1 バイトでもないのに、女装をして町中を歩いている。いや、そもそもバイトなら女装したまま外に出ることはない。大体店で着替えて化粧をしている。 でも今日は漫画喫茶で着替えて化粧をし、わざわざ手間をかけて外出していた。 普段ならば絶対にしないことだ。 大体俺はオカマバーでバイトをしているのだが、オフで女装をしたいと思ったことはない。あくまでも仕事だからするのだ。 日常は男子大学生として暮らしているし、それに不満はない。 だが何故今日俺が女装をして電車で移動し、まして駅前にいるのかというとバイト先の先輩に会いに行くからだ。 なんでも恋愛相談に乗って欲しい。 付き合っている相手が常連さんの弟であり、大学生ということで同じ大学生である俺の意見が聞きたいらしい。 ならば私服で会えばいいんじゃないかと思うかも知れない。 けれど俺はバイト先の人に会う時は極力女装をするようにしている。でなければ万が一恋愛感情を抱かれた時に面倒になるからだ。 俺がオカマになるつもりはない、ということはバイト先の人はみんな知っている。かつてはそれを知った上で、付き合ってくれと言ってきた人もいた。 中身はノーマルだったなら、オカマな自分を女として見てくれ。そして好きになってくれ、というものだ。 しかしオカマだの何だのという問題以前に、職場恋愛というのは揉める元なのでしたくなかった。ましてようちゃんに出逢ってからはようちゃんにのみ恋愛感情が発動するので、もっぱら好きだの何だという感情とは一歩距離を置いている。 これだって恋愛相談をする異性とは、そのまま恋愛関係に発展する可能性がある、という信憑性がどれだけあるの分からない事柄を警戒してのことだ。 要らぬ心配で済めばいいのだが、俺がこれまで過ごしてきた人生の中で、恋愛相談から告白に暴走されたことが何度かある。 身構えるのも仕方がないと思って頂きたい。 (いらない心配で済んだら、それはそれでいいしね) 事があってからではめんどくさい。 そう思いながらバイト先の先輩の家へと足を向ける。今回が初めてのことではないので、家の場所は知っていた。 午後四時という微妙な時間、辺りはほんのりと暗くなってきていた。 明るい昼間より、薄暗い夕方のほうが性別を誤魔化せるので、大体女装するなら夕方から夜だ。 「あの、すみません」 不意に声を掛けられて内心忌ま忌ましさを覚えた。 女装をしているので人目にはあまり触れたくないし、何より声を発したくない。 当然のごとく訪れた声変わりのおかげて、俺の声は見た目に反して低いものになっている。ハスキーな声、と好意的に受け取って貰えれば良いのだが、女装しているとばれると嫌悪を向けられるかも知れない。 別に嫌がられたところで赤の他人、興味ないのだが不愉快は不愉快である。 無視しようかと思っていると、声を掛けた男はわざわざ目の前まで回り込んでくる。 二十過ぎの、ごく普通の男に見える。顔立ちも服装もごく平凡で、言うならば服と靴と鞄まで黒なのでもう少し色を入れたほうがいいんじゃないと思う程度だ。 「道を教えて欲しいんですが」 何故俺を選んだ。無視されたことは気が付いたはずだろう。つか道を訊くとか、こいつスマートフォン持ってないのか。 そんな考えが巡ったが、男は俺が何か言うより先に「○○ってところなんですが、知りませんか?」と尋ねてくる。 急いでいるのだろうか。他の人に訊く時間もないのならば、さっさと答えて解放して貰ったほうが安全か。 「それなら、この道を真っ直ぐ行って二つ目の信号を左に曲がったところです」 出来るだけ高い声を意識して、簡潔にそう答えると男は意外そうな顔をした。きっと思ったより声が低いと思ったのだろう。 だが男とまでは思わなかったのか「ありがとうございます」と頭を下げてきた。 「いえ、じゃあ」 「あ、あの。僕方向音痴で、出来れば近くまで案内して貰えませんか。お礼はします、御飯とか、お茶でもいいです」 必死になって俺を繋ぎ止めようとしてくる態度にぴんと来た。 「もしかしてナンパですか?」 問いかけると男は気まずそうに「いや、まあ」と言葉を濁している。 (へったくそなナンパ!) もっとやり方があるだろう。道を訊くとか、今時そんな方法をとるのか。 自分ならもっと別のやり方をする。少なくともナンパ?と訊かれて照れて言葉を濁すようなことはしない。堂々と肯定しては、相手に探りを入れるだろう。 けれどここでナンパの方法を男に伝授するつもりはない。 「悪いですけど、わたし急いでるんで」 先輩との約束の時間までそれほど余裕はない。自分がちゃんと女に見えていたことには安堵するけれど、同性にナンパされても嬉しくとも何ともない。 素っ気なく返事をして、男の隣を通り過ぎようとした。 「あの、またここ通りますか?また時間がある時に」 (いやー、完全なお断りじゃん。脈無いじゃん。食い下がるかここで) アンタに興味ない、迷惑だと言われているようなものだが男には通じないらしい。 次などないのだと思いながら、男を振り切るように早足で歩く。 男は追いかけてくることはないようで、すぐに声は聞こえなくなったけれど「ここ通りますか?」という質問に憂鬱になった。 (この駅に降りることも、この路線使うことも滅多にないけどさ) それこそ先輩の家に行く時だけなのだ、それでもどこかで自分を待っている人がいるかも知れないというのは、あまり気分の良いものではなかった。 「俺のオカマ姿って可愛い?美人?」 飯を食いながら唐突にそう尋ねると、正面に座っていたようちゃんがあからさまに「何言ってんだこいつ」という顔をした。 冷ややかな表情は恋人に向けるものじゃないだろう、と言いたくなるようなものだが。俺の彼氏は大抵リアクションが冷たいので、この程度まだ生やさしいくらいだ。 「先輩のところに恋愛相談受けに行くって言ってたじゃん。オカマになって行ったんだけどさ、駅前でナンパされて」 「それは、女だと思われた状態で、ということか?」 「たぶん。だってオカマとかニューハーフとか言われなかったし。俺女装そこそこ上手いしね」 バイトをしているから、というのもあるけれど。町中を歩いていても、ぱっと見ただけなら背の高い女としか見えないだろうという自信はある。 「男として、果たしてそれが自慢になるかどうかは別として。まぁ概ね問題ないだろう」 「でしょ?だから女だと思ってナンパしたんだと思うよ」 ふぅん、といい加減な相づちをしてようちゃんは味噌汁をすすっている。 自分の恋人が男に声をかけられたからと言って怒るわけでも、心配するわけでも、まして嫉妬するわけでもないらしい。 (まー、俺がナンパされんのは毎度のことだけど) しかしそれは相手が女の子の場合だ。男に声をかけられるなんて、店の外ではましてあんな風に真剣にがっついてくる人は初めてだった。 「おまえは顔面は良いからな」 ようちゃんは塩鯖を突きながら、何でもないように言う。一応褒め言葉なのだが、なんとなく顔だけの男と言われているような気がした。 「顔面は」 「ああ、顔面はな」 「他は?」 「いいところと悪いところが多々ある。割合はその時の俺の気分によるが」 全部良いところ、全部悪いところ。なんて割り切れるようなものではないらしい。 真面目なのか何なのか。おまえの全てが好きだなんて表現は口が裂けても言わない人だ。 (盲目的には絶対になってくれない。それがまた魅力的なんだけど) 自分はどちらかというと思い始めると一直線で周りが見えなくなるタイプなので、その冷静さが少し意地悪だと思う。 「そもそもナンパなんて、相手の顔面以外に見るところないだろ。中身なんて初対面で話もしてなかったら分かりようもない」 人間は中身だ、なんて綺麗なことはお互い言わない。ましてようちゃんは俺の顔が好みだとはっきり言っている。 けれど顔が気に入ったからといって、何の情報も持っていない人間に声をかけて付き合ってくれという神経など信じられないのだろう。 一目惚れなど気が触れている、かつてそう言われたことを思い出しては、変わっていないなと実感する。 「そーだけどさ。そのナンパして来た人はオカマの俺を相当気に入ったのか、またここ通りますかなんて訊いて来てさ」 「はあ?」 ようちゃんは盛大に顔を顰めては箸を止めた。聞き捨てならない台詞であったらしい。 「なんか、また会いたいみたいなこと言われてびびった」 「……おまえ、その駅よく行くのか?」 盛大に不愉快です、という表情をしてようちゃんが俺を見てくる。どうやらナンパされたというだけでは何とも思わないらしいのだが、次の接触を試みられるとさすがに嫌らしい。 ちゃんと俺のことは好きなのだろう。他人の手出しが気に入らないらしいその態度が嬉しかった。 「全然。先輩の家に行く時にしか降りない駅だし。大体さ、いつ何時にあそこに俺が行くかなんて分からないわけだし。二度と会えないでしょ」 待ち合わせでもしない限り、同じ相手に二度会うことはかなり困難だ。 毎日の通勤で使っているのならばともかく、俺は通学にも通勤にもあの駅を通ることはないのだから。きっと二度とあの男にナンパされることはない。 だがようちゃんはそれで安心するわけではなかったらしい。 「気を付けろよ。ストーカーになられたらたまったもんじゃないぞ。世の中変な人間が多いんだから」 「ホントよねぇ。あたしが可愛いばっかりに変な男に目を付けられて、怖いわぁ」 頬に手を当ててわざとらしくブリッ子な声を作ると、ようちゃんが話は終わったとばかりに食事を再開している。 切り替えが早い。というか素っ気ない。 「おまえも充分に変な男なんだがな」 「人様に迷惑かけてないからいいのよ」 「今はな。今は」 かつてはそのナンパ男などよりずっとたちの悪いことをしたものだ。ようちゃんはの記憶にはしっかりとそれが残っているのだろう。 「いいじゃない。今はちゃんと恋人として大切にしてるんだから」 付き合う前のいざこざは、いざ恋人になって好きになって貰って、仲良く暮らしている生活になったのならば。結果オーライだろう。 何事も結果が全てだ。 一人でそう結論を付ける俺に、ようちゃんは呆れが混じった目を向けてくるけれど文句は言わない。それで納得しているからだ。 大切にされている、という自覚があるようで俺としては一安心だった。 next |