兎の野望 5





 ウサギカフェで遭遇した姉に、そのまま自宅へと連行された。
 武国とのことを訊きたいと強引に引っ張られたのだ。俺も飼い主との接し方や絆の作り方を知りたいという気持ちがあったので、渋々従った。
 だが店長との惚気を聞かされるばかりであり、参考になりそうな中身がほとんどなかったのが腹立たしいところだ。
(無駄によく喋る!)
 滅多に鳴かない、ウサギという種族であるせいか、本来はお互い無口なたちだ。けれど気心の知れた相手、特に身内に会うとたまに爆発したかのように喋り始める。
 人見知りで警戒せずに喋れる相手がごく限られている、という理由もあるだろう。ここぞとばかりに自慢話がしたくなる。
 俺も負けじと武国の話をしたけれど、同居を始めて約二ヶ月半、人間の姿では十数日しか経っていないのだ。二人暮らしに馴染むのが精一杯で、自慢出来る部分が少ない。
(次は絶対に!)
 姉が羨ましがるような話をするのだ。
 そう心に決めて帰宅した時刻は、武国がとうにバイトを終えているだろうという時間だった。いつもならば俺の方が先に家に帰っている。そしてウサギの姿になっている場合が多い。
 武国はウサギの俺に癒やされると語っていたので、バイトで帰ってきた武国の疲れが少しでも軽減されるようにと努めていた。
 だが今日はウサギサービスが出来ない。
 残念ではあるけれど、たまには俺も武国にお出迎えをして欲しい。
 欲張りながら玄関のドアを開けると「おかえりなさい」と言いながら出てきた武国に、違和感を覚えた。
(元気がない)
 笑顔は薄く、どことなく肩も下がっている。
 何か嫌なことでもあったのだろう。俺がウサギカフェを後にしてから、トラブルでも起こったのか。
「ウサギになるか?」
「え、どうしたんですか?」
「落ち込んでるみたいだ」
 そう指摘すると武国は狼狽えた。これでもかというほど分かり易い反応だ。
 素直なところが有り難い。
「そんなことありませんよ」
「では体調が悪いのか?」
「いえ、元気です!不調なんてどこにもありません!」
「じゃあやはり気分の問題か」
 ならばウサギの方がいいだろう。俺はそう判断してシャツのボタンに手を掛けながらベッドへと向かう。人目にさらされていると獣の姿には戻れないのが俺たちの特質だ。だから視線を覆うためにベッドのシーツをよく利用していた。
「待ってください!ウサギになられると困ります!」
「困る?」
「お話が、あります」
 思い詰めたような武国の瞳に、途端に不安が込み上げてくる。
 けれど話があると言われて、嫌だとは口が裂けても言えない。それに武国の態度が妙な理由も知りたい。
 衣類を直していると武国が紅茶を入れてくれる。
 俺が人間に戻るまで、この部屋には置かれている嗜好品の類いはごく限られていた。コーヒーも紅茶もない。食費は削れるだけ削ろうという、必死の節約が見えていた。
 けれど俺が人間としての食事をするようになってから、この部屋にも食料が増え、お菓子や飲料の嗜好品も置かれるようになった。
 おそらく俺も食費を出しているからだろう。俺のためにあれこれ買い込んでくれているのだ。
 俺は武国と同じものを食べたいとねだるので、結果的に武国の食生活も改善されている。
「安物ですみません。やっぱりもっとランクの高い紅茶を買ってきた方がいいですか?」
 特売の大容量ティーバッグの紅茶を入れたのだと、申し訳なそうに説明する武国に首を振る。
「君が入れてくれるから、これでいい」
 武国が俺にためにしてくれたことだ。安物特売の品だろうが、チープな味だろうが構わない。大切なのは武国の負担にならない値段であることだ。
 普段はそれに恥ずかしそうに動揺するのだが、今日の武国は目を伏せては黙り込んでしまった。
(どうして?)
 何かいけないことを言ってしまっただろうか。
 傷付けるような発言だとは思えなかったのだが。武国にとっては痛みに繋がるような台詞だったのか。
 随分ナイーブになっているらしい武国を上目遣いで窺う。
 自分から口を開く勇気が持てず、気まずい沈黙に押し潰されそうになっていると、武国が深く息を吐いた。
「ウサギカフェのオーナーは、森山さんのお姉さんなんですか?」
「うん」
「だから俺を紹介してくれたんですか?飯塚さんにお願いして、伝言を頼んだんですよね」
 俺に尋ねているようではあるけれど、武国は確信している。そもそも飯塚さんがこのマンションに住む、テンの飼い主だと分かれば繋がりは一瞬で判明する。
 背筋に嫌に汗が滲んできた。
 憂鬱が滲み出ている声音に、武国は暗に俺を責めているのだろうかと考え始めると。指先が震えてしまいそうだった。
「タイミングが良すぎました。前のバイト先が閉店する直前に、あんなに待遇の良いバイトが見付かるなんて。まして俺にぴったりの条件です。運が良いで説明出来る領域を超えていた。あれはきっと俺のために作られたものですよね?」
 唇を引き結んだまま、俺は腕を組んだ。
 店長が人手を欲しがっていたのは事実だ。欠員が出たので、一、二人くらいバイトを増やしたいと言っていた。
 だがそれは男性でなければいけないなんてものではなかった。女性でも店長は構わなかっただろう。
 そこに武国をねじ込んだのは俺だ。姉が経営しているカフェ、しかも店長は姉の飼い主だ。働きぶりから武国の人柄も分かる。あらゆる角度から、武国は飼い主に相応しい人がどうか確認したかった。
「店長もスタッフさんたちもとてもいい人たちです。あそこでバイトが出来るのは俺にとって幸運だと思ってます。だけど」
 武国は言葉を濁した。
 そして悩ましげに黙った。
 二人の間に沈黙が流れては、俺は震える指先を握った。
 今すぐ逃げ出したいけれど、もしここで部屋を出ていけば二度と戻ってこられない気がする。
 俺が逃げたのを見て武国は俺にがっかりするだろう。嫌なことから逃げる弱虫、現実を見詰めようとしない臆病者。そんな目で見られるのは、耐えられない。
 武国にだけは、褒められたい。大切だと言って欲しい。
 だから必死に自分を固定するけれど、身体が内側から冷えていくようだった。
(金で縛り付けたんだ)
 武国を見付けて、飼い主にするために俺は武国を金で縛り付けた。住むところを与えて自分の元に引き寄せて、バイト先を斡旋しては金を得る手段まで握った。今の生活は俺に半ば縛られているようなものだ。
 もし仮に武国が俺を嫌いになって、逃げたいと思っても逃げられない。実家の借金がある内は少しでも金を稼ぎたい、節約したい。そのために今の暮らしは武国にとっても好都合であるはずだ。
 そういう場所に武国を誘導して、俺は飼い主という立場を押し付けて捕獲した。
(きっと武国は気が付いたんだ)
 俺が武国を精神的に拘束していることを。自由を奪われて、逃げられなくなっている自分を知ってしまった。
 だからウサギカフェでショックを受けたのだろう。自分が置かれている現実が、思ったより残酷なものであると、真実が見えた。
 ウサギに金を押し付けられ、自由を盗られたと分かって気分が悪くなったはずだ。
(でもきっと武国は家族のために我慢をする)
 俺から離れたりしない。
 そう確信している自分はとても卑怯だ。だけど安心している部分もある。
 そんな醜く浅ましい俺を、武国はもう見透かしているのではないだろうか。
「俺が、貧乏だからですか?」
 重苦しい沈黙の先に、武国はそう問いかけてきた。
 貧乏だからつけ込んだのだろうと、きっと責められる。奥歯を噛んで、悲鳴を飲み込む。
 だが武国の方が、泣き出しそうに表情を歪めた。
「俺が、可哀想だからですか?だからお金をあげようとしてくれたんですか?」
「……え?」
「だからウサギになって、俺に世話をさせることであんな高額なお金をくれるんですか?その上時給の良いバイトまで紹介してくれて。それもウサギに関わることだなんて、俺が好きなものを結び付けてくれて、俺の心まで考えてくれたんでしょう?」
 武国は先ほど黙り込んでいたのが嘘のように、滑らかに喋っている。けれどそれは俺の予想の斜め上を滑走していく。
「俺が生活に困らない上に、実家にも仕送りが出来るように、森山さんが同情してくれたんですね。俺のために心を砕いてくれて」
(……すごい、全然違う)
 人が良すぎる。あまりにも性善説に偏りすぎている。
 武国の目には自分がそんなに心優しいウサギに見えているのか。
 あり得ないだろう、お金に困っているから可哀想だと思った、という理由だけでここまでする人間なんてこの世にいるのか。
 少なくとも俺はそんなお人好しではない。自分のメリットがない行為にここまで時間と労力を使うなんて馬鹿らしいだろう。
(考えが甘すぎる!)
 人を人とも思わない鬼畜が跋扈しているこの世の中で、こんなにも人の良い人間が生きていて良いのだろうか。
 それこそ狼の群れに投げ込まれるウサギのように「格好の餌食」になりそうだ。
 覚悟とは真逆のショックに言葉が詰まっては、軽い頭痛がした。



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