四角い夏空 数寄屋 2


 そういえば、寝顔を見るのは久しぶりだった。
 太陽も真上まで昇り、眩しい光がさらに気温を上げている頃だ。
 だがこの部屋のカーテンは閉めっぱなしで、クーラーもかかっているから外のことはよく分からない。
 閉鎖された空間で、俺はあぐらをかきながらペットボトルに口を付けていた。
 スポーツドリンクが身体に染み渡っていく。
(小学生みたいだな)
 寝顔は天使。なんて寒い台詞を思い出した。
 だがそれくらい要の寝顔は幸せそうで、無邪気に見える。
 数時間前まで、腕の下で喘いでいた人間とは別人だ。
(なんか、変な才能あるよな。こいつ)
 耐えるように零す声に、ずっと煽られている感じがした。
 翻弄しているのはこっちで、要は始終戸惑っていたのに。それでも泣きそうな目や、反応している身体にどうしようもなく興奮した。
(童貞卒業したばっかで、やりたがりのガキみてーじゃねぇか)
 もっと余裕のあるやり方が出来たはずだった。
 相手は女も男も経験したことのないヤツで、こんなことに興味津々ってタイプじゃない。やり方知ってんのかよ、という疑問はさすがに失礼だろうが。
(そりゃ、多少の興味はあるだろーが、それにしたって)
 がちがちの身体は、とてもじゃないが知識があるだの、大歓迎だの、というのはほど遠かった。
(いつになったら慣れんだろーな)
 いい加減、力の抜き方くらいは覚えて欲しい。
 後ろをならす時にあれだけ強張っていたら、気持ち悪いだけだろうに。
 それでも中を探って、イイところを撫でて啼かすだけのテクは持っているが。
(ま、身体を溶かしていくのも面白いんだけどな)
 固まっている身体が、快楽にゆっくりほぐれて溶けていくのは、触れていると素直に伝わってくる。
 戸惑いがとろとろになって、ただ喘ぐだけになっていくのも見ていて気持ちが良かった。
「ん…」
 鼻に掛かった寝息が要からもれる。
 寝返りをうつと、肩が露出する。下着だけしか着ていない上に、隣で寝ていた俺がいなくなって寒いのか、背中を丸め始めた。
「小動物みてー」
 丸まって寝ようとするそれは、犬や猫のような仕草に見える。
 もぞもぞと動き、安定する場所を見つけたのかタオルケットに顔を埋めて、また寝始める。
 枕元に放置している携帯をちらりと見ると、すでに午後十二時近い。
 寝たのが午前二時を回っていたが。
(それにしたって寝過ぎじゃないのか?)
 確か、要は前に寝起きはいいと言っていた。なんでも父親の弁当を作るために朝七時には起きていると。
 それだけ早く寝るのかと聞いたが、十一時や十二時くらい、と言っていたから睡眠時間自体は長くない。
(そんだけ疲れたってことか)
 十時間も寝なきゃいけないことをやったわけだ。
 俺は全く平気だが。
(受け身ってやっぱ辛いんだろーな)
 だが要は大して抵抗してこない。口では止めてくれと言うが、そんなものは常套文句のレベルだった。
 男が男に抱かれるんだから、嫌だったら本気で逃げようとするだろーし、やった後も悲愴な面をすることだろう。だが要は最中も、やった後も、怠そうな顔は見せるが、怯えている様子や、死にたいって顔は見せない。
 だから俺は、要は嫌がってない、合意の上だしそういう関係だ。と思っているのだが。
(イマイチこいつの考えることがわからん)
 嫌われてはいない、むしろ好意は持たれているだろう。だがどのレベルなのかはっきり掴めない。
 もしかすると、こいつがいつも行動を共にしている深川と同じような、友達レベルに思われている可能性だってある。
(でもなぁ…寝てんだぞ…?いくらなんでも友達ってのはないだろ)
 自分で自分の考えを否定した。そう思うとあまりにも空しい。
 溜息を付くとぐぅ…と腹が鳴った。
「腹減った」
 何か冷蔵庫に食うもん入ってたかな。と呟くと要が「んぅ」とまた声を零した。
「…ごはん…?」
 うっすらと目を開けて、こっちを見上げてくる。
 ぼんやりとした目は潤んでいて、昨夜の名残のようだ。
 ふと手を伸ばして、キスの一つでもしてやろうかと思ったが、そうすればキスだけで止まらない気がして止めた。
「腹減ったんだよ」
 寝ていたヤツに飯をねだるのもどうかと思うのだが、素直な気持ちを口にすると要は「んー…」とぐずりながらも起きてきた。
「僕も…おなか空いた…」
 ほわんとした声でそんなことを言う。
 幼稚園児のような喋り方だ。寝ぼけているんだろう。
 長い前髪がばさっと顔にかかっては鬱陶しそうだ。目のあたりが見えなくなり、俺は要の前髪を梳き上げた。
 焦点が合ってるのか合ってないのか、曖昧な瞳が俺を見た。
「大丈夫か?」
 あまりにもぼーっとしているので、疲れが残っているのか、引っかかることでもあるのかと心配になって顔を覗き込む。
 するとぱちぱちと何度が瞬きをして、要は一言「今、何時?」と聞いてきた。
「十二時前」
「…えぇ!?十二時!?」
 ぼやっとしていたのが嘘のように、要はばっと顔を上げて辺りを見渡した。
 だが俺の部屋に時計らしい時計はない。携帯で十分だからだ。
「ああ、十二時」
 手元にあった携帯を突きつけてやると、そこに表示された文字を見て要が凍り付いた。
「…僕…こんな時間まで寝てたの久しぶり……小学校で友達と徹夜しようって頑張った時以来かも…」
「んなこと頑張るなよ」
「ど…どうしよう…もう朝じゃないよね」
「全く朝じゃないな。つか何をどうしようなんだよ。ここ俺の部屋で、おまえ泊まりなんだから、弁当作る必要もないだろ」
 要は動揺しているらしいが、理由が分からない。
 この状況を説明するようにそう言ったら「あ…そっか…」と要は頷いた。
 頭が回らないらしい。
「朝ご飯は、もういらないよね…」
「昼飯をかなりの勢いで要求するけどな」
 腹が欲しいと訴えている真っ最中だ。
「お昼…冷蔵庫何があったっけ…」
 要はそう呟きながら、起きあがろうとした。
 そして自分が下着だけしか着ていないことに気が付いたらしい。
 鎖骨の周りにはキスマークが散っているが、そこまで目はいかないだろう。
(また盛大についたな。肌薄いんじゃねぇの?)
 一つ二つはわざと付けたが、覚えていた以上の数が付いている。
 期末テストの勉強をしている間、おあずけをくらっていたことに文句を言うように。
 もしくは、独占したいって気持ちが出てきたか。
(複雑だ…)
 独占欲が溢れ出した証拠のようで、らしくない、そんな居心地の悪さがある。
 人に執着なんかしないと思っていたのだが。
「……あの…」
「着替え持って来てるだろ?なきゃ貸すけど、サイズ合わねぇぞ」
「持ってきてる…けど…あー…」
 うあー…。と要は深く俯いた。
 耳が染まっていく。どうやら夜のことを思い出したらしい。
(遅っ)
 飯がどうのこうの、って言う前にそのことを思い出せよ。
 さて、こいつどうすんだろ。と観察しているとのろのろと立ち上がっては持参してきた鞄の中身を広げ始めた。
 とりあえず着替えることにしたらしい。
「うー…」
 腰を押さえて、要が軽く呻く。
「痛いか?」
「えっ…あー…ううん…」
 横顔に声を掛けるとどもりながら、頭を振る。
 ヤってる時は、気を使う余裕なんかあんまなかったから。痛めてもおかしくはない。
「筋肉痛とか、そんな薬ならあるけど」
「いっ、いい!いいから!」
 要はばさばさと動揺を現すみたいに服を取り出す。
 分かりやすくて面白いヤツだ。
 ようやく上着を着ようとしている背中を見て、俺はあることを思いだした。
「首の回りが開いた服とか着るなよ。キスマーク付いてるから」
「へ?」
「洗面台で鏡見て来いよ。そしたらどれだけのもんか分かる」
「どれだけって…」
 不安になったのか、要はゆっくり立ち上がってふらふらと洗面台へと向かった。
 足取りに違和感がある。ってことはやっぱり腰が痛いのか。
(突っ込み過ぎて切れたか?)
 下世話な心配をしていると、洗面台からガタンと物が落ちる音がした。
 あー、ショック受けて何か落としやがったな。
 そう思いながら洗面所を覗くと案の定要がうずくまっていた。
 鏡の前に置いてあった歯ブラシとコップが床に落ちている。きっと鏡に一端すがりついたんだろう。
「夏休みなんだからいいだろ」
「……これ……いつ消えるの…?」
 蚊の鳴くような声で要が聞く。そこまで詳しいことは俺も知らない。
「さあ?人によるだろ。内出血だしな。三日くらいあったら消えるんじゃねぇの?」
「三日…」
 いい加減な俺の答えに、要は途方に暮れているようだった。
 服着ていたら隠れるような場所なんだから、別にいいだろ。
 反省もせずにいる俺の腹が、ぐぅと鳴った。
「あ…」
 要は顔を上げて、思い出したかのように立ち上がった。
 人の腹の音に反応するなんて、要らしいというか何というか。
 赤くなった目尻は直らないがショックは薄れたようだ。
「御飯、作るよ」
 うん。と要は無理矢理吹っ切るようにして冷蔵庫を開けた。
「昨日の残りとかねぇよな」
 俺が後ろからひょいと中を見ると、要は「ひあっ!」と妙な声を上げて驚いた。
「んだよ」
 驚かせるようなことはしてない。
「ちょ、ちょっと待って。ちゃんと御飯作るから、向こうで待ってて」
「なんで」
 台所と部屋は繋がっている。布団は広げたまま、テーブルは隅に寄せられたままな状態の場所を指さされてちょっとむっとした。
 邪魔だってんだろうか。確かに料理に関して俺は役に立たないが。
「落ち着かない…んだよ…。なんかもう…」
 どーしていいのか。と要は昨夜も涙目で弱音のように言った。
(なんだ、まだ区切りがついてねぇのか)
 一回睡眠をとったくらいでは、要の中では昨夜のことが整理出来ないらしい。
 それはそれで、からかえば面白そうなのだが。
(さすがに、夜も昼もヤってらんねぇだろうな)
 手を伸ばして、そのまま押し倒してしまう自分がいた。
 いくら要でもこの部屋に来ては抱かれてばっかり、となれば来るのが嫌になるだろう。
 それでは今後色々と困るのだ。
 大人しく要から離れ、窓のカーテンを開けた。
 眩しい光に視界を奪われる。
「くそ暑そうだ…」
 外は益々夏盛りだ。
 四角の窓から見上げた空は雲一つない。
 爽快というか、暑苦しそうだというか。
「ああっ」
 急に要が声を上げるので、振り返って見ると鍋を落としていた。
「まともな飯が出てくるんだろうな」
 少々心配になるが、たぶん大丈夫だろう。家事のことに関してだけは、信頼している。
(なんつーか…平和だな)
 こんなことに浸りたいなんて思う日が来るとは思わなかった。
 だがしばらくはこうして、四角の夏空の下で要を眺めていたかった。
  



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