兎の野望 4





 スタジオに籠もって頼まれていた作曲を終わらせて、一息つこうとウサギカフェを訪れていた。
 音源を渡す日付はまだ先だったのだが、思い浮かんだ音はすぐに形にしてしまった方が出来が良い。
 カラフルなロリポップの花束のような曲は、依頼人が望んでいたものに近かった。マイナーなアイドルに歌わせる予定であるらしいそれは、彼女たちの雰囲気にもぴったりなのでまさにタイミングが良かっただろう。キャッチーなメロディーが作れたので、自分としても満足している。
(武国のおかげだ)
 武国が俺に流し込んでくれた旋律は、頭の中で大きく膨らんではたくさんの音を生み出してくれた。元気で明るい前向きな音たちは、旋律にするため整列していく俺の気分も上げてくれた。
 おかげで予定していない曲も好きに作ったので、近々何かしらの形で発表しようかと思っていた。
 機嫌が良いまま、時間も出来たので必然的に武国の顔が見たくなった。
 武国がバイトに入る時間は把握している。たまには武国が働いている姿も見て見たい。とはいっても武国は主にキッチンで作業をしているので、フロアに出てくることは少ないらしいが。運良くその姿が見られる可能性はある。
 ドアを開けると顔見知りの俺が来たことに気が付いたスタッフが、店の奥へと通してくれる。出来るだけ人目に付かない席が俺のお気に入りだ。
 入り口からも、道路に面した窓際からも見えづらいボックス席の奥で、俺はカフェラテを頼んだ。しばらくして運ばれたカップには、ウサギのアートが描かれている。
 ラテアートは武国も習っていると言っていた。これは彼が描いたものだろうか。後で訊いてみよう。
(俺が来たことは、スタッフから聞いてるかな)
 それとも黙っていて、俺へのメニューを運んできてくれるかも知れない。そんなどっきりが仕込まれていないだろうか。
 武国が近くで働いていると思うだけで、浮き足だってしまう。
(キッチンに入るのは、衛生的にも無理だろうけど。ちらりとだけでも見たいな)
 本人に内緒で、武国が働いている光景を見られないだろうか。
 そわそわしていると店内にいた女性客の一人が声をかけてくる。友達と一緒に来ているらしく、近くのテーブルでは別の女性も期待の眼差しでこちらを見ていた。
 けれど俺は女性が何を言っているのかもろくに聞かず「結構です」の一言を告げて以降は黙り込んでいた。酷い態度だが、知らない人と接触するのは精神的にすごく負担だ。警戒心を煽られて、逃げたくなる。そもそも喋るのは好きじゃない。
 勝手に幻滅されて立ち去って貰える方が楽だ。
 その時も黙ったままカフェラテを飲んでいたのだが、奥から出てきた人物が声をかけてきた。
「クマ君に会いに来たの?」
 小柄な女がにやにやと笑いながら、肩から流れ落ちた長い髪を後ろへと払う。意地悪そうに細められた双眸に、俺は舌打ちをしていた。
 女が出てきたこともそうだが、武国をクマ君なんて親しげに呼ばれたことが一番神経に障る。
 睨み付けても女は気にしないどころか愉快そうに笑みを浮かべた。
「馴れ馴れしく話しかけてくるな」
 吐き捨てると女はやってきた店長に「こわーい」と言いながら抱き付いた。店長の身長は女性の中では高い方なので、女との差が大きい。おかげですっぽりと腕に収まるような体格差だ。
「弟が威嚇してくる〜!」
 こんなのが姉だと思うと忌々しい。また舌打ちをしてしまう。
 店長は仲の悪い姉弟に苦笑している。彼女にしてみれば珍しくもないやりとりだ。
「おまえがなんでここにいる」
「なんでって、私がここのオーナーだからよ」
「いつもほったらかしのくせに」
「優秀な店長を信頼して任せているだけ」
 ね〜?と姉は笑顔で店長を見上げる。視線が合うと、俺に向けているものとは全く異なる、甘やかで嬉しそうな瞳になった。
 飼い主がいるのは幸せだと、言わんばかりの表情だ。こうしていつも、俺に飼い主の良さを自慢してくるのだ。
 武国に出逢うまではそれが目障りで仕方がなかった。
「仲良くして欲しいな」
 間に挟まれている店長が、宥めるようにそう言うけれど、俺は鼻を鳴らした。
「お断りします」
 散々見下された記憶があるだけに、飼い主を見付けたからといってすぐに姉と親しくしようとは思えない。むしろ俺の方が幸せで、満たされたウサギなのだと自慢してやりたいくらいだ。
 だがそれをしてしまうと姉の飼い主である店長に失礼になるので、大人として自分を抑え込む。
 姉を睨み付けていると、フロアに武国が現れた。
 あっ、と零してその姿を注視していると武国は視線に気が付いて照れくさそうにはにかんだ。
「いらっしゃいませ」
 俺のテーブルにシフォンケーキを運んできたらしい。
 人参のシフォンケーキには生クリームと、ウサギの形をしたクッキーが添えられている。きっとキッチンの人たちが俺の元に持って行けと気を利かせてくれたのだろう。
 俺の部屋に武国が同居していることを、このカフェのスタッフは全員知っているらしい。
「森山さんは店長だけじゃなく、オーナーともお知り合いなんですか?」
「オーナーは森山さんのお姉さんよ」
「えっ!あ、でもそういえば、似てらっしゃいますね」
「可愛いところがそっくりでしょう?」
 店長がにっこりとそう口にすると武国はごく自然に「はい」と答えていた。
(可愛いのか)
 女である姉は可愛いと言われるのが当然のようだが、俺はさすがに大人になると可愛いと言われることも減ってきた。まして同性に可愛いと言われるなんて、小さな子どもの頃以来だろう。
 武国は俺を可愛いと思ってくれているのか、と感動していると武国がはっと我に返ったようで、両手を軽く振った。
「はいって、森山さんにとっては失礼かも知れませんが!」
「可愛い?」
 首を傾げて問いかけると、武国が固まった。何と答えるのが正解なのか、視線が彷徨っている。
 困らせたいわけではないけれど、そうして俺のために動じてくれる様を見るのは、何故か心が躍る。
「ぶりっこだ」
「うるさい」
 姉の指摘を叩き落としていると、武国はそのやりとりに姉弟らしさでも感じたのか「そうか……姉弟なんですね」と納得したようだった。
 そして何故か肩を落とす。がっかりしたようなリアクションに、俺だけでなく姉と店長も不思議そうな目を武国に向ける。
「あ、俺は戻りますね」
 注目されていることに気が付いた武国はぺこぺこと頭を下げて、キッチンへと戻っていく。そそくさとやや足早に去って行く背中を見送りながら、今度は三人ともが少しばかり首を傾げた。
 どういう反応なのか、誰も察せられないらしい。
「こんな姉だから幻滅したんだろうか」
「はあ?するわけないでしょう。あんたの態度に幻滅したんじゃない?」
「熊谷君は、そんな簡単に人に幻滅したりしないと思います。とても良い子ですよ」
 姉弟のやりとりを落ち着かせる店長の一声に、俺は頷いた。あの子が良い子であることは、俺が十分知っている。
「飼い主にも向いていると思います。大切にしてあげて欲しい」
 穏やかな声音で、けれど凜とした真の通った言葉を渡されて、俺は店長の目を合わせた。
 真剣な眼差しだ。誰かを深く思いやることが出来る、優しい人間の瞳をしている。武国も店長と同じような瞳を持っていた。
「分かってる。でも、俺は大切にされたい派」
「重々承知しておりますよ。だけど大切にされたいなら、大切にしてあげなきゃ」
 そうですよね、と店長は姉を見る。姉はやや目をそらした。毎日一年中仲睦まじく喧嘩もせずに暮らしている、なんて夢の中の世界でしかないのだろう。一緒にいればぶつかって喧嘩もするし、泣かされたり、傷付けたりもするらしい。
 だけどそんな姉の髪の毛を店長は一房そっとすくい上げて、指で梳いた。細く長い指には慈悲が込められているように見える。
「お互い様です。だって私たちは人間同士でもあるんですから」



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