兎の救済 5





 職場の人たちから貰ったものを段ボールに詰めて実家に送った。
 一人暮らしだと人からたくさん食べ物を貰っても食べきれない。そんな話が膨らんで段ボールの中身はとても重たくなった。
 親戚がそうめん屋だと言っていた人には手を合わせて拝まれた。そうするべきなのは俺なのに、まるで逆に俺に助けられたと言わんばかりだった。
 段ボールの中には食べ物だけでなく、可愛らしいアクセサリーや文具も含まれていた。スタッフたちが「可愛くて衝動買いしたけど、自分で使うのは抵抗がある」というものたちらしい。
 買っただけで満足したそうだ。
 やはりウサギをモチーフにしたものが多い。ウサギカフェに勤めているだけはある。
 荷物が届いた母から即座に電話がかかってきた。バイト先の人たちに貰ったものだというと、母は複雑そうだった。施しを受けていると感じたのかも知れない。
 俺だってそう思ったけれど、不要なものではない。何より、有り難いという気持ちは本当だ。
 アクセサリーや文具に関しては妹たちが大喜びだったらしい。電話先の後ろでもはしゃいでいる妹たちの声がする。そんな声が聞こえただけでも、バイト先の人たちには感謝の念が尽きない。
「俺が力仕事をしているから、そのお礼みたいなもんだって」
 そう言うと母は『頑張ってるね』と少しばかり安堵したように呟いた。人から優しさを分け与えて貰える立場にある、というのを目で見て分かって。親としては少し安心したのかも知れない。
 俺からしても良い職場だと思う。最初は女性ばかりの中で俺はちゃんと馴染めるか。彼女たちについて行けなくて、疎外感を覚えるのではないか。そもそも仕事自体も俺に出来るだろうかという不安ばかりだった。
 けれど彼女たちは穏やかで、根気強かった。慣れない環境と空気にきごちない俺にも、分け隔てなく接してくれる。
 スタッフを困らせていた問題の男性客たちだが。セクハラや暴言を吐く客は俺が接客をするとかなり怯んだ。女性スタッフに接して欲しそうにしていたが、俺が極力相手をすると、店に来る頻度ががくんと減ったそうだ。
 どうやら中身はどうあれ、図体の大きな男がいるというだけであの手の輩は大人しくなるらしい。
 なんて根性と度胸がないのか。同性として情けない気分になってくる。
 逆に俺がいることで店に入りやすくなったという男性客もいた。
 可愛らしい女性スタッフとお客さんばかりで、どうにも足を踏み入れる勇気が出なかった、という男性が俺を見かけて勇気を出してくれたらしい。
 他にも彼女と一緒によく来ていた男性も、俺がいると肩身が狭くないと笑っていた。
 ウサギの飼い主たちの間で、ここはウサギの情報を交換する場としてちょっとしたスポットになっているらしい。飼い主たちがあれこれスタッフや他のお客さんと話をしているのに、俺もよく混ぜて貰った。
 二ヶ月もすると俺はすっかりこのウサギカフェで働くのが楽しくなっていた。
 居心地が良いというのもあるのだが、これまであまりウサギを好きな人とあれこれ喋ることがなかった。自分で思っていたより、俺は自分が男であり、この見た目なのに愛らしいウサギが大好きだってことに、気恥ずかしさのようなものを覚えていたらしい。
 ウサギなんて女性が好むもの、なんて馬鹿馬鹿しい固定概念があったのだろう。
 そんなことは気にしなくていい。可愛いものは可愛い。好きなものは好き。それで十分だと、ここにいると実感出来る。
 そんなことを思える心のゆとりが出来たのも、ミトがいてくれるのと、森山さんがミトに引き合わせてくれた上に、バイト代までくれるからだ。
(ミトと暮らしているだけで十五万だもんな)
 森山さんはたまにメールなどで連絡のやりとりをしている。
 ミトがどう過ごしているのか、定期的に写真や動画で状況を送り、ちゃんと世話をしている証明をしなければいけなかった。
 森山さんは写真や動画を送ると、翌日に『分かった』と短い返事を送ってきた。特別あれこれ尋ねてもこないし、注文もしない。これでいいのかと思うけれど、毎日忙しいのかも知れない。
(大事なウサギを人に預けなきゃいけないくらいだから)
 こんな可愛いミトを置いて、一人仕事を詰め込んでいるのかと思うと気の毒になってくる。俺なら身が引き裂かれそうになるだろう。
(……そんなことを思っても、ミトは俺のウサギじゃない)
 ミトが可愛くて、出来ればずっと遊んであげたいけれど。ミトは森山さんのウサギだ。森山さんの仕事が一段落して、こっちに帰ってくると俺のバイトは終わる。
 貰っているバイト代だってその時に終了だ。ウサギカフェのバイトは続けるけれど、別のバイトを掛け持ちしなければ実家の仕送りは出来ない。それどころか自分の生活も、どうなることか。
(また引っ越しもしなきゃいけない)
 俺は今自宅がなく、森山さんの部屋に居候をしている有様だ。早く次の部屋を探したいのだが、それにはまず退去時期を明確にしなければ動けない。
 だから森山さんがいつ帰ってくるのか、正確な日時を教えて欲しいのだが『分からない』の一点張りだ。
 友人に愚痴ると「戻る気があるのかないのか、まだ見極めてるところじゃないかな」と言っていた。
 仕事の見極めが難しいのだろうか。森山さんの仕事について俺はほとんど知識がないので、予測も付かない。
「熊谷君のところはウサギは、ネザーだっけ?」
「そうです。可愛い男の子です」
「熊谷君のウサギは賢いよ。囓っちゃ駄目なものがちゃんと分かるし、駄目だよって言い聞かせたらちゃんと止めてくれるんだって!」
 常連のお客さん二人組と、自分たちが飼っているウサギの話題になった。誰しも自分のウサギに関しては唇が滑らかになる。そして全員の目尻が下がっては、声のトーンが上がる。
 大好きなものについて語る人はきっとみんなこんな風に幸せそうな顔になるのだろう。
「うちにいるウサギのミトは本当に賢いんです。人の言うことを全部理解してくれているみたいです。あんなに賢いウサギは初めてです。俺が以前飼っていたウサギなんてコードどころか人の足にも齧り付くし。ちょっとでも気に入らないことがあるとすぐに足ダンですよ」
 足ダンとは、滅多に鳴かないウサギが自分の怒りや不快感を主張する際。地面を後ろ足で強く蹴って音を出す行為だ。
 一キロちょっとの小さな身体が出すとは思えないほど大きな音を立てる。それほどウサギの後ろ足のキック力は強いという証拠だろう。
「フードの袋を倒しただけで足ダンされましたからね。うるさい!ってお叱りです」
「うちなんて自分でお皿を倒して、中のペレットが零れたのに。それに怒って足ダンしてたよ〜。おまえがやったんだろー!って感じだよね」
「でも理不尽なことがあっても、可愛いから全て許せますね。何してても、何されても可愛い。俺の後ろをついて歩いてくれる姿なんて、可愛すぎて倒れそうになります」
 ぴょこぴょこと、元気に俺の後ろを跳ねているミトは、世界で一番可愛い。あのお尻が動き、尻尾が上下に揺れている光景を思い出していると、どうしてもにやけてしまう。
 店の外ならばただの不審者だが、店の中では「ウサギについて喋ってるな」と優しく見守って貰えていた。ここではウサギについて惚気るのはいくらでも歓迎される特殊空間だ。
「そんなに君のウサギは可愛い?」
「はい!と、言っても」
 俺のウサギじゃないんです。
 そうお決まりの台詞を続けようとした。どれほど可愛くても、大切にしていても、自分のものにはならない寂しさを込めた言葉なのだが、それを伝える相手を見て俺は絶句した。
「森山さん」
 ミトの飼い主である森山さんがそこにいた。キラキラとしたまるでアイドルのような綺麗な顔は感情が読めない。表情が乏しいと冷たく感じられそうなものだが、森山さんの場合は元々の顔立ちが柔らかいせいか、冷ややかな印象はなかった。
 俺とは真逆の、どこか中性的ですらある森山さんの登場に、俺と喋っていた女性たちが森山さんに釘付けになっている。彼女たちの唇がぽかんと空いているのが、衝撃を物語っているだろう。
「帰って、来たんですか」
「一時的に」
「そう、ですか」
 一時的という台詞に胸を撫で下ろして、だがすぐに自己嫌悪に陥る。
(ミトの飼い主なんだから、いつ帰ってきても当然なのに)
 もう少し、ミトと一緒に暮らしたいと思ってしまった。
 森山さんだってミトと暮らしたい、早く帰って来たいだろうに。俺が欲張るなんていけないことだ。
「ミト君は元気にしてますよ。ご飯もちゃんと食べて、今朝もご機嫌で遊んでくれました」
 いつもならメッセージで済ませる連絡を、今日は口頭で伝える。だがミトの様子を教えても、森山さんの表情に変化はなく頷くだけだった。
(怒ってる?わけでもない?)
 ここまで喋らないなんて、さすがに機嫌が悪いのかと思いそうになるけれど。眉をひそめるわけでもなく、大きな瞳も陰ってはいない。凪いだ湖の表面のように静かだ。
(思っていることを表に出すのが苦手なんだろうか)
 綺麗に整った顔はそのままに、森山さんは小首を傾げた。
「約束、守ってくれているんだね」
「はい」
 ミトを世話する上で決められた条件を、俺はきちんと破らずに暮らしている。それを褒めてくれているようだが。俺が口先だけで告げた内容で、ちゃんと信用してもいいものだろうか。
「俺も守ってくれる?」
「え?」
「部屋に行ってもいい?」
「はい、勿論。ミト君にも会ってあげてください」
 何より森山さんの部屋だ、帰りたいと言うのは当然の要求だろう。
 だがその前に言われた「俺も」という台詞は一体何だったのか。
 問いかけるタイミングを失っていると、森山さんは慣れた様子で店の奥の、空いてるテーブルに座る。すると店長が森山さんに親しげに声をかけていた。
(森山さんもウサギを飼っているし、家も近いからこのカフェの常連だったのかな)
 十分有り得そうだと思っていると、常連の女性二人に「あの人誰!?」と勢い良く尋ねられて、返答に困った。



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