兎の野望 1





 一目惚れをされたことはあってもしたことはなかった。
 たった一目見ただけで心奪われるなんて理性的ではない。あまりにも危険な判断だ。俺にとっては信じられないほど軽率な恋愛の仕方だと思っていた。
 だから告白をされる際「一目惚れです」と言われても、全く心に響かなかった。それどころか、簡単に心を奪われるその人に苛立っていたかも知れない。そんな体験を待ち焦がれていたからだ。
 俺が一目惚れをするなら、飼い主だろうと信じていた。
「一目で心奪われ、この人だと全身で理解してしまう」
 飼い主を得た人々は、そう語っていた。言葉では説明なんて出来ない。けれど必ず分かると教えてくれた。
 俺も、そんな体験がしたかった。
 ペットにとって飼い主は絶対的に求めてしまう相手だ。そんな存在が一目で分かったら、どれほど運命的だろう。
 恋愛なんて、付き合ったり別れたりを繰り返すような関係ではない。唯一無二の関係を、視線一つと決められたら、それはもう人間の手から離れた超次元の約束のようではないか。
 憧れのようなものを抱きながら、俺は飼い主を探し求めていた。
 けれど逢えずにいた。
 飼い主を探す俺に対して、性格のよろしくない俺の身内は、飼い主との出逢いや生活をあれこれ話して聞かせてくる。飼い主といるとどれほど幸せか、自分がどれほど大切にされているのか。
 でれでれした顔で長々と喋る身内を、何度怒鳴りつけたことか。
 それでも「深透は飼い主がいないから分からない」と言い返されて、悔しい思いをした。
 絶対にあいつらの鼻を明かしてやる。
 あいつらの飼い主よりずっと素晴らしい、最高の飼い主を捕まえるのだと強く決意した。
「俺のことを一番に考えて、俺のためなら何でもしてくれる人がいい。俺が欲しいものをいつだってちゃんと察してくれて、自主的に動いて欲しい。そうでなくとも遊んで欲しい時、構って欲しい時、撫でて欲しい時は、何をしていたとしても俺がアピールした瞬間に実行して欲しい。勿論俺以外のペットも恋人もあり得ない。俺だけに優しくして欲しい。誰も近付けないで欲しい。俺だけがいればいい。そんな人間がいい」
 飼い主の理想を語ると、同類である俺と同じくペットになれる人間たちは難しい顔をした。
「気持ちは分かるけど、求めすぎる。飼い主にも自由と人権がある。そこまで欲しがると嫌われるぞ」
 冷静に、だがどこかしたり顔で説教をしてくる仲間たち。飼い主を持っている彼らからしてみれば、俺は理想が高すぎるのだろう。
 自分たちはもう幸せの形である飼い主と共にいるから、満足しているから。飼い主という存在さえいれば、それで十分だなんて錯覚出来るのだ。
 何であっても飼い主だったならば輝いて見えるのだろう。
 だが俺は、平々凡々な飼い主は嫌なのだ。
 特別な人がいい。俺だけの特別が欲しい。
 俺なら特別な飼い主を見付け出すことが出来るのではないかと、心の奥で密かにうぬぼれていたというのもある。
 我ながら容姿は悪くないと思っている。そもそも我が血統は全員見た目に恵まれている。ウサギの愛らしさを人間の姿でも滲ませているのだ。
 子どもの頃は可愛いと言われるのが当然の人生だ。
 成長すると女は可愛いと、男の場合は可愛いと綺麗が混ざり始める。少し中性的かも知れない。それも違和感のない出来になっているのだから、遺伝子の優秀さには舌を巻く。
 街中を歩いていて知らない人間に声をかけられるのには慣れきっていて、もはや動じることなくスルーするのが我が家の常だ。
 容姿を活かして生きてきたウサギは、資産家の伴侶に収まることも珍しくなく。裕福な暮らしをしている者も多い。我が家も例に漏れず、生まれてこの方金に困ることはなかった。それどころか金銭に関して一切の制限のかからない悠々自適に暮らしてきた。
 俺が持っていないものは飼い主くらいだと、そう自負出来てしまった。
 飼い主だって俺がこういう見た目と境遇の人間だと分かれば、興味を持つだろう。興味を持って貰えればそこから必ず陥落させてみせると意気込んでいた。
 だが二十代半ばを過ぎても、飼い主は見付け出せなかった。
 自力では厳しいのだろうかと、飼い主を探している同類たちが集まる場所などにもたまに顔を出すようになった。その内の一つが、飼い主を探している同類、もしくはすでに飼い主を得た同類が住んでいるマンションだ。
 飼い主を探し出すヒントを貰ったり、飼い主と巡り会った後の対処なども教えて貰っていた。このマンションは見付け出した後、その飼い主がどんな人間なのか見極める際に便利な場所だと分かってからは、一部屋キープをさせてもらい、飼い主を発見した時に使おうと目論んでいた。
 早く見付け出したい。俺だけの飼い主に早く巡り会いたい。
 焦れったい日々を送りながらも、たまにマンションに顔を出していた頃だ。
 柴田と歩いていた男に目を奪われた。
 顔をちゃんと見たわけではない、まして視線など合わせてもいない。
 けれど強烈に俺の意識に焼き付いた。
(あれが欲しい)
 理由などない。
 誰かも言っていたように、全身がそう叫んでいる。
「柴田、止まれ」
 マンションで柴田を待ち受けては、帰ってきたばかりの柴田を捕まえた。柴田を逃すまいと行く手を阻むように立ち塞がった俺に、柴田は目を丸くした。
 たまたま近くにいたテンも俺のただならぬ様子に、興味津々で近くに来る。
 首を突っ込んでくるなと、いつもならテンに文句を言うだろうが。今日ばかりはそんな些末なものを気にしていられない。
「おまえがさっき一緒に歩いていた男は誰だ」
「彼は、大学の友達ですけど。どうかしはったんですか?」
 京都の出身らしい柴田は、イントネーションが独特である上に、たまに方言が飛び出してくる。耳慣れないそれに俺は改めて息を吸い込んだ。
「飼い主にしたい」
 何度も何度も脳内でシュミレーションをした。いつどんな時に、誰にこれを告げるのだろうかと。まさかこんな風に簡単な台詞で、そんなに親しくもない柴田に一番初めて言う羽目になるとは、予想外だ。
 だが必要な第一歩だ。多少の悔しさを覚えながら告げると、柴田は凍り付いた。
「えっ、森山さんとうとう飼い主にしたいやつ見付けたの!?しかも豆吉の友達!?それって大学生じゃん!いいの?年上に散々甘やかされたいって言ってたのに、年下じゃん!」
「別に年下でもいい。紹介しろ」
 ただここにいただけのテンが一番大袈裟に反応をしている。相変わらずよく回る口でぺらぺらとやかましいことだ。
 顔をしかめるのだが、テンはいつだって俺の表情なんて気にしない。それどころか飼い主以外のことはあまり頓着しない。
 テンの反応などどうでも良い、肝心の柴田だが、驚愕から解けるとものすごく気まずそうに目をそらした。柴犬だという柴田は、思っていることが面白いほど顔に出る。
「森山さん、あいつじゃなきゃ、その、駄目ですか?あいつはちょっと」
「何か問題でも?」
 友達の人格でも問題があるのか。穏やかなそうな雰囲気の男だったのだが、人は見かけによらないとも言う。
 人格が破綻している者を飼い主にするのは勇気が要る。怖じ気づいていると、柴田が悩ましげに眉を寄せる。
「あいつは今大変なんです。家の事情で大学を辞めんといけないかも知れない」
「問題でも起こしたのか?それとも学費の問題か?跡継ぎ問題か?」
「学費です。父親が亡くなって」
 家庭内の経済を支えていた父親が亡くなり、収入源が減って大学の学費を捻出出来なくなった。だから退学するかも知れない。
 そんなところなのだろう。
 本人にとっては人生を左右する重大な問題だ。だからこそ俺は、笑みが浮かんでくるのを止められなかった。
「じゃあそこにつけ込む」
「つけ込む!?」
「金が必要なんだろう?金を使って人を引き込むなんて簡単だ」
 なんだ飼い主になって欲しい人を捕まえるのは、思っていたより簡単にいきそうだ。
 俺はとっかかりを見付けてほっとしているのだが、目の前の二人は明らかにドン引きしていた。
 



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