兎の救済 6





 バイト先から部屋に戻るまでの間、ミトについて森山さんに色々語ったのだが。森山さんは相づちをうつだけで、特に質問などはしてこなかった。
(無口な人だ)
 自分のこともあまり語らず、そして俺が普段何をしているのか、どんな風に過ごしているのかも尋ねない。無関心なのか、と思いきや綺麗な顔は俺を見上げては、好奇心を双眸に滲ませていた。
 初対面の時は、俺のことをどんな人間なのか探ろうとしていた。けれど今は俺のことを純粋に知ろうとしている、興味を持っているような眼差しだ。
(そりゃミトを預けている相手だから、気になるだろうけど)
 気になるなら、訊けばいいのに。
 同性ではあるけれど、自分とは真逆の端麗な顔立ちに、どうにも緊張をしてしまう。
 道中会話を上手く続けられずに単発の発言を繰り返して、一人で空回っていた。舌がもつれてしまい、途中で幾度か噛んでしまったのだが。森山さんは笑わなかった。
 しかしいっそ笑い飛ばして貰った方が気が楽だったかも知れない。
 部屋に辿り着いた時には密かに安堵の息を吐いたくらいだ。
「部屋は、綺麗に掃除をしていると思いますが」
 あくまでも自分は居候であり、部屋は森山さんのものだ。借り物なのだから極力汚さないように、いつ森山さんが帰ってきても大丈夫なように保ってはいるが。一応保険としてそう一声掛けてドアを開けた。
「ただいま〜。ミト、ご主人様が帰ってきたよ」
 主人は自分ではない。
 そんな寂しさを噛み締めながら部屋に上がる。
 ミトはいつもサークルの中にいるか、切り株ベッドの中で寝ているのだが。そのどちらにも姿が見えない。
「あれ?ミト?」
 どこにいったのか。ケージの中も見渡すけれど、オレンジ色の毛並みはどこにもいない。クッションの影、裏、ベッドも隅々までチェックをする。
「サークルから出たのかな。ミト〜」
 いつもお行儀良くサークルの中で遊んでいてくれるけれど。今日は外に飛び出したのか。サークルは高さがあるので簡単には飛び越えられないはずだが。何かの拍子に出られたのかも知れない。
 家具の裏などに隠れているのかと、慌てて部屋中を探し回ろうとしたのだが。「いるよ」と森山さんに声をかけられた。
「どこにいました?って、何してるんですか!?」
 森山さんはリビングまで入ってくると服を脱ぎ始めた。ミトがいないと大騒ぎになっているのに、この人は何をしているのか。
 唖然としていると、森山さんは上半身の服を全部脱ぎながらベッドに歩いて行く。突然何を始めたのか、呆気にとられている俺の前で森山さんはベッドのシーツを剥ぎ取った。
「あのっ、森山さん!?ミトがいないんですが!」
 何をしようとしているのか分からないけれど、それどころではないだろう。貴方の大切なウサギが行方不明になっているのに、何故服を脱ぐのか。
 わけが分からない俺の前で、森山さんは黙ってスラックスのボタンを外し、そして剥ぎ取ったシーツを頭から被った。
「ちょっと!森山さん!」
 なんなんだこの人は!と混乱していると、森山さんの形がぐにゃりと溶けた。
 シーツに包まれた人間の輪郭が一瞬で消えた光景に、俺は言葉を失う。
 まるでマジックショーで人間が消失したみたいだ。
「え……?」
(なんだこれ。何の錯覚だ!?何が起こった!?)
 森山さんはどうなったのか。床に穴でも空いていて、そこから落ちたのか。階下は駐車場だ。そこに下りたのか。
 恐る恐るシーツをめくるが、そこには人間が落下出来るような穴はない。それどころか今朝掃除をしたままのフローリングだ。
 だが俺が想像したものとは、別のものがそこにあった。
「ミト!おまえどこにいたんだよ!ベッドに上がってたのか!?」
 シーツの下には可愛らしいオレンジ色のウサギがいた。
 俺を見て跳ねながら近寄ってきてくれるのは嬉しいけれど、これまでどこにいたのか。ベッドの中に隠れていて、森山さんがシーツを剥がした時に、ついてきたのか。
(いや、でも、シーツにウサギがくっついていた様子はなかった。だってシーツを被った時、足元にもどこにもミトはいなかった。
 そして今、森山さんがミトと交代したかのように消えてしまっている。
「なんで?森山さんはどこに?森山さん!!ミトがいましたよ!森山さん!ミト!いや、ミトはここで!」
 呼びかけても返事はない。まさか俺の隙を突いて外に出たのだろうか。
 ミトを抱えたまま玄関を開けて、外を見る。
「森山さん!ミトがいました!でも森山さんがいません!どこですか!」
 いなくなった人にこんな呼びかけをするのも妙だと、俺は気付かないまま叫んでいた。
「服も置いていったままなんですけど!まさか全裸じゃないですよね!犯罪ですよ!いくら格好良くても駄目ですからね!本当にどこなんですか!?」
 どうすりゃいいんだこの状態。どこにいるのか部屋の中か、外なのか分からず。ドアを開けっぱなしにして俺は大声を上げ続ける。
 ミトが逃げ出さないようにだっこをしたままだが。基本的にだっこがあまり好きではないミトはそろそろ嫌がり始めている。
「どうしよう……森山さん!どうしましょう!」
「うるっさい!うちの子がびっくりするでしょう!?」
 隣から女性が出てきては俺を叱りつけてくる。
 玄関のドアを開けっぱなしで叫んでいる俺は、確かにかなりの騒音だろう。だがそれを謝る前に、俺はお隣さんの南さんに「森山さんがいないんです!」と泣きついていた。
「ミトに会いに飼い主の森山さんが来てて!でもミトがいなくて!今はいるんですけど!でも探している間に森山さんが部屋の中からいなくなって!」
 きちんと説明しようとするのだが支離滅裂になっている俺に、南さんは「ああ」と何故か合点がいったという表情を見せた。
「森山さんがウサギになったの?」
「え?そうじゃなくて、そう、そんな」
 違いますよ!と言おうとした。
 だがだっこを嫌がっているミトを見て、俺は森山さんがいなくなった瞬間を思い出した。
 森山さんがシーツの中から消えて、ミトが出てきた。それが事実だ。
(森山さんが、ミトになった?)
 まさか、そんなことがあるわけがないだろう。
 だが南さんは気怠そうに腕を組んでは「まあ、これくらいか」と何かに納得をした。
「バラすには丁度いい期間なんじゃない?そこそこ時間もかけて、人柄も分かってきたからって感じ?」
「え、なに、バレた?バラした?なになに」
 隣の隣のドアが開いては、テンが出てくる。興味津々という目で俺と腕の中のミトを見ては「森山さんおめでとう!」なんてよく分からない台詞を言っている。
「おめでとうかどうかはまた別じゃない?」
「俺はおめでとうだけと思うけど〜。だって熊谷さん見たら最初から分かっている感じじゃん。このタイプ、押し負けるし安全そう」
「ちょっと待ってください!何の話ですか!?」
「うちのマンション、ペットになれる人間とその飼い主が暮らしてんだ。これまで黙ってたけど、ここにいる人間の半分は特殊人間。そして森山さんはウサギになれる人間」
「は?」
「森山さんはいなくなったんじゃなくて、おまえがだっこしてるのが森山さん。つまり熊谷はずーっと森山さんと暮らしてたってわけ」
 テンに腕の中にいるミトを指差されて、俺は呆然と視線を落とした。大きな瞳が俺を、俺だけを見上げてくれる。
(ウサギが人間になるなんてあり得ない)
 理性ではそう思うのに、先ほど見た光景を脳内で再生すると、可能かも知れないなんて錯覚が過る。
「じゃあ……南さんもウサギになったりするんですか?」
「私は飼い主側よ。そしてペットはウサギに限定されていない」
 確かに南さんのように勝ち気で怖いものなんてないという、堂々とした様子はウサギにはほど遠い。
「じゃあ、名取さんが?」
「うちは文鳥よ。可愛いでしょう?」
「はい」
 名取さんは俺と同じく大学生の女の子だ。豊かな黒髪ロングに優しげな要望はウサギでもおかしくないと思ったけれど。可憐で鈴のような声は小鳥がぴったりだ。
「俺はフェレット」
「なんで足が長いんだ」
 フェレットというエキゾチックアニマルはイタチのような見た目をしている。胴が長くて手足が短い生き物であるはずなのに、テンはどうして手足が長く、すらりとした容姿をしているのか。
 俺の文句にテンは「それは俺だって知らないけど、家族みんなこんな感じだぜ」と笑っている。
 世の中の不条理を感じさせる。
「あ、丁度いいところに来た。鹿野さん!」
 飼っている柴犬の散歩から帰ってきた鹿野さんを、テンが呼び寄せる。
 いつも涼しげで高みから周囲を眺めているような鹿野さんに、俺は一つの生き物を思い出す。
「猫?」
「鹿野さんが何のリード持ってるのか見えてる?豆吉がいるでしょ」
「あっ、そうか。豆吉。豆吉って……まさか柴田か!」
 友人は鹿野さんと同居している。いつも飼い犬である豆吉君の散歩は鹿野さんしか行っていないなと思っていたが、友人本体が犬ならば、人間の姿で自分の散歩など出来るわけがない。
 衝撃の事実に唖然とする俺に、鹿野さんが片眉を上げてくつりと笑った。
「バレか。割と長く隠せていたな」
「ウサギは臆病だからじゃない?」
「あの態度で臆病だと言われてもな」
 どんな態度なのか。俺には分からないけれど、テンも南さんも同意するように頷いた。
 俺の中で物静かで口数の少ない、それこそウサギのような森山さんを思い出しては、どんな態度なのか見当も付かなかった。



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