていた。
 今度会うときの献立にしようとでも思っているのだろう。楽しげにしているのが微笑ましい。
「あんまりそういうの言ってくれないんだよ。何でもいいって言うし」
 それは何であっても美味いからだと思うけど。でもまぁ数寄屋ならあれこれ言わずに出されてものを黙って食うってスタイルにしてそうだ。
「訊いてみたら?」
「うん。そうしてみる」
 要は頷いては、少しばかり俯いて口元を緩めた。
 自信なさそうに視線を逸らしては自分の足元ばかり見ているような印象だったのに。いつの間にか微笑んでいる顔が増えていた。
 不安の色も薄くなって、今はどこかほっこりとしてる。
(恋愛って人を変えるよな)
 要はどうやら数寄屋を好きになって、随分穏やかで明るい色が見えるようになったらしい。
 それはきっと数寄屋も同じことだろう。
 幸せそうな人の顔を眺めながら、今度はいつ徹道に会いに行こうかと考えている自分がいた。




TOP