兎の野望 6
武国の人の良さに唖然としている間にも、罪悪感は並べられていく。 困っている人間を見れば手を差し伸べずにはいられない、慈悲深い聖人君子。俺に対してそんなイメージを勝手に上塗りしていくのだ。 そんなわけがないと冷静な目線があれば即座に判明するはずだが、武国は人を疑うことを知らないのだろうか。 (どうしよう) このまま好きにしておけば、俺の印象はとても良いもので終わるだろう。けれど武国は後ろめたさを抱えたままだ。 自分のせいで俺が苦労をしたと思い込んでいる。 「君のためじゃない。俺のためでもある」 「森山さんのためでもあると仰いますが、俺ばかり救われてます。森山さんだってわざわざ俺を飼い主になんかにしなくても」 「君に飼い主になって欲しかったんだ。これが目的なんだ」 「いえ、いいんです。俺のためにそんな名目を付けなくても」 (名目じゃない!ただの本心だ!むしろそれしかない!) 他の全てをなぎ倒してでも武国に飼い主になって欲しかったのだ。 だが武国は深刻な面持ちでテーブルの上で手を組んだ。苦悩が滲んでいるけれど、その苦悩はものすごく無駄なものだ。 「森山さんの温情のおかけで俺の生活はとても楽になりました。実家にも仕送りが出来てます。大学も、まだ通えるかも知れない。全部森山さんのおかげです」 それは良かった。めでたしめでたし。そんな流れで済ませればよいのではないか。 なのにどうして、蒸し返してくるのか。 「でも可哀想だからってそういう扱いをされたのかと思うと、自分が情けなくて、辛くなってくるんです」 「そんな扱いはしてない」 「ですが!」 「してないよ」 「でも俺は、そんな風には思えないんです……」 可哀想な男。そう見られるのが武国は苦しいのだろう。 借金があって生活に困っている。実家を助けたくて出来る限り働いてお金を稼ぎたい。節約出来るところは何だってしたい。 だけど人から施しは受けたくないのだ。哀れまれて、金を恵まれているかのような扱いは受けたくないのだ。 (……なるほど。だからこんなに悩んでいるんだ) 金が無くて首が回らない自分と、それでも人の哀れみにすがりたくないというプライドがせめぎ合っているのだろう。そして揺れ動いても、自分のプライドを抱き締めている武国が、俺にとっては眩しかった。 金の前ならば簡単にプライドを捨てる人間なんて、山ほどいる。ましてこの前成人ばかりの年なのに、ちゃんと自分を保とうとしているのは尊敬の念すら抱ける。 この人が飼い主で良かったと、誇りにすら思う。 けれど一方で、焦りもしていた。 「君を哀れむとか、そういう気持ちは一切ないよ。そんなつもりもない。俺のおかげだなんて思わなくていいんだ」 「違うなら、どうしてここまでしてくれるんですか?」 「飼い主だから」 「自分の飼い主には借金を背負って欲しくない、もっといい暮らしをして欲しいという、優しさですか?」 それは憐憫と同じではないか。 そう解釈する武国に、逃げ場を塞がれたようだった。 「そうじゃない」 小さくそう否定しながら目の前がぐらぐらと揺らぐような錯覚を覚えるほど、迷っていた。 このままなんとか誤魔化せないだろうか。武国の負担にならないように、そして俺の醜い本音がばれないように、上手く取り繕えないだろうか。 武国が欲しくてあれこれ手を回して、金を使って雁字搦めにしたいと思っていたなんて知ったら、その時にはさすがに嫌われるかも知れない。 それほどの執着と策略は気味が悪いと撥ね除けられても仕方がないものだ。だから武国には隠しておきたい。 (でも、だけど) 武国が見ている。誠実な眼差しでこちらをじっと見詰めている。透き通ったその精神ならば俺の浅はかな薄っぺらい偽りなんて見透かしてしまうのではないか。 何よりその瞳に映し出されているのに、騙すなんて失礼だ。これから飼い主とペットとしてずっと仲良く暮らしていきたいのに、最初から武国を欺くのか。それは裏切りだ。 (怖い怖い怖い) 嫌われるのが怖い。好きになって欲しい。可愛いウサギでいたい。 だけど自分の心を全部秘めたままで、そばにいたくない。薄汚い自分なんて見せたくないけれど、自分を殺し続けるのはきっと息苦しくなる。 武国の隣ではいつだって安心したい。 そのためには、晒し出さなければいけないのか。 涙が滲んでくる。泣きわめきたい。 (だけど、大切にして欲しいから) 武国を大切にしなければいけない。お互い様だと店長も言っていた。 そのためには、お互いが誠実でいなければならない。 「森山さん、あの」 恐怖で僅かに震えている俺に、武国は焦ったように声をかけてくる。だけど俺は涙を浮かべた瞳で、きっと武国を見据えた。 「俺のこと、嫌いにならないで」 「はいっ!?」 「嫌いになったりしない、捨てない、これからもちゃんと可愛がってくれるって約束して。じゃなきゃ本当のことは、言えない。怖いから」 怖いのは嫌だから。 子どものようなだだをこねると、武国は目を丸くした後にふっと肩の力を抜いたようだった。 「ミトは、怖がりでしたね」 「そう。絶対に破らないと誓って欲しい。命を賭けるくらいの重みだと理解して」 「分かりました。約束します。ちゃんと大切に可愛がります」 その約束の中に人間としての俺が含まれているかどうかまで、怖くて確認は出来なかった。だが少なくともウサギならば、きっと武国は大事に世話をしてくれるだろう。そう信じたい。 (そこからまた押し切ろう) ウサギが許されている以上、一からどころかマイナスからの出発になろうとも、人間の俺も好きになって貰えるように、計画すれば良い。時間がかかっても必ず落とそう。 そう自分を宥めて、流れ落ちてしまいそうだった涙を拭う。 「君にウサギの俺を託したのも、ウサギカフェのバイトを紹介したのも、全部俺がしたいからしたんだ。君の実家の借金を減らしたいからなんて考えじゃない。俺が少しでも君のそばにいたかった。君を知りたかった」 言いたくない内容なのに、思ったより早口になって次々喋ってしまうのが皮肉だった。 「君に俺を見て欲しい。俺に触って欲しい。君を独占したい。他には何も考えてなかった。君の借金を、俺はむしろ利用したようなものなんだ。俺は最初から自分のためにしか動いていなかった」 どこまでも利己的だった。武国のため、だなんて端っから考えていなかった。 それは家族のために日々苦心している武国にとっては、見下げた人間に値するだろう。 武国は硬直していた。耳を疑っているのかも知れない。 驚きから抜け出して不快感を露わにする、その時を俺はじっと待っていた。きっと死刑宣告を受ける受刑者の気分に似ているだろう。 「そばに、いたいんですか?なんでそんなに、俺なんですか?」 「君だと思った。理由は分からない。だけど君なんだ。これまで出逢った誰より、きっとこれから出逢う誰より君がいい」 それは俺にとって、もう当然になっている現実だ。その他の可能性が踏み入り隙間はもうない。 自然なことであるその事実を、武国は「どうして」と呟いて俯いた。俺に選ばれたのが嫌なのか、飼い主だと思われたくないのか、そこまで嫌気が差したのかと思った。 けれど武国は落ち着かなそうにもぞりと身じろぎをして、耳を赤くする。まさか、と目を奪われている俺の前で、武国はじわじわと赤面していく。 照れている。そう分かると俺はじっとしていられなくて、立ち上がっていた。 それは衝動だった。武国の隣に座っては、びっくりして俺を見た武国の唇を塞いでいた。柔らかな唇の感触に、ぶわりと背中が粟立った。触れるだけのキスで、こんな感覚になったのは初めてだ。 「うわ、わわぁ!」 武国はキスをすると、すぐさま後ろへと逃げていった。座ったままずりずりと足だけで下がっていく姿は、腰が抜けているとも受け取れる。 それほどのインパクトなのだろうか。 「嫌?」 「い、嫌とか、嫌とかじゃないです!でも!俺、誰ともしたことがなくて!」 「そうなんだ」 これがファーストキスになるのか。 (この年で、初めてか。相当奥手なんだな) 純朴そうな男だと思っていたけれど、これは予想以上かも知れない。 「まして男同士は!分からないです!森山さんは男の人が好きなんですか!?」 「好きじゃない。だけど飼い主は好き」 性欲の対象は女性だけだった。可愛くて良い匂いがして、柔らかい彼女たちは気持ちが良い。それに俺を荒っぽく扱うこともない。 見た目のせいか男に言い寄られることもあったのだが、性欲を掻き立てられることは一度もなく。それどころか力尽くで行為に及ぼうとする輩が多くて、恐怖と怒りばかり覚えていた。 飼い主も女性がいい。ずっとそう思っていた。女性ならきっとセックスも気持ち悦いだろうと、短絡的に捉えていた。 (だけど武国なら大丈夫。きっと優しい、気持ち悦い) 何も知らないなら俺が教えればいい。そうすれば俺たちだけのセックスを作っていくことが出来る。 「武国の全部が欲しい。抱くのも抱かれるのも、どっちでもいいよ。君に飼い主になって欲しいと思ってから、俺も男同士のセックスについては勉強したから」 いつかセックスもしたい。 そう思ってあれこれ知識は蓄えている。 セックスという単語に、武国は林檎のように熟れてしまった。 「せ、せっ、森山さんは、男の人と、したことがあるんですか……!?」 「男としたことはないな。でも君とは出来るよ。童貞なら、抱く側がいいのかな。体験してみたい?」 セックスがどんなものか、まずは身体で知るのが大切だろう。 相手が男というのは、武国にとっては驚愕の体験かも知れないけれど。俺の飼い主になったのだから、他の誰かとセックスをするのは諦めて欲しい。 壁際まで逃げた武国をじりじりと追い詰めては、その膝の上に乗った。 「しよっか?」 我ながら、出来るだけ可愛くてエロい顔でそう誘った。それに武国は天井を仰ぐ。 「お、お風呂に入りましょう、お風呂に!」 お願いです!という悲鳴のような声に、俺は噴き出してしまった。あまりに必死で、真っ赤になった頬にキスをする。 「いいよ。また、後でね」 セックスをする意欲は、風呂に入ったところで消えない。 今夜スるのだ、一度その気になったら俺は引くつもりはなかった。 |