スイカ


「暑くなってきたな」
 晩飯を食い終わって一息ついたときに、なんとなくそう口にした。
 最近気温が上がってきて、薄着になりたいと思うことが増えてきた。
 夏が近いのだろう。
「そう!その一言を待ってたのよ〜」
 俺が何気なく出した発言に、史浩はやたらと機嫌良くのってきた。
 そして何を思ったのか冷蔵庫へと向かう。
 一体何を思い付いたというのか。
 よく分からないやつだなと思っていると、史浩が意外なものを皿に盛ってやってきた。
「スイカ?」
 三日月型に切られたすいかは今年初めてみるものだった。
 赤い果肉が新鮮だ。
「今日八百屋に売ってたの!」
「もうそんな時期か」
 この前までいちごを食べていたというのに。もうスイカの時期になったらしい。
 塩と共にテーブルに置かれたそれを一つ手に取る。
 三日月はさらに切られて、三角の形をいくつも連ねていた。
 歯を立てるとさくりと零れ、果汁が滴る。
 口にいれると青い香りがふわりと広がった。キュウリに似ているが圧倒的に甘い。
 爽やかさを帯びた味は、子どもの頃に喉がからからになった時かじり付いて乾きを潤したことを思い出す。
 あの時の美味さと満たされた感じは何とも言えないものだった。
「夏の味だな」
「でしょー!俺もそう思ったんだよねぇ」
 史浩は嬉しそうにスイカにかじり付いた。
 俺ももう一口、二口とかぶる。その度に水のような果汁に喉が鳴る。
 手がべたべたになるのも構わず、味わう。
 夏の青さが脳裏に浮かび上がる。うだるような暑さはまだだというのに、すでに風鈴の音が欲しくなった。
「ようちゃんって塩かけないの?」
 ばっと見ただけで分かる種を指で取っていると、塩を片手に史浩がそう尋ねてきた。
「味がぶれる」
 スイカの青臭いような甘さが俺は好きだった。
 だが塩をかけるとそれがかすんでしまう気がするのだ。だからあまり塩はかけない。
「そう?かえってはっきりするような気がするけど。スイカの甘さが増すっていうか」
 史浩は納得出来ないようだった。
「確かに塩の味が加わると甘くなるだろうけどな」
 だがその甘さは俺の好きなものとはちょっとずれているのだ。
「汗かいて、塩分が必要な時はかけるけど」
「そんな合理的に理由でかけるの?」
 えーっと不満そうな史浩を俺は冷ややかな目で見た。
「合理的で何が悪い。むしろ良いだろうが」
 感情で物事を計るより、自分の利益などをしっかり考えた上で無駄のない行動をする。それが生きていく上で賢いやり方というものだ。
 俺は合理的と言われることで嫌な気には全くならない。むしろまんざらでもない気分だ。
「ようちゃんのそのつんっとした態度とか、時々ぐさっとくる毒とかって。塩なの?」
 史浩は突拍子もないことを言った。しかも言っている内容はよく分からない。
 感情を優先させることの多い史浩とは、時々会話が噛み合わなくて苦労するのだが。俺の理解力が足りないせいだとは思いたくない。
「塩って、何が」
「ほら。普段塩が利いてると、たまに甘えてきたり、ぽろっとボケてみたらすっごく可愛いじゃない。俺そういうギャップにすごい弱いのよ」
「誰がボケてる!」
 史浩に比べれば俺はずっとしっかりしているはずだ。
 こいつみたいに間抜けなことは滅多にしない。そりゃ人間だからたまにはあるけど、それを指摘されるいわれはない。
「たまによ、たまーに。あんまりないからさぁ。それがすごく印象的に思えるのよね。めまいがしそうなくらい可愛いの」
 史浩がデレっとだらしのない顔で笑う。
 他の人間がそういう顔をして惚気を語っていたなら俺は聞き流す。幸せそうで良かったなと言うだろう。
 だが相手は俺が付き合っている相手だ。そんなことを言われたら、俺はこいつから愛の言葉を語られているようなものはないか。
「可愛くない!なんだその可愛さって!俺が可愛くてどうする!男だってのに!」
「いいじゃない男が可愛くても。ようちゃんの可愛さって小悪魔的なのよねぇ〜」
「はあ!?」
 小悪魔という単語も男に向けるものではない。
 そんなものは女性に言って喜ばれるかどうか、というものだろう。
「大悪魔って言われたほうがいい?」
「意味的にはまだマシかも知れない。だがそんなに罵られる必要が俺にあるかどうかは甚だ疑問だが」
 小悪魔だと奇妙な意味に感じられるが。大悪魔ならせいぜい悪党、人でなし、冷酷という意味だろう。
 ……自分に向けられるのを想像すると、それもどうかと思うが。
「そうよね。罵倒なんてしたくないし。やっぱり愛おしさを込めて小悪魔と」
「なぜそこに込める!?」
 理解出来ないとわめく俺の前で、史浩は笑いながらまた軽く塩をかけていた。




雨降り


「ただいま」
 ようちゃんはいつもドアを開けてまずはそう言う。
 一緒に住んでいるんだから、ただいまとおかえりは無視出来ないらしい。
「おかえり〜」
 もちろん俺も機嫌良く答えて玄関までお迎えだ。
 そしてようちゃんの有様に、ちょっと驚いてしまった。
「結構濡れてるね」
「ああ。風がちょっと出てきたかもな」
 ようちゃんのスーツが膝から下がびっしょり濡れている。他の部分もしっとりとしているように見えた。
 ようちゃんは溜息をつきながら傘を畳んでいる。
 今日は雨が降ると天気予報でやってたから、ちゃんと傘を持って出勤したのだろう。
「それだけ濡れてたら先風呂入っちゃう?」
「そうだな」
 濡れたスーツのまま飯は食いたくないだろう。どうせ後で風呂には入らなければいけないのだ。順番が少し逆になったくらい、問題はないだろう。
「お湯溜めておけば良かったね」
 こんなに濡れて来るとは思わなかったから、風呂は予想外だった。
 ようちゃんは風呂に浸かるのが好きだから湯船に入れないのはつまらないだろう。
「いや、いいよ」
 ようちゃんは疲れたのか、やや力のない声で返事をして自室に向かう。とりあえず荷物を置くんだろうけど。
 その後めんどくさそうに風呂場に行っていた。ようちゃんが風呂に行くのを億劫そうにする時は大抵疲労がのし掛かっている上に機嫌があまり良くない場合だ。
 風呂好きなのに、それすら面倒ってことは相当だ。
 背中を見送りながら、俺はうーんと首を傾げた。
 一緒に飯を食うまでに機嫌が直ってるといいんだけど。まぁいつも風呂で機嫌直してくるから大丈夫だろう。
 そう思いつつ今日の晩飯であるうどんのつゆを温める。
 ようちゃんは十数分後に風呂場から出てきた。
 すでにパジャマに着替えて、頭にはタオルをかぶっていた。
 案の定表情は和らいでいる。
「うどん?」
「そうそう。もう出来るよ?食べる?」
 そう尋ねるとようちゃんは素直に頷いた。
 二人分のうどんをテーブルに並べると、ようちゃんが手を合わせる。
 いただきます。と言うとすぐにうどんをすすり始めた。
「美味いな」
 俺が一口食べる前にそう言ってくれた。
「ありがと」
 作り手である俺はにっこりと笑って返事をする。大して手間がかかってるものじゃないけど、やっぱりうどんのつゆをちゃんと味付けした身にとってはその一言が嬉しい。
 俺もうどんをすする。ちょっと薄味だけどちゃんとだしの味が口の中に広がった。
 鰹だしもなかなかだ。
「ようちゃんって、雨の日は機嫌悪いよね」
 雨の日、仕事から帰ってくるとようちゃんはむすっとしていることが多い。
 それは傘を持っていても、些細な雨であっても同じだった。
 職場の人が湿気が多いと髪型が乱れるから嫌だと言うのと、似ているなぁと密かに思っていた。
「濡れるから嫌だ。家にいる分にはどれだけ雨が降っても構わないがな」
 それはそうだろう。
 俺だってずっと家にいる時は雨が降っていようが雪が降っていようが構わない。
「視界も悪くなるしな」
「車の運転するわけじゃあるまいし」
 雨で視界が悪くなって困るのは車の運転中くらいだと思っていた。
徒 歩で歩いている人にとって雨でそれほど視野が阻まれることはないと思うのだが。
「眼鏡が雨で濡れるんだよ。だから視界が悪くなって苛々する」
 ああ、なるほど。と俺は思わず納得してしまった。
 今のようちゃんは眼鏡を外して傍らに置いている。
 うどんの湯気で眼鏡がくもりからだ。
 外を歩いてる時に眼鏡に水滴が付着するのは、鬱陶しいのだろう。
 眼鏡っ子は大変なようだ。
「それはそうと、この雨って台風が近付いてきてるかららしいね」
「らしいな。今夜は大雨になるかも知れない」
 天気予報でそう言っていた。
 俺もちゃんとその辺りはチャックしている。
「もしかすると雷とかも鳴るかも知れないじゃない。だから今日は一緒に寝ていい?」
 俺がお願いすると、ようちゃんは箸を止めて俺を見た。
 ものすごく疑わしい目をしている。
「おまえ…本当に雷が怖いのか?」
 その問いかけに俺は心の中で舌を出した。けれど顔は困ったような表情を浮かべる。
「怖いわよー。いつどこに落ちるか分からないし。いきなり大きい音がすると、ばりばりって裂けるみたいな音だし。なんでか分からないけど、雷が鳴り始めると不安になるのよ」
 怖いんです、と主張しながら俺は両手を胸の前で合わせた。ついでに上目遣いもしてみる。
「しなを作るな」
「だってぇ。ようちゃんが疑うから。一人でほっとかれたら怖くて怯えちゃうわ」
「だから、オカマになるな」
 ようちゃんは俺のしなっとなった態度とオカマ口調を注意する。
 そして懐疑的な眼差しを見せつつ、文句を言わない。
 これなら今日ベッドに潜り込んでもすんなり受け入れてくれるだろう。
 ようちゃんって、見た目はクールでしっかりしてて用心深そうなのに。どうしてこんなにもころっと騙されてくれるんだろう。
 俺が雷怖いなんて、有り得るはずがないのに。
 同居し初めて一番初めに雷が鳴った時、俺は冗談で雷を怖がるフリをした。ようちゃんはそれを真に受けて、怖いのかと驚いていた。
 冗談だと言っても良かったけど、怖いといえばようちゃんが宥めてくれるから俺はそのまま怖いふりをした。
 ついでに同じベッドで寝ることまで承諾して貰って、これはいい口実だと思ったのだ。
 いい年した男が雷が怖いだなんて笑い者だが、ようちゃんには笑われてもいい。その分構って貰えるから。
「ベッドが狭くなるなぁ」
 ようちゃんはそう呟いたけど、でも一緒に寝たくないとは言わない。
 一緒に寝るのはまんざら嫌じゃないんだって俺は知ってる。
 でもそれを言うと毎日一緒に寝ようと言われるのを恐れているんだろう。
 そりゃ毎日一緒に寝ていたら身が持たないだろうし。
 大人しくしていればいいんだけど。それはそれでなんか勿体ない気がするんだよね。
 とりあえず今日は怖いふりをしたままようちゃんに抱き付いて幸せな時間を味うことにする。




カレー


 マンションのエレベータから出て、自分の家に向かう途中からスパイシーな匂いがした。
 一般家庭に一度は並んだことのあるだろう、カレーの匂いだ。
 とても香りの強い料理なだけあって、部屋の外からでも漂ってくる。
 俺はそんなに辛い食べ物は好きじゃないが、カレーに関しては時々無性に食べたくなるから不思議だ。
 たぶん食欲が減退している時なんかに効果的なんだろう。
 胃が荒れるけど。
 そんなことを思いながら歩いていても匂いは遠のかないどころか近付いてくる一方だった。
 頭の中ではカレーが飛び交い、何も入っていない腹がぐぅと鳴った。
 俺は玄関の鍵を開けると勢い良くドアを開く。
「おかえり〜」
 すぐに史浩が出迎えに来てくれた。
「カレーだな?」
「せいかーい」
 まず真っ先にそう確認を取った俺に史浩は笑顔で応えた。
 その返答に満足した俺は「よし」と頷く。
「ただいま」
「順番おかしいでしょ」
 史浩の適切なツッコミが入るが、俺はそれを綺麗に無視した。
 帰宅する前に口の中がカレーを食う準備をしてしまっていたのだ。これでうちの晩飯がカレーじゃなかったら、なんかもやもやする。
 たまにあるんだよな。帰ったらうちがカレーじゃなかった時。あの瞬間は無性に悔しい。
 俺がスーツを脱いで部屋着に着替えている間にカレーは温まったようだった。
 どうやら作ってそんなに時間が経っていないんだろう。
 部屋中カレーの匂いで、食べた後にちょっとうんざりするんだろうなぁと空腹ながらに思ってしまう。
「出来たよ〜」
 史浩はそう言いつつ二人分のカレーとソースと生卵一個、そしてマヨネーズをテーブルに並べた。
 カレーを食べるだって言うのに、どうしてこんなにも調味料が並ぶのか。
 福神漬けはすでにカレーの中にセットされている。
 いただきますと手を合わせてから、史浩はまず生卵を割って入れた。その上からソースをかけている。
 俺は毎回それが理解出来なくて、どういう味になるのだろうかと聞きたくなった。
 だが聞いたところで俺はきっと沈黙してしまうだろう。
 そもそも卵を生で食べる習慣が俺にはないのだ。
 白身のどろっとしたあの感触と生臭さが何とも言えず、拒否してしまう。
「やっぱ卵とソースだよね」
 史浩はご機嫌でそんなことを言っていた。
 分からない、と思いつつ俺はまだ何のトッピングもしていないカレーを頬張る。
 美味い。
 市販のカレールーを使っているのだが、口の中がカレーモードになっていたからか、辛さが欲しい時期だったのか、腹が減っていたからか、史浩の作り方が上手かったのか。たぶんその全部が当てはまっていい感じになっている。
 ジャガイモが溶けてかなり小さくなっているのも、愛嬌だった。
「ようちゃんと俺って、カレーの食べ方違うよね」
 史浩は俺を見ながらまじまじとそんなことを言った。
「ようちゃんは卵入れないし、ソースかけないし、でもカレーの残りが半分くらいになったらマヨネーズ入れるよね」
「辛いんだよ」
 カレーもずっと食べていると辛さが舌にまとわりつくようになってくる。ひりひりとした口内はちょっと苦しい。だからマヨネーズを入れて辛さを緩和するのだ。
「でもカレーにマヨネーズ入れる人ってようちゃんくらいしか知らないよ?」
「俺は職場にもう一人いるのを知っている」
「そうなの!?」
 ふとマヨネーズの話になった時に、カレーにも入れるということを話してくれた人がいたのだ。その時は思わず仲間意識を持ってしまった。
「へー、他にもいるんだ。それって美味い?」
 史浩も俺と同じように、相手が食べているのがどんな味なのか気になっていたらしい。
「マヨネーズ風味になる」
「そりゃそうでしょ」
 そうとしか言い表せない味なのだから、仕方がない。
「福神漬けも俺は皿の隅に固めて時々摘むけど、ようちゃんはカレーの中に散らしてるしね」
「味のアクセントになる」
「俺たちってカレー一つ上げても、違うところ多いよね」
 史浩はそう言った。まるで今気が付いたような言い方をしているが、俺はずっと前からそう思っていた。
「俺とおまえとじゃ、性格も見た目も年齢も環境だって違うだろうよ」
 社会人と大学生。社交的な史浩と人付き合いの良くない俺と。見た目だって史浩は人目を良く惹く華やかな感じだが俺は地味だし。目立つの嫌いだしな。
 正直、本来なら接点もなさそうな相手だ。
「でもそれだけ違ってもこうして出会って、一緒に住んでて、毎日バカップルでいられるって凄いよね」
 笑って言われるとどう反応していいものか困る。少なくとも毎日バカップルというところは否定したいのだが。
 しかし仲が良くないかと言われると、良くないのにこうして同居して、顔つき合わせて飯食っているはずがない。
 さて、どうしたものかと俺はマヨネーズに手を伸ばした。
 あんまり入れるとマヨネーズの味がきつくなってカレーが霞むから、ほどほどにしないといけない。
「それはいいとして」
 辛さが軽減したカレーに、俺は内心頷きつつ別の話題を投げた。
「明日はカレーうどんか?」
 カレーというのは一端作ると何日も残ったりする。二人暮らしだと少量でいいのに、カレーは二日目も美味いと言い張る史浩が結構な量を作るのだ。
 なので明日からはちょっとの間カレー三昧になるだろう。あんまり飽きがこない味なので大丈夫だが。
「お察しの通り、カレーうどんです」
 スプーンを片手に胡散臭い笑顔で史浩はそう言った。




健康診断


「おまえ大学で健康診断とかしたか?」
 ふと思い出して俺はそんなことを尋ねた。
 飯も終わり、史浩はテレビを見ていた。
 のんびりとした空間の中で、俺はそんな姿を眺めつつ本を読んでいた。
 だがそんなに面白い内容でもなく、つい関係のないことが頭をよぎったのだ。
「健康診断?やったよ。異常なし」
 史浩は俺を振り返りながらそう答えた。  こいつはたまにソファではなく、ラグマットの上に座り込んでソファを背もたれにしている。
 行儀が悪いと言うのだが改める気はないらしい。
「でもどーしたの?突然」
 いきなり変な質問をした俺に、史浩は怪訝そうだった。
「今日会社でやった健康診断の結果が出たから」
「見たい!見せて!」
 史浩はバラエティー番組より俺の健康診断の結果の方が気になるらしい。
 変なやつだ。
 勢い良く食い付かれて、俺はちょっと驚いた。
「別に異常なんかなかったぞ?」
「でも見たいの。いいじゃない」
「別に構わないが、オカマになるな」
 両手の指を組んではお願いポーズを取るのが、なんか嫌だ。
「ようちゃんの嫁として、ようちゃんの健康状態はちゃんと把握しておかなきゃ!」
「誰が嫁だ」
 健康診断の結果を取りに行こうと腰を上げた俺は、聞き捨てならない台詞を耳にした。
「お嫁さんじゃないの。毎日ご飯作ってようちゃんの帰りを待ってるんだもの」
「オカマが嫁になれるか」
「何それ!オカマ差別よ!」
 差別というより正常な意見だと思うのだが。それ以前におまえは女になる気もないのに嫁にはなるのか。
 どういう思考回路なのか俺には理解出来ない。
 自室から健康診断の結果、ぺらい一枚の紙を史浩に渡した。
 面白いものでもないというのに、史浩はそれを興味津々といった目で眺めていた。
「何て言うか、異常なし、健康そのものーって感じ」
「言っただろうが」
 もし問題があったなら、帰宅した途端に何か言っている。
 それに俺みたいな年で健康診断引っかかる奴はそう多くない。
「正常のところに印がばーっと…と?」
 史浩が言葉を途中で止める。
「何これ。ちょっと数値高いの」
「善玉コレステロールな」
 自分の診断結果だ。とうに解析は済んでいる。それが問題ない状態であることも。
 大体正常値から離れたとしても、ほんのちょっとだ。
「なーんだ。ようちゃん健康だね」
「大病とは縁がない」
 俺はさらりとそう言った。
 入院もしたことがない。
 史浩は健康診断の結果をまじまじと見ている。そんなに見るところはないだろうに。
「ようちゃんって正常、平均って感じの数値だよねぇ」
「おまえみたいに突拍子もない人生じゃないし、突出した何かがあるわけでもないからな」
 見た目も特徴がそんなにない。生きてきた道も、そんな派手なことはなかった。
 地味で、面白みのない人生だ。人に話すようなことも、これといってないくらいに。
 それは人間としての中身も同じだろう。
 ただ、一つをのぞいては。
「でも食べ物の好き嫌い多いのに」
「うっさい!」
 食い物の好き嫌いは自分でもちょっとどうかと思っているのだ。
 職場の人間と飲み会などに行くと気を使わなければならない上に、嫌いなものであっても断れないのが悲しいところだった。
 その分家では嫌いなものは嫌いだと拒否している。
「そういうところ子どもみたいだよねぇ。普段はクールで大人っぽいのに」
 史浩は楽しげに笑っている。
 からかわれているのは分かったが、どうも反論し辛い。
 食い物の好き嫌いなんて、ガキのようだと自覚はしているのだ。あまり褒められることでもないと理解もしている。
 それに比べて史浩は普段は子どもっぽいところが目立つ。我が儘を言うし、感情の起伏は大きいし。でも時々俺よりずっと大人びた姿を見せる。
 その時は否応なく心臓が鳴った。
 ろくでもない時のことが多くて、到底そんなことは指摘出来ない。
 それ以前に。
 俺より大人に見える時があるなんて、不条理だ。いつもはガキのくせに。
 だからこんなことは意地でも教えてやらないと決めていた。




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