日曜日、電車で十数分のところにあるショッピングモールに史浩と一緒に来ていた。
 たまには二人でどっか行きたい!と主張する史浩と買い物に行くかという俺の意見が合致した結果だ。
 服買おう服!と言い出した史浩にてっきり自分の服を買うのだと思っていたら俺の服を見繕うつもりだったらしく、あれこれ指示されて仕舞いには試着室に押し込まれた。
 俺は服のセンスなんてないので、勧められるのは嫌ではない。
 めんどくさがりな俺が気まぐれで従っているのが面白いのか、史浩はあれこれ俺に合わせては上機嫌だった。
 デートだデートだと内心喜んでいるのが見てとれる。
 休みもなかなか合わないので、ゆっくり遠出が出来るはずもなく。こういう日常でも史浩にとっては楽しいことなのだろう。
 試着室で服を着、別に問題はないだろうと判断したものをそのままレジに持ってく。
 清算が終わり、店内を見渡すと史浩の姿がなく首を傾げた。
 またどこに行ったのか。別の店でまた新しい何を見ているのか。
 さすがにもう財布の中身が軽くなってきたのだがと思って店先を見ると、史浩が誰かと話をしていた。
 こちらからでは後ろ姿しか見えないけれど、若い女のようだった。
 緩く巻かれた茶色の髪。黒いミニスカートにロングブーツ。誰もが似たような後ろ姿で、きっと同年代の女の子たちが一斉に並べば違いなど分からないだろう。
 ナンパされているのだろうか。
 苦笑している史浩を、俺は少しばかり離れた場所で見ていた。
 史浩が女の子になびくとは思っていない。その辺り史浩は堅い性格だと思っている。
 単純にその女の子に近付きがたいのだ。きゃらきゃらと高い声にややしなを作った姿勢。可愛さを意識したその態度が、とても抵抗感を与えられる。
 女を主張する雰囲気は、俺にとっては威圧感に近かった。
 さていつ終わるのかと思っていると史浩がこちらに気が付いた。
「ようちゃん」
 軽く手を上げられ、否応なしに女の子がこちらを振り返った。
 きっちりと化粧をした顔。つけまつげが取れそうだと思ってしまう。
 まだ十代ではないだろうか。
 しかし史浩だってまだ二十歳なので、きっとそれくらいの女の子が釣り合っているのかも知れない。
「この人と一緒だから」
 史浩がそう言う。それは断りの台詞に聞こえた。きっとどこかに誘われていたのだろう。
「ならこの人も一緒に行きませんか?友達も来るから」
 まだ食い下がるのかと感心した。
 しかしそれに史浩の方が機嫌が悪くなるのが感じられた。だがぱっと見ただけでは分からないだろう。目がやや細くなった程度の些細な違いだ。
「用があるんだよね。ごめん」
 謝りながら史浩はその女の子を見ることなく俺の所に来た。
 もう声を掛けることはない、とその声音が告げていた。
(大体友達って言っても俺とじゃ年が合わないだろ)
 二十も後半に入ろうかという年頃の男だ。
 あの女の子の友達とは、年齢が合わないだろうに。そこまでして史浩と関わりを作りたかったのか。
(顔はいいしな)
 史浩は背も高く顔も整っている。だから魅力的に見えるのだろう。まさかオカマのバイトをしているなんて、女装が上手いなんて知るはずもない。
 俺が黙っている間に史浩は俺の荷物を持って歩き出した。
 完全に彼女扱いをされている。
 他人からしてこれはどんな光景に見えるのだろうかと思ったが、所詮二度と会わないだろう人々だ。知ったことではない。
 好きにさせて、史浩に付いて行く。通り過ぎる人々は家族連れだの恋人同士だの友達同士だのがよく見られる。俺たちはその内の一つでしかない。
「モテるんだな」
「妬いてくれる?」
 思った感想をそのまま述べると、史浩は先ほどとは違う自然な笑みで俺を見た。甘ったるい視線だ。
 しかもそれを良しとしている俺も大概なのだろう。
「いや、大変そうだと思うくらいだな」
 心配もしなければ羨ましいとも思わない。ただ断るのが面倒だろうと思う。
「大変ってほどでもないけどね」
 慣れだ慣れ。と顔が言っていた。数をこなせば苦でもない作業なのだろう。俺にはよく分からないが。
「おまえは人に好かれそうだしな。道もよく訊かれるだろ」
 顔が整っていると近付きがたい部類もあるそうだが。史浩は雰囲気が柔らかい。それはオカマになる時にとても役立っているようだが、普段からそれでは人がよく寄って来ることだろう。
「たまにね。ようちゃんはないの?」
「俺はあんまりないな。顰めっ面して歩いてるし、近寄るなってオーラが出てるんだろ」
 道なんて訊かれても困るだけだ。上手く説明出来る自信もない。
 下手に絡まれるくらいなら初めから他の人に当たって欲しい。
「ちょっとでも笑ったら、印象変わるのに」
 そう言う史浩の口元にはよく淡い笑みが浮かんでいる。きっと元々笑みが似合い、それを刻むことに表情筋が馴染んでしまったのだろう。
 だが生憎俺の筋肉は硬く、人に好かれようという意欲もない。
「人に寄ってこられても困る。特に、女はな」
 史浩が女にナンパされているのを見て感じたことは、自分には絶対に振られたくないということだった。
 知らない女に、全く自分にとって利にならない仕事でもないことでわざわざ接触したくなかった。
「苦手なんでしょ?そんな気はしてたけど」
 人はあまり好きじゃない、とは言っていたけれど女が特に苦手だなんて話は、そういえばしたことはなかった。
 だが史浩は一緒に暮らしているだけあって、感じるものがあったのだろう。
「俺が初恋だもんね〜」
 へらりと嬉しそうに言う人の足を無性に踏みたくなった。
 そして通り過ぎていく人々の耳に、こんな馬鹿げた台詞が聞こえませんようにと願った。
 それはおおむね叶ったようで、誰も俺たちの方を見ようとはしない。
「俺はそんなもの、死ぬまでするつもりはなかった。誰も好きになるつもりなんてなかったんだ」
 初恋ということは否定しない。それはかつて俺自身が口にしてしまった失言だ。
 だがそれに続く言葉はいつだって同じ。別に望んでいたわけではない、ということ。
「さみしー」
「他人はそう言うが、本人にしてみれば寂しくも何ともない」
 特別好きな人がいなくても人生はそんなに寂しくもなく、味気なくもなく。楽しいこともあったし、悲しいことだってあった。舞い上がりそうなくらいの歓びや、死にたくなるくらいの絶望には出会わない代わりに、安定した日々を送れていた。
 今思い出してもそう悪くない日常だっただろう。
 感情の揺れ動く幅が小さいだけだ。変化を好まない俺にとってそれは不満には値しないことだった。
「ても、そんな時にはもう戻れないよ」
 史浩はふと力を込めてそう言った。
 初恋を、恋を知らない時だったのならばともかく。俺はもう落ちてしまった。
 だから無垢な頃には戻れないのだ。
(たとえこいつがいなくなったとしても)
 平気で暮らしていくなんてことはもう出来はしないのだ。傷を残され、痛みが俺に襲いかかるのだろう。
 いつかそんな時が来るのだろうか。
「あ、ドラッグストアあるよ?洗剤買って帰る?」
 史浩が指さしたところには大型チェーン店のドラッグストアがある。そういえば台所洗剤が残り少なかったような気がする。そして風呂場の洗剤も心許ない。
「シャンプーも欲しかったんだよな俺〜。ようちゃんも歯ブラシ買い換えたいんじゃなかったっけ?」
「ドラッグストアは魔物か」
 俺の頭の中に歯様々な日用品が浮かんできたが、どうやらそれは史浩も一緒だったらしい。思い出した物だけでもかなりの重さになるのではないか。
「車があったら便利なんだがな」
 すでに荷物がある分、ドラッグストアで思う存分買い物、というわけにもいかないだろう。
 選別しなければならないのが面倒である上に値段がお手頃だった場合の悔しさはなかなかに耐え難い。
「ようちゃんは免許持ってるんだっけ?」
「あるが教習所でしか車に乗ってない。今更怖くて乗る気にもならないしな」
 車の免許はあると便利だろうという認識程度で取った。身分証明書になっていれば充分だった。
 それに車がなくとも交通の便の良い場所に住んでるので、そう困ったことにはならないのだ。荷物が多くなると持って帰るのが手間だということ以外。
「俺も免許取ろうかな。今はきついから、三回生くらいで。その辺になったら単位も結構取ってるだろうし」
 一、二年の間に取れるだけ単位を取るというオーソドックスな大学生活を送っているらしい。そのため現在の史浩は過密スケジュールだ。
「大学に教習所にバイトか。多忙だな」
 社会人の俺より忙しいのではないだろうか。朝一で大学に行って、夕方になれば教習所、夜から夜中にかけてバイトという日も出てくるかも知れない。
 いくら若いと言っても、丸一日休む時間がなければ辛いと思うのだが。若者というのは一般的にこれくらい多忙なものなのだろうか。
(俺はのんびりした学生時代だったからな)
 息抜きの時間を大切にして、それはもう絶対に削ろうとしなかった。バイトもしていたけれど短時間で、睡眠時間など誰が減らすものかと思っていた。
「やれば出来る!それに車買ったら二人で遠出でもしようよ〜」
「旅行か。おまえの休みがちゃんと取れたら、の話だな」
 バイトであるのに人気者らしい史浩は休みが取りづらいらしい。土日や祝日しか働いていないので、その分その日はしっかり出ろと言われているようだ。
 当然平日は大学だ。
 夏、冬休みというものがあるが、長期の休みになるとその分オーナーが容赦なく馬車馬のごとく史浩を働かせることはこれまでの暮らしでよく分かっている。
「うん。絶対取る。行方不明になっても!」
「なるなよ。嫌だよおまえの親に恨まれるの」
 もう未成年と同棲したという過去だけでお互い随分根の深い感情を持っているのだから止めて欲しい。
 俺が願ったことではなかったけれど、それでも親としては思うところがあるだろう。
「一年に一回はなんとかして旅行して、ふらふらしたいね〜。海外とかもいいね」
「夢のある話だな」
「現実味あるでしょ。いつだって叶えられるよ」
 そう言って隣で史浩は微笑んだ。
 あれがしたい、これがしたいなんて俺にはあまりない希望だ。まして旅行なんて、自ら動こうなんて思ったことはない。
 それでもこの男が手を引いてくれるのならば、悪くないなと思えるのが不思議だった。


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