ひだまりの抱擁 3 「健太と話した」 目の前でゆっくり親子丼を食べていた要はきょとんとした。 前髪はピンで止められているため、長いまつげに囲まれた目からはよく感情が読みとれる。 「なんで?」 この前初めて会ったばかりの二人がどうして?という顔だ。 自然な疑問だろう。 「コンビニで偶々会ったから、おまえの話をした」 「なんで僕の…」 要は困ったように俯いた。 健太との繋がりなど、要以外にないからだ、ということに気が付かないらしい。 「おまえ小学校の時から人に飯作ってやってたんだな」 「すごく簡単な物だけだよ」 今日の晩飯も、要は簡単な物と言った。 謙遜しているというより、本当にそう思っているようだ。 「それでも作れたんだな」 「親がいなかったから」 仕方なく、と誉められることに慣れていないのか要は俯いたままだ。 もそもそと口を動かしている。 「飯食ってから、あいつはおまえのこと尊敬し始めたんだな」 「健太は単純なんだよ」 くすり、と要は小さく笑ったようだった。 確かに単純だ。 でも俺だってこの飯を食って、要のことを思い直した。 それまでは何も知らないただの同級生だった。 「おまえのこと、すごいって言ってた。俺もそう思う」 親子丼を食べ終わり、空になったどんぶりをテーブルに置いた要は首を傾げた。 「すごくないよ。どうしてそんなこと」 思うのかな…。と要は何も入っていないどんぶりを二つ重ねて流しに持っていく。 きゅ、と蛇口をひねる音の後、水しぶきが聞こえてきた。 御丁寧にエプロンまでしている後ろ姿を見ていると、家事が習慣付いているのだろうと感じられた。 それがどこか寂しげに映るのは先入観のせいだろうか。 要は洗い物の後、グラスに麦茶を入れて運んできた。 「家事が出来ると、すごいの?」 「そうじゃない」 麦茶を受け取り、口に含む。 冷たさが喉を通ると汗が引いてゆく。 「何が、すごいの?」 元のように向かいに座った要は、グラスを手に持ったまま顔を下に向ける。 人と目を合わせるのが相変わらず苦手のようだ。 「受け入れられるのが」 「え?」 「健太は、おまえが母親の死を受け入れてたのがすごいって言ってた。あの年で」 要は目を見開いてぴたりと固まった。 よほど意外だったようだ。 「受け入れたわけじゃ…」 そういうわけじゃない。と要は呟くように言った。 「そうするしかなかったから。それにずっと泣いてた」 悲しくて。辛くて。泣いてた。 ぽつりぽつりと語る声は、部屋の中でやけに大きく聞こえた。 「いつも学校で泣いてて、健太もよく怒ってたくせに」 要は苦笑する。 思い出しているのだろう。 「家でも泣いてたのか?」 「泣かないよ。父さんが困るから。だから家以外で泣いてた」 「気を使ってたんだな」 自分の過去を思い出しても、小学生で親に気を使った記憶はない。 気を使うこと自体知っていたかどうかもあやしいものだ。 「母さんを亡くして、一番悲しかったのは父さんで。僕が泣くと、辛いのは父さんだったから」 だから言えなかった。泣けなかった。 こつん、と要は持っていたグラスを置いた。 「父さんがいっぱい、色んな物を背負うことになったっていうのが、子どもながらに分かってたし。僕を育てるのがしんどいっていうのも、なんとなく察してた」 「頭良いんだな」 誉めたのだが、要は首を振って否定した。 「そうしなきゃ、居場所なんてなかったよ」 どこにも。 重い鉛が目の前に積まれていくかのように、要は物悲しげな表情で目を閉じた。 孤独というものが、そこにはあった。 それは自分にとっても馴染みが深いものだった。 内側から締め付けられる感覚や、押し潰されても縛られても、声も出せない苦しさ。 気が付いてもらえないことへの、失望。 だがいつしかそれが当たり前になる。 「どんな家庭の都合も、子どもにのしかかるからな」 「仕方ないよ。家族だから…」 それをおまえは何度自分に言い聞かせた? 尋ねることは傷に触ることにしかならない気がして、口に出さなかった。 「健太のことを知った時、可哀想だって本当に思ったんだ。何とかしてあげたいと思った。でも今思えば」 ほぅ、と要は深く息を吐いた。 自分を落ち着かせているようだ。 「僕が、誰かに何とかして欲しかった」 ああ。と声には出さずに同意した。 きっと誰もがそう思う。 「健太を、自分に見立ててたのかも知れない。だから…」 すごくなんてないよ。要は目を開けて、ひどく苦そうに笑った。 すぐに掻き消えてしまいそうな微笑みだった。 「おまえは結局、どうしても優しいままなんだな」 「え?」 手を伸ばすと、大きな目がこちらを見た。 うっすらと涙が浮かんでいるのは、気のせいではないだろう。 「おまえはそうやって気が付くんだ。誰かを自分の見立てにしていると。誰しもが目を閉じて、自分のいいように思い込んでいても、おまえだけは」 自分を甘やかさないんだな。 痛ましいまでに。 その分、人に優しくしたいと願っているように。 「そうじゃ…」 否定しようとする要の唇に、指で触れた。 戸惑う表情が妙に可愛いと思ってしまった。 「テーブルが邪魔だ」 立ち上がって要の腕を掴んだ。 「ちょっ、数寄屋っ?」 要を立ち上がらせると、そのまま押し倒した。 テーブル越しでは遠くて重ねられなかった唇を合わせようとした。 「待ってっ」 「何で。付き合ってる奴が涙目でいるのに、何で待たなきゃいけねぇんだよ」 顔を掌で抑えられる。 珍しい抵抗だった。 いつもは驚いたままの状態で硬直するくせに。 「……は」 要は目を見開き、力無く掌を落とした。 「今、何て?」 そして恐る恐ると言ったように聞いてくる。 「何がだ」 そんな驚くことを言った覚えがない。 だが要はこくんと喉を鳴らした。 緊張しているようだ。 「今、付き合ってるって」 「言ったな」 「…付き合ってるって……僕と?」 要は自分を指さした。 思わず脱力してそのまま上に覆い被さりそうになったが、それでは潰れるだろうと必死で自分の身体を支える。 「おまえは、付き合ってもいない奴とやるのか?」 「や、らないよ!!でも、付き合ってるなんて…」 そこまで意識がいかなかった。と要は口ごもる。 個人的にはそこまで意識がいなかいことが信じられない。 身体だけの関係を許容出来るような人間ではないだろうと察しがついていたから。 付き合っていることを認めているものだとばかり思っていたのだが。 「おまえ、相当馬鹿だな」 「ごめん…でもっ…告白なんて、されてないしっ」 赤面して、要が訴える。いっぱいいっぱいといった様子は、見て手気の毒なほどだった。 「してないな」 して欲しいのかよ、と聞くと答えが返ってこない。 目を逸らし、唸りながら身体をよじって逃げようとしていた。 「だが特別だとは言っただろ?」 「どんな特別かなんて、分からないよ…」 ああ、それくらいこいつは不器用だったな。と今更思い出す。 「好き、だ」 じりじりと抗う要の耳にそう囁き込むとひくんと身体が震えた。 こんな単語を吐くのは、全くもって主義じゃない、むしろ絶対に嫌だと思うのだが。 要が涙を浮かべて、耳まで赤くするのなら、もう一度くらい言ってもいいかも知れない。 今度は名前も付けて。 「深川」 「んー?」 体育の授業中、別のチームがバスケの試合をしているのを二人で眺めていた。 自分達の出番はこの次だった。 運動が極めて苦手なので、気が重い。 (深川はなんで運動神経いいんだろ) 部活は帰宅部、中学の時は吹奏楽部だ。運動に全く縁がないという様子のその人は何でもそつなくこなす秀才だ。 (幼なじみだけど、謎なトコが多いなぁ) 計り知れない。 「…あのさぁ」 「何、言いたいことがあるならさっさと言いなよ」 あ、点が入った。と深川が言う。 見ると一方のチームが歓声を上げていた。その中に、数寄屋もいる。 「…付き合うって……どうすんの…?」 「何その質問。今更じゃないか」 深川は呆れ顔でこちらを振り返った。 「今更じゃないよ…」 「数寄屋だろ?今更だって」 「なっ…なんで…!?」 「何年要の世話をしてきてると思っている」 考えてることの半分以上は把握出来る。と深川は大しておもしろくもなさそうに言った。 「付き合って一ヶ月とか経ってるじゃん」 「経ってないよ!!この前…言われたから」 ぼそぼそと告げると深川は「はぁ?」と驚いた声を上げる。 「だって、もうやってたんでしょうが」 「待って、なんで!?」 「見れば分かる。制服に隠れるぎりぎりのラインに痕が残されてるからね」 「いつ!?」 思わず体操服の首周りを握りしめる。 「ちょっと前。で、なんで今更そんなことになってんの。まさか今まで付き合ってなかったとか思ってたの?」 正直に頷くと、深川は軽く頭を抱えた。 そんなに鈍い、ということになるのだろうか。 「これはちょっと、同情したいかも」 同情したいと言う割に、深川は小さく笑い始める。 「やー、あの人がこんなのに振り回されるって、おもしろいなぁ」 要、最強だね。と楽しそうに笑う深川に、誉められたとも思えなかった。 そして同意も出来ずにただ視線を彷徨わせる。 「っ」 誰かと目が合った気がして、思わず俯いた。 「要?」 深川が不思議そうに声をかけてくるが、何も答えられない。 身体中の血が逆流してくるような感覚。 好きって、何? そう問い掛けたい。 重なってしまった数寄屋の目に。 |