ぷりん


 冷蔵庫にプリンが二つ置かれていた。
 硝子の瓶に入ったものを自宅の冷蔵庫で見るなんて珍しい。
 プラスチックならたまにあるんだが。
「このプリンどうした?」
「あー、今日ちょっと用事があって職場寄ったら貰った」
 晩飯を食い終わり、一息つくかという時で、史浩は洗い物をしていた。だがそれもすぐに終わったようで俺の背後からひょっこりと冷蔵庫を見る。
「オーナーが、ようちゃんと食べていいよって」
 何気なくオーナーと言っているが、実の父親のことだ。
 だが父親と表現することは滅多にない。思い出話をしている時くらいだ。
 史浩の中で区切りのようなものがあるのだろう。
 それにしてもあの人は俺と史浩が同居してるのをどう思っているんだろう。最初はすごく反対してたけど。
「二つとも食っていいよ?」
「いや、一個でいい」
 史浩があまりこういう甘いものを食べないのは知っているけど、せっかく親が渡してくれたものだ。他人が全部食べてどうする。
 一個だけ手にとって、スプーンを戸棚から出す。
 薄いフィルムを剥がし、淡いクリーム色のプリンをすくい取る。
 口の中でとろっと溶けるそれは甘いクリームの味と、柔らかな卵の風味を持っていた。
 鼻の奥に濃厚な甘さが広がるのだが、それが嫌味なくすんなりと喉の奥に溶けていく。
 後に残るのは素朴な卵の香りで、丁寧に作られた手作りなのだろうなと感じさせられる。
「プリンと言えば、バケツプリンっていうのがあるだろ」
 俺はふと思い出したことを口にした。
「あー、あるね。あれ通販で売ってるんでしょ?」
「らしいな。でもこの前バケツはバケツでも四十五リットルのゴミバケツでプリン作ってる奴がいた」
「四十五リットルって、こんなの!?」
 史浩が両腕で輪を作ってみせる。だがそれは大袈裟な表現ではなかった。
「ひっくり返すのに大人二、三人がかりでやってたな」
 誰が食うんだそんなもんと思ったのだが、パーティー用として注文があるとテレビでは言っていた。この世の中は奇特な人がいるものだ。
「へー、すごいねぇ。でも俺の職場でもお城みたいなパフェ作ってもらったことあるよ?」
「店の注文で?」
「ううん。お客さんが頼んでくれたの」
 史浩は満面の笑みを作って見せる。
 そうだろうな。こんな無駄なもの、おまえの所のオーナーはしぶりそうだもんな。
 てかそういう馬鹿騒ぎは客に払わしそうな人だもんな。
 そしておまえはそういう客を捕まえて、金出させるの得意そうだしな。
「おっきかったよ〜。みんなはしゃいじゃって」
「一種の祭りだな」
 まぁ史浩の店では毎日が祭りみたいなものかも知れないけれど。
 現実社会からは少しだけ離れている場所だ。誰もがそんな隔離された空気を楽しんでいるように、史浩がくれる情報からは察せられた。
「まだ新人の子とかはお金ないから。食べ物もちょっと困ってるみたいでね。あの時は必死になって食べてたなぁ」
 オカマ社会のも色々あるようで。その特性からして親などに勘当され家出同然であそこに来た人もいるらしい。他にも様々な理由で金が用入りになり、貧乏暮らしをしている人もいるのだろう。
 そんな人にとってそのサイズのパフェなどいい食料だ。
 甘い物はカロリーも高い。
「もう素に戻っちゃって。本気になってがっついてんの。店の中で男に戻ったらオカマ失格だっていうのにね」
 男に戻ってどか食いというのも、すさまじいな。フードファイトか。
「後で先輩とかに怒られてたけど。あの時は楽しかった」
 史浩は思い出しても面白くなるのか、笑いを滲ませていた。
 脳天気で行動的な史浩にとってあの店はとても面白いものらしい。
 職場の人と騒いだことをいつも楽しげに騙ってくれる。
 祭りとか本当に好きそうだ。
 俺と違って。
「でもようちゃんと一緒にいる時が一番楽しい」
 史浩はさらりと、笑みを深くしてそう言った。
 不意打ちの台詞に俺はスプーンを持っていた手を止めて、目を合わせてしまう。
 寂しいなんて思っていたわけじゃないのに、そうフォローをされてどうすればいいというのか。
 言葉に迷ったので、代わりにプリンをすくって口元に運んでやった。







 帰宅すると家に史浩がいなかった。
 いつもなら俺より先に帰ってるんだが。
 どっかで引っかかってるんだろうか。
 時計を見るとそんな遅い時間でもないし、晩飯を作ろうにも史浩が何を作る予定なのか分からないので手が出ない。
 晩飯の材料を今買ってるかも知れないし。
 さてどうしたものかとスーツを脱いで着替えていると玄関が開けられる音がした。
 少し時間がずれただけのようだ。
 迎えに行くと案の定史浩はスーパーの袋を片手にぶら下げていた。
「おかえり」
「ただいまー。ようちゃんの方が先だったんだ」
 珍しいという顔をされる。それもそうだろう。
 大抵は俺が史浩に出迎えをされる側だったから。
「今日の晩飯はねー」
 史浩は部屋に入るとまずキッチンに向かった。材料を冷蔵庫に入れるためだ。その後ろ姿を見て、俺は違和感を覚えた。
「髪切った?」
 史浩がいつもくくっている髪の毛が、今日の朝までは馬の尻尾のように長かったのに、今は小型犬並になっている。
「そうそう。だから今日遅くなってさ」
 史浩は手早く冷凍食品を突っ込んでいる。
 職場が職場なせいか、史浩はよく美容院に行っているようだった。見た目に気を使うのもオカマのたしなみのようだ。
 俺なんかめんどくさくてついつい後回しにするけど、オカマは日々の手入れが肝心だと言っていた。
「そろそろ夏だから、短めにしてって美容師さんに言ったんだよね。でもショートには出来ないから」
 史浩は髪はある程度長い方がいいと言っていた。その理由はよく分からない。
 客の受けがなんとかと言っていたような気もするが。
「俺が隠れオカマってことも知ってるから、普段でも困らないような形考えて貰って。で、こんな感じになったんだけどくくってたら分からないか」
 食材を入れ終わったらしい史浩が俺を振り返る。
 確かにくくっている状態では短くなったということしか分からない。
 それにしてもこいつは美容院でトリートメントやら何やらもこまめにして貰っているらしい。
 きっとこんなにも髪が艶やかで綺麗な男はそうそういないだろう。
 大学とかで髪が綺麗な男選手権とかやったらきっと優勝出来るだろう。
 そんなものやらないだろうが。
「髪洗うのがちょっとは楽になりそうだな」
「そうよ!それよね!」
 史浩は嬉々として頷いた。
 こいつは髪を洗うのが面倒だと言っていたのだ。
 冬場はその上「乾かない〜」とドライヤー片手にぼやいている。
 俺からしてみれば大変そうだなと、完全に他人事だったのだが。
「これからはちゃんと乾かすから、のしかかった時に冷たいなんてことはないと思うわよ!」  胸を張ってオカマ口調でそう言われる。
 冬場は上にのし掛かってきた史浩の長い髪が冷たくて、肌に触れるとぞくりとして怒ったものだ。
 こいつもめんどくさがって生乾きにしやがるのが悪い。
「でもこの髪型、前との作りが変わったのよね〜」
 そう言いつつ史浩は野菜を手に取る。
 今日は何を作るつもりなのか、玉葱の皮をむき始める。
「まぁ…大変そうだな」
 髪型なんて気にしたことのない俺は気のない返事をした。
「そうよ〜オカマって大変なのよ。メイクの研究もしなきゃいけないし」
「女か……」
 髪型を気にして、化粧を気にして、本当に女みたいだ。
 見た目が綺麗な分、そうして容姿を磨くのは高みを目指す一つなのだろうが。
 でも男なんだよな。
 俺はそう複雑だなと思ったのだが、史浩は俺の発言にこう答えた。
「オカマよ!」
 言うと思った。
 しかしこうして女のようだと思いながら史浩の動きを眺めていると、まるで関白亭主とそれに付き従う妻のようではないかと思ってしまった。
 素早く家事をこなす人と、それをただ眺めるだけの人。
 別に夫婦でもなければ、俺は関白亭主に憧れているわけでもない。
 普段は帰宅したら史浩が飯を作り終わっているから、ただ食べているだけになっているけれど。
 手伝わないわけではないのだ。
 共働きなんだし、何を甘えているのか。
 そう思って俺も史浩がやろうとしていたなすを一口大に切る行程を代わる。
「今日何するんだ?」
「ん?これをミートソースで炒めるの」
 あー、と俺は何度か食卓でお目にかかった料理を思い出した。ならこの次にやるのはあれかこれかと思っていると、史浩が小さく笑った。
「なんか新婚さんみたい」
 夫婦じゃないんだからとつい数秒前に思っていた俺は、見事に撃沈した。



クレームダンジュ


 食後のデザートとして、俺は仕事帰りに買ってきたクレームダンジュを食べていた。
 クリームチーズにたっぷりのメレンゲをくわえた、ふわふわとしたまるできめの細かい泡のような食べ物だ。
 プリンのような容器に詰まっており、真ん中には甘酸っぱいベリーのソースが入っている。
 甘くてふわふわとしたクリーム生地と、そのベリーのソースが絡み合うと絶妙な美味しさになる。
「ようちゃんがケーキ買ってくるなんて珍しいね」
 史浩はフルーツタルトを食べながら、そう言った。
 俺はシュークリームとかまれに買うことはあるけれど、ケーキを買う事なんて滅多になかった。
「今日、仕事帰りに一緒に帰った職場の人間がケーキ屋の近くで、ケーキが食いたいって言い始めて」
 実はそいつは昼休みの頃から、ケーキの話題を出してはいたのだ。だがケーキ屋の近くで立ち止まるほどだとは思わなかった。
「男なのに甘い物が結構好きで、ケーキが好物ってことも知ってたんだけど。すげぇ物欲しそうに見てるから帰って行けばって言ったんだよ」
 そんな高価な物でもないんだから、迷うくらいなら買えばいいだろうと。
「でもそいつが新婚さんで。奥さんはケーキは買うくらいなら私が作りますからって言うらしい。料理好きみたいで。でもいくら料理好きでも、はい今から作ってくれなんて言われても無理だろ。そいつは今食いたいのに」
 ケーキは何時間って時間がかかるものだと思うのだ。
 なのでそいつは困っていた。
 ケーキが食いたい。でも黙って買って帰ったら、奥さんは機嫌を悪くするかも知れない。
 新婚にとってそれはやや厳しいことのようだった。
「で、どうしたの?」
「電話してた。買って帰っていいかって」
 その光景を横で眺めていて、俺はこいつは将来苦労するかもなぁと思った。だが所詮他人事だ。
「尻に敷かれてるねぇ」
 史浩も俺と同じ感想らしい。まぁ大抵の人はそう思うだろう。
「それで、いいって言われたの?」
「ああ。電話切った後に、買って帰っていいよって言われたって俺に満面の笑みで言って」
 俺はそうですか。としか言えなかった。
「あんまりにも幸せそうでさ」
 ケーキが食えるのがそんなに幸せなのか。それとも奥さんの許可を貰ったことが嬉しかったのか。
 まぁその辺りは曖昧にしておいた。
 どちらでもいいことだ。
「つい俺もケーキ屋に入って、これを買ってた」
「幸せそうな人につられたんだ」
「なんとなくな。甘い物も食いたかったし」
 それは本音。でももう少しだけ続きがある。
 そいつは楽しそうにケーキを選んでいたのだ。
 奥さんはどんなのが好きなのか俺に語ってくれた。
 俺がそんなもの知っても仕方ないだろうと思うけれど。でも嬉しそうな顔を見ると止めるのも悪い気がして、ずっと聞いていた。
 そしたら俺もつい考えてしまったのだ。
 ケーキ買って帰ってみようかな、なんて。
「おまえがそんなに甘い物好きじゃないってことは知ってるんだけどな」
「ん。でもこれはフルーツたっぷりで俺は好き」
 史浩は嬉しそうにそう言ってくれる。
 洋菓子はあんまり好きじゃないけど、フルーツは好きだと知っていたからフルーツタルトにしたのだ。あの店のフルーツタルトは惜しみなくこれでもかというくらいいっぱいの果物を乗せていたから、丁度良かった。
「俺のこと考えてくれたんでしょ?」
 小首を傾げて、目を細める史浩に俺に「まあな」と素っ気なく返した。
 甘い物は人を幸せにするっていうけど、事実かも知れないなとその時だけは思った。




ものもらい


 帰宅して、持っていたビニール袋をテーブルの上に置いた。
「何これ?」
 ドラッグストアの袋に、すぐ史浩が興味を覚えたようだった。
「目薬」
 俺は簡潔に答えて、溜息をついた。
 鞄やらスーツやらを部屋に置くに行くと、リビングから史浩が更に問いかけてくる。
「この前目薬買ったばっかじゃない?」
 よく覚えているものだ。
 確かに一ヶ月前に目薬を買っており、それはまだ使い切ってない。
 だが今日買ったのは、その目薬とは用途が少し異なっていた。
「これは抗菌用だからな」
「抗菌?」
 俺は着替えつつ、ドアを全開にして会話をしていた。
 家に帰ったら、とりあえずスーツを脱がないとリラックス出来ない。
 肩が張るのだ。スーツ自体そういう服装だから仕方ないんだろうが。
「ものもらいになったんだよ」
 脱いだスーツをハンガーにかけて、俺は楽な服を身に纏う。
 リビングに戻ると史浩が袋から目薬を出していた。
 まじまじと眺めている。
「ものもらいって俺なったことないなぁ」
「そんなものならない方がいい」
 めんどくさいだけだ。
 地味に痛いし。
「俺も去年くらいからなりはじめた。それまで全然そんなことなかったんだがな」
 疲れがたたっているのだろうか。
 情けないことだ。年を取ったせいだとは思いたくない。
「ものもらいって目に出来るんだよね?」
 史浩は俺を見上げてくる。遠目ではものもらいかどうかなんて判断出来ないのだろう、不思議そうだ。
 俺は史浩の傍らに腰を下ろした。
 ソファの上に座れと言っているのに、またラグマットにじかに座ってやがる。
「右目の下瞼にちょっと赤くなってる部分があるだろ?」
 俺はわざわざ眼鏡を外して、史浩に見せた。
 顔を近付けたこの至近距離なら分かるだろう。
「あ。ほんとだ。ちょっだけ赤い」
 その上まつげの生え際より少し内側、粘膜の部分が微かにぷっくりと膨れているのだ。
 そこの部分がまばたきのたびにじんじんとした鈍い痛みを与えてくる。
 これが集中力を乱すのだ。
「痛い?」
「ちょっとだけな。たまにかゆいし」
「でもかいたら駄目なんでしょ?」
「駄目だな」
 こういうものはかゆくてもかいてはいけないというのが定石だ。それに反すると更に状況が悪化する。
 ものもらいもその例に外れない。
「目薬さしてたら治るの?」
「大抵な。俺は今までそうして治してきたし」
 今回はちょっと痛みが目立っていたから目薬を買ったけど、ちょっと前もそういうきざしはあったのだ。
 だがそれは放置しているといつの間にかなくなっていた。
「身体の免疫が低下して、細菌をちゃんと始末出来なくなった結果だからな。ちゃんと抗菌してやれば回復するだろ。それまで指でこすったり出来ない」
 人の手は決して綺麗だと言えるものではない。
 弱っている眼球に触れれば、それは細菌を増やすだけの結果になりかねない。
 この状態ならまだ目薬だけで大丈夫だと思えるけれど、これ以上悪化するとさすがに医者に行こうかと思う。
「んー。なんか目の端が赤く染まってるから。今のようちゃんってちょっとエロいよね」
 史浩は俺を見てそんなことをほざいた。
 よくそんな台詞を口に出せるものだなと思う。
 俺の中では全く、砂塵の砂ほども出てこなかった発想だ。
「眼科に行く必要があるのは俺じゃなくておまえみたいだな」
「何言ってるのよ!あたしの視力は両方一.〇よ!」
「視力の問題じゃない。それとオカマになるな」
 こいつの目はどんな世界を写しているのか。少なくとも俺とは異なっているんだろうとは思う。
 まあオカマなんてものを楽しげにやっているんだから、感性の違いは明白だが。
「とりあえずものもらいが治るまでは舐めるなよ」
 何をとは言わない。そんなものは話の流れからして分かるだろう。
 しかし俺もそんなことをいちいち言わなきゃいけないというのが、やや複雑だった。本来ならそんなところは舐めないだろうに。
「え!?」
「身体全体の免疫が落ちて、ものもらいになってるんだから、当然左目も同様に禁止する」
「ちょっと!あたしの楽しみが!」
「楽しみにするな。こんなもん舐めても美味くないだろうが」
「美味い美味くないじゃないわよ!てかシチュ的にはすごく美味しいんだけど!」
 どんな美味しさだ。というかおまえは何の美味さを追求しているのか。
「これ以上悪化したらおまえが責任取るのか。それとものもらいは感染するそうだから、過度の接触も控えろよ」
「何それ!ものもらい一つでおあすげくらうの!?いっそものもらいになってもいいわよ!ようちゃんと何もかも共有してみせるわ!それもあたしの愛よ!」
「俺はそんな愛いらない。つかオカマ口調で語るな。だだでさえ暑苦しいのに更に濃くてなんか嫌だ」
 そう冷たくあしらうと、史浩はがっつりと凹んで目薬を握り締めた。
 どうやら早くものもらいが治るように目薬に願掛けをしているらしい。
 変わった感性も、ここまでくるとちょっと恐ろしいものがあるなと思ってしまった。




next


TOP